-- 悠 久 時 間 --
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グアドサラム ―― 異界への入り口 そこに仲間を見送ったばかりの二つの影が残っている。 「お前は本当に行かなくていいのか?」 アーロンが傍らに佇む少女に尋ねる。 カシリ 先ほどから手元で、もてあそんでいた果実を一口齧ってからリュックは答えた。 「ん。いーの」 「そうか」 「おっちゃんこそ、何で行かないのさ」 その問いかけには答えず、アーロンは先ほど昇ってきたばかりの階段をゆっくりと降り始める。 横目でアーロンの様子を眺めていたリュックは、不満気に口を尖らす。 「あーっ、無視ぃ?」 リュックの責める声を背後に聞きながら、油断するとわらわらと寄ってくる幻光虫へと精神を集中する。 ―― この俺が異界なんぞに入れるはずがなかろう シーモアに求婚されたユウナは、自分の気持ちを決めかね、父と母に会いに異界へと入っていった。もちろん彼らが相談相手になれる訳ではないが、自分の真の思いと向き合うことはできるだろう。そして、それがもたらす結論はきっといい方向へと向かわせてくれるに違いない。誰もがそう期待していた。 キマリはユウナの守り手としてついていった。ルールーとワッカはおそらく会いたい人物がいるのだろう。 そして、ティーダは……。 スピラのことをまだ何も知らぬあいつは物珍しさで異界へと入っていった。まるで子供のように。自分の存在のなんたるかを知らぬからこそ、入れるのだ。異界に。 ―― 俺と違ってな アーロンは階段の中ほどまで降り、やっと付きまとっていた幻光虫を振り払えた。一息つき、その場に腰を降ろす。片膝を立て、楽な姿勢で精神集中のため瞑目する。 と、いつの間におりてきたのか、すぐ近くで聞き慣れた声がした。 「あのさぁ」 「なんだ?」 瞑目したまま、気乗りしない声音で返す。 「おっちゃん、ここ、前来たことある?」 「うん? いや、ないが…」 「そっか」 その口調が妙に引っかかり、薄く目を開け問いただす。 「それが、どうかしたのか?」 「ん………あたしさ、あるんだ」 「ほう?」 アルベド族が?というニュアンスが滲んでいたのだろう。リュックは慌てて言葉を継いだ。 「あ、来たっていってもさ。子供の頃に一回だけだよ」 「ふっ、そうか」 今もまだ子供だろう、と思いながらアーロンは再び目を閉じる。しかし、聞いているかどうかなど関係ないらしい。アーロンの前の手すりに寄りかかりながら、リュックは独り言のように語りだした。 「そりゃアルベドは嫌われてるからさ、めったなことじゃココにだって来たりしないんだけど、それでも全然って訳じゃないんだよ。ほんの時たまだけど、いるにはいるンだ。アルベドってったって、人を思う気持ちは同じだもん。特に『シン』に襲われた後なんか、ね」 瞑目したアーロンは微動だにしなかったが、それでも耳だけは娘の話に聞き入っていた。 「あたしもさ、よくは覚えてないんだけど、小さい頃ホームが『シン』に襲われてさ。あ、今のじゃないよ? 前のホーム。そのせいでホームなくなっちゃったんだけどね。その時、母さんがさ。死んじゃったんだ。あたし、まだホントに小さかったからさ。母さんに会いたいって泣き喚いて、オヤジを困らせたらしいンだ」 さもありなん、と納得しながら瞑想を続けるアーロン。娘はなおも語り続ける。 「んで、苦肉の策でさ。オヤジが連れてきてくれたんだ、ココ。でもさ……」 ふいに言葉をきったリュック。その寂しげな口調にアーロンは閉じた片目を開き、リュックの顔を凝視した。 「来なかったのか?」 ううん、と意外にもリュックは首を降る。 「来たよ。母さん。ちゃんと見えた…」 だけどさ、とリュックはアーロンの背後に回りこみ、そのまま座り込んで両膝を抱え込む。くんっとアーロンの背中に軽い圧力がかかる。チラリと視線を流すとリュックは頭を腕の中に伏せていた。くぐもった声が聞こえる。 「だけど、違うんだぁ。あれは母さんじゃない…」 その時の気持ちを思い出したのか、リュックの声が震えていた。三度(みたび)目を閉じたアーロンは背中の温もりに僅かに力を返す。まるで励ますかのように。 …おっちゃん……。小さくつぶやき、リュックは自分を奮い立たせるようにキュッと唇を噛む。 「あたし、ホントに小っちゃかったからさ。一生懸命手を伸ばして、その母さんに言ったんだ。抱っこしてって。何度も。でも、してくれなかった。当たり前なんだけどさ。当たり前なんだけど ――― 」 ………悲しかったァ……… 完全に涙の滲んだ声を詰まらせるリュック。小さい嗚咽の振動が、お互いの背を通じて伝わる。 顔を上げたらしいリュックの声が、今度ははっきりと聞こえてきた。 「ココに来る前より、ずっと、辛かった」 「…そうか…」 「ん…。だからね、思い出は甘えちゃダメなんだ。もっと辛くなるから」 そこで話は終わった。 静かな時間が流れる。 感じるのは互いの背中の、確かな存在。 心地よい感覚。 この娘の死に対するこだわり。それも身内の者に対しては、やるせないほどの。それを垣間見た思いのアーロンだった。 ―― なるほど。それでか。ユウナにあれほど固執するのは…… 小さい頃のトラウマともいえるその経験から、尚更ユウナを死なせたくないと強く願うのだろう。背中から、リュックの切ないまでの想いが伝わってくるようだった。 『シン』によって命をもてあそばれる、このスピラだからこそ。 穏やかに、今度はアーロンから問い掛ける。 「何故、それを俺に話した?」 小さく背中が揺れる。 「なんでかなァ。おっちゃんには聞いて欲しかったんだ。なんか、おっちゃんなら分かってくれるような気がしてさ」 アーロンの隻眼が微かに光る。 おそらく死に対するリュックの鋭い嗅覚が、アーロンの何かを嗅ぎ分けたのかもしれない。それが何かまではまだ気付いていないようだったが。 アルベド族の小娘。 それまではそれだけの存在だったリュックが、より大きな認識をもってアーロンの中に根ざしていった、ほんの些細な出来事。短い時間。 だが、二人にとっては貴重な、偶然の産物だったのかもしれない。 決して公けに語られることのない、二人だけの秘め事として…… | |
○あとがき○ |