こもれびの時間 |
俺の目の前に、窓に掛けられたスクリーンから薄く漏れる朝陽を浴びた白いベッドがある。 その上に乗っている、毛布と一体化して丸まった塊り。 「おい」 返事は、ない。 「おい!」 「うぅ〜ん…」 もそもそとベッドの上の塊りが動く。 「おいっ! とっとと起きろ!」 元来、短気な俺は、毛布の端を掴み、思いっきり引っ張ってやった。 「…ぇっ、あ? うわっ!」 ドタッ 派手な音をたてて、塊りがベッドの下へと落ちた。 「ってぇ〜。ひどいっスよ〜」 その塊り ―― ティーダは、落ちた時に床にしこたまぶつけたらしい腰をさすりながら、ぶつぶつと文句を言っていた。 「早く朝飯食べてくれ。片付かない」 素知らぬ顔で用件だけを言って、俺はこいつの部屋を出ようとした。 「えっ? わ! もうこんな時間っスか?」 言うが早いか、今度は、服はどれにしようかだの、ボールはどこだのと、部屋中を走り回っている騒々しい奴。 ………。もう慣れたが…。 俺は、クラウド。 ミッドガル・ユニバーシティ(大学)の3年だ。専門は遺伝子工学。 そして、こいつが去年卒業していったザックスの代わりにルームメイトになったティーダ。 同じ大学だが、まだ一年坊主なもんだから、いろいろと俺が教えなければならなくて、かなり面倒なことこの上ない。 本人には………言ってるな。いつも……。 しかし、俺がいくら素っ気無く扱っても、関係ない興味ないと突き放しても、ティーダはめげるどころか、散々俺につきまとい、いつでも元気いっぱいに動き回っている。 スポーツ推薦で入ったらしいから、まあそれも当然というところか。 ルームメイトの原則として、プライバシーの侵害はしないという暗黙の了解がある。 こういうルールは正直言って、俺みたいな一人が好きな奴にはありがたい。 だが、前のルームメイトだったザックスといい、こいつといい、なんだってこう世話好きなんだ。 自分にまったく関係ないことにでも、好んで首を突っ込んでくる。 俺には到底理解不能な人種だ。 そうだ、もう一つ俺たちだけで決めておいたルールがあって、二人とも外泊してない休みの朝は交代で朝食だけは作ることになっている。そして、今朝は俺の番だった。朝食なんかどうでもいいと思う俺だが、ルールだから仕方がない。 ………このルール、ザックスの奴が勝手に決めたんだったな……。 まあ、いい。慣れてしまえば、どうってことはない。 簡単な朝食を作って(トーストを焼いて、買ってきたサラダを皿に盛り、コーヒーを淹れただけだが)、ティーダの部屋の外から声をかけたが、全然返事がない。そういう場合、部屋の中に入って叩き起こしてもいいことになっている。 それで、さっきのような顛末が繰り広げられたという訳だ。 もちろん、俺が奴に叩き起こされたことは未だかつてない。 ―― そういえば… 「いったいどうしたんだ? いつも寝起きのいいあんたらしくないな」 俺は疑問に思ったことを素直に聞いてみた。 スポーツマンである彼は、いつでもどこでも熟睡できるらしい。羨ましいことに。俺には絶対に真似出来ない芸当だ。短い時間でも熟睡するから、目覚めはいいと言っていた。事実、今まで部屋の外から声を掛けても、返事のない朝はなかった。 ―― なのに、今日はどうしたんだろう… いつもの俺なら、自分に関係ないことは気にも止めないはずなんだが……。 ティーダもそれは感じたらしく、キョトンとした表情で見返してきた。 だが、次の瞬間、 「あはっ。実はゆうべほとんど寝てないもんだからさ。寝たの明け方」 と言って、ヤツは嬉しそうに破顏した。 「明け方? いったい何を……」 俺はそう言いかけて、ハッとした。 ―― なんだって、俺はこんなにコイツのことを気にしてるんだ? 言いよどんだ口を閉じ、踵を返して部屋を出ていく。 その俺の背中へと掛かる楽しそうな声。 「ブリッツのフォーメーション、組み立ててたっス。それがなかなか決まらなくってさ」 「……別にそんなこと、聞いてない」 ボソリと呟いた俺。 そんな返事さえ、する必要などないというのに。 どうも、マイペースを重視するはずの俺の生活スタイルが、ザックスとルームメイトになってからというもの、更にティーダに代わってからはもっとペースが乱され崩されているような気がする。 何より……。 それを不快に思っていない、俺が……一番、不可解だった。 俺は先に済ませていた朝食を、やっとティーダが食べ終わった。俺は義務感に従ってさっさと片付ける。せっかくの休日だが、珍しく予定が何も入っていない。俺は本でも読もうと自分の部屋に戻ろうとした。 そこへ能天気な声でティーダが聞いてくる。 「なあ、クラウド。今日、予定は?」 こいつは最初から馴れ馴れしい口調だったが、それが相手に不快感を与えないというなんともお得な性格だ。 予定がないと教えるのもしゃくに障るから、 「読みたい本がある」 とだけ応える。 そしたら、ヤツは嬉々として詰め寄ってきた。 「ならさ。公園行って俺とブリッツしよーぜっ?」 「ああ?」 にこにこと何が楽しいんだ、こいつは。 「読みたい本がある、と言ったはずだ」 横目で睨んで、冷たく言い放ってやる。 しかし、ヤツはめげない。 「あー、じゃあさ、公園行って木陰で読めばいいじゃん。俺はブリッツ一人でもやれるしさ」 「一人で行けばいいだろう」 「だから、俺、まだこのあたりよく知らないっス。午前中だけでもいいから付き合ってよ」 …………。 だめだな、言葉に詰まれば俺の負けだ。 俺は、ふぅっと大きく肩を落として言った。 「仕方ない。昼までだな」 「う〜っス!」 その体育会系の返事だけは、やめて欲しい…。 突き抜けるような青空が眩しい。 広い公園の中、たくさんの緑の間を爽やかな風が渡ってくる。 このところ曇りや雨続きだったから、明るい陽射しがやけに清々しく感じる。 上々の天気に誘われて、公園には家族連れや友人同士のグループがあちらこちらに見受けられた。 みんな考えることは同じらしい。 初めて来た公園を、まるで子供のようにキョロキョロとよそ見をしながら歩いていたティーダが、木立を抜けて急に目の前に開けた広場を見つけた途端、鉄砲玉のようにすっ飛んでいった。そんな無邪気な様子に苦笑しつつ、俺はその広場の横に枝を広げている大きな木の根元に座りこみ寄りかかって、読書タイムと洒落込むことにした。 真上にくるにはもう少し時間のかかりそうな太陽の光はまだ柔らかく、風がそよぐたびに青い草の香りを運んでくる。 広場で遊んでいる人々の掛け声や笑い声も、風にのって微かに聞えてくるだけ。 ふと、心の底から落ちついた気分になっている自分に気づく。 このところ、古代種の遺伝子の研究に行き詰まり、イライラしていたのがウソのようだ。 …………。 ―― …あいつ……。気づいてたのか…。 さっきから1ページも進んでいない本を広げたまま、俺は自分の顔に笑みが浮かんでいることを知っていた。 と、走って行ったきり影も形も見えなかったティーダがいきなり駆け戻ってきた。 「はぁ〜、疲れたっ。やっぱ、寝てないってのはキツイっスね〜」 額に流れる汗を、ブリッツボールを持ってない方の腕でグイとぬぐったと思ったら、ドカっと無遠慮に俺の横に腰を下ろす。 俺はというと、そんな奴にまるっきり反応せず、そのまま本を読んでいるフリをしていた。 フリのはずが、やはり読みたい本だったからか、じっくり読み耽っていたらしい。 ズンと、前方へと伸ばした足にかかる重みで我に返った。 見ると、何時の間にかティーダが俺の足を枕にして寝入ってしまっている。 ゆうべ寝てないと言っていたから、動き過ぎて目でも回ったか。 「……おい…」 心底呆れて、俺は足を動かし揺り起こそうとした。 …が、できなかった。 本当に気持ち良さそうに眠っているこいつを見てしまったら……。 横向きになっているその腕の中にはしっかりとブリッツボールを抱えて。 まるで赤ん坊のように無邪気な顔で。 ―― ……ふっ… たまには、いいか。こんな時間も。 昔の俺を知るヤツが見たら、きっと驚き過ぎて開いた口が塞がらないんだろう、なんて他人事のように考えている俺がいた。 そんなどうでもいいことを考えている自分が、なんだかやたらと楽しい。 眠っているヤツを起さないように、上半身でだけで腕を上げ伸びをする。そのまま上を見上げると、どうやら真上に来たらしい太陽から降りそそぐ木漏れ陽が、生い茂った緑葉の擦れる音色とともに、俺とティーダの上で囁きかけるように揺れていた。 それは、俺が初めて他人と共有したいと思った、穏やかな時間だった。 |
○あとがき○ |