光 と
闇 と | |
黒い影が追ってくる。 何も無い、上下左右の感覚もない濃い灰色の世界、暗黒の空洞を。 一人、逃げ惑っている己の姿に怒気を感じる。 何を恐れているのだと、対峙して敵を振り払えと。 幾度、自身を叱咤しようと、身体は意志に反して逃走し続ける。 ―― 何故、俺は……何を恐れている? 「おっちゃん? 何してんの?」 瞑想とも混迷ともつかぬ暗闇の淵から、強引に引き戻そうとする声がする。伏せた片目を静かに開くと、すぐ目の前にキョトンと覗き込む生気溢れる顏があった。 結跏趺坐にて瞑目していたはずのアーロンは、いつのまにか己の深き業に囚われてしまっていたことに気づく。 苦々しい思いで舌打ちし、 「……いや、なんでもない」 そう言うのがせめてもの矜持。 しかし、どうやら心配してくれていたらしい娘は、それで許してくれるはずもない。 「なに〜、その言い方。せっかくアタシが心配してあげてんのにさ」 ふっと軽く笑いながら、男はもう一度目を閉じてからすぐに開いて、言い捨てた。 「お前に心配してもらうことなど、何もない」 そう、リュックに言えるはずもない。 アーロンが背負っているこの闇の真相を。 これは、最後の瞬間まで己一人で持っていくべき罪。誰も代わることなどできはしない。誰のためでもない、自分のためだったから。 生きている時に果たせなかった、友との約束を守るために、死して後もこうして現世に留まっていることは……。 それを重荷と思ったことはない。だが、その責務の大きさに押しつぶされそうになることはある。いくら年月を重ねようと、人である身には重過ぎる業として。 「ふ〜んだ。いっつもそうやって自分一人で納得しちゃってさ」 ぶちぶちと愚痴りながらも、やっとリュックがアーロンの前から離れていってくれた。途端にほうっと安堵する自分を嘲笑う。 ―― 小娘一人に何をおたついている…… ガガゼトを目前にして、ナギ平原の片隅で野営した時のことだった。 やはりこの場所は験(げん)が悪いらしい。生者だった頃の最大の悔いの残る場所だからか……。だが、それを言うならば、これから向かう場所はすべてそうだと言える。ガガゼトもザナルカンドも。特にザナルカンドでは……。 当に乗り越えたと思っていた己の負の感情に支配されそうになり、キマリ・ワッカと交代制で受け持っている夜の見張り番の時、いつも精神が乱れそうになるとそうしているように瞑想に入った。 ちなみにティーダはその任からは外されている。何度も居眠りしていた前科のために、役に立たないと皆に判断されたからだった。本人はかなり不本意らしかったが。 また、ルールーもその役を申し出ていたが、これはワッカが巌として譲らなかった。ルールーの言い分ももっともだったが、いくらガード経験者とはいえ、この人数で女性に夜番をやらせるわけにはいかないだろう。 夜のとばりに覆われている間は、あたりを警戒するために気を飛ばしていたためか、それほど深く己の闇に囚われることはなかった。 油断したのは、皆が目覚め、朝の光に気が緩んだせいだったのかもしれない。 アーロンは、静から動へと、心地よい気配に満たされ始めた周りを見やる。 夜が明けるとキマリは誰よりも早くに目覚め、既に見張りの任を請け負ってくれている。 ルールーとユウナは仲良く朝食(あさげ)の仕度をしていて、その横でワッカが寝ぼけまなこで何か二人に話し掛けているようだった。まるで本当の家族のように。 そして、ユウナの実の従姉妹はというと…。 皆とは少し離れた場所で、リュックはティーダと深刻そうな顔を突き合わせていた。おそらくユウナを助けるための手立てでも二人で考えているのだろう。 二人の金色の髪が、朝陽を浴びて弾けていた。以前からユウナの選んだ道の行く末を知っていたリュックも。つい先ごろやっと知らされたばかりのティーダも。若者ゆえの諦めることを知らない無鉄砲さ……いや、可能性を信じて、必死に足掻こうとしている。 ―― まるで、10年前の俺を見ているようだな…… だが、アーロンはただの足掻きに終わってしまった。今度はそうさせるわけにはいかない。そのために、こんな呪わしい姿になってまでここにいるのだから。 10年前、アーロンは一人だった。ブラスカとジェクトは選んでしまったから。残されたのはアーロン一人。 しかし今度は、アーロンは一人ではない。キマリがいる。ワッカもいる。ルールーもリュックも。そして、ティーダが……いる。 今までは決められた数のピースしかなかったパズルは、ただ「死の螺旋」という決まり事を完成させることしか出来なかった。それが、予定外のピースが含まれた場合に、どう変わるのか。それを見定めなければならない。導かなければならない。自分がはからずも完成させてしまった悲劇のパズル以外の結果へと。 ふと、アーロンは気がついた。 先ほどまであれほど重く圧し掛かっていた枷が……軽くなっていることを。 不思議に思って、改めて周りの仲間たちを見渡す。 キマリは変わらずで、ユウナたちはどうやらそろそろ準備が終わったようだった。 まだ飽きずに話し込んでいるティーダとリュックは、それでも話しの合間に笑顔が混じる。二人はそれなりに真剣なのだろうが、若さゆえの明るさというのは、いい加減とか無責任とか言えるようなものではない。 アーロンにとって、ユウナとティーダは己の責任としての存在だ。けれど、リュックは……。 時折、無邪気な言動で翻弄してくれる、やっかいな存在。大事な従姉妹・ユウナを助けたい一心で、アルベド族でありながらガードとしてユウナの傍にいる。一族からなんと謗りを受けようと、近くにいて守ることを選んだ年若い娘。 その一途さが、生気溢れる明るさが、皆を癒しているのだろう。 ……アーロンでさえも。 夜の暗闇を照らす、一筋の光のように……。 この旅は、宿命。 一人一人にとっても、スピラのすべてにとっても。 各々がそれぞれその役割を担う。 ユウナとティーダが重要な鍵を握るのだとしたら、仲間たちはそれを支えるのが役目だ。 アーロンが己の経験としての過去を伝えるのが責務なら、リュックはやがてくる未来を期待させてくれる者なのか……。 「そう……かもしれんな」 つい、独り言として呟いてしまっていた。 それを耳ざとく聞きつけたリュックが走り寄ってきて、何を勘違いしたのか勢いこんで聞いてくる。 「なになに? おっちゃん。なにがそうだって?」 たぶん、自分たちの悩み事に何かヒントを得られるとでも思ったのか…。 「……お前、地獄耳だな」 「なにさ〜、それ〜」 ぶうたれて頬を膨らませた娘を尻目に、立ち上がったアーロンは朝の清々しい空気を大きく吸い込む。 そして、残った胸の内の澱みと一緒に息を吐き出しながら、まだ何かを喚いているリュックをそこに残し、「ごはんだよー」と呼びかけているユウナたちの元へと歩いて行った。 何時の間にかアーロンの中に巣食っていた闇は、きれいに拭い去られていた。 タイトルは「アーリュ書きに15or35のお題」(管理人:安茂様)より | |
○あとがき○ |