星空を映していた瞳をそっと閉じ、レンはあの時の気持ちが蘇ってくるのを感じていた。 窓辺へと横座りに軽く腰掛け、今朝久しぶりに聞いた旋律を、懐かしげに口ずさむ。それは、母から娘へと伝えられた、大切な大切なメロディ。幼き日、子守唄代わりに母がよく歌ってくれた…。歌の由来を聞くこともなく、その人はもういなくなってしまったけれど。 レンの目元が柔らかく細められ、ふと、素朴な疑問を思い出す…。
『どうして彼があの歌を知ってたんだろう?』
子供たちのおかげで”歌”と生きる気力を取り戻したレンだったが、長きに渡って衰弱し続けていた身体はすぐに元通りという訳にはいかなかった。けれど、まだ若いレンの身体は、たとえゆっくりではあっても次第に回復していった。 しかし、身体がやっと回復の兆しを見せ始めると、レンには新たな試練が待っていたのである。 レンは自分自身の負の気のせいで、召喚士としての力もすっかり衰えてしまっていた。そしてこの場合の、衰える、とは少々普通の場合とは意味合いが違う。 物事にはすべて、正と負とがある。ほとんどの場合、負の力は正よりも人になじみやすく離れにくい。すなわち、落ちるのはあっという間でも、そこから這い上がるには長い時間と忍耐が必要だということである。 レンも例外ではなかった。 負の気のまま召喚を行えば、いったいどういうことになるのかまったく想像がつかない。今までにあった前例を挙げるならば、操り損ねた幻光たちがモンスターへと変化してしまったり、召喚を失敗した召喚士自身に幻光たちが取り付いて生きながら死人や異形の者へと化したという報告まである。 一度、負の気へと転化してしまった召喚の力を、正の力へと修正するために、レンは並々ならぬ努力と長く苦しい修行に耐えなければならなかった。 歌に気持ちを込めて伝えるだけなら、なんら問題は無い。しかし、レンは召喚士たるを義務付けられてしまっている。以前ならなんの苦労もなく行えていた”歌”で召喚の力を操るということが、それからのレンに課せられた最大の難題だったのである。
いくらやっても上手くいかない。何度もくじけそうになる。 そのたびに励ましてくれる子供たち。 そしてまた、その気持ちに応えるために、レンは歌う。 むしろ寺院による修行よりも、この子どもたちのために歌うことの方が、よりレンの気を高め洗練させていった。 そうやって遅々とした歩みではあったが、レンは着実に元の力を取り戻していった。
数年の歳月が、過ぎて行った。
レンは18になり、幼かった子どもたちも大きくなった。
けれど、戦争はまだ終わらない……。
その間にも幾度も、レンに戦場に赴くようにと寺院から打診がなされていた。けれど、レンはガンとして受け付けなかった。寺院側としてもレンの両親のことがあっただけに、召喚士が寺院の要請を拒否するという前代未聞の事柄ではあったが、無理強いしようとはしなかった。 しかし、寺院とてただ手をこまねいている訳ではなかった。
レンの力が戻ってくると、あの幼い日、レンの歌を聴きに集まってきた人々の姿がまた見られるようになっていた。以前のように、彼らを退ける存在は既に無い。そして、もうレンはそれらを受け入れることができるほど成長もし、自らの意志で歌を人々に届けることを使命と感じ始めていたのである。
「私の歌で、みんなを元気付けてあげられるのなら…」
始めは寺院の小さな庭で。 そして、それは町の広場へと移り。 次第にレンが歌う舞台は大きくなり、集まる人々の数も増えていく。
レンがスタジアムでコンサートを開くようになるまでに、さほどの時間を要さなかった。
街角の歌姫から、ザナルカンドの歌姫へと。
ひたすら心を込めて歌っていただけのレンは気づかなかった。そうなるために、寺院と<評議会>が裏であらゆる手段を嵩じていたことを……。
何度目かのコンサートの後。 レンは知ってしまった。自分のコンサートが、寺院と<評議会>に利用されていることを。 コンサートが終わった後、自分の歌を聞きに来たとは到底思えない評議会の議員と寺院の僧侶が、人目をはばかるように密談しているのを、たまたま忘れ物を取りに戻ったレンが目撃してしまったのだ。ただならぬ雰囲気に、逆にこちらが見つからないように急いで物陰に身を隠すレン。離れているために、会話のところどころしか聞こえてこない。だが、「コンサート」「成功」「今回も…」といういくつかの単語は聞き取ることができた。 何の目的で利用されているのかまでははっきりとわからなくとも、レンは大きな衝撃を受けた。 『私は、ただみんなに元気になって欲しいだけなのに…』 自分の預かり知らぬところで、何かに利用されている……。それが、ザナルカンドの人々のためになることなのだったら、レンだって喜んで協力したことだろう。だが、秘密裏に行われているということは、おそらく・・・・・。 その場から飛び出して、問い質したい気持ちに襲われそうになる。けれど、もしも、自分の歌が・・・・・。 そこから先を考えることを、レンは無意識に拒否していた。
レンは、自分が何のために歌うのか、見失っていまいそうになった。
―― せっかく自分の道が見えてきたところだというのに。 ―― 歌うことに迷いなんか、今まで持ったこともなかったのに。
不安で暗い迷路の中に迷い込んで震えている。
―― こんな気持ちで歌うことなんか、もうできない…。
なにより、再び自分の力が負へと変わっていってしまうのではないかという恐怖。 けれど、次のコンサートの予定は迫ってくる……。
誰にも言えず、レンは暗澹たる気分を抱えたまま、日々を過ごすしかなかった。
そんな時。 眠れぬまま迎えた早朝、寺院の子どもたちが出かけていくのを偶然見かけた。 『こんなに朝早く? 何しに行くんだろう?』 いつの日か、レンに花を届けてくれた子たちだった。名前をリィナとユンと言う。それに、少し年上のパクという元気な男の子。その三人が楽しげに寺院から出て北に向かっていくのを、レンは不思議に思ってそっと後をつけていった。後を追いながら、その手にある物を見つけて大方の予想はついてはいたが。 近くの倉庫群のど真ん中にある広場に着くなり、ブリッツボールでキャッチボールを始めた三人。その様子を見て、レンは納得の笑みを浮かべる。 寺院の庭は、あちらこちらに花が植えられている。だから、ブリッツの練習をやるには向いていない。そんな子どもたちの小さな心遣いに、レンは改めて心の奥が満たされていくのを感じた。 そういう気持ちを込めて、子どもたちが練習している場所より少し離れたところで、レンが小さく歌い始めた。子どもたちもすぐにレンに気づき、手を振っていつものように傍に寄ってこようとする。それを手を振って応えてから制止し、歌いながら子どもたちにそのまま練習を続けるように伝えた。毎日のようにレンの歌を聞いている子どもたちには、その意図はすぐに伝わる。元気よく頷いて、子どもたちは練習に戻っていった。 心から励ますように歌うレン。 しかし、その日の歌には今のレンの気持ちも如実に表れていた。おそらくレンの他には誰も気づかないくらいの、ほんの僅かな迷い。 いつもなら、歌い始めれば時間の許す限り歌い続けるレンだったが、この日は1フレーズだけでやめてしまった。誰も気づかなくても、レンは自分の迷いに気づいてしまっているから。
―― 私、歌い続けてもいいのかな?
歌うことが正しいことなのか、今のレンには自信がない…。
ふうっとため息をついてから、子どもたちに帰るという合図を送り、そのまま帰路についた時だった。背後からリィナとユンの楽しげな声に混じり、パクの少し大きめな声が何か言っているのが聞こえた。 『何だろう?』とレンが足を止め、振り返った瞬間。
バシュッ
陽が昇り始めたばかりのまだ白々とした薄茜色の空の中、朝陽を浴びてまっすぐに飛んでいくブリッツボール。
『……!』
白く輝くボールの鮮やかな軌跡が ―――
たった一瞬で、レンの心に厚く覆いかぶさっていた”靄”を蹴散らしてくれたのだった!
『うん! そう! そう、だよね。』
―― 誰が何を、なんて関係ない。 私は歌いたいから歌うんだ! ―― そのために何が起ころうとも。 ―― 最後まで見届ける覚悟は、とっくにできているから…
立ち止まったのは、ほんの一時。 クルリと踵を返し、レンは来た時とはまったく違う晴れやかな表情で寺院へと歩みを進めていった。
その時はまだ、そのボールを誰が蹴ったのかまでは、考えも及ばずに…。
あの時以来、歌っていないはずの旋律。 何故、彼があの歌を知っていたのか。 それはこれからゆっくりと聞いていけばいい。
また、会う約束をしたから。
彼、シューインとの出会い。 シューインには伝えなかったけれど、レンは彼を知っていた。ブリッツボールのスター選手を、このザナルカンドで知らない者など居(はしない。それは、今では歌姫として名を馳せているレンも同じはずなのだが、どうやらシューインはレンのことを知らなかったらしい。 クスリとレンの口元から笑いが零れる。 レンのことを知らなかったシューインに軽い驚きを覚えた自分。決して自分が有名であると思いあがっていたつもりはなかったが、それでもここしばらく見たことのない新鮮な反応だったから。
「レン、レンか…。 あれ? どこかで聞いたことあるような…?」 引き上げてもらった礼拝堂の壇上にて、しきりに首を捻る彼がおかしくて。ブリッツの試合とコンサートという違いはあれど、同じスタジアムに大勢の人々を集める者として。 クスクスとレンが笑うと、シューインは更に焦ったように聞いてきた。 「わ、笑うなよ。 なあ、前に会ったことあったっけ?」 笑いながら首を振るレン。 「ううん、ないよ。 会ったことは、ね。」 意味ありげなレンの言葉だったが、それでもシューインはホッとした顔を返した。 「そっか。 良かった。 俺が忘れてるのかと………しまったっ!」 「? どうしたの?」 いきなり慌てだしたシューインに、今度はレンが疑問の表情を浮かべる。 「今日は早めに練習行かなきゃならなかったんだ。 あ、俺、ブリッツやってるんだけどさ。 ザナルカンド・シークスって知ってる?」 ―― 知ってるも何も…… 「うん。」 ―― こんな地元でシークスのファンじゃない人なんて、いるはずないじゃない… レンは必死で、ふきだしそうになるのを堪える。 「俺、そこの選手なんだ。 もっと話したいんだけど、練習あるからもう行かなきゃ…。 そうだ! 今度さ、試合見に来てよ。 招待するから。 なっ!」 あまりにもあっけらかんとした誘いに、断る気も失せてしまう。元々、断る気もなかったけれど。 「うん! 喜んで。 それで、試合、いつ?」 嬉しさと笑いを含んだ声でレンが応えても、シューインはそれに気づく様子はかけらもない。 「えっと、次の試合は……明後日(のアキルス戦だな。 レンの名前、受付に伝えとくから。 じゃっ!」 それだけ言い残すと、あの優雅なクラヴィツィンの演奏とはまったく似ても似つかない慌てぶりで、シューインはバタバタと慌しく走り去っていった。 後に残されたレンは、その様子がもうおかしくておかしくて、ひとしきりお腹を抱えて笑ってしまったのだった。こちらの予定などお構いなしの傍若無人さも、持ってしまった好感から無邪気さととれるほどに。
「あんなに大声で笑ったのって、何年ぶりだろう…」 悲しい出来事など、まったく知らなかったあの頃のように。 『あんなにドキドキしたのも、初めてかもしれない…』 同じ年頃の寺院の女の子たちとはしゃぎながら、ブリッツ選手の話に花を咲かせたことはあった。その中にシューインの名前も何度もあがったこともある。だけど、それはあくまで憧れの対象としてであって、こんなに生々しい感情を抱いたことはなかった。
「ふふっ。 良かった、コンサートの予定と重ならなくて。 楽しみだなぁ、明後日(の試合。」
夢見るような瞳で、夜空を見上げるレン。あの時、礼拝堂を出る間際に、彼が言った言葉を思い出しながら。
「きっと来てくれよな。 俺、待ってるから!」
− 第六話 END −
Illusted by Yasushige
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