−幻月宵酒− |
夜中にふと目が覚めた。 悪い夢でも見ていたのだろうか、なんだか最悪な気分だった。 暗闇の中、自分以外の気配がない。 まだ薄っすらと被っていた眠気を振り切り、ティーダは跳ね起きる。 「アーロン?」 そっと回りを意識しながら呼んでみる。 だが返事はない。 ティーダは何かにせかされるように声をあげる。 「アーーロンッ!」 やはり返事はない。 いつも心の片隅に引っかかっていた不安が、むくむくと浮かび上がってくる。 いてもたっても居られずにベッドから離れ、ドアへと向かう。 「?」 ドアのわずかな隙間から、かすかに明かりがもれていた。 ティーダがそっとその隙間からドアの向こうを窺うと、ひとり窓辺で酒盛りをするアーロンがいた。 ティーダが起きないようにとの配慮であろう、明かりは灯していない。 微かな光りは、大きくカーテンを開け放した窓からの月明かりだった。 『言ってくれれば、付き合うのにさ』 何故アーロンがひとりで酒盛りをしているのか、その理由を十分解っているティーダだったが、 それでもそう思わずにはいられない。 ふぅっとため息とも吐息ともつかぬためらいの後、ティーダは静かにドアを開ける。 「よっ!付き合おうか?月見酒」 アーロンはティーダの方にちらりと目をやり、呟いた。 「よく寝ていると思っていたが?」 アーロンのその態度と声にティーダは当然、鼻白(はなじら)む。 「あ、なんだよー。人がせっかくわざわざ起きてきてやったのに、その態度か?」 「ふん」 馬鹿にしたようにもとれるアーロンの軽いイナシに、ますますティーダは言い募る。 「あったまくんなー。その笑い!」 たあいのないやり取り。 そこにはお互いの信頼と思いやりが横たわっている。 そのままティーダは窓辺へと歩いていき、アーロンを横目に窓の外に広がるザナルカンドの夜景を眺めた。 いきなり黙り込んでしまったティーダに、ジッと眼を据え、アーロンが静かに声をかける。 「もう、大丈夫なのか?」 そう問われて、微かに眉根を寄せたティーダだったが、数瞬後には明るく笑っていた。 「だーいじょうぶだって。いつまでもくよくよしてられませんって!」 ・・・オレはエースだから・・・。 今日の試合も散々だった。 ザナルカンド・エイブスは今やティーダのワンマンチームだ。入団してからあっという間にエースに登りつめたティーダだったが、思わぬ副作用があったのだった。ティーダにではなく、他のチームメイトにである。若いエースの台頭は、チームの結束を緩めてしまった。ティーダが来る前には高い評価をもらっていたディフェンス陣も、今では完全にティーダに頼りきっている。オフェンスに至ってはいわずもがなである。自分らが少々手を抜いても、必ずティーダが、エースがなんとかしてくれる。そういう甘えがチーム全体に漂っていた。それを他のチームが見逃すはずがない。連勝していたのはいつのことだったか、このところザナルカンド・エイブスに勝利の女神は微笑まなくなっていた。 「身体の方はどうだ?」 考えないようにしていても、どうしても思考はそこに戻ってしまう。それを見越して、アーロンは少し口調を変えながら問う。 「ん? ああ、もう大丈夫・・・」 今夜でもう何度目になるだろうか。ティーダは試合開始から終了まで、相手チームから集中攻撃を受けるようになっていた。いかに新進気鋭のエースだろうと、最初から最後までピッタリと3人からマークされていては、手も足もでない。今や対戦チームのディフェンスは、自軍のゴールもほったらかしでティーダについていた。ティーダ以外恐るるに足らず、と言わんばかりの相手チームのやり様も、今のところはみごとに的中していた。がら空きの相手ゴールへとボールを運べる選手が、今のザナルカンド・エイブスにはいなかった。しかも連夜の集中攻撃で、さすがのティーダもぼろぼろに疲れきっていたのだった。 勝てばきれいさっぱりと消えてしまうはずの試合の疲れも、こう連日負け続けていては、集中攻撃のダメージも相まって身体に変調をきたすのもしょうがないだろう。しかし、ティーダは弱音を吐く訳にはいかなかった。彼はチームを支えるエースなのだから。負け試合の後、ふらふらになりながらもなんとか家にたどり着くと、ベッドの上に倒れこみ、そのまま次の試合まで死んだように眠り続けるのがまるで日課のようになっていた。 「なんとかしなくちゃ、な!」 誰に言うでもなく、自分に言い聞かせるようにティーダは呟く。 例え何人マークがつこうとも、それを振り切って点を入れ、チームを勝利に導いてみせる。それでこそ、真のエースと言えるだろう。ここ暫く、空回りするしかなかった思考が、ようやく出口を見つけて歩き始めたようだった。 「いつまでも、いいようにさせておいてたまるか・・」 静かだが強い口調と瞳で言い放ったティーダを見つめるアーロンの、口元に僅かに笑みが浮かぶ。 『やっと抜け出せたようだな』 自分はこうやってただ見守ることしかできないが・・・。 この傷つきやすい魂は、落ち込んでいる時ほど他の何者をも近くに寄せ付けようとしない。心の奥底では孤独を何より恐れているというのに・・・。だから、そういう時、アーロンはただ黙って傍にいる。何も言う必要などない。ただ傍にいてやるだけでいいのだ。それだけで傷は癒える。たとえ時間はかかろうとも、確実に・・・。 こうなるまでに、如何ほどの時を費やしただろうか。 最初は解らなかった。お互いに。 だが、言い争い、離れ、又近づき会っては癒す。それを繰り返しながら。 次第にこの高潔で孤独な、強くて脆い心を持つ少年の存在が、自分にとってもかけがえの無いものになっていった。 そしてそれは、ティーダの方も全く同様だったのだ。 互いに無くてはならないものと自覚した瞬間、時としてそれは、生きていくための意味とも成り得る。 今ではアーロンにとってもティーダにとっても、お互いが生きていくための拠り所となっていた。 『それも、このザナルカンドにいる間だけのことだが・・・』 更にアーロンには、今はまだティーダに語れないことがある。 オレは生き人ではない。ザナルカンドの人間でもない。 そう言ってしまえれば、どんなに楽になれることだろう。 だが、それは今ではない。 いつか来るその時まで、この胸の奥深く、沈めておかねばならない。 他の誰でもない、ティーダのために。 そして、オレ自身のためにも・・・。 「飲むか?」 気まぐれにティーダに酒を勧めてみる。 案の定、驚いたようにティーダが両手と頭を同時に振りながら答えた。 「あ〜、やっぱ、やめとくっす。明日も試合だし・・・」 明日こそは、勝ってやる! ティーダの途切れた後の言葉が、アーロンの心の奥に響いてくる。 「ふっ」 新たな酒をぐいのみに移しつつ、ひとりアーロンは乾杯する。 「では、お前の分も飲ませてもらうとしよう」 遥かな時の流れの中では一瞬でしかない、けれど、二人にとってはかけがえのないこの時に。 アーロンはぐいのみの表に映した幻月を、憂いと共に飲み干した。 |