夢を…ね、見たんだ。 少し前まで、毎晩のように見ていた夢。 ようやく見なくなっていたのに……。
二度と見たくない、でも、忘れることのできない、忘れてはいけない…
とても、悲しい記憶の…遠い…夢。
視界が黄色く霞むほどの粉塵が舞っている。
絶えず小刻みに地鳴りが響いている、まだ名前もついていない果てしないほどに広い荒野の片隅で。 すっぽりと頭から濃い灰色のフードを被った人影が三つ。その中の少しだけ小さい影一つは、足早に先を急ぐ他の二つより遅れがちだった。はぁはぁと口で息を継ぐために、その口の中をザラザラにして乾ききった喉が咳き込む。 厳しい寒さと深い雪が支配する霊峰を、やっとの思いで越えた途端の出来事だった。 危惧はしていたものの、運の悪いことに、彼らはまさに戦闘の真っ只中に出くわしてしまったのだった。たくさんの、それこそ数え切れないほどの怒声や叫び声。そしてそれを上回る銃弾音と機械音。更には、それらすべてをかき消してしまう、大爆音。
「ま、待って。父さん、母さん…」 ドーンッ その声と同時にさほど遠くない場所で爆音が炸裂して、あたり一面の地盤と空気を震わせる。かき消されたか細い声を、しかし、先行していた二人は聞き逃さなかった。 「レン! 大丈夫か?!」 「レン!」 うずくまり、がたがたと震える我が子に駆け寄る男女一組の声。爆風が更に激しく吹き荒れ、まっすぐに立っているのもままならないほどだった。 「ごめん、なさい。息、が苦し…て…」 一回り小さい方のフード姿が、堪らないとばかりに土埃を被ったフードごと小さい身体をかき抱く。 「ごめんね。こんなに辛い思いをさせて…」 「ううん、平気だよ。ちょっと息を、ごほ、切らしちゃっただけ…だから。」 もう一つの背の高い姿が、二人を守るように立ってあたりを見渡してから言った。 「まさか、戦闘中に当たってしまうとは…。私の不注意だった。すまない。」 強い風に煽られ、肩まで脱げてしまったフードから覗く父の髪も顔も土埃まみれでうっすらと白く見える。それが、悲痛な表情とともに母子の胸を痛く締め付けた。 「そんな、父さん…」 「いいえ、あなたのせいじゃないわ。」 同時に首を振りながら言い募る二人。 「だって、私たち、今まで寺院しか知らなかっ……!」 しかしそこで母は、ハッと何かを思い出したように言いよどんだ。 「母さん?」 娘の問いかけにもうわのそらで、俄かにあたりを忙しなく見まわしながら母が言う。 「そう! そうよ! 聞いたことがある。確か、この近くに寺院があるって…。そこに身を寄せれば…」 その言葉に、父も声音に喜色が混じる。 「本当か? ロア?」 「ええ、オルド、聞いたことない? 険しい崖向こうのちょっと不便なところにあるらしいけど。」 「………、そういえば…」 二人で顔を見合わせ、こっくりと頷いた。 「せめて、少しの間だけでもこの戦火を凌がせてもらえたら…」 「よし、行こう。このままこうしていても危険が増すだけだ。」
早速、三人は目指す寺院へと進路を取った。しかし、目的の寺院の場所は聞き知っているだけで、定かではない。迷い迷いながら、ようやっと小高い崖の裂け目から、それらしき建物を見とめることができた。けれど、崖を登らなければそこへは行けそうもないない。 戦闘さえなければ、このあたりは野生のチョコボも多いと聞いている。チョコボならば、そしてなんとか捕まえることができれば、簡単に飛び越えられるくらいの高さしかないのだが。それでも、今、不可能なことを望んでいても仕方がない。こんな戦闘をやっているところにチョコボがいつまでも居るはずがない。 それでも必死になって探していると、なんとか登れそうな割れ目を見つけることができた。時間はかかるが、無理のないように先に両親たちが登り、後から娘を引き上げようということになった。 いつ流れ弾が飛んでくるのか分からないのだ。そういう事態が起こりうると、充分考えたうえでの決断だった。 オルドがひどく苦労しながら崖を登っていく。それほど高い岩壁という訳ではなかったが、普段こういう事象とは縁のない生活をしていた彼は、時間は掛かったがやっとの思いで崖上へと辿りついた。オルドが到着するなり、崖下で息をつめて見守っていたロアとレンから、ほっと安堵の吐息が漏れた。そして、とりあえず旅の常用として持ってきていた、軽くて細いわりに頑丈なロープをオルドが崖下へと垂らし、今度はロアがロープを伝いながら黙々と崖を登っていく。最後は娘のレンが身体にロープを括り付け、両親から引き上げてもらうだけとなった。
― 刹 那 ―
ヒュン、とレンの耳に風音が鳴った。音の流れた上の方向へと、視線を向けたレン。
次の瞬間、両親のいる崖上が爆発した!
ドゥンッ
「……っっ!?!」
レンの頭の中が、真っ白になった。
しかし、すぐにガラガラと岩壁が崩れ落ちてきて、レンの頭上を襲う。 レンは、叫んでいるのか、泣いているのか、今、自分が何をどうしているのかまったく分からなかった。何かを思うことも考えることもできない。世界中がぐるぐると回っているように感じながら、必死になって逃げまどっていた。 そして、ガンッと頭に強い衝撃があり・・・・・レンの意識は遠のいていった。
「…う……」 しばらくして、レンの意識が戻ってきた。乾いた泥土を被り身体中に傷を帯び、あちこちから血が流れてはいたが、どうやらそれほどの痛手を負ったのではなさそうで、なんとか自力で動くことができた。 ガンガンと痛む頭を抑えながら、いつも傍にいるはずの姿を探す。 「父さん? 母さん?」 返ってくるはずの声を待つ間に、冷たい尖風が胸を貫き過ぎて行った。
―― さっき………何…があった…?
途端に身体中が硬直し、それを振り払うかのように、あらん限りの大声を振り絞っていた。
「とうさんっ! とうさんっ!! かあさんっ! かあさっっ!」
レンは父と母に呼びかける。 蒼褪めた顔に、頭から流れ出る紅い血を伝わせながら…。
気がつくと、何か意味不明のことを喚きながら、めちゃくちゃに崩れた崖の岩土を掘り起こしているレンがいた。流れてきた生暖かい液体が眼に入り、視界が赤く染まっていく。それでも構わず、掘り続けた。爪が剥げ、また新たな血が滲む。乾ききって土がこびり付いた喉が咳き込み、そこからも赤い飛沫を撒き散らす。 しかし、もうレンは痛みさえも感じられない…。 腕に絡みつく、掘り起こす作業を邪魔するボロボロになったフードを引きちぎりかなぐり捨てる。と、そのフードを投げた先に同じフードの切れ端とキラリと光る物が見えた。
瞳がまばたきをすることを、拒否する。
行きたくないと、見たくないと。
心が必死に反発しているのに…。
足が勝手にフラフラとその切れ端のある場所へと向かって行く。
その切れ端の下から。
母の腕が見えた。
手首から先のない、かつて父からプレゼントされたと母が嬉しそうに語っていた銀の腕輪を付けた、腕だけが……。
「 ―――――――――――― 」
どこかで、空気を引き裂くような声が聞える。細く、遠く、とおく……
それは ―― レンの身体から発せられていたのだった。
いつも必ずここで終わる、夢。鮮烈で、残酷な。
それから後、しばらくの間の記憶がレンにはない。傷と衝撃のために、長い間昏睡状態だったのだという。目が覚めたのは、それからずっと今も世話になっているこの寺院の中だった。
寺院の自分の部屋の窓辺にたたずみ、レンは静かに夜空を見上げる。 ザナルカンドの北のはずれにあるこの寺院には、夜になると周りに点在する倉庫群のせいもあって、眠らぬ街の絢爛は届かない。ゆえにここでは、ザナルカンドでは珍しいほどの、漆黒の中の光の饗宴 ―― みごとな星空を望むことができた。 そしていつものように、紫暗の淵に仲良く並ぶ二つの小さい星たちへと心の中で語りかけた。 『母さん、またね、あの時の夢を見たんだ。……本当はもう見たくないのに。父さんと母さんのあんな姿…』 つと、唇を軽くかみ締め、視線を落とし瞳を曇らすレン。 けれど、すぐに湧きあがるように微笑みが戻り、もう一度、星を見上げた。 『でもね、そのおかげで、今日素敵なことがあったんだよ。』 久しぶりに見る娘の朗らかな笑顔に、喜んでいるかのごとく星がまたたく。 『母さんたちは怒ってるかもしれないけど…。私、やっぱり、歌ってて良かった…』 歌ってなければ、今日のあの心弾むひと時はなかったんだよ、と。 まるで、目の前に両親がいて、苦笑しているのを宥めるように、レンは小首を傾げて小さく笑う。
―― そういえば、あの時もこうやって窓から外を見ていた……
今のような夜ではなく、朝の光がとてもまぶしかった、あの日。
この寺院に来てから初めて歌った、あの時。
自分の意志で、亡き父母の思いを振り払った、あの瞬間。
「母さん。父さん。私、歌ってもいいかな…?」
− 第四話 END −
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