翼に変えて 第二十話・究極召喚1 |
まさに、紙一重のタイミングだったと言えるだろう。 レンがザナルカンドを出立した直後に、エボンの最終通達があった。 そして、ザナルカンド市民のガガゼトへの大移動が開始されたとほぼ同時刻、ベベルの大艦隊がザナルカンドの遥か沖合いに姿を現したのだった。 この時期においては最短が最適とは言えないというザンギンのもっともな主張のもと、レンの乗った飛空艇は、ガガゼトを越える最短コースではなく、山を大きく迂回するよう自動設定されていた。その途中、海上に出る。 そこで、レンは見たのだった。遥か上空からは、まるで一つの島にも見えるほどの、海上に浮かぶ黒い塊りの群れを。 「あれは、ベベルの……」 広い海原を埋め尽くさんばかりに大集結した、今までレンが目にしたこともないほどの大艦隊。これだけの船を投入してきたということは、ベベル側がいかにこの作戦に掛けているかが伺えるというものだ。おそらくベベルも今回の作戦で決着をつけるつもりなのだろう。 レンの乗った小さな飛空艇のことも察知されているはずだが、まるっきり無視するつもりのようだ。そんな些末なことは気にかける必要もないとばかりに。それとも、ザンギンからの使者という連絡がきちんと伝達されているのだろうか。……おそらくは前者だろうが。 その真の意味を悟った時、レンは冷たい汗が首筋を伝うのを感じた。けれど、もう今更自分にできることは何もない。万が一のことを考え、この飛空艇のザナルカンドへの通信回路はすべて切断してあるとザンギンから聞いていた。回路が開いているのは、目的地でもあるベベルとの交信だけである。 なにより。 いずれにせよ、ザナルカンドの終焉はもう避けることはできないことなのだ。 エボンの召喚か、ベベルの侵攻かの違いはあれ……。 「今は、私は私のできることをするために、私の行くべき所に行くだけ…」 ふと、気づき、レンは出掛けに急いで着替えてきた服を見降ろす。 二人の想いが通じ合った、あのコンサートで来ていた服を。 透き通った水の色に、シューインの瞳を思い出す。 取るものも取りあえず出発するという時、この服だけは置いておく気持ちになれなかった。 彼との一番大切な思い出が織り込まれた服だったから。 「うん、これが私の戦闘服だね。…さあ、行こう」 ベベル側とすれば、これ以上ないくらいの好機に乗った作戦のはずだった。 囚われの身となったシューインのスフィア映像を強引にザナルカンドへと送りつけ、それによって市民の動揺を誘い、さらに侵攻ルートを陸路から海路へと切り替え、それを悟られる前にとの、二重三重に練られた謀だった。 正規の大艦隊には不似合いの奇襲というべき攻勢ではあったが、ベベル側は自軍の優位に絶対の確信を持って進軍してきた。なんの障害もなく予定通りにザナルカンド沖合いにて集結できたのは、単にザナルカンド軍の意表を突いたからだと疑いもしなかった。 されど、ここから先は今までのようにはいかない。もうザナルカンドは目と鼻の先である。こちらの戦力を大集結させた艦隊を、ザナルカンドからもはっきりと視認できるほどの距離なのだから。 一気に押し寄せ上陸しようと逸る兵士たちを宥めつつ、指揮官らは慎重に進軍していった。それまでの戦闘経験から、彼らは慎重にならざるを得なかったのである。 なにしろ、ザナルカンドには召喚士がいるのである。彼らは、地理的配慮などまったく関係ない召喚獣を呼び出せるのだ。それまで何度勝利を確信して突っ込んで行き、召喚獣に返り打ちにされたかわからない。人外のものが投入される戦争においては、戦況を見定めるのは極めて困難を要するのである。 もっとも、密偵からもたらされた情報によれば、召喚獣を呼び出せるほどの力のある召喚士は、もはやほとんど残ってはいないらしい。長い戦争のせいで、ベベルにも僅かながらいた召喚士が、今では皆無になってしまったことからも伺い知ることができる。 しかし、そのことを楽観視できないことも事実だった。 なんと言ってもまだザナルカンドには、スピラ史上最高と呼び声の高いエボンがいるのである。そして、エボンには及ばなくとも、他の召喚士とは比べるべくもない彼の娘、ユウナレスカも。ひいては、彼女の夫ゼイオン将軍も未だ健勝であるらしい。彼に、戦場で痛い目に合わされた指揮官たちも多くいた。 それらの理由から、艦隊はしばらくは様子を見ながら海上を静かにザナルカンドへと近づいていった。相手の出方を待つといった、かなり消極的ではあるが的確な作戦でもあった。 だが結果的には、このことがエボンの思惑を助けてしまったことになる。ベベル艦隊が進攻に時間をかけてくれたおかげで、市民たちのガガゼトへの移動を何者にも邪魔されずに完遂できたのだから。 不必要と思えるほど用心深くザナルカンド沿岸へと近寄っていったベベル艦隊だったが、当然予想されたザナルカンドからの反撃があるでもなく、すんなりと接岸できてしまった。侵攻時の不可欠として威嚇射撃も行なっているというのに、さすがにここまで無抵抗無反応では、何かがおかしいと察せずにはいられない。 各指揮官たちは、まずは斥候部隊を次々と上陸させ、とりあえず様子を窺がうことにした。 そして、すぐさま戻ってきた兵士たちの報告に、顔色を変えるほど驚愕したのだった。 「人っ子一人見当たりません! ザナルカンドは無人の都市と化しています!」 「なんだとっ!」 さりとて、そのような信じられない報告を受ければ、まずは誰でも考えるだろう。 「罠かもしれない」と。 だが、ここまで来てしまった以上、立ち止まることなど論外である。罠と疑いつつも、軍を展開させるしかなかった。 「探せっ! これだけの大都市の人民が短期間に消え去ることなど不可能だ。必ずどこかに何か手がかりとなる痕跡があるはずだ!」 不可解な表情を隠しきれない兵士たちが、ザナルカンドの細部まで探索を始めたしばらく後、また新たに驚きの報告がもたらされたのだった。 本当に僅かではあったけれど、市民は居るには居た。しかし、死んだように眠っていて何をやっても起きないのだという。大声で呼びかけようが、叩き起こそうと少々手荒い扱いをしようが…。そのほとんどが年老いた者だということだが、若者も混じっているらしい。自宅で街角で、まるで突然倒れたかのような状態で眠っていたという報告だった。 エボンの呼びかけにほとんどのザナルカンド市民は同意し賛同した。が、そんな中にも最後までザナルカンドを離れるを良しとしない者たちもいたのである。 中でも、これまで生死をかけて戦ってきた兵士たちや軍関係者からは、当然のごとく反発の声が上がった。彼らにすれば、それまでなんのために戦ってきたのかと、自分たちの生き様を否定されるようなエボンの宣告だったのだから。 彼らを諌め説得したのは、ゼイオンだった。 彼は言った。 「我が市民たちが未知の世界へ旅立とうというのに、守り手もなく送り出すのか? いくらエボン様の導きだとて、皆不安を抱えているに違いない。それを共に旅立つことで守護しようという気概のある戦士は我が軍にはいないのか?」 そして、ゼイオン自身は妻であるユウナレスカと後に残り、もう間近に迫ってきているはずのベベル侵攻という後顧の憂いを断つことを約束した。例え百戦練磨の勇士であるゼイオンといえども、たった一人、いや、優れた召喚士であるユウナレスカと二人であっても、全勢力を結集して襲い来るだろうベベル軍に対抗できうるはずもない。そこまでの覚悟を尊敬して止まない偉大な将軍に突きつけられ、否やと抗う兵士は一人もいなかった。 他にも、ほんの一握りではあったが、もう充分に生きたのだからこのままザナルカンドと共に生を終えたいのだという老人たちや、いつの世にもいる常に反発せずにはいられない若者もいた。 思念波として送られ、また、ユウナレスカを介して伝えられたこれらの内容を、エボンは静かに了承した。反発して故意に身を隠した者たちでさえ、黙って見逃した。 表向きは、彼らの意志を尊重したかのようなエボンの振る舞いだったが、その実、最後の大仕事のためにはこういう確固たる意志を持った不協和音はむしろ邪魔でしかない。ただでさえ前人未踏の領域に踏み出そうというのだから、不安要素は少しでも少ないに越したことはない。 だから、彼の市民たちがすべてザナルカンドを離れたことを確認した後すぐ、エボンドームの地下深くに自分たちの出番が来るまで待機しているユウナレスカとゼイオンもろとも、強制的に眠らせたのだった。希代の召喚士たるエボンにとって、それくらいのことは造作もないことだった。 そして、時がくれば自ら目覚めるはずのユウナレスカにを信じて、後を託す……。 これでは、街中を探索してもなんの成果も得られない。ベベル軍の指揮官たちが焦りを感じ始めたそんな時、また別の情報がもたらされた。 ほとんどの家や建物は、ほぼ開け放しだった。日常生活そのままで、人だけがいなくなっているという状態だった。 けれど、ただ一個所だけどうしても入れない場所があるという。 それが、エボンドームだった。 何か不思議な力に包まれているようで、まったく近寄れないというのだ。 「この街はいったいどうなっているんだ!?」 どうにも八方塞りで、この重要な作戦を任されている指揮官たちはただただ途方にくれるしかなかった……。 一方、こちらはガガゼトのエボンである。 彼は一人、究極召喚の施行地と決めたガガゼト山中腹の聖泉の水上に座していた。 霊峰ガガゼトの中でも、この幻光の濃く融け込んだ聖泉以上に、究極召喚という大規模な召喚術に適した場所は他にない。 召喚の祈りに集中している彼の周りは、泉の水が真円を描くように緩く渦巻き盛り上がっており、まるでそこに水の台座でもあるごとく結跏趺坐 彼の脳裏の一部には、ザナルカンドの市民たちが細い山道をガガゼトへと登ってくる様子が映し出されていた。それもあと僅かで登りきることだろう。 また、彼にはベベル艦隊がザナルカンドへと到達したこともわかっていた。 今のエボンの精神はこれまでにないくらい研ぎ澄まされ、まるでスピラの空気の一部にでもなったようにあらゆるものを見通すことができた。もちろん人である器は変わらないのだから、森羅万象すべてを感知することなどできはしない。それゆえ、自分の見たいと思うもののみに限られてはいたが。 たとえ己の望むものだけだとしても、居ながらにして複数の事象を把握するなど、人知を超えた所業である。今までのエボンであったなら、さすがにそんなことまではできなかっただろう。 そう、エボンの究極召喚はもう既に始まっていたのである……! − 第二十話 END − |