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〜 FF NOVEL <FFX-2> 〜
by テオ


翼に変えて

第二十四話・最後の抱擁2





 シューインは再びヴェグナガンの前に立っていた。

 まだほんの数日前だというのに、ヴェグナガンを初めて見てから随分時が経ったような気がする。

―― ヴェグナガン……

 自分の望みを叶えてくれるはずのモノ。

 なにより大切な、かけがえのない人を……レンを助けてくれるモノ。

 再度ヴェグナガンにまみえるまでは、牢を脱出してからの彼はそれまでにないほど周囲に注意を払い慎重に行動していた。もう二度と捕まるわけにはいかない。が、ここに至っても見咎められるどころか、見張りの兵士を唯の一人も見かけなかった。
 その事実をいぶかりながらも、彼はここへ来てやっと己の全神経を注ぎ込んでいた警戒を解いた。
 ヴェグナガンを目の前にして、もう警戒の必要はないと判断したからだった。
 もう誰にも、彼のやろうとしていることを阻むことはできはしない。

 ゆえに、人の心に強く反応するヴェグナガンは、今は静かにそこに在った。


 シューインはゆっくりとヴェグナガンに近づきながら、途中見かけた兵士たちが口にしていた「緊急召集」という言葉を思い起こす。
 何か……重大なことが、地上で起こっているのかもしれない。
 それでなくては、ベベル最高機密のはずのヴェグナガンの警護の兵士まで召集されるはずがない。
 しかし、ベベル地下層に潜伏してから、彼には地上の情報を知る術がなかった。捕えられ牢に投獄されてからも、正しい情報は何も与えられてはいない。だから、究極召喚のことも、ザナルカンドやベベルの現在の状況も、あまつさえレンが今まさにこちらに向かっていることさえ知りはしない。
 何かが起こっていることは、確かなのだろう。
 最終兵器たるヴェグナガンにこれほど容易に近づけたことが、それを教えている。
 だが、何の情報も持たない彼には、地上で起こっていることを ―― そのあまりにも非現実的な事実を ―― 想像することさえできはしない。

 シューインは当初の目的である、ヴェグナガンを起動させ、暴走を促し、ベベルを壊滅させることしか頭になかった。
 それが、果てはスピラ全土を ―― つまりはザナルカンドをも ―― 滅亡させてしまう危険を孕んでいることに、思い至る余裕はなかった。
 とにかくベベルを壊滅させる、それができなくてもヴェグナガンでベベル廊だけでも破壊させられれば、それで良かった。

 そう考えたのは、決して浅慮からではない。彼には自信があったのだった。
 ヴェグナガンを己の思うままにコントロールできるのだという……。
 クラヴィツィン演奏で操作する方法は、確かに複雑でかなり困難なことだろう。
 他の者には。
 けれど、彼にはそれができるだけの技術があった。
 それに、初めてヴェグナガンと対峙した時に感じた、不思議な連帯感。
―― 俺とこいつはきっと同調できる
 そういう確信を持てたからこそ、彼は再度ここにいる。

 ヴェグナガンにすれば、シューインこそ、待ち焦がれていた存在だったのかもしれない。
 人間の勝手によって創り出され、しかしその圧倒的な破壊力がため、生まれ出でてからこのかた、その存在に向けられる感情は畏怖や恐怖、嫌悪というものばかりだった。創造主であるベベル技術者たちでさえ。
 破壊のためだけに生みだされたのに、それを否定され、うとまれるだけの存在。
 動き出すことも許されず、意志を持っていることを拒絶される。
 そういうモノに創りあげたのは人間たちだというのに。

 そこに、心底、己が存在を肯定し、欲し、必要としてくれる感情を見つけたのである。
 ヴェグナガンはシューインを待っていたのだ。
 あくまで、ヴェグナガンの持ち得る意志を、人間の感情に置き換えたとすれば、だったが…。

 だからなのか、一人と一体、彼らのいる最下層は安らかとも言えそうな、一種独特な雰囲気に満たされていた。


 ヴェグナガンを見上げるシューイン。
 動くことはできないが、ヴェグナガンも近づく彼を静かに見下ろしているようだった。
 ヴェグナガンのすぐ傍まで辿りつき、シューインはそっとその鋼鉄の皮膚に手を当てる。
 冷くて無機質な機械の感触。
 だが、確かにそれの持つ意志が伝わってくる…。
 互いの意志が混じり合い、精神が一体化する。

 シューインはヴェグナガンの構造などまったく知らないはずだったが、躊躇うことなく頭部脇にあった操作盤のある場所へと続く狭い登り口を上がっていった。

 操作盤の前に立った時、シューインは泣きたくなるような懐かしさに襲われた。

 それは、彼が見たこともないほど美しいクラヴィツィンだった。
 通常のクラヴィツィンは鍵盤と硬質なクリスタルパイプから為っている。だがこれは、鍵盤さえもみごとなクリスタルでできていて、そのすべてが透明で柔らかい光を内包している。鍵盤から伸びるクリスタルパイプは、クリスタルというよりファイバーに近い形状をしていた。それが扇状に背後に長く延びて、すぐ後ろの壁面まで続いている。壁に描かれた無数のスピラ文字のところまで。
 クラヴィツィンの常識から、だいぶかけ離れた様式と言えた。
 ヴェグナガンの操作のためだけに作られたのだから、それも当然なのかもしれないが、見たことも聞いたこともないような代物だった。
 なのに、懐かしい。
 矛盾する思いに、しかし、シューインはそれをおかしいとは思わなかった。

 このクラヴィツィンは、彼のためにここに在ったのだと思えたから。

 彼に弾いてもらうために、待っていたのだ……と。

 人の負の感情の具現といえるほど、巨大な角を持つ、すべてのモンスターの醜い部分を集約したような顏をしたヴェグナガン。
 このフロアが最下層らしかったが、シューインがいる通路からヴェグナガン本体の足下へと直接移動することはできないようだった。この、入り口からヴェグナガン頭部へと伸びた中央の細長い通路以外は、部屋全体がまるで大きな空洞のようで、ヴェグナガンが設置されているはずの底の部分がどうなっているのかよく見えもしない。その高さといったら、有にここまで降りてきた階層分くらいはありそうだった。よくぞ人の手で創り出せたものだと、思わすにはいられないほどに。
 そんな巨大で醜悪な外見のヴェグナガンに対して、それを操るクラヴィツィンの繊細な美しさ。
 醜美の両極にあるかのようなそれらは、けれど、対称的だからこそ似つかわしいとさえシューインには感じられた。

 何かを暗示しているかのように。

―― …………レン

 吸い寄せられるようにクラヴィツィンの正面へと移動して、設置された座席へと身を置く。
 自分を誘う透明な煌きが、今か今かと奏でられる音を待ち構えているようだ。

 シューインは、身体の奥底から身震いした。
 恐怖からではない。
 不思議と、最初に会った時からヴェグナガンに対して脅威とかそういった類の感覚はなかった。
 これから己もこの素晴らしい楽器の一部となって、ともに奏でる音に対する期待からくる震えだった。

 静かで激しい音が、逆巻く波となって彼の中に生まれ始めていた。

 それが一気に溢れ出した時。

 シューインはクラヴィツィンの上に、指を舞わせた。

 荒々しくも流れるような水のごとく。

 彼の指が触れる都度、旋律に添って、クリスタルの鍵盤が光り輝く。

 一斉にファイバーパイプに煌きが伝わっていく。

 叩きつける滝の飛沫から、次第に緩やかな流れとなる河のように。

 幾多のうねりを産み出し、澱みを洗い流していく…。

 上方へと伸びる光のシャワーが壁面に到達するやいなや、生き物のように壁の文字が浮き出す。
 直後、光っていた文字が今度は次々に消えていく…。

 まるで部屋全体が一体化したかのように、蠢き出そうとしている。

 ヴェグナガンが鳴動する。

 澄んだ旋律が、高らかに響き渡る。

 シューインは、それが自然であるように目を閉じた。

 今、彼はヴェグナガンと一つになろうとしていた。

 もう彼がクラヴィツィンを弾いているのではない。

 弾かされているのでもない。

 新しきモノに、生まれ変わるための儀式。

 ヴェグナガンの顔面部分が、まるで花が咲くかのように開き始めた。
 凶悪な機械の刺花が……広がる。
 そして、その中から新たに巨大な砲身らしきものが覗いた…。

 シューインはヴェグナガンから伝わってくる、歓喜とも期待ともつかぬ、恍惚とした陶酔感に満たされる……。

 指先から、あたりに氾濫する光から、目覚めた文字から、感じる。

 融かされるように混ざり合い、包み込まれる。

 嘗めるように鍵盤の上を動き回る指とともに、彼の金の髪も、揺れて踊る。

―― ………さあ…トモニ………ヲ…





「やめてっ!」


 突然、甘美な酔夢が破られた。

 至福の連帯を打ち砕かれたヴェグナガンから、凶悪な負の気が昇る。
 今少し、あと少しで、完全起動ができるはずだった…から。

 しかし、ヴェグナガンの一部となりつつあった、彼が……それを裏切った。
 その声に反応して、即座に本来の自分へと立ち戻るシューイン。

―― えっ?!

 シューインは、ハッと振り向く。
 己の肩ごしに、信じられないモノを見る。
 ここにいるはずのない、人を見る。

―― まさか…


「もう、いいの」


 そこには……レンがいた。


 大きく両手を広げて、荒く息を弾ませて、潤んだ瞳で必死に見上げている。
 あのコンサートの時の、思い出の服を着て。

 シューインは無意識に立ち上がり、クラヴィツィンの反対側へと身を翻した。
 人一人分以上の高さにある操作盤の淵に取りつき、自分も先ほど通ってきた通路を見下ろす。

 恋しい人。

 愛しくて…愛しくて!

 気が狂いそうになるほど、逢いたかった……。


  レンが ――― そこにいた。


 その姿を目にした途端、シューインはヴェグナガンに支配されつつあった、いや、完全に同体化し始めていた意志を手放した。代わりに、急速に戻ってくる本来の自分の想い。
 たった今まで己の半身であったはずのクラヴィツィンから引き離すほどの、刹那の想い。

―― レンっ!

 声もなく、何より大切な人の名を叫ぶ。

 それ以上何も考えることもできず、彼は急ぎ操作盤を後にする。
 この瞬間、彼はヴェグナガンの存在を忘却の彼方へと放り出してしまった。

 レンも、シューインの姿を見とめてホッとしたのも束の間、すぐ背後にまで迫ってきている非情な足音に、はっと振り向く。

     兵士たちが、レンのすぐ後ろまで追いついてきていた…。

 二人、ヴェグナガンの前面へと走り寄る。
 今はもう顔ではなくなっている、冷たく光る破壊の化身、世界を滅ぼそうと開いた砲口の前面へと…。

     その二人を待ち構えていたように、どこからか光が照らす。
     スポットライトのように。
     ターゲットを見定めるように…。

     レンを追う兵士たちは、途中、シューインまでも脱獄したことを知った。
     そのため、追手をいくつかに分け、追い詰められた鼠を二度と逃がさないために包囲網を敷いた。
     その中の一隊が、探索機器で獲物の居場所を補足し、ライトで照らし出していたのだった…。



 固く、強く、恋しい人を抱きしめる。

―― レン

―― シューイン

 言葉は、要らなかった。

 他は何も必要なかった。

 今、互いの腕の中にいる存在さえあれば。

     追いつめる足音たちが、止まった。
     兵士たちが銃撃の体勢を取る。

 抱きしめた愛しい人を放すまいと、シューインが追手の兵たちを鋭く睨みつける。
 同じように、レンもそちらに目を向ける。………悲痛な思いで。

     銃を構える無機質な撃鉄音が連鎖する。
     銃口が、向けられる。
     照準を合わせるために、ゆっくりと……。

 どちらともなく抱きしめていた腕を緩めて、この世界で一番大切なものを見つめていた。

 互いに、自分よりも大事な人を…。

 レンが僅かに悲哀の色を滲ませて頷いてから、ふと視線をさまよわせた。
 シューインの知らない、様々なことが瞬時に脳裏を過ぎる。
 ザナルカンドはもう無いのだと。
 シューインの父ザンギンも…もうこの世界にいないのだと。
 彼の母も、チームメイトも、ファンたちも、みんな……。
 けれど、もうそんなことを伝える必要もないのかもしれない、と。

 愛おしむようにレンを見つめたまま、辛そうな表情で顏を曇らせるシューイン。
―― こんなところまで……レン……俺のために
 彼女の瞳の中に一瞬の戸惑いを見て取って、物問いたげに眼差しを深くする。

 だから、レンは…。

 ほんの少しだけ寂しさを乗せた笑みを浮かべて、首を小さく振った。
―― ううん、私が…私が…ただ、逢いたかったから……来ただけ
 涙は流さない、キミが見えなくなってしまうから…。
 なのに、そんな決意は、瞬き一つで脆くも崩れてしまう。
 ……溢れる雫が、頬を伝っていた……。
 それでも、瞳の奥に、焼きつけたい。
 もう、キミの姿しか映したくないから。


 交わす言葉は無くとも、見つめ合う瞳に映る恋心。

 でも…これだけは。

 伝えたい、キミに。

「――」

 レンが思いの丈を込めた最後の言葉を口にしようとした、その時。



     無情に重なる銃声が ―― 二人を引き裂く雷鳴となって ―― 轟き渡る。



 二つの身体が、宙を舞った。


 ヴェグナガンの咆哮が……遠く響く。


 あの日の笑顔が蘇る。


 澄みきった青空よりも爽やかだった、シューインの晴れやかな笑顔が。


 夕暮れのヴェールをも凌駕した、レンのきれいな微笑みが。


 どんなものより大切な、すべてのものと引き換えにしてもいいほど大切な。


 たった一人の……。




 微かに…冷たい床の感触が頬に感じる。

 虚ろな彼の蒼い瞳は、もう何も映してくれない…。

 くちびるが、微かに…動く。

『……レ………ン…』

 尽きかけた力を振り絞り、少しでも彼女の方へと手を伸ばす。

 もう、どこにいるかわからない、見えないレンへと……手を伸ばす……。

 せめて、最後は触れ合っていたい………と。



 ふと戻ってきた薄れていくレンの意識の中で、霞む視界の先、仰向けに倒れている自分のか細い指が見えた。

 その向こうに、金の髪。

 少しだけ、ほんの少しだけ、自分に向かって伸ばされる、彼の手が…。

 だけど………。

 もう、指さえも動かない。シューインに、触れられない…。

 レンの最後の感覚は、開いたままの己の両の瞳から、溢れ流れ落ちていく熱い涙だった。

―― 伝えたかった……最後に一言だけでも

 懸命に、ほとんど意識だけの、声の出ないくちびるでささやく。


『・・・・・』



 すべてが暗闇に閉ざされる刹那、レンの小指が……ピクリと震えた。







     − 第二十四話 END −





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