翼に変えて 第三話・彼の軌跡3 |
翌早朝、彼は初めてブリッツボールに出会ったあの広場に来ていた。 そう、本当の意味で出会わせてもらった、あの場所へ。 昨夜、今までのことにしみじみと思いを馳せていたら、なんともやりきれなくなってしまった。最近は多少は会話も自然に交わせるようになった彼の父から、ザナルカンドの戦況が思わしくないことを聞かされていたせいかもしれない。そんな中に彼の友人たちが赴いているのかと思うと、胸を掻き毟りたくなるような焦燥感に苛まれる。 いやそれよりも、もっと戦況が悪くなればこの美しいザナルカンドもどうなってしまうのか・・・。 いくら考えても、自分ではどうしようもないことだけに、堂々巡りを繰り返すだけだった。 『……そういえば』 ―― 前にもあったな、こんな時期が… まだブリッツに出会っていない頃。自分の道どころか、周り中が真っ暗に感じていた。そんな時に、あの歌声に導かれてブリッツに出会うことができた。 『…行ってみようか、あそこへ』 行ってどうなるものでもないのは、分かっているけれど。たとえ行ったとしても、きっとそんなに上手い具合に出会えるとは思ってはいないけれど。 とは言え、やはり期待していたのだろう。もしかしたら、と。同じような条件だったら、また、あの歌声に出遭えるのではないかと。だから、まだ明け方暗いうちに着けるようにと昨夜は眠るのもそこそこに家を出てきた。 だが、そう上手くいくはずもない。 しばらく立ちつくして陽の昇り始めた広場には、ただガランとした空間が広がっているだけだった。 軽い失望感を覚える自分を、フンと軽く笑ってやる。 『期待していないと自分で言い聞かせながら、やっぱり心の片隅では期待していたんじゃないか。ご都合主義もいいとこだな。そんなだから・・・』 遠くから、声が聞こえてきた。 甲高い子どもの声だった。 だんだんと近づいてくる。 「……ってよぉ〜」 「はやくしないと、そうちょうれんしゅうにならないだろー」 「だって、まだねむいんだもん〜」 「明るくなって、おとながきちゃったら、れんしゅうさせてもらえないんだからさー」 走りながらの息急くその言葉を聞いて、彼はスッと近くの積み重なった建材の陰に隠れた。微かに聞き覚えのある声と、初めての声と。物陰からこっそり覗き見ると、確かに見覚えのあるほんの少しばかり大人びた感じの中心的存在の男の子と、もっと小さい女の子と男の子。パタパタと彼の隠れている建材の前を通り過ぎていった。 話している内容から、この広場が案外人気のあるスポットなのだとわかる。確かにブリッツの練習には適しているかもしれない。多少の邪魔物は散在しているが、ほとんど置き捨てられているような物ばかりである。彼もプロになる前には、こういう場所でよく練習していたものだった。前回の時と同じように、彼の顔に優しい微笑みが浮かんでくる。 広場につくなり、すぐに練習と称したボール遊びを始めた子どもらの邪魔をしないように、彼はそっとその場を離れていった。 だが、元来た道を帰るのではなく、彼はその子どもたちが走ってきた方向へと足先を向ける。気になることがあったのだ。 『あの子たちはどこからきたんだろう?』 ―― こんな早朝に、子どもたちが簡単に集まれるものか? しばらく行くと、彼の予想は当たっていた。 入り組んだ建物の合間のすぐ向こうに、古びた寺院が見えてきたのだった。いくら機械文化の発達したザナルカンドといえども、信仰心の厚いスピラでは寺院は必ず存在する。もちろん、ベベルとは違って独自の宗教を確立してはいたが。そして寺院こそが、ザナルカンドの誇る優秀な召喚士たちの集う場所でもあった。更には、戦時中のため必然的に増えていく孤児たちを預かる施設としても。 『……ここの子たちだったのか…』 またもや、モヤモヤとした気分が浮上してくる。彼はそれを振り払うように、更に足を進めていった。 まだ人気のない時間なのをいいことに、彼は礼拝堂へと入っていった。この寺院は礼拝堂と居住部分とが完全に分離しているようだ。礼拝堂のもっと奥に位置するらしい居住区からは、朝食の準備の食器音や挨拶らしき人声など、朝特有の物音が微かに聞こえてはくるが、まだほとんどの人が礼拝に来るには早すぎる時間だった。 中に入ってみると、古いがそれなりに大きい寺院だった。礼拝堂に入るとすぐに、壁や椅子の崩れや汚れが目につく。きちんと清掃はされているようだが、孤児たちが大勢いるとなればそれも無理もないことなのだろう。 シンと静まり返った礼拝堂の朝の冷気に浸りながら、これも戦争のせいか、とせっかくの静謐な気分も沈みがちになってくる。伏し目がちにゆっくりとあたりを眺めながら歩いていた彼だったが、突き当たりの壁際にあるものを見つけて、ハッとなった。 クラヴィツィン。 彼の部屋にあるものより随分と古びてはいたが、さすがに寺院に置かれているだけあって、大きさだけはりっぱだった。クリスタルパイプも薄汚れてはいるが、この広い礼拝堂いっぱいにちゃんと音は響かせてくれそうだ。 『・・・・・・』 ―― 弾いてみたい 自分からクラヴィツインを弾きたいと思ったのは、彼が物心ついてから初めてのことだった。 一段高くなっている壇上へと上がり、クラヴィツィンへと近づく。案の定、薄っすらと埃を被っていた。クラヴィツィンは誰にでも弾けるものではない。二段にも渡る身体を半回りも取り巻く鍵盤の数は、それなりの修練をこなさなければとても弾きこなすことなどできはしない。そして、寺院の壁半分をも埋め尽くさんばかりのクリスタルパイプの数から、どこにでも置いておけるような物でもない。おそらくこの寺院でも、特別な祝い事や行事の時にしか使われないだろうから、その都度わざわざ余所から弾き手を頼んで来てもらっているのだろう。クラヴィツィンを弾きこなせる者の数はそう多くはない。この楽器の大きさと希少さから考えれば、それも当然というところか。 吸い寄せられるように彼はクラヴィツィンの前へと座り、ごく自然に指が鍵盤の上を踊り始める。もう長いこと触れていなかったのにも関わらず、彼の指は小さい頃から叩き込まれた感覚を忘れてはいなかった。 生まれて初めて、心の底からほとばしる旋律。 指が勝手に、あの時に聞き覚えた歌声を辿り奏でていた。 鮮烈に響き渡る光のように。 ゆっくりとたゆとう波のように。 音色が、静かに染み渡り広がっていく。 始めのうちは、なるべく音を荒げないようにと気をつけていたのだが、彼は生まれて初めての、自らが作り出す音楽による高揚感に酔っていった。次第に音が激しくなっていることも気づかないほど。 そして、礼拝堂に人が入ってきたことにも気づかぬほどに・・・。 ふと。 彼は自分の奏でる音に広がりを感じた。 クラヴィツィンではない他の音が重なってきていたのだ。 いや、音ではなかった。 深く優しい歌声。 いつか聞いた、あの歌声だった。 『!』 驚愕に、鍵盤の上を流れるように舞っていた彼の指が止まる。 半ば閉じていた蒼い双眸が見開かれ、視線の向けられたその先に…。 涼やかに微笑む一人の女性がいた。 柔らかく肩に流れる髪は亜麻色。 くっきりとした目鼻立ちが、爽やかな印象を与える。 そして、歌声よりも少しだけ低めの耳あたりのいい声が、彼に尋ねてきた。 「やめてしまうの? せっかく素敵なセッションだったのに」 彼は呆然としたまま。その問いにも答えずに、逆に聞き返していた。 「君は?」 彼女は小さく片目をつむり、ほんの少し悪戯っぽく笑って顔を傾ける。 「人に名前を聞く時は、自分から。でしょ?」 そこで初めて彼は我に返った。 「そうか、そうだよな。不法侵入は俺の方だった…」 苦笑しながらクラヴィツィンの前から立ち上がり、彼女の方へと歩を進める。彼女も壇上のすぐ脇へと近づいてきていた。 彼は彼女の目の前の壇上に立ち、少し腰をかがめて、壇下にいる彼女へと手を差し出す。彼のいる壇上へ引き上げようとしていることは、すぐに彼女にも伝わったらしい。彼女も一度肩をすくめた後、笑って手を出してきた。 「俺はシューイン。 君は?」 二人、手を取り、彼女が壇上へと引き上げられる。 「私は…レン。」 − 第三話 END − |
○あとがき○ |