翼に変えて 第八話・うたかたびと2 |
ブリッツの試合が始まった。 対戦 現在リーグランキングの同率一位同士である。従って、このゲームに掛ける意気込みは、選手もファンも並々ならぬものがあった。それがスタジアム全体を包む熱気となって、試合開始直後からヒートアップする。 レンは、選手たちがスフィアプールに現れてからというもの、ずっとシューインの姿を目で追っていた。ずっと逢いたいと思っていたのだから、当然といえば当然のことである。スフィアプールと観客席という距離はあったが、生き生きと動き回るシューインをその眼に映せただけでも今は満足だった。 スフィアプールの中に入って眼が慣れてくると、シューインは知らず知らずのうちに自分がチケットを用意したあたりの客席を探していることに気づく。こんなことは初めてだった。今まで付き合っている相手にチケットを渡し、試合を見に来てもらったことは数え切れないほどある。しかしこれまでは、スフィアプール内に入った途端、ブリッツボールとチームメイトと目の前の対戦相手しか見えなくなった。ブリッツの試合のこと以外考えたこともない。 それが、今回に限って勝手が違う。いつも試合開始のブザーとともに一気に試合にのめり込んでいった彼が、絶えずチラチラと観客席の方をうかがっている。自分でも「こんなんじゃだめだ」と思いながら、どうすることもできないシューインだった。 そんな気もそぞろの彼をアキルスのディフェンス陣が見逃すはずがない。 シューインにボールが渡り、ドリブルでゴール方向へ泳いでいくと、瞬く間に人壁が出来あがる。 いつも一人や二人の妨害ならものともしないシューインだったが、試合に集中しきれていない今日の彼の前には毎回のように三人以上が立ちはだかっていた。 一人目がアタックを仕掛けて来る。 シューインはスッと身体を反らし、なんなくやり過ごす。 二人目が来る。 クルリと宙返りした彼は、わずかにバランスを崩した。 三人目が突進してきた。 ガッ! 態勢を整えられないうちに体当たりされてしまった。 シューインはのけぞり、不覚にもボールを奪われてしまう。 幸い怪我は負わないですんがものの、この試合中ゴール前で彼がボールを奪われたのはもう三度目である。すなわち、いつもの彼なら既に3点は決めているということになる。 それだけシューインのゴール前におけるシュート決定率は高かった。のだが……。 最初は「気にするな」という合図を送ってくれていた他のメンバーたちも、次第に苦い顔になってきている。 ―― まずいな… 後方にて、ゲーム全体を見渡しフォーメーションの指令を出しているドルーは、さすがにシューインの動きの悪さに苛立ってきた。後半になったら、彼を外すことも考慮にいれなければならないと真剣に考え始めた時。 シューインの動きが完全に止まっているのが見えた。 ―― 何やってやがんだ、あの野郎! しかし、激昂しそうになったのも束の間、すぐにシューインが動き出した。それも、今度はそれまでとは見違えるような素早い動きで……。 あっ気に取られるドルーを始めとするチームメイトたち。 いや、相手チームの面々もシューインの突然の変貌に多いに戸惑う。 ほんの少しばかり時間をさかのぼる。 ハラハラしながら試合を見つめていたレンは、何度目かにシューインが集中攻撃をうけて吹き飛ばされるのを見て、思わず立ちあがってしまっていた。 「ひどい、彼ばかり狙って!」 試合上の作戦としては至極当然のことなのだが、ただシューインを見に来たに等しいレンは相手チームが彼を単に叩きのめしているとしか思えない。ファン心理とは得てしてそういうものでもある。 憤慨したレンは、周りのファンの子たちと同様、立ちあがったまま握りこぶしを固めていた。その手には緑の帽子がしっかりと握り締められていた。それまで目深に被っていたそれを、邪魔だとばかりに乱暴に取った後、クシャクシャにしてしまって…。 相手に手酷く吹っ飛ばされて、一瞬、シューインは意識を飛ばしていた。しかし、すぐに我に返り、態勢を戻そうと頭を一振りする。 ―― くっ! その時。 チラっと例のごとく、視線を流した客席に、レンの姿を見つけた。 ゲーム開始直後から何度も目で探していた客席のあたり、今までどうしても見つけられなかったのだが、今度こそはっきりと、立ち上がっているレンの姿を確認できた。 ―― レン! 来てくれてたのか! それまでシューインの中で澱んでいた苛つきがあっという間に遠ざかる。 途端、フツフツと身体中に奮い起こる言い様もない充足感。 ―― よしっ シューインは胸の前で左手の平に右手の拳を一つパシンと当てて自分自身に活を入れると、飛び交うボールに向かって水を得た魚のように泳いでいった。 それからのシューインは凄まじかった。 途中、ハーフタイムを挟んだものの、前半の終わりに見せたシューインの動きに何かを感じ取ったドルーは、そのまま彼を後半戦も続けて出場させた。それがものの見事に的を得た。 前半終了時の得点は、0:2でシークスが負けていた。ほとんどシューインのせいだと言っていい。得点すべき選手が得点を挙げられないのでは、話にもならない。 だが、前半とは比べ様もないくらいメリハリの利いた動きのシューインに、今度は逆に相手チームが翻弄される。シュートに来ると思いきや、人壁が出来つつあるのを見てとるとすぐに後方へとパスを回し、自分はディフェンスの布陣の薄いところへと巧妙に回り込み、シューインは次々とシュートを決めていった。 シューインの目には相手の動きが手に取るように見えていた。 これまでにないくらい集中していて、感覚が研ぎ澄まされている。 相手がこれからどう動くのかがわかる。 ボールが、アキルスの選手の動きが、まるでスローモーションのように見える。 ドルーから鋭いパスが投げられた。 シューインは回転しながら、ボールの勢いを弱めしっかりと受け取る。 アキルスのディフェンスはまだ追いついてこない。 ノーガードだ。 ゴールへと狙いを定める。 素早く脚を振り上げる。 バシッ! スフィアプールの水を切ってボールがゴールに吸い込まれていく。 キーパーはそのスピードにキャッチが間に合わない。 ドン! 鮮やかなゴール! 後半に入って、前半の2点差を覆す3点目のシュートだった。 ブリッツオフ。 今度はシューイン自ら相手にアタックしてすぐにボールを奪い取る。 ドリブルで泳ごうとするところを、すぐにアタックを返される。 それを撥ね退け、シュート態勢に入るシューイン。 まだゴールまでは遠い。 ―― よし、スフィアシュートだ 身体を思いっきり回転させる。 周りの水が渦巻き始める。 それを利用して、回転を止めた途端にボールを強く蹴り飛ばす。 ボールの軌道上のアキルスの選手たちが一人二人と蹴散らされる。 そのまま、まっすぐにゴールへとボールが向かう。 ボン! 勢いが弱まる前に、ボールがゴールに辿りついていた。 ビーーーッ 試合終了のブザーが鳴り響く。 後半のシューインの活躍は圧巻だった。 シークスのファンは大喜びで多いに盛り上がっている。女性ファン ―― ほとんどがシューインのファンだと思われる ―― も熱狂的な賞賛をプールの中の彼に送っていた。それらに紛れ、レンもやっと自分の座席に「ふぅっ」と座り込む。結局、ハーフタイムではなんとか自分を落ち着かせようと座ってはいたが、後半戦が始まると同時に立ちっぱなしでレンはシューインを応援していた。さすがに大声は出さなかったものの、立ち上がって懸命に応援していると、レンの気持ちがシューインに伝わっているように思えたから。 自分勝手な思いこみと分かってはいたが、それでも全然構わないと思うレンだった。 スフィアプールの中では、互いの善戦を称え合った選手たちが、やっとプールから退出しようとしているところだった。既にシューインの姿はない。 それを見て、レンは改めて逡巡する。 ―― どうしようかな… ―― 控え室、行ってもいいのかな ―― 招待されたんだし、いいんだよね ―― でも…… 自分のコンサートの時に、ファンに控え室に押しかけられることに苦痛を感じてしまうことを思い出し、レンは控え室に行くことに躊躇いを覚える。 うーん、としばらくそのまま迷っていると……。 観客席の向こうから小さなざわめきが起こっていた。男性の声もあるが、ほとんどが女性の声のようだった。驚きと嬉しさの混じる声の波が、だんだんとこちらに近づいてきているような気がする…。 ―― ? ―― なんだろ? ―― 何かあったのかな? ざわめきの方へとレンが首をのばした、その時。 人垣の中から、シューインが現れたのだった。 身体中から水を滴らせたまま。 スフィアプールから出て、すぐに走ってきたとわかるくらいに息を切らせて。 「!? シューイン!」 驚きでありったけ目を見開いたレンの目前、やっとその足を止め、はぁはぁと大きく肩で息をしている彼は両手を両膝にあてて頭を落とし、かなり苦しそうな様子だった。 「…シューイン…?」 けれど、レンの声を聞くなりガバっと顏をあげたシューインは、苦しげな、でも青空のような晴れやかな笑顔で、 「良かったっ。間に合ってっ」 それだけ言うと、シューインは再び頭を落とし、絶えず酸素を要求している肺に空気を送り込む作業に戻る。 ―― ……シューイン… ―― まさか、私に逢うために? ―― 私がこのまま帰ってしまう前に、って? ―― こんなに慌てて…… レンの胸の奥に、例えようもない嬉しさが込み上げてくる。 熱くて、心地よい感情が身体中を満たしていく。 首筋がくすぐったくて、レンは思わず肩を竦めていた。 「シューイン。ありがとう」 ―― こんな素敵な想いを運んでくれて やっと少しばかり息が落ちついてきたシューインが、再びレンの声で顏をあげると。 そこには、澄んだ瞳を潤ませて自分を見つめる、大空を渡る爽風のようなレンの笑顔があった。 − 第八話 END − |
○あとがき○ |