真白き聖夜に −Holy Night− |
冷たい風が吹き過ぎるつど、キンと耳が痛くなるほど体温を奪われる。思わず両耳に当て軽くさすった手を、今度は赤くなった鼻の先へと持ってきて、はぁっと息を吹きかける。白く広がる息にほんの少し暖められたものの、それは気休め程度で、またすぐに指先からかじかんでくる。ぶるっと身震いをしたニーダは、無理矢理自分の両手から目前に広がる景観へと視線を移す。 どこまでも、白い風景。 小高い山々も、点在する家々も、葉の衣を脱ぎ捨てた木々も、すべてが雪に覆われていた。 ふっと小さいため息とともに、目の前の光景への感想を一人ごちるニーダ。 「静かだよなぁ。…静か過ぎるんだよなぁ…」 他の季節ならば、鳥や虫たちの声が静かな中にもBGMを奏でてくれる。だけど今は、雪がすべての音を吸収して無音の世界が広がるばかりだ。 ―― やんなっちゃうよな。故郷に帰ってきたってのに… もう、ガーデンに帰りたいだなんて。 ―― せっかくの長期休暇なのに、こんな時期にとるんじゃなかった… 今夜は、イヴだっていうのに。 ガーデンの操縦責任者であるニーダは、このところ休み返上で勤務していた。それこれも、又もやあちらこちらの国々で――内紛とまではいかないものの――イザコザが立て続けに起こっていたからである。 SeeDへの出動要請があるのは、ガーデンにとってはありがたいことではある。世情的には余り歓迎できたものではないが。至急を要する大量輸送の場合、個々に送り込んでいたのでは到底間に合わない。そういう時こそ、軽快で迅速な動きのできる移動可能ガーデンでもあるバラムガーデンへの要請が急増する。直接ガーデンで要請のあった場所へと移動し、そこで担当SeeDを降ろし、更には後方支援する。休みどころか、貴重な睡眠時間までも削ってニーダたちが奔走したおかげで、SeeD部隊も速やかに任務を遂行できたのだった。 それもやっと一段落した頃、ニーダはウキウキした気分で休暇願いを出した。 ―― これだけ頑張ったんだもんな。長期休暇も当然でしょう。 もうすぐクリスマスだ。そのこともあって、早く任務を片付けようとする最近のニーダには鬼気迫るものがあった。 ―― クリスマスまで任務だなんて、とんでもない! 絶〜対にっ、片付けてやるっ! いくらニーダが頑張ろうとも、結局のところ、賞賛は実際に現場で活躍したSeeDたちに向けられる。けれど、それでもよかった。 ―― 俺は与えられた任務を、確実にこなしていけば、それでいいんだ。 たとえ、世間一般の評価は貰えなくとも、わかってくれる人たちはいる。シド学園長やガーデンの仲間たち。SeeDの中でも、一部の者たちはちゃんとわかってくれている。 いつも任務が完了すると、決まってスコールがわざわざブリッジまで報告に来てくれる。シドに報告しさえすれば済むことだというのに。その心遣いが、ニーダには嬉しかった。 ―― それに… シュウが…。 いつも任務中は、激を飛ばし叱咤するシュウではあったが、任務完了するごとに笑いかけてくれる。 彼女の笑顔が、自分にとって一番の褒賞だった。 「ご苦労様。ニーダ」 シュウのキリリとした中にも思いやりのこもった笑顔を思い出し、ニヘラニヘラとにやけた顔を、ニーダはハッと引き締める。 現実はそんなに甘くはない・・・。 ニーダの休暇願いは、きちんと受理され、さて、あとはシュウを誘うだけ、と張り切っていた数日前。 しかし、今ここにシュウは、いない。 慎重派のニーダは、いきなりシュウに「クリスマスを一緒に過ごしてくれないか」などという、モロに愛の告白と言わんばかりの振る舞いはしなかった。いや、できなかったと言うべきか。 それとなく、何気なく、シュウのクリスマスの予定を聞いてみたり、自分がクリスマスに休暇を願い出ていることを匂わせてみたり。はっきり言って、かなり遠まわし過ぎるやり方である。しかし、本人にはまったくそういう自覚はない。 そうこうしているうちに、ついにクリスマスもあと数日後、いよいよ明日からは休暇というある日。 突然、ニーダの元へ、とある連絡がもたらされたのだった。 《父、具合悪し。今度の休暇で、必ず実家に帰られたし》 ―― ウソだろ・・・・・ だが、ガーデンに入ってからというもの、ただの一度も故郷に帰っていなかったニーダは、この連絡を無視することもできないまま・・・今に至っているのであった。 「あ〜あ。シュウも誘いたかったんだけどなぁ。だけど、こんな何にもないとこじゃなぁ」 ボヤきが次々と口をついて出てくる。 ―― あんなに頑張ったのに。 そりゃ親父が具合悪いってのもホントだったし、俺がちゃんと帰ってきたもんだから、ものすごく喜んで具合悪いのもどっかにすっ飛んじゃったくらいだから、これはこれで良かったんだろうけど・・・。 ―― だけどなぁ。せっかくなぁ。 ぶちぶち・・・。 シュウにその連絡のことを話したら、すぐにでも帰って親孝行しなさい、と命令口調で言われてしまった。 ―― ちぇっ。人の気も知らないで… まさか、自分の田舎に一緒に付いてきてくれ、なんて言えるはずもなく…。 「はぁぁぁぁぁっ」 幾度目かの大きなため息は、白いモヤとなり、ホワッと広がり消えていく。 ぼんやりと、あと数日残っている休暇をどうやって過ごそうか、考えるともなく考えていた。 「おハロ〜」 「んあ?!」 聞き慣れた声の耳慣れない言葉。 ニーダが、声のした方をバッと振り向くと。 そこには、あの、シュウがいた。 「ふふっ。びっくりした?」 悪戯っぽく微笑む、彼の想い人。 ニーダは、まだ状況がよく飲み込めない・・・。 「え? あ? ええーっと…」 「ニーダ?」 気持ちを落ち着けようと、ごくりと生唾を飲み込んでみる。 「シ・シュウ・・・?」 「ん? どーかした?」 次第にはっきりとしてくる頭。 「やっぱりシュウだよな…。夢、じゃないよな…」 「はぁ〜? おーい、大丈夫かー?」 少々呆れ気味の顏と声は、確かにさっきまで想いを馳せていたシュウのものだ。 まだ、正常に働いていない彼の頭脳は、聞きたい肝心なこととはかなりズレた返事を返す。 「おハロ〜、って、なんだよ…」 「あはは。ちょっとね、リノアの真似してみただけ」 楽しそうな口調は、更にニーダの疑問を煽りたてる。 「いや、そーじゃない、聞きたいのは…。あー、んっと、何でココにシュウがいるのかってことで…」 途端にシュウの流麗な眉目がゆがむ。 ―― うわっ。お・俺、なんかまずいこと言ったか・・・? 「ったく、ニブチンニーダ。」 「は?」 ―― なんですかぁ? おそらく、思いっきり顔にハテナのマークが浮かんでいたのだろう。 シュウが堪らず笑い出しながら、言葉を続けた。 「あはは。まったくね、そうよね、ニーダだもんね。うん」 軽く腕組みをして頷きながら、シュウは一人納得している様子である。 ―― っんだよ、何だってんだ… むう、と唇と尖らしたニーダを見つめて、シュウが苦笑混じりに喋りだした。 「あのねぇ。君は私もクリスマスには休暇取ってるってこと、ちゃんと知ってたでしょ?」 「そりゃあ…」 ―― そーさ。何度も聞いたもんな、俺。俺が休暇取れたって言って、シュウも取ったらって… 「なのに、実家から連絡きたからって、サッサと一人で帰っちゃって」 ―― あれ? 「だ・だってなぁ…」 「ん〜? だって、何かなぁ?」 グイと顔を突き出して、その先を促すシュウの意地悪そうな表情。 「だってさ、こんな何にもない田舎にシュウを誘えないだろ…」 その言葉を聞いて、ハッとした風に一人考え込むシュウ。 「…そっか。そう…だよね。ニーダなんだもんね…」 ―― だぁ〜〜〜。だから、なんだってんだよっ! ふぅ〜っと大きなため息をついて、ニーダが一言。 「あのさぁ。そのニーダだからってやめてくれないか?」 キョトンと目を大きく見開いたシュウは、次の瞬間、大笑い。 「あは、あはははは。なに? 気にしてた? さすがに。」 思いっきり苦虫を噛み潰したような顏のニーダが、ぶちぶちと不平を洩らす。 「へいへい。どーせ俺は鈍いしトロいです。自覚してます。だからって、そう何度も言われるとなー」 ぶすったれて、両手を着ていたジャケットのポケットに突っ込み、足元の雪を蹴飛ばしているニーダ。それを見ていたシュウの表情が次第に柔らかい笑みへと変わっていく。 「うん、イマドキ貴重だからね、そういうの」 「はぁ?」 ―― 誉められてんのか、けなされてんのか、わっかんねーって 見返したニーダの視線を受け止めながら、一歩二歩、キュッキュッと雪を踏みしめて前に進みでたシュウは前方の白い風景へと顔を向ける。そして、低く静かに語り出した。 「ニーダはいつも私たちに安心感をくれる。前線で激しく戦って傷ついても、必ず帰る場所がある。そこを守ってくれてる。もしもの時は、すぐにガーデンで迎えにきてくれる。」 くすりと笑い声が混じる。 「後で学園長に怒られても、ね。」 「は、はは。だって、それくらいしか出来ないしなぁ…」 ニーダの言葉を、小さく口の中で繰り返す。 「それくらい、ね。」 個性の強いSeeDたちの中にあって、ニーダのような存在こそがいっそ稀有なのだということを、本人はそれこそ全然まったく分かっていない。 「…だから、ニーダが育ったところを、この目で見てみたかった」 一面の白。 時たま雪のちらつく薄い雲間から差し込む日の光を反射して眩しく輝いているそれらを、シュウは目を細めてゆっくりと見渡す。 思いがけない話をされて、あたりと同じく頭の中が真っ白になってしまったニーダは、ハッとシュウが小さく震えているのに気がついた。よくよく見ると、シュウはこんな雪の中にたたずむにはふさわしくないほどの薄着だった。 ―― ひょっとして…仕事終わって、駆けつけてくれたのか…? 更に真っ白に染まってしまいそうな感動に打ち震える自分自身に、ニーダは必死に言い聞かせる。 ―― ここでやらなきゃ男じゃないぞ! ニーダ!! そして、ニーダはそっとシュウに歩み寄り、着たままの自分のジャケットの前をそっと広げ、その中に背後からシュウを包み込む。 ピクリと身動きしたシュウは、だが、そのまま背中の熱い体に身を預けてきた。自分の前でジャケットの前立てを両手を交差させて閉じ合わせながら。 「あったかい」 「ん」 「メリークリスマス、ニーダ」 「…メリークリスマス。…シュウ」 白い風景から、茜色へと。 静かにゆっくりと染まり始める、黄昏の時。 冷え冷えとしているはずのその光景の中、長く伸びる暖かそうな重なったひとつの影。 雲が切れて覗く東の空に、チカリと星がひとつ、瞬き始めていた。 「あのね」 「うん? なに?」 「もしもあの時、ニーダが私を抱きしめてくれなかったら…」 「あ? ……う・うん…」 「ぶっ飛ばしてたわね。」 「・・・・・。は・は・は・・・・」 ―― ……シュウらしいや…… 絶対に口にできないであろうことを、思うニーダだった。 |
○あとがき○ |