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世界の脅威"シン"からナギ節をもぎ取らんと、各地に在す召喚獣をめぐる旅が始まってから、決まって黄昏時にブラスカが耳にするものがあった。 「ジェクト、貴様またかっ!」 両脇に控える供の一人が、辛抱ならずもう一方に叫ぶ。血気盛んで生真面目な青年の矛先は、器用にも瓶をあおりながら歩く野卑な中年にあっさりかわされる――これが常であった。 「あんだよ……酒が不味くなるだろ。その仏頂面、あんまこっち向けんな」 「俺とて好きで相対しているわけではないっ、今日の仮宿も決まらぬうちに酒を飲み始めるなというのだ!」 "何度言ったらわかるんだ" "何度言ってもわからねえ、はっはっは" "くっ、この馬鹿者が、まったく馬鹿につける薬はないな" "へっ、馬鹿馬鹿言う奴がてめえの馬鹿を棚に上げてんだ" おのれの衣から色移りしたかのごとく、若きガードが首から上を朱に染めた。してやったりと、ひげ面 小競り合いが抜刀騒ぎへ発展しそうな変わり目を見極めると、間 「落ち着け、アーロン」 「は、はい」 借りてきた猫という形容がばっちり当てはまる。ブラスカにかかれば、アーロンは途端に大人しくなるのだった。 「ジェクト。日は落ちたが、そろそろ幻光河が見えてくる筈なんだ。そこに着くまで、もう少しだけ我慢してくれないかな」 「いつ魔物に遭うかもしれぬ場所で、ガードとしての自覚が余りに足りん!」 我が意を得たりで息巻くアーロンには「けっ」と悪態をつけるものの、実はジェクトもこの召喚士には強くものを言えたためしがない。成り行きで守ることになった対象ではあるが、ブラスカという男は確かにひとかどの人物だった。 どちらも腕は確かだが、扱うには苦労することうけあいの堅物と暴れ者。はみ出し者二人を、辟易の片鱗すら見せずまとめ上げられるだけでも、懐が深い。技術面の指導についてはさておき、こういう奴に所属していたブリッツチームの監督をやって欲しかったもんだと、ジェクトは幾度も思ったものである。 「で、でもよぉ、大丈夫だって。ジェクト様の剣先が狂うなんてこたぁねんだからさ、むしろ酒が入ってる時のがイイ感じに動けんだぜ?」 理屈になっていない自信は、酔ってのたわ言というわけでもなかった。自己を頼むことが強いジェクトは、万事がこの調子だ。 「……そうか」 「ブラスカ様!」 「へっへ〜。よう、ご高潔でいらっしゃる元僧兵どの。どうやらお許しを頂けましたぜ」 「この……っ」 アーロンに次の文句が浮かぶまでの僅かな時間を、当然のことながら待ってやらず、ジェクトは歩を早めた。徐々に火照ってきている体の勢いにまかせて、ゆるやかな丘を駆け上がっていく。 「おりゃああああっ! お、見えた見えた! でっけえ川だな、なんかピカピカしてっぞ。船の灯りにしちゃアレだな、豆粒みてえだし、沢山だし」 興奮のせいで、心なしか傷だらけの背中が伸ばされた。ジェクトの後ろ姿を見上げる形で、残された二人が坂を歩んでくる。 「態度と図体ばかりが大きいガキですな」 「彼は楽しい人じゃないか。道連れに加わってくれて、本当に良かったよ」 「おい、聞こえてるぞ、ケツっぺたの青い若造!」 「なにぃ!」 登りきった丘の頂にブラスカはしばし立っていた。眼下に望むは雄大な幻光河、耳朶 待合所の一角を借りて夜を越そうと話が決まった。召喚士であることをふりかざせば、上等の寝台が提供されるだろうが、ブラスカ自身がそれをよしとしない。彼は帷子 続いてアーロンが入り口近くに腰を下ろし、軒を支える柱に寄りかかった。こちらも武器を肩に立て掛けての休息である。 「さっさと休んじまうのかぁ? つまらんこった。オレはちっと、川べりでも見物してくらあ。幻……ゲンコーなんたらのうようよしてるだろ」 酒の肴にちょうどいいからな、と言い捨てて、さりげなさを装いつつアーロンの腰にあるものをすくい上げた。徳利の口に結んである紐をしっかり押さえていた持ち主が、もう片方の紐の端を掴んだ盗人を睨みつける。 「"刀の清めだ!"ってか? 酒はな、飲まれる為にあるもんだ。勿体ねえんだ……よっと!」 最後の掛け声は、ジェクトが邪魔な手を踏みつけた拍子のものであった。痛みはないがつい反射的に引っこ抜いた手から、紐は自由になり、酒瓶もアーロンに別れを告げた。 「あ〜ばよ」 「待て!」 立って追おうとしたアーロンを、そっと押し留める腕があった。眉間に皺を寄せた顔が、穏やかな微笑みと対峙する。 「ブラスカ様は……寛容にも程があります! そして、あやつには特に甘い……っ!」 吐き出してしまってすぐに、アーロンはやっかみを含ませたことを悔いた。うなだれたところに、慈愛の手が乗せられる。 「そう沈まなくていい、でもね。ジェクトは絶対にそんな素振りを見せたりしないが、家族と切り離され、突然別世界に放り出されて、さぞかし不安に違いないんだよ」 首を上げた忠実なる友に、ブラスカが、先に休もうと促した。 「彼が強がる必要のない、一人でいる時間を作る位のことしか、私たちには出来ないのだからね」 「ぅえくしょい! はっくしょおおおぉぉい! 噂してやがるなこん畜生! 陰口叩くたぁ男の風上にもおけねえぜ、アーロンめ……ひっく」 水辺のほとりで上半身をむき出していれば当然寒い。のだが、アルコールに浸されたふにゃふにゃの頭に自明の理が通用する筈もない。 「なんだっつーんだよ、なあ? いいじゃねえか。どうせてめえだってシンを倒した暁にゃ、凱旋パレード酒飲み放題、女は選りどりみどりでお堅いツラも溶けて崩れちまわぁ。へっ、何もわかってねえ癖に……ガキの癖によ……」 唇の片端が曲がる、苦しげに。ぼやけた目付きが鋭くなって、河向こうより遠い彼方を望む。 『お酒、もうやめなよ! 父さん』 「……うるせえチビを、思い出すじゃねえか」 たまらずジェクトは徳利を引き寄せる。直に口へつけ仰ごうとして、正面で燦燦 「とんでもねぇ世界に来ちまったもんだよな。ここは、きれいで、おっかねえ」 今彼の目を楽しませる光と同じモノが、斬った魔物の体から溢れてくる。命の源がはっきり肉眼でとらえられる所。 それより何より、どんなことより、妻と息子のいない場所である別世界だ。ジェクトはいつまでも落ち着けず、不思議でならない。悩んでいたって仕方がないと、ブラスカの供となり、己の 「もう……」 会えねえかなあ、と言葉にすれば、本当にそうなってしまいそうで、下唇を噛んだ。器用にも歯を食いしばった状態で、無理やり酒を流し込んでみせた。それでも、一度取りついてしまった絶望は、離れようとしない。 「もう……」 『もう……やめなよ!』 自分の声と記憶の声 「……んぎゃあ、ほんぎゃあぁぁー」 父と子の唱和がなされる寸前で、介入した泣き声があった。我に返ったジェクトを迎えた情景は、これまた不思議なもので。 「今夜はさすがに、飲み過ぎたかぁ……?」 放心しつつも、一歩ごとに水かさを増す川へ、ためらいなく入っていった。空から届いた眩しい贈り物に、いまや腰をも包む冷たさに、目を白黒させながらも、歩みを止めなかった。 雲間より円い顔で見守る月から舞い降りて、最も大きな幻光花のはなびらを台座にせんと選んでいる最中なのか、いまだ中空に浮かぶ赤子を受け止めんが為に。 意識のうねりが急速に、眠りの底より浮き上がろうとしている。 その竜巻は、まぶた越しの朝陽、頭の芯を走る鈍痛、顎のあたりを軽く叩かれる感触に助けられ、覚醒という終着点にぐんぐん突き進んでいき。 「……ェクト、起きんか! こ、この赤ん坊は一体……どうしたんだ!」 とどめには怒声がジェクトを見舞い、目覚めは完了した。ぼやけた視界を左右に動かしてみると、痺れかかっている左腕に昨晩の拾い子が、しっかりおさまっていた。先程から髭が生えてくる一帯をまつわっていたのは、その小さくぷくぷくした掌であった。 「おめえ、夢じゃなかったのか」 いまだぼんやりとしたまま、ジェクトは呟いた。 咳払いを一つして、ブラスカが冷静に状況判断に入る。 「さて。説明をしてくれるかい」 「まさかさらって来たんじゃないだろうな!」 「人聞き悪りいな、ったくよう。拾ったんだ、河で」 ジェクトを後押しするかのように、話題の彼は四肢をばたつかせてはしゃいでみせた。赤子を取り巻いていた一行は、三者三様に反応する。抱っこには慣れているものの、実の子に余りなつかれていなかったせいか、満面の笑みを前にしてちょっと面食らったジェクト。ためらいなく、柔毛 「ああ、元気そうだ。溺れていたのではなかったんだね?」 「事故か、捨て子か……いずれにしろ、不憫なものだ」 「あのよぉ、河っつってもなんだ、河の上なんだな、正確に言うとよ」 「ん? 川岸ということか」 「信じちゃもらえねえだろうが、こいつは空から降って来たんだ」 二対の瞳が瞠られる。 「馬鹿な。相当酔っていたようだな、あんた」 「頭ガチガチのおめえにわかってもらおうとは思ってねえよ。なあブラスカ、正真正銘、この目で見たんだぜ」 「うん……」 「何だよ、煮え切らねえ返事だなぁ。やっぱアレか、酔っ払いの戯言 「いや。ジェクト、君のような例もある。その子も或いは、異世界から迷い込んでしまったのかもしれない」 「お、おお! そうか、そうだよな。おう、お仲間だったかー」 両手を高く伸ばし、赤子を太陽へかざした。ジェクトの少々手荒い扱いにもびくつくことなく、きゃたきゃた笑ってみせる。 「随分気に入られたもんだな。ひょっとしてあんたの子か?」 「さすがにもうちっと図体 ジェクトが無論冗談ではあるが、そんな提案をしてみた。すると。 「軽はずみに言うことではないよ」 静かに、しかしいつにない厳しさでブラスカは諌めた。ジェクトの叱り役は専売特許だと感じていたのか、アーロンは驚きを隠せずに、仲間を交互に見やる。 「ジェクト。その子がどこから来たとしても、私達に出来ることはただ一つ。然るべき所へ預ける、それだけだ」 「なにぃ!? それはちょっくら薄情すぎやしねえか、よお!」 勢い込んだ抗議にも、ブラスカはまったく揺るがない。眼差しも鋭く、切り返しも鋭く。 「では、君は私達との旅をやめるというのかい」 ジェクトを一言で貫く。 「そ、それは極論だろうが……まず親がいないか探してみるとかよ、あるだろ、方法が」 一刻も早く、一人でも犠牲を少なくと、急ぐ旅路にそういう悠長な予定は差し挟めない。三人全員が、そう、反論してみたジェクトですら実は承知していた。 「本気でその子を引き取って暮らすには、相応の覚悟がいる。現実問題としても、一所 理路整然の正しさで、ジェクトを思い切り抉る。 出会って間もないというのに、ジェクトはこの謎めいた赤子にえもいわれぬ親近感を抱いていた。とはいえ、確かに子供のことを真剣には考えていない、軽率な発言だった、そうジェクトが反省していると、 「それに、気持ちの整理は君にとって、もっと大変だろう。果たして君は、あちらでの家族を、忘れ、諦められるのか?」 ブラスカの追い討ちには、どうしても引っかかる、聞き捨てならない部分があった。我知らず身震いし、湧いて膨れる内なる嵐を溜めて。 次の瞬間、ぶちまけた。 「女房とガキを、オレが捨てるってか? はっ、ふざけるんじゃねえよ。じゃあ何か、おめえらと一緒に行けば、必ず戻れるってのか」 「ジェクト!」 「ひっこんでろ、アーロン! なあ、どっちにしたってオレの帰りたいザナルカンドと、目指してるザナルカンドは別モンで、腹くくんなきゃなんねえんだろうがよ。諦めなきゃいけねえものを、さもオレに選択権があるみたいに言うんじゃねえ!」 大人しく腕に包まれていた子が、火がついたように泣き出した。誰もがしばし時間を止め、赤子をあやそうともせずただ立ち尽くしてしまう。 「あ……」 ジェクトが片頬をひくつかせると、呻きにも似た嘆声を上げる。それから抑揚のない調子で、この場にそぐわぬ椿事を報せたのだった。 「こいつ、ビビってチビっちまった」 帯から下を徹底的にぐしょ濡れにされたジェクトは自分の着替えを、残る二人は赤ん坊の着替えをということになった。 とんだ災難に遭った男が舌打ちし、人目のつかぬ叢の奥へ分けいってゆく。いまだ苛立っているその背中を、追いかける視線があった。 「ブラスカ様、あの」 おぼつかない手つきで未知なる生き物を抱いているアーロンが、見かねてその名を呼んだ。 「アーロン、悪いけれどその子を任せていいだろうか。私はちょっと、ジェクトと話してくるよ」 言うが早いか、まつわる長い裳裾もなんのその、さっさとブラスカは茂みに入っていった。 「ちょっ、まっ、ああ……」 救いを求め伸ばした手がむなしく空を切る。言いたいことの最初の一声しか口に出来ず、アーロンは呆然として佇んだ。その時、お尻の感触が気持ち悪くて泣き喚いていたのであろう赤子が、ぴたりと泣き止んでみせたのだった。 "たった一人でのおしめの取替え"という難題にぶつかって、なす術なく途方に暮れた若者を、哀れに思ったのかもしれない。青年を窺う上目には、同情の色がたっぷりであった。 「あんだよ。魚のフンみてえについてくんな。それとも男の着替えを覗く趣味でもあったのか」 振り向かずして、ジェクトが憮然と拒んだ。少々品性に欠ける憎まれ口には構わず、ブラスカは彼の常なるがごとく、誠心誠意で相手にぶつかった。 「さっきはすまなかった。私は君の家族を餌にして、旅をやめさせまいとしたんだ。卑怯な引き止め方だった。そして、君にあんなことを言わせて……」 自ら希望を打ち砕く言の礫 「方法は間違えてしまったけれど……ジェクト。私達の旅には、君が必要なんだ。それだけは胸に留めてくれないか。それでもあの子と一緒にいるのを選ぶというなら」 「……いうなら、どうするってんだ?」 「心から、祝福するよ」 「――!」 意外だった返答は電撃となって、ジェクトの身の内を震わせた。痺れの余韻を残しているというのに、彼は思い切り踵を返す。寄せて集めたら鞭になりそうな硬い髪が、横っ面の端々をはたく速さでもって。 振り向く以前から既に、草を鳴らす規則的な足音が聞こえていた。選択を提示して、答えを待たずして。去り行くブラスカを、見送る羽目となってしまった。 どういった顔つきをしていいのやらさっぱりだという複雑な面持ちで、ジェクトはひとりごちる。 「勘弁してくれよ……」 こういうのは、苦手なのだ。理由がぐちゃぐちゃ入り混じった挙句、わけがわからず泣けてきそうなのも。どちらにするか、迷い悩むのも。他人に素直に心を開き、示そうとしなければならないのも。全てが辛気臭く、照れ臭くて、常日頃はついジェクトが迂回しがちな問題であった。 無意識に、彼は足下の皮袋に目を注いでいた。しゃがみ込み、中身をごそごそやり始める。三人で一つという、小さな荷物をあさってまず取り出したのは、当初の目的であった筈の着替えではなかった。 探し当て、嬉しそうに手にぶら下げたものは、昨夜アーロンから召し上げた品と変わりない。予備としてしまわれていた酒だった。 「こいつの力を借りなきゃ、とてもじゃねえが無理だ」 思い切りは良くなろう、気は大きくなろう。しかし、逃げの手段である。決断するには、妨げにしかならない。そこで酒に手を出したのは完全なる甘えだったと、ジェクトは激しく後悔することとなる。このあと、厄介な事件を起こしてしまうからである。 「ご親切、痛み入ります。見ず知らずの方に不躾な頼みをしまして」 「いいっていいって。商売根性発揮して、おしめのやり方を伝授した代わりに何か買っとくれって言やいいんだろうけどさ、子連れで苦労してるあんたにゃ無理強い出来ないよ」 「は、はあ……」 押され気味のアーロンに屈託なく語りかけるのは、幻光河を縄張りに、商っている中年女であった。恐らく子供を、それも複数を育て上げた身なのだろう、非常に慣れた様子で、腰掛に横たえた赤ん坊をあやす。下 「おや。ふーん、まあ、おしっこが出たとなれば、次は決まってるさね」 「というと……」 「はー。頼りないお父さんだこと、可哀想にね、ぼうや。しっかりしなよ、ちょっと!」 因果関係を正す前に、おばさんの豪腕でどやしつけられてしまう。さしものガードも形無しである。 「替えのおしめもなかった位だ、その分じゃミルクもなさそうだね。ああ、でもついてるよ。ここにはシパーフがいる」 「シパーフ?」 「地元じゃ有名なんだがね。ここいらで赤んぼの時にシパーフのお乳に世話になってない者はいないんだよ。さ、行こうか」 「なんでえ、待ち伏せしてたのかよ。アーロンが困りきって、今頃ガキと一緒にめそめそ泣いてるぞ、"ブラスカ様〜"なーんて呼んでなぁ。はっ、こいつは面白え」 潅木にもたれていたブラスカが、ほんの少し顔を曇らせた。二日酔いの体から発せられるものではない、濃い匂い。 「飲んでいるのか?」 「景気づけってとこだ。ほんの一口よ、オレ様にとっちゃ素面も同然だぜ」 「そんなに、負担をかけてしまったかい」 二者択一を迫り、心に 抑圧 「おめえが気に病むことじゃねえ。それとも、遠回しの嫌味か? 使命をまっとうしようとする召喚士殿と比べりゃ、そりゃ弱っちいだろうさ」 岐路を見据えるのにためらう、一時だけでもうやむやにして、忘れたくなる。小人ならば誰もがはまり込むところだ。 「君を責めたりはしないよ」 「いつだって、昨日もおめえはそうだったよな。なんでだ? どうして酔いどれ野郎にたしなめもせず、平気で護衛を任せたんだ」 「理屈で打ち負かしたとして、人の心は動かせまい。人は自ら経験し、辛酸を舐めない限りは、決して教訓を受け容れようとしないからね」 「……かもしれねえな」 神妙な雰囲気を和らげようと、ブラスカはやわらかく笑んでみせた。 「今後あの子と君がどうするかはさておき、とりあえず四人でのんびり川渡りといこうじゃないか。シパーフでね」 「お、おう」 保留を持ち出され、ジェクトがあからさまにほっとした。そうと決まればと、歩みが弾み、速くなる。 「なあ、ところでシパーフってのはどんな船なんだ? ボロい筏(いかだ)引っ張ってきて、これがシパーフですってなもんじゃねえだろうな」 「それは、そうだね。見てのお楽しみだ」 シパーフを目の当たりに出来る、乗り場が開ける道へと、二人は曲がっていった。 怒号、斬撃、咆哮、悲鳴。 逆上し、大剣を振りかぶって疾走してくるジェクト。厚い皮膚を貫く鈍い音。のけぞり、痛みに耐え、長い鼻をひねらせるシパーフ。いたずらに混乱してゆく観衆。 シパーフが己が乳を飲ませようとして、鼻にくるりと巻いていた赤子を落としてしまう。肝を冷やす余裕も与えられず、受け取らねばならない。 一歩どころか半歩間違えば潰れる命。受け取らねば。受け取らねば。受け取らねば。 既に起きてしまった事柄が、瞼に焼きつき、鼓膜が残した記憶が、まざまざと甦る。苛つきを抑えきれない様子で、アーロンが寝返りをうった。すると、川を彩る幻想的な明かりをぼんやりと眺める男の、あぐらをかいた膝がすぐ傍にあった。脚で作った三角形の窪みには、騒動の種ともいえる赤ん坊が健やかな眠りを享受している。 思わず嘆息したアーロンに、赤子のベッドである人間が、低い声で話しかけてきた。 「寝てろって……ブラスカにも言われただろ」 日が沈むまでの長い午後を、さんざん怒鳴り散らしたにもかかわらず、アーロンはまたもやかっとなる。 「眠れるものか! 大体ことをしでかした張本人がのうのうと休んで、ブラスカ様に頭を下げさせに行かせるなど……」 「しかたねえだろ、あいつがそうしろってんだから。今はとっくに覚めちまったが、酒の入ってる輩が謝るよりは、そりゃいいんだろうさ。シパーフを傷つけちまって、詫びのカネの算段とかも必要、なんだしな」 「そこまでわかっていながら、どうして……っあんな真似を!」 「やっちまってからわかるんだな、これが」 ぽつりと洩らし、一呼吸置いてまたジェクトが口を開いた。 「やりきれねえだろうが、あんまり怒鳴らねえでくれ。オレはいくらでも責めを受けたってしょうがねえけどよ、こいつを起こさないでやって欲しいんだ」 赤子を持ち出されては敵わず、アーロンは一旦詰まったが、どうにもおさまらないらしく同じ問いを、今度は静かに繰り返す。 「どうしてシパーフに刀を向けたんだ」 「あー……オレの濁った目ん玉には、でっけえ魔物がこいつを攫って食っちまうように見えたんだよな」 「成程。俺がみすみす赤ん坊を魔物に渡したか、奪われたかと錯覚したわけだな」 棘を含むアーロンの物言いに対し、本人が最も痛そうで。ジェクトははっきりとした訳も飲み込めない内に慌ててしまう。 「いや、そんな深く考えたわけじゃあ……」 「とどのつまり、あんたは心底で俺を信用していないんだ。だから、一人だけで何とかしようとする。無茶をする」 どうして。どうしてだと。疑問符で満杯だったアーロンが、ついに一番言ってやりたくて言いたくなかったことにふれた。 「普段の戦いでも、いつもそうだ。ただ一人のお方を守る、唯一のなか…………連れ、なんだぞ」 気に食わないが、腕は立つ。下品だが、場を和ませる。物知らずだが、知らぬがゆえに使命にまっすぐ向かえる力となる。究極召喚の代償について考えては踏み止まってしまう自分にはないものを、ジェクトは持っている。 苛立ち、憧れ、惹きつけられる。 「そうか。へへっ」 「何故そこで笑うんだ!」 「えー? だってよお、故郷 「くっ……知らん! 今のは寝言だ、さっさと忘れろ。いいな!」 ジェクトにしては珍しく茶化さず、更に稀なことにはにかみすら表していたのだが、早とちりしたアーロンが遮ったが為に、最後の囁きはかき消されてしまった。 「……ありがとよ」 「遅えなぁ。もう夜中だぜ。まだ絞られてんのか、ブラスカの奴」 遠き岸までも湛えられた水はゆったりと流れ、時折たぷん、と愛嬌のある音を立てる。 「まったく、借りだらけになっちまった。牢から自由になれたのも、あいつがオレをガードに指名したからなんだよな」 昨晩よりも尚清 「寝たのか、アーロン? 月見酒としゃれこみてえ程の絶景だってのに……なんてな」 ジェクトが横目で窺うと、案の定といおうか、緋の衣の腰にあった酒瓶が隠されていて。苦笑という形に、頬の皺を刻む。 「飲みやしねえよ、二度とだ。下手すると地べたに叩きつけられてたかもしんねえんだもんな、おまえ。オレのせいでさ」 暗に助かったのは抱き留めた手のお蔭だと、そっぽを向いている彼に伝えていた。 「……ちっちぇえもんだ。手も、足も。自分 人差し指一本で、赤ん坊の手を持ち上げ弄ぶ。軽いものだ、壊れそうだ。いとけなく、いとおしい。 「だから、離れがたいのかもな。でもよ」 こうしたものを守っていくのが、ブラスカの旅なのだと、重く実感した。 「やっぱオレは、あいつらと行くわ。今回の失態の罪滅ぼしとか、そういうんじゃなくて、なんてーかな。まあ、お前はこんな不良親父じゃなくて、いい親に巡り合えるさ」 依然として夢を貪っている小さき者に喋り続ける中、ジェクトは不意に閃いたのだった。 「おまえが、アイツなら良かったのになぁ……」 さんざん禁酒するよう訴えていた息子に、真剣な決意を見届けさせてやりたかった気がして、叶うわけがない願望を口にした。 それは魔法の呪文だったのか、それとも夢の終わりの引きがねか。 ジェクトが言い終わるや否や、赤ん坊は蒼の瞳をかっと見開き、一瞬でまばゆいものに姿を変えていった。 いきなり背後に生じた閃光に、狸寝入りしていたアーロンも何事かと身を起こすが、強い光線に目を開けていられない。 跡形は、皆無であった。発光現象と共にあっけなく消えてしまった存在を、アーロンは辺りをきょろきょろして探す。ジェクトはぼんやりと、つい先程まであった重みと乳臭さと気配とを、反芻する。 黄みがかった満月が白さを帯び、山の端 翌朝の顛末は、一部がスフィアに記録として残されており、彼らを浮き彫りにしている。 『なーにうつしてやがんだよ』 その背中は、どことなく寂しそうだ。前日に醜態をさらして落ち込んでいるだけでなく、突然の別れに取り残された気分で一杯なのだろう。 『またバカなまねをしないように監視している。あんたが酔ってシパーフを斬りつけたおかげで……迷惑料をごっそりとられた。ブラスカ様の大切な旅費をな』 常々劣勢を強いられている男が、ここぞとばかりに逆襲した。昨夜余計なことを述べてしまった気恥ずかしさも相俟 『だから何度も頭下げたじゃねえか。もう二度としねぇよ。約束する』 『約束だと? 酔ったとたんに忘れてしまえば意味はない』 『まあまあ、アーロン。ジェクトも反省しているんだ。それぐらいにしてやろう』 取り成され、しょぼくれていた男は思い出す。月が産み、月に溶けた赤ん坊に誓ったことを、再び明らかにした。 『よし、決めた! オレは今日をかぎりに酒をやめる!』 『いいのか?』 『“シン”を倒してスピラを救う大事な旅だろ。くだらねえことで足ひっぱっちまったら……な。みっともねえマネさらしちまったら……家族に顔向けできねえよ』 家族を誇りの番人としながら、彼はもはや家族と顔を合わせられる機会は永遠にないだろうと確信している。 『しっかり撮っておいたからな』 これからも頼むぞ、とは口が裂けても言えないところが、仲間内で最年少である男の青さであった。 四人の旅は一日を経ず、一河を越えずして元の三人になったものの、貴重なものをもたらしてくれた。二人の思いに心動かされ、三人目の男が、諦めを覚悟に変えたのだ。 そして彼らは、偉業を果たす。三つの力、三つの絆を以ってして。 Copyright (c) 2002 にじます
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