〜 【Relational Novel】 〜
◇◆◇FINAL CRYSTAL◇◆◇

エピソード2<FFVI>




 俄かに全てを破壊された世界が、生存者一人一人の手によって緩々とではあるが再生しつつあった。
 これ以上にないと思われた痛手にも、皆が一旦希望を取り戻せば打ち克てた。最早虫けら以下の扱いで、築いてきた全てを、生命を奪われはしない。そんな至極当たり前なことが当たり前ではなかった中を、よく生きのびてこられたものだと人々は安堵して、より一層復興作業に身を入れていた。


 孤児達が身を寄せ合って暮らすモブリズ村でも、勇ましくも屋根にまたがり細腕で金槌を振るう少女がいた。大工仕事にはおよそ縁がなかったと窺える危なっかしい手つき、案の定右手の狙いはそれて、釘を押さえる指を打ってしまう。
「痛っ……」
 先程から何度も繰り返されている光景だった。
 それでも彼女は苛立った様子もなく、真摯な姿勢を崩さないまま再度挑戦しようとする。まっさらな子供が始めての遊びに夢中になるように、練達した職人が持てる技術全てを作品に注ぎ込むように。
 仲間達との旅を通して、モブリズで子供達と出会えて、人間の基本的な情緒が欠落していた彼女――ティナは“愛”を知ることとなったものの、まだ学ぶべきことが多い。何を行うにも、釘打ち一つにもティナは真剣さを忘れないのだった。漫然と時の流れを享受せず、吸収出来る機会に感謝して精一杯を傾けていた。
 そして、皆のお母さんである自分がこの家を守らずしてどうするという意志も働いていた。平和と共に産まれた赤子の親がいるにはいるが、夫婦とも齢にして十代後半、ティナが最年長なのである。
 愛を教えてくれた彼らに報いたいと、彼女は一心に取り組んでいた。


 この村にとってはまさしく稀人(まれびと)である客人(まろうど)が、空を仰ぐと硬直した。赤い髪留めで結ばれたポニーテールが、屋根の上でゆらゆらしていたのだ。
 翡翠の風見鶏、だな。
 詩的な発想に一瞬だけなごんでしまったが、そんな場合かとエドガーはすぐに己を叱咤した。
 陽光に輝き微風になびく緑髪の持ち主に呼びかける。
「ティナ!」
「え? きゃあ!」
 下から突然お呼びがかかって体の均衡を失ったティナが、焼け焦げた斜め板を頭から滑り降りてくる。フェミニストと称される彼は肝を潰す暇もなく、レディの危機を救いに向かわねばならなかった。均整のとれた長身が機敏に動き、貴色である紫のマントを華やかに翻らせる。
 目測を誤るような愚を犯さず、エドガーが軒先の一地点で腕を伸ばした。衝撃を和らげるべく腰を落としながら、広い胸の中へティナを収める。
 降って来たひとは、本当に軽かった。
「ごめんなさい……」
 か細い声は、まだ震えていた。
「私の方だよ、謝らねばならないのは。びっくりさせてしまったのだから」
 彼女を支える手に優しく力を込め、安心させてやる。
「ありがとう」
 射し込む木漏れ日がまどろむ者をはっとさせるような、暖かくも眩しい笑顔をティナは見せた。以前は決してお目にかかれなかった表情に、エドガーは魅入られてしまった。
「重いでしょ、怪我はなかった? エドガー」
「あ、ああ勿論。羽を生やした天使の軽さだったことだしね」
 調子を取り戻したエドガーだが、先に安否を気遣われてしまって心に苦さが生じる。
 口説きの王者らしからぬ失態だった。
「そんなことないわ。もう飛べないし、冒険が終わってから太ったもの」
「君は元々が非常にスレンダーだから、丁度いいのではないかな」
 エドガーは自分の言葉に心(しん)から頷いていた。間近で拝み、触れているティナの細身は、柔らかな女性らしさが発露していたからだ。痛々しいまでに青白かった肌も、うっすらと日に焼けて健康美を魅せている。
「綺麗になったね、ティナ」
「エドガーは変わってないみたい、口が上手で」
 男女の関係におよそ疎い彼女にまでも、色好みの烙印を押されてしまい、エドガーは空笑いするしかなかった。




〜王様の、掌中の碧玉〜




 ずっと抱いていたかったのだが、ティナが足を地面へつけようと身を乗り出したので仕方なく降ろしてやる。ならば、とエドガーは更に色男ぶりを発揮した。
 当然の挨拶とばかり、優雅に彼女の手を取って、甲に接吻する。そして、打ち身で腫れ上がった指をもう一方の手でさすると、甘い低音で囁きかけた。
「レディがあんな危ない場所で、この形のいい指を痛めてはいけないよ。家の修理なぞ、私をいつでも呼びつけてくれ給え。ここぞという時お役に立てずして、何の為のマシーナリー(機械師団)だというのだね」
「でも……ただでさえエドガーは王様で忙しいのに。フィガロの国も建て直しで大変でしょ?」
「王である前に一人の男さ。雨漏りで濡れそぼつ女性を見捨ててなどおけるものか」
 ティナは黙って笑みを返した。彼に包まれていた手を抜くと、何気ない調子で――口付けられた場所へ唇をあてた。
「中に入って。狭くて暗い地下部屋だけど」
 軽やかに踵を返してエドガーの元を離れていく。きしむ扉を半分押し開けたところで、ティナは一向に付いて来ない相手を訝しげに振り向いた。
「エドガー? どうかした?」
「いや、何でも。お邪魔させて頂くよ」
 切り妻に乗っかっていたのに驚き、落ちてきて驚き、笑顔にみたび驚いて、間接キスで駄目押しされてしまったエドガーは、ご自慢の長い金髪を意味もなくもてあそんでいた。


「ティナママ!」
 四五歳になろうかという男の子が待ち構えていたらしく、玄関先でティナに飛びついた。
「手、洗ったよ。はい!」
「どれどれ、見せて。うん、泡が残っちゃってるけど、綺麗にしたのよね」
 男の子が舌を出し、愛嬌で失敗を取り繕った。見下ろすティナがつられて微笑む。
「じゃあ、はい」
 いつものご褒美なのだろう、ティナは腰を屈めて小さな掌に弾んだ音を立てキスをしてやる。両頬に向けいっぱいに唇を引いたその子は、さっきティナがやった通りに同じ箇所へチュッとしてみせた。
 やり取りの終始を見届けて、エドガーは少し、あくまでほんの少しがっかりした。ティナの大胆な振る舞いは、ここでの慣わし、子供たちに対する日常の癖だったのかと。


 人払いをした奥の部屋に案内され、エドガーは児童用の丸椅子に座っていた。本人が容姿端麗で王族の威厳を醸し出している分だけ、より一層滑稽な図であった。
「ごめんなさい、椅子もろくになくて……」
「これしきのことでティナが気に病む必要はないさ。それより、相談があると私を呼んだのは、ひょっとして家の修理についてかい?」
 ティナが首を振った。
「あのね、犬が咥えてきたものなんだけど」
 彼女は寝台脇の収納棚から、白布にくるまれたものを取り出してきた。大きさは鶏の卵を一回り太らせた程度、ティナの膝に鎮座したそれが、ベールを剥がされ姿を現した。
「魔石……ではないようだね。結晶か? しかしそれにしては大きいな」
「色が、赤いでしょう。やっぱり魔石だって、エドガーも思うわよね」
「だが、最早魔石の存在は……幻獣の存在ごと消えた筈だ」
 言いきってしまってから、エドガーは不用意な失言を悔やんだ。この世から失われた幻獣、それは彼女の片親が属していた種族だったのだ。
 亡くなった父を悼む瞳は、形見をとらえたかったに違いない。だがその品は、魔石のかけらを削りだした紅の髪留めとして、ティナの後ろを守っていた。
「すまない」
 理詰めになると周りの感情にまで気を回せなくなるのは、彼の数少ない欠点だった。
「ううん、いいの。私の元に巡り着いたから、ひょっとしたらって……根拠もなく考えちゃっただけだから」
「正体不明の謎の石か。今のところ何か変わったことはないのかい?」
「うん。ただの綺麗な石、なのかしら。余計な取り越し苦労なのかもしれないけど……」
 守りたいものがあるのに、魔法を使えぬ非力な少女になってしまったティナの不安が語尾に隠されていた。
「私にもわからないが、取り敢えずこれはフィガロで預かっておくというのはどうだろう? 鉱物学を専攻する者がお抱えの学者にいることだし、聞いてみるとしよう」
 エドガーの提案に、彼女は躊躇う。
「危険なものかもしれないのに、そんな」
「だとしても、ここに置いておくよりは安心ではないかな? うちの連中は血の気が余っている奴らばかりだ、有事にも慣れきっている。私も含めてね」
 何より、とエドガーの甘い弁舌が始まった。
「君を危ない目に遭わせるようなものを、放置してはおけない。私の気がおさまらないのだよ」
 片目をつぶって口説き文句をしめてみせる。ティナは、そのテクニックに拍手したくなった。でも本当にやったらエドガーが項垂れてしまうだろうという予想もついてしまって、おかしくなった。
 彼女が笑った意味を把握してはいなくとも、彼女が笑った事実に彼も笑った。




 ティナに見送られてチョコボで帰路を辿った夕べから、太陽が何回か昇っては沈んで行った。執務に忙殺される日々は単調な彩りでしかなく、手休めの際にはエドガーを先日の思い出に浸らせるばかりであった。
「モブリズの村へは既に修理班を派遣したのか? 大臣」
「はっ。家一軒のことですから、今頃はもう任務を完了しているかと」
 エドガーが舌打ちしたのを、耳ざとい大臣はしっかり聞きとがめてくれた。
「王自ら行かれようとしていましたね? お遊びも程々にして下され、大体ですな……」
 口やかましい説教が滔々と続く中、玉座の若き盟主は、盟主らしからぬ不貞腐れた態度で頬杖をついていた。


「やあ。色々持って来たのだが、気に入ってもらえるかな?」
「エドガー……また来てくれたの? それは?」
 孤児院の玄関先に立つ彼の傍らに、数個の木箱が並んでいた。そこへ子供達が我先にと群がり、無邪気な歓声を上げた。恵まれていない者にとって箱の中身は夢の世界、お菓子や玩具が溢れそうに詰まっている。
「お行儀が悪いわよ、皆。エドガー、こんな……貰えないわ」
「どうやらティナの意見は極めて少数派らしいよ。多数決といこうではないか。返したくない人は?」
 その場にいた子供全員の手がぴんと伸ばされた。中には諸手を上げて賛成している子もいる。ティナは幾つもの縋る瞳に見上げられ、観念するしかなかった。
「もう。ちゃんとエドガー様にお礼を言ってね」
「エドガー……さま?」
「そう、偉い方なのよ」
「おいおい、よしてくれティナ。お兄ちゃんと呼んでくれると嬉しいのだが。さすがにおじさんでは傷つくからね」
「エドガー……パパ?」
「パパだ! ティナママに、エドガーパパね」
 ませた頃合の女の子達が、騒ぎ出す。
「ふざけてないで、ほら。遊んで来なさいな」
「ママ、照れてるー」
「からかわないの!」
 蜘蛛の子を散らすようにして、彼らは“親”二人から逃げ出した。

 
 全面的に改装された屋内には、こぢんまりとしてはいるがティナの自室も作られていた。エドガーが導かれた椅子も、今度は窮屈ではない普通の大きさだった。
「家のことも、本当に……」
「“ごめんなさい”と“ありがとう”は全面廃止としようじゃないか。まあ、後者はまだいいけれど、ね」 
 先手を打たれ、敵わないといった風にティナが吐息をつく。
「どうすればいいのかしら。わたしがお返しに出来ること、ある?」
「大袈裟だな、ティナは」
 彼が笑って済まそうとするのを、ティナのひたむきな眼差しは許さない。
「……私は王という人一倍恵まれた立場にある。あの位の物質的援助ならば、私個人の小遣い銭で何とでもなってしまうものだ。負担でも何でもないのだよ?」
「エドガーが大変じゃなくてもね、わたしがしてもらったことへの、気持ちの問題で聞いてるの」
 いじらしいことを言ってくれる。この娘はいつも謙虚で、だから手を差し伸べてやりたくなってしまう。
「では、そうだね……ここでゆっくり暫しの休息を取らせて貰えれば、言うことはないな」
「そんなの、何十回来てもらったってお返ししきれないじゃない」
「精神的援助はそう容易く換算出来るものではないさ。仕事を離れ、可憐な美女と差し向かいで語らう。これぞ男のオアシスでなくて、何だというのだい?」
 この先度々訪れても構わないわけだと解釈したエドガーは、我知らずご機嫌になっていた。
「フィガロは無論素晴らしい国だ。自画自賛ではあるが、私もそう豪語してみせるだけのことはしてきたつもりだよ。ただ、余りに復興も早くにどうにかなったせいかな、爺い共が“早々に身を固め世継ぎをもうけるのも王としての務めですぞ”とか何とか、殊にうるさくて参ってしまってね。少々いづらいわけなんだ」
 舌も滑らかに、あらぬ方向へ話題が進む。だが耳を傾けていた人は、決して醜聞好きなかしましい女性がしてくる常套の問い――“意中の方はおりませんの?”だの“私が陛下の伴侶に立候補してもよろしくて?”だのを発さず、思うままを述べた。
「新しい命が生まれるのは、いいことよね。周りもとても幸せになれるもの」
 ティナがしみじみと呟いた。どうやら彼女の友人である若夫婦の間に生まれた赤ん坊は、この家で皆に舐めるように可愛がられているらしい。
「愛することで、幸せに?」
「……そうね」
 実感が込められた返事だった。


 本題を切り出すのを、忘れてしまった。エドガーはフィガロに戻る飛空艇の中で、頭を抱えていた。 
 過ぎる時間が早過ぎるのがいけない。相手がティナだとお喋りも、義務感が纏わりついたリップサービスではなくて、心の底から楽しめるものとなる。彼女の受け答えが素っ頓狂で、新鮮だからなのだろうか……それだけなのか。
「困った王様だな。お忍びが過ぎるんじゃないか?」
 嫌味な奴から茶々が入った。エドガーが送り迎えに雇った飛空艇の持ち主だ。
「黙って舵を動かしてろ、セッツァー。商売させてやってるんだ、しっかり働け」
「おーおー、ティナとはまた比べ物にならない扱いしてくれてまあ、同じ仲間だってのに」
「……覗いていたのか? 悪趣味だな」
「なに、想像の翼を広げただけさ。遂に百戦錬磨の女殺しも白旗を上げる時が来たってわけか、ん? まさかあんな嬢ちゃんに惚れちまうとはね」
 エドガーは、呆けた。
「はあ!?」 
 照れ隠しではなく、本当にセッツァーの言い分を把握出来なかったのである。その反応を受けて、船長は爆笑した。
「こいつは傑作だぜ、自覚なしときたか!」
「あのな、何でも色眼鏡で見るものではないぞ。そういう不純な動機じゃなく俺は彼女を助けたいだけだ」
「くくくっ……余り笑かしてくれるなよ、腹が痛えったら。いいか、お前さんの持ってる両表のコイン、あれに賭けるような明白なことだぜ。あんたはティナが、す」
 凄まじい金属音が船内に轟いた。
 皆まで言わすものかと、エドガーが腰に差していた機械でセッツァーを容赦なく殴りつけたのだった。汚れた成人(聖人にあらず)君子にとってはいたく稀な、彼女への純粋な気持ちに、単純かつ無粋な名前を付けられたくはなかったのだ――いずれ認めなければならないにしても。


 王宮の我が家に着いたのは夜中となってしまったエドガーが、自室に入ってまず目についたのは、机にこれでもかと積み上げられた書類の山だった。一日の自由と引き換えの産物だ。全てを消化しなければ、彼は今晩眠りにつけない。
 うず高い紙の頂上には、文鎮代わりにあの石が乗せられていた。
 石は不思議な変化をきたしていた。結晶を成す粒が緑に芽吹いて、緋を侵食しつつあった、それも片側からだけなのである。ティナの手から受け取ってのち、更には今朝出掛ける前に確認した時点よりも、緑に染まってきている。現状では緑と赤、石の中心で縦に割って半分ずつに、色を分けていた。
 今日エドガーがティナに伝えようとしていた“本題”とはこのことだった。取り敢えずはまた訪れる機会に持ち越されたわけである。
 訪れる機会が増えるのは悪くない、そう片隅で考える頭を切り替えて、自己を引き締め。机を前に彼は有能な為政者の顔へと変貌する。
 時計の針に負けじと筆先は快調に動いてゆく、筈だった。
 しかし、書類を一枚片付ける度、王の仮面は脆くも崩れ去り、個人のエドガーが思いを馳せてしまう。石の緑も赤も、珍しい色の髪を一番似合う色の紐で結い上げた彼女を想起させてやまないのだから。
 胸につかえる狂おしさと戦いながら、エドガーは長い夜を机に向かって過ごした。




「おっす、兄貴。ここんところ仕事づくめだって? 今日も朝飯返上って聞いたけど。俺が特製の茶を入れるから、間食でもどうだ?」
 視線を机上に離さず、エドガーが来訪者である双子の弟に命じる。
「猫の手を借りずに済んだようだな。マッシュ、手伝え」
「俺、肉体派なんだからさー。無理だって」
「お前は馬鹿ではないだろうに」
 淡々と仕事をこなし続ける兄に、マッシュはやれやれと頭の後ろで両指を組む。
「兄貴ー、まだ俺の方向いてもくれてないけど……」
 恨みがましく甘えてみせると、エドガーはやっと顔を上げた。
「すまないな、これを片付けてしまわないことには暇を作れなくて」
「その暇でティナんとこに行くのか? セッツァーに聞いた通り、重症だなあ」
 金の眉が形良くひそめられた。鏡で眺めるより少しごついだけの同じ顔を睨みつける。
 剣呑なエドガーには動じることなく、マッシュがことのいきさつを話し出した。
「二日前かな、獣ヶ原で修行してた俺の頭上を、奴のファルコン号が飛んできたんだ。真空波をかまして呼び止めると、セッツァーが何か言いたそうに、むずむずしてる。だから爆裂拳を叩き込んでやったら、快く教えてくれたよ、最近の兄貴について」
「お前、やることが過激だぞ……」
「空の上にいる相手に気付いてもらうにはあの技しかないじゃないか。それにあいつ、“フィガロの危機だぞ”なんつって勿体ぶるもんだから、つい手が出ちまって」
 エドガーが吐息をついた。
「国は心配ない。俺のことも気にするな……国をおろそかにするような真似はしない、そもそも俺はティナを」
「あー、いい。恋してるかどうかなんて、第三者に表明するもんじゃないから。ただ、俺の前では別に強がってようと誤魔化そうと構わないけど、自分の気持ちには正直になって欲しいんだ。兄貴には」
 弟に自由を与え、犠牲となった兄。
 一国の重責を背負う立場上、本当のことがわからなくなる位嘘をついてきた兄。
 弟は、告げる相手を見据えた。
「幸せになって欲しいんだ」
 臆面もなく宣言してのけたはいいが、後から襲ってきた照れのせいで急に手持ち無沙汰を感じたらしく、マッシュは机の飾りとなっている二色の石を掴んでいじり始めた。
「なあ、マッシュ。俺もだ。俺も、ティナには幸せになって欲しいだけだ」
 過去のどんな時も幸薄かったあの娘に、笑っていて欲しい。それだけなのだ。
 羽ペンで力強く書類を記し終え、エドガーが席を立った。やや強引にマッシュから石を奪い、「じゃあな」と素っ気無く部屋を後にしようとする。
「兄貴……」
「……この石は彼女から預かった。珍しい様変わりをしたから、見せてくるだけだ」
 重々しい扉が、エドガーの姿をさらって閉じた。
「違うだろ」
 もはや独り言にしかならないマッシュの訴えが、静けさを湛える書斎に寂しく響く。
「幸せになって欲しい? 幸せにしたいの間違いだろうに……」


 二人分のお茶を用意したお盆に、それを運ぶティナに、不満の視線が注がれていた。彼女を特に慕っている一人の男の子が、上目遣いで廊下を通せんぼしている。様子のおかしい彼に、ティナが優しく問い掛けた。
「どうしたの? お菓子は乗ってないわよ?」
「ティナママ、皆とお茶飲まないの」
 彼女の服の裾を、そっと引っ張る。
「お客様がいるから、また明日一緒に飲みましょう、ね?」
 男の子は、いやいやをした。
「僕よりあいつの方が好きなの? そんなのやだ、ティナママは僕のお嫁さんだい!」
 癇癪を起こしてしまった子におろおろするティナへ、助け舟が出された。
「ほら、ティナママを余り困らせないの。泣いたりしたらお嫁さんに来てくれないわよ」
 幼子をなだめる声は、カタリーナのものだった。
「ディーン! この子を連れてってくれる?」
 自分の旦那にてきぱきと命じるうら若き新妻は、ティナとは年も一番近い。呼ばれたディーンは赤ちゃん片手に、もう一方で泣きじゃくる男の子の手を引いて、子供達の輪へとんぼ返りしていった。カタリーナとの“愛の結晶”に骨抜きになった彼は、すっかり妻の尻にしかれている。
「で、ティナ。どうなの? 実際のところ」
「何が?」
「とぼけてないの。エドガーさんが通い詰めてるの、貴方がいるからじゃない」
「……優しい人なのよ、とても。仲間の皆を思いやってくれて」
「仲間全員を、これだけ面倒見てるわけないでしょう。王様なんて、そうそう暇でもないのに」
 カタリーナに正論で攻めてこられて、ティナが困惑する。
「ん……まあ、ちょっと意識してみた方がいいわよってこと。お茶、冷めちゃうわね。呼びとめてごめんなさい」
 純な友人の弱り顔には弱い。カタリーナは話をさっさと打ち切ってしまうと、行ってらっしゃいと手を振り振り見送った。ティナも深入りしたくない話題だったので、エドガーを待たせている部屋へとまた歩き始めた。
 大して長くない廊下なので、前方の彼女には聞こえないようカタリーナはそっと溜め息を落とした。
 愛を知ったとはいえ、まだまだ母性愛の範疇からは抜け出せていないティナ。
 年端もゆかぬ子に思慕をぶつけられても、うまくあしらえないティナ。
 カタリーナは、大事な友人を託せそうなかの人を念頭に置いてみた。
「ティナを待ってくれているのは紳士の証拠だけど……いかんせん歯痒いのよね」
 一児の母にかかれば、エドガーも形無しである。
「ティナも満更じゃなさそうだしな」
「きゃっ! 驚かせないでよ、ディーン」
 いつの間にか夫が、彼女の背後で訳知り顔に頷いていた。
「後は押しの一手だよ、あれは」
「……そう仰いますけど、いきなり子供が出来ても困るんじゃない? 私達みたいに」
 恐れ入ります、とディーンは低頭するしかなかった。


「遅くなってごめんなさい、あ……」
 閉まった窓から微かに届く葉ずれの音色に、規則正しい寝息が重なる。
 ティナの部屋では、待ちくたびれたエドガーが腕組みをしてうたた寝をしていた。
 茶器を隅の台へ乗せて、音を立てぬよう彼と向かいの椅子に座る。人差し指を口へ当て自分を戒める、彼女の可愛らしい仕草を、エドガーは残念ながら見逃してしまった。
 ティナは二人の間を挟む卓にひじを付いて、まじまじと彼の寝顔を鑑賞させてもらう。
 整った面には、意識ある際には封じ込められている疲労が刻まれていて、痛々しい。だが、エドガーの滅多にない無防備な姿に、ティナの心持ちはほぐれてもいた。
 見つめられていると、落ち着かなかった。この上ない優しい瞳だというのに。嬉しくも、どこか恐かった。うまく説明のつかない心境に、苛々させられた。
 でも、こうして穏やかに彼と向き合ってみると。
 情緒が未発達なのを盾にして、向き合わねばならない気持ちをわざと先送りにしていたのかもしれない。そう、ティナは悟りかけていた。
 すると、エドガーがこっくりとした。ティナの内心の葛藤に賛同したのではなく、船を漕いだのだ。ほんの少し前のめりにかしいだはずみで、懐からこぼれ出たものがあった。
 それは鈍い音を立てて転がる。彼が持参した石は、敷物が柔らかく受け止めてくれたお蔭で粉々に割れずに済んだ。
 ティナが拾おうとして、床にひざまずいた。石の変化に気付き、目を瞠る。

 赤、そして緑。

 覚醒は、音がきっかけだった。何かが落ちたとエドガーは半ば寝惚けていながらも知覚した。
 開けた眼に飛び込んできたのは、かの色。
 鮮やかな赤の一点から、揺れて広がる緑。彼女を思わせる――いや、本当に彼女だ。彼女の姿。
 どうして、と疑問は湧いても、そこから理性にしがみつかせない何かが、その時働いていた。単に、絹糸よりも繊細な髪の一本一本が判るほど至近距離にあって、石鹸の香りが鼻孔について、どうしようもなくなったと述べる方が正しくも潔いだろう。
 心の防御反応が目覚めぬ内に魅了され、エドガーはこみ上げる意思に体を任せていた。
 
 椅子から降りて、覆いかぶさるように抱きしめていた。彼の宝物を。生ける宝石を。

 会うたびに成長し、輝く彼女だから、一時でも長く目にしていたかった。肉体がいくら困憊していようとも、心を潤してくれる人を求める力は湧いたのだ。馬鹿な男と自嘲して、足を運んだ。そして今は、一方的に行動を起こしてしまっている。
 エドガーが衝動にかられた挙を省みつつあるさなか、ティナがこわばらせていた身から力を抜いた。のみならず、目の前の広い肩へ、頭を預けた。頬を、摺り寄せた。
 全く予想だにしていなかった彼女の反応にエドガーは戸惑ってしまった。せっかく開放してくれた温かな身だが、断腸の念ではがしてみる。彼女の両肩を押さえる彼の腕の長さ分だけ距離をおいて、見詰め合った。
 エドガーはまたもやティナの初めての表情を目にすることとなった。恥じらいの証にうっすらと頬に赤みが差している。彼女の潤んだ瞳にまっすぐ映るのは、自分。そらされようとする気配はなかった。
 エドガーの腕に力がこもる。瞳の中のおのが鏡像を徐々に大きくさせて、火照る面より尚紅い彼女の唇に引き寄せられていく。
「やっ……」
 息が喘いでしまって、ティナに拒否ともつかない悲鳴を上げさせた。 
「嫌、かい?」
「……ううん。嫌なんかじゃない」
 それを聞けばもう安心、とエドガーはにっこりした。張り詰めていた雰囲気も笑顔ひとつで解かされていく。
「では、恐い?」
「少しだけ……」
「そうか、ならば……こうするとしよう」
 大きな右手でティナの頬を撫でて行く。軌道は顎の手前で止まり、エドガーの掌が口づけを頂戴する形となった。
 そして、取り戻した手を大事そうに、自分の唇へ押し当てた。
 ついこないだ彼女が何気なく取った行動と寸分違わないのに、ティナの胸には突き上げるものがあった。特別な人へ、特別な心持が咲き初(そ)めたことで、己が為した過去の所業に今更ながら羞恥が湧き上がる。
 回りくどいキスの間、エドガーの瞼が視界を遮断したほんの間で、ティナは真っ赤になっていた。エドガーの口元に、愛おしさがにじんだ苦笑が刻まれる。
「あ、あの石が落ちたの。だからね……あら?」
 取り繕った口調から、本物の驚愕へ。ティナの視線をなぞって、エドガーも息を呑んだ。
 ティナの顔色が赤の全てを奪ってしまったのか。石の中心から壁一枚隔てられていた緑色が雪崩れうって、赤のいた場所をも占領していた。半分に凝縮されていた数瞬前よりも、緑の彩りは薄い。若芽の色を水で薄めたような、淡い結晶となっていた。
「どうしてこんな……」
「うん……」
 彼の微妙な声音に、ティナは敏かった。
「エドガー、わかるの?」
「いや。専門家にも見せたが結局謎のままさ。ただ、脈絡のない勘なのだが……」
「なあに?」
「壁を越えたから、色も変わったんだ。俺と、君が」
「二人が、壁を……」
「そう、二人とも。君も、越えてくれた」 
 またティナが頬を染め、うつむいた。翡翠の巻き毛が、さらりと肩まで流れた。




 石にかこつけ、庇護欲や同情を装ってティナの傍にいた自分と、エドガーは決別した。彼女に会いたくて仕方ない、それでいい。意地やら虚勢やらを張らずに済むのは、全く以って楽だった。  
 本音を曲げていた時分は、自然と執務にも悪影響があったらしい。あの石が緑一色になった日から、砂漠の王は間違いだらけの書類を訂正するのに四苦八苦し、暫くは愛しの人にまみえずじまいだったという。


 不思議な巡り合わせを呼んだ珠玉は、後に城の宝物庫にしまわれることとなった。
 それから月日が経ち。
 
 フィガロの国が寿ぎに満ちた日、
 エドガーが何にも勝れる緑の宝玉を、永遠に手に入れた日。
 
 石は――クリスタルはいずこともなく消えていた。

 二人の間が穏やかに育まれるにつけ、徐々に緑の色味を増していき、
 瑞々しい碧に色極まったその姿を、誰の目に留めることもなく。



エピソード2 FIN.




 荒涼とした大地を救う、恵みの緑。尊き再生、芽生えの色。
 緑に染まった石は、寂しき心の領域に、穏やかな恋情という名の種を蒔いて去ったのか?
 否、彼らの真意をその身に映してみせただけ。
 ほんの一押しをして、見守っただけ。
 血を分けた者や仲間、友の助言と大差はない。

 石は、人の思いがあってこそ。

 また、流れていく。

 願う心に、応えんとして――。



NEXT エピソード3



Copyright (c) 2002 にじます

back エピソード1 next エピソード3


BACK /  5000企画MENU