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〜 FF NOVEL <FFX-2> 〜
by テオ


翼に変えて

第二十三話・最後の抱擁1





「究極召喚…だと?」
 ゲルナ大僧正は聞き慣れない名称に、眉を顰めて訊き返していた。緊急召集されながらも指揮系統の混乱により自分たちの任務を与えられないまま、ただそこここにたむろしている多くの兵士たちもまた、大僧正同様の不可解な顏を互いに見合わせていた。
 ゲルナの呟きのような問いかけに、レンは静かに首肯する。そして更に訊き返される前に言葉を継いだ。
「究極召喚がどういうものか、それは私にもよくわかりません。いいえ、きっとエボン様以外は知らないのかもしれません」
「あの、稀代の召喚士と名高いエボンが……」
 ざわざわと兵や僧たちの間で「エボン」の名が畏怖を込めて囁かれる。
「使者として、ザンギン・ザナルカンド評議会議長の宣言をお伝えします」
 そのざわめきを凌駕するように、凛とした声でレンは続けた。

「ザナルカンドはこのスピラにおいての存在を放棄する。それが究極召喚であり、スピラにはそのための代償を担ってもらう、と」

 一瞬、驚愕があたりを支配した。直後、喧騒ともいえるほどに皆がどよめき始めた。
「存在を放棄?!」「究極召喚とはいったい何だ!」「代償とはどういうことだっ!」
 口々に喚きたてる他の者たちと違い、ゲルナ大僧正に至っては声も出ない。ただただ呆然とするばかりであった。
 コトは彼の想像の範疇を大きく超えている。どう判断すればいいのか、どうやって対処すればいいのか、まったくわからない。
 まさに、レンはその使命通り、ベベルに言葉の爆弾を投げ込んだのだった。

 さすがに最高指導者たるゲルナがいち早く気を取り直し、ようやく口を開いた。
「ま待て! 皆の者、静まるのだ。まだ、使者とやらに訊きたいことがある」
 ゲルナの言を得て、長のつく者たちが己が任を思い出し、すぐに自分の配下を静まらせる。
 しかし、ゲルナが次の問いを発する前に事態は急変した。
 通信兵から、最も恐れていた報告が届いたからである。

 絶望的な叫びとなって。

「報告しますっ! 我がベベル艦隊が、帰還途中で消滅。突然、レーダーから消えましたっ! そっそして、その後に……レーダーに移った艦隊よりも巨大な物体が出現っ! こっこちらに向かってきますっっ!! 信じられないスピードですっ!!!」

 その時初めて、ゲルナを始めとするその場にいた者たちは、レンの言葉の真の意味を悟った。

 代償を担う、すなわち……ベベルを筆頭とするスピラをも壊滅させるということではないのか。
 とても信じられることではなかったが、現にあれほどの繁栄を誇った都市そのものをきっぱりと捨て去ったというのなら……。
 そして、召喚士の力というものは、知識として知ってはいても実際には一般人にはまったく理解できはしない。それも、歴代最高の力を持つと万人に認められているエボンが施行したとなると、何があってもおかしくない。

 ゲルナは身体の芯から冷えていくのを感じていた。次にひとりでに震え出す。
 真の恐怖というものを、初めて実感していた。
 それは、ゲルナ以外の者たちもまったく同じであった。

 恐慌が訪れる。

 怒号が溢れる。

 この時ばかりは、任務はおろか、身分や階級さえも忘れ去られた。
 誰もが我が身の安全を考え、家族の身を案じる。
 身の内から襲いくる切迫した思いに、我知らず、突き動かされていた。
 まずはここを脱出しなければ…。とにかく逃げるんだ…と。
 市街地へと続く出口に通路に、僧兵たちが殺到する。
 いや、待て。街中など恰好の標的ではないのか…。
 ならば、地下への逃げ道もあるここにいた方が、まだ安全かもしれない。
 そんな考えから、人々の流れに逆行する者たちも少数ではなかった。

 逆巻く波のように荒れ狂う人々。

 押され、倒され、踏み潰される。

 阿鼻叫喚。

 化け物が到来する前から……ベベル廊は昏迷を極めていた。


 そんな中、唯一人だけ冷静だったのは………レンである。
 ベベル側の惑乱の様を、人として、一瞬の憐憫の情が湧き上がる。
 人間のどん底から這いあがってきた彼女は、それでもなお、人をスピラを愛した。
 しかし、それ以上にザナルカンドを、シューインを愛していた。
 それらのために、切り捨てなければならないならば、喜んで心を凍らせる。
 コトここに至るまでに、もっと他に何か方法があったのではないか、とは思う。
 けれど、膿んでしまったものは加速度的に周りさえも腐らせていく。
 一度粛清されなければ、スピラの再生はないのかもしれない。
 あのエボンが判断し、苦渋の決断を下したのだから。
 寺院で育ってきたレンであったから、自然、そういう結論に辿りつく。
 何かが刺のように心の片隅にひっかかってはいても、彼女の最後の決意の前には些細なことに思えた。
 既に、ザナルカンドは現実の姿を失ってしまった。
 レンの親しかった人たちは、もう、いない……。
 永遠への道を自ら拒絶し、彼らと離れ、一人別の道を選んだレン。
 どんなことも、シューインと一緒でなければ何の意味もないから。
 レンは無事にこのベベルから生きて帰れるとは思っていない。
 帰れるところも、もう、ない……。
 だから、シューインにだけは、必ず逢わなければ。
 己の末路を覚悟した潔さで、レンの瞳は澄んでいた。


 惑乱の中、レンはそっとその身を翻した。
 さすがに、誰もレンの所作を気にかけるものもいない。
 ベベル中が錯乱している今この時、たった一度だけのチャンスだった。
 ここへ連れられてきた時から、ゲルナや他の兵士たちに気づかれぬよう気をつけながら、レンはシューインがいると思われる場所をこっそりと探っていた。
 今の彼女は、神経が研ぎ澄まされている。もともと召喚士として優れた資質を持っていたのだから、これまでにないくらい集中している今、たとえ僅かであってもシューインの気配を感じ取れるはずだった。しかし捉えられるはずの彼の気配が欠片もない。
―― もしかしたら、……地下?
 地上にいるのならば、必ずわかるはずだという確信がレンにはあった。なのにわからないということは、彼がいるのは地上ではない、ということ…。
 そう思い至って、ゲルナに向上を継げている最中にも、さりげなさを装いながら視線を巡らし、兵士たちの出入りを追っていたのだった。
 レンはヴェグナガンのことは知らない。ザンギンには、シューインがベベルの最終兵器を目指して潜入したのだろう、とだけしか聞いていない。最終兵器、すなわち、ヴェグナガンが意志を持つ機械であるということも知っていたわけではない。
 が……。
 ある兵の一団が広間に現れた時、レンはそれまでに感じたことのない巨大なエネルギーの片鱗を感じた。
―― !! ……これは?
 当然、その兵士たちが持ち得る類のものではない。彼らが来た方向から流れてくる空気に、それが僅かに混じっている、そんな感じだった。
 その特殊な空気に、レンの中の何かが反応した。
 おそらく地下、それも遥か下方にあると思えるのに、微かに流れ出てくるこの気は…人の放つ物とは明らかに違うものだった。そして人間が持てるような種類の物でもない。たとえ召喚士であったとしても。彼女は直接会ったことはなかったが……エボンとも、きっと違う。
 異質な、異質過ぎる存在を感じさせる……モノ。
―― きっと、あそこから行ける……
 シューインが目指したという、ベベルの最終兵器があるところへ。
 そして、シューインも必ずその近くにいるはずだ、と。
 彼女が感じた異質な気が、まさにシューインが目標にしているベベルの最終兵器ヴェグナガンが放っているとは夢にも思わなくとも。
 喧騒極める広間を後にして、レンは躊躇うことなくその方向へと進んでいったのだった。

 途中、幾人かの兵士たちがレンとすれ違った。だが、彼らはレンのあまりにも落ち着き払った様子に、不審に思いながらも留めることはしなかった。できなかったと言った方が正しいかもしれない。
 それほど、まっすぐ前方を見つめてゆっくりと歩いていくレンの姿は、侵し難い雰囲気を纏っていたのである。


 しばらく経ってから、やっとゲルナ大僧正付きの僧官の一人がレンの不在に気づいた。
「だだ大僧正様っ! た大変ですっ、使者が、ザナルカンドの使者がおりませんんっ!」
「なっなにぃぃっ!」
 血管が切れそうなほど興奮し、真っ赤に怒らせた顏を振り向け、ゲルナが怒鳴る。
「どこに行ったというのだっ! もしや、あやつの言ったことはすべて虚言だったと…」
 しかし、周りに付き従う者たちの顔色が、それは否やと伝えていた。
 現実問題として、未知の巨大な物体が迫り来ているのだ。
「だが、それならば………」

 ハタ、と。ゲルナは思い至った。

「そう…だ……。ヴェグナガン、ヴェグナガンですっ! あやつはきっとあれの所へ侵入したに違いない! 追えっ! 追うのですっ! この上、あんなものまで起動させられたりすれば、ベベルは、我々は地下へ逃げこむこともできなくなる…。いや、それよりもいったいどんなことになるのか………」
 盛大に唾を飛ばし、見るも無残なほど震えて、これ以上ないくらいの醜態を惜しげもなく晒すゲルナ大僧正。
 それも無理もないことだった。
 ヴェグナガンのことは、ベベルにあっても最高機密である。今、広間にいる僧兵たちも極一部の者しか知らされていなかった。だから、ゲルナの慌てふためき様を理解できた者もごく少数だった。ほとんどの僧兵は、ゲルナが迫り来る物体への恐怖から訳の分からない指令を出しているのだと考えた。
 しかし、大僧正に近しい者たち、そして実際に地下でヴェグナガンの警護に当たったことのある兵たちには、彼がうろたえる理由が理解できた。そして理解できた瞬間に、皆、真っ青になる。
 未知の物体一つでさえ持て余しているというのに、自分たちが創り出した物とはいえ、ヴェグナガンもまた、計り知れない破壊力を擁しているのである。
 しかも、今まではなんとか本格的な起動をさせず抑えこんでいたからどうにかなったものの、一旦動き出してしまえばまったく制御ができない。
 ゲルナを始めとする一握りの上層部の者たちの脳裏には、ヴェグナガンのテスト起動時に、関わっていた半数以上の命が失われた大惨事の様子が過ぎった。
 彼らは数少ない、その時の生き残りでもあるのだ。
 この時ほど、彼らはそんな恐ろしい物を創ってしまったことに対して、深い悔恨を覚えずにはいられなかった。

 二つの化け物がこのベベルで対峙してしまったら、いったいどういうことになるのか。
 想像するだに恐ろしい。
 いや、乏しい人間の頭では想像することも不可能といえよう。

 あまりの恐ろしさに震撼しながらも、地下警護担当の兵士長たちはかろうじて自分たちの配下の兵をまとめて指令を下す。
「ザナルカンドからの使者と名乗ったあの女は、地下へと潜ったと思われる。ただちに後を追い、拘束するのだっ! いいや、捕らえる必要などない、見つけ次第、射殺せよっ!」


 しかしこの時、既に、レンは最下層近くまで到達していた。
 初めてのベベル、それも地下層ではあったが、彼女は正確に最短距離をヴェグナガンへと向かっていた。
 それは、彼女が例の異質な気の流れを辿っていったゆえの早さだった。
 気の薄い場所から僅かでも濃いところへと、ただそれをなぞっていけばいいのである。
 優れた召喚士であるレンだからこそ、更には、正と負、両極の気を内包していた彼女だったから可能になったことだった。
 エボンやユウナレスカほどにもなれば、そういうことも出来て当然なのかもしれない。けれど、いくら召喚士だからとて、通常は気の流れなどそうそう読めるものではない。
 その点、レンは特別だった。
 本来、他の召喚士同様、召喚という正の気の持ち主であるはずが、過去の不幸な出来事から正反対の負の気へと転じた経緯を、彼女は持っていたから。それを、多大な努力と精神力、そして長い年月を費やして、正の気へと戻した。召喚を行うためには正の気でなければならない。でなければ、操る召喚獣や幻光虫に反対に乗っ取られ、または暴走する。けれども、負の気がすべてなくなった訳ではない。正と負を合わせ持ちながら、それらをコントロールする術を会得したのである。だから、故意に正を負に、負を正に転じることもできる。オーラや気というものに対して、レンは他に類を見ないほど鋭敏な感覚を備えていたのである。

 潜入した当初はことさらに堂々と歩いていたレンだったが、地下に入り人影がなくなると、すぐさま走りだした。
 追いたてられるように、走った。
 広間にレンがいないことは、すぐに気づかれるだろう。そうなれば、彼女が地下へ侵入したと予測されてしまうことは、火を見るより明らかだ。普段なら厳重警戒されている地下への潜入なのだから、すぐに追手がかかることも容易に予想できる。
 だから、走った。
 この地下層を知り尽くした兵士たちに、少しでも水を空けるために。
 地下に残った見張りの兵士がいるかもしれないことは、今は考えない。そうなったらそうなった時に考えて対処するしかない。
 とにかく、一分でも一秒でも早くシューインの元へ…。
 レンは走った。
 いったいいくつ、仕掛けやトラップをくぐり抜けただろう。
 罠を解除する時だけは、走り疲れた身体を休めることができた。荒い息を収めることもできた。気持ちは急いていたが…。
 これだけの罠が仕掛けてあるということが、この先にある物の重要性を示唆している。
 その都度、レンは再認識する。自分が間違った道を進んではいないと。

 何階分降りたのかレン自身にもわからなくなってきた頃、遠くからガチャガチャと金属音を響かせながら複数の足音が聞えてきた。
 すぐにレンは、それが自分を追ってきた兵士たちだと思い定めた。それ以外考えられなかったから。
―― そういえば………
 シューインはどうしたのだろうか。
 まだ、牢に入れられたままなのだろうか。
 いや、それは考えにくい。
 あれほどの決意を秘めて旅だっていった彼だ。
 おそらく牢を破って、目的の場所へ………。

 そこまで考えた時、ふいに地面が揺れた。
 立っていられなくなるような、大きな揺れではない。
 だがレンは、その揺れの中に背筋がゾッとするような感覚を覚えた。
 今まで辿ってきた気の流れが、急に活発になったような気さえする。

 そして……同時に。

 その揺れと一緒に伝わってきた、この感じ……気配。

 確かに、彼の、シューインの気配だった。

―― ま……まさか……

 背後から迫ってくる足音がだんだん大きくなってくる。

 けれど、もう、なりふり構ってなどいられない。

 レンは、走った。

 必死に走った。

 ……微かに、音楽のようなものが聞える。

 目の前に大きな扉が見えてきた。

「シューイン!」

 レンは、その扉の中に飛び込んでいった……。






     − 第二十三話 END −





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