その日から彼はブリッツに夢中になった。
遊び仲間に聞いて回り、ブリッツをやったことのあるメンバーを必死になって集めた。やはり人気のあるスポーツだけあって有志はすぐに集まったのだが、練習場所が問題だった。 本来なら、かなりの広さを有する彼の屋敷の敷地内で練習できれば何の苦労もないのだが、これまでの経緯からすれば、それもできた相談ではない。あれだけ反発していたのだから、今更、家の力に頼るというのは、それこそ虫が良過ぎるというものである。彼にもそれなりの意地があった。
さすがにスフィアプールはどこにでもあるようなものではなく、ここザナルカンドでさえプロたちが試合に使用する本格的なスタジアムは一箇所しかない。もちろん簡易式のプールならば、プロチームはそれぞれ独自に所有してはいたが、それらはチームに所属していなければ使えるべくもない。だから、彼らのような単なる同好の志、つまり素人は、普段は普通のプールや海、そして陸上での練習となる。 何かの出来そうな広い場所というのは、どこでもいつでも誰かが狙っている。場所取りは早い者勝ちという所もあれば、話し合いできちんと使用希望の日時を決める場合もあった。特に使用目的がある程度限定されるプールでは、話し合いは不可欠だった。当然ブリッツ関係が多いから、時には時間を合わせて他のグループと簡易ゲームを設定したりもできる。そうやって少しずつ輪が広がっていく。 せっかく広々としているんだからと、重なった最上層のハイウェイで練習をしていると、歩行の邪魔だと警備官らが追い立てにやってくる。他の層と違ってただ人が歩いてるだけなんだからいいじゃないか、と仲間たちと口々に不平を言いながら、渋々その場を離れたことも何度もあった。 そしてまた、他のブリッツのできそうな場所を探す放浪の日々。しかし、それでもまったく構わなかった。 やればやるほど、ブリッツにのめりこんでいく。どうして今まで知らずにいられたのかと不思議になるくらいだった。もちろん、ブリッツそのものは以前から知ってはいた。スピラで一番人気のあるスポーツなのだから。しかし、他の様々なことに目隠しされて、こんなに魅力のあるスポーツだということに今までは気づかなかったのだった。 仲間同士で何度もゲームもどきをやったり、練習したり。時にはプロのチームの試合を、憧れのスフィアプール付きのスタジアムまで見に行ったりもした。そうしているうちに、彼はごく自然に思うようになっていった。
『俺も、プロのブリッツ選手になりたい!』
彼が自分から将来の夢を持つのは初めてのことだった。今までは親に敷かれたレールの上を走り、それと気づいてからは、ただ反抗するだけ。具体的な夢なんて、考えたこともなかったのだ。それではダメだと頭では分かっていても、心の底から望む夢なんて、おいそれと見つけられるものではなかった。
やっと夢を持つことができた自分自身を、彼は、初めて好きになれたことに気づく。 『こんな簡単なことだったなんて…』 けれど、誰だってこんな簡単なことだからこそ気づきにくいのかもしれない、ということにも。
しばらくして、かつてのブリッツ仲間で既にプロへと巣立っていた友人から、ブリッツのプロチームを紹介された。その友人が所属するチーム、ザナルカンド北地区の「ザナルカンド・シークス」である。 通常、ザナルカンドにあるブリッツのチームはその広さから東西南北の4つに区切られ、更にそれぞれ3つにABCと振り分けられる。だが、北地区だけは彼の家のように広大な敷地を持つ家がいくつもあったため、他の地区よりも住人が極端に少ない。ゆえに、北地区だけはチームは1つだけであった。 一旦プロになってしまえば、その後の人気や成績いかんで他のチームへの移籍やスカウトは自由だったが、最初だけは自分の住んでいる地区のチームにエントリーするのが通例とされていた。 彼にとっては願ってもないことだっただけに、すぐにチームにエントリーさせてもらった。紹介してくれた友人と、他に仲間数人も一緒だ。それが、何よりも心強い。
両親は、そんな彼を一歩引いて見守っていた。自分たちの計画していた設計図からはみ出してしまった息子でも、毎日夜遊びをして目的もなくうろつかれるよりは余程マシと言わんばかりに。しかもブリッツのプロ選手となれば、それはそれなりに世間への体裁もかなり良くなる。それほどまでに、このザナルカンド、いや、スピラにおいて、ブリッツの知名度・浸透度は高いのだった。
元々の運動能力の良さもあったが、小さい頃から鍛えられていた抜群のリズム感も手伝って、彼はめきめきと力をつけていった。プロ集団に揉まれて、自分が急加速度的に上達していくのがわかる。はたからは、恵まれた体格と素質のおかげ、そしてきっと親のコネを使っているんだ、と陰口を叩かれたりもした。彼はそんなものには耳を貸さず、ひたすら練習に打ち込むだけだった。生まれて初めて、全身全霊を賭けたいと思えたことだったのだから。 毎日が楽しくて仕方なかった。だからこそ、なりふり構わずどんなことにでも体当たりでぶつかっていけた。 その甲斐あって、彼はチームに入団してからほんの数ヶ月でレギュラーデビューを果たすまでになっていったのだった。
デビューを控えた、その前夜。 彼の家に、チームメイトの一人、あの、チームへと最初に誘ってくれた友が彼を訪ねてきた。名をデイルという。デイルは彼に先んじてデビューしていて、既にチームの主要メンバーの一人となっている。 「デイル、どうしたんだ? こんな夜中に。」 家が家なものだから、彼の友人が自宅に訪れることはほとんどない。彼も無用に広いだけのこんな仰々しい家など、本当は友人に見られるのも嫌だった。けれど事実は事実なのだから、彼にはどうしようもない。ザナルカンドでは子が親から離れて暮らすのは、結婚した時か、死別した時しかない。 自分から訪ねてきたというのに、デイルはいつもの溌剌としたところがなく、ひどく沈んだ様子で何か言いよどんでいる。 「…あ…ああ、悪いな、明日がデビュー戦だっていうのに。」 「それは、いいけど…」 妙に歯切れの悪い態度から、何か重大なことを告げにきたのだと察せられる。 「俺の部屋、行くか? ここじゃ…」 「いや! いい、ここで!」 部屋へ促そうとした彼の言葉を遮り、デイルは意を決したように話し始めた。 「実は、俺…。明日、戦場に行くことになった…」 「なっ…!!」 彼は、言うべき言葉を見失ってしまった。
そう、今は戦時中だったのだ。 戦闘が遠く離れた場所で行われているがため、ついそのことを忘れてしまいがちになる。しかし、こうやって、ある日突然、自分の周りの人々がいなくなる。そうなって初めて、自分たちの国が戦争をやっていることを思い出す…。 機械戦争と呼ばれてはいても、機械は人がいてこそ動く。どんなに遠距離操作の可能な機械であっても。そして、人の命の失われない戦争は……無い。 本当は忘れている訳ではない。思い出したくないだけなのだ。自分たちが楽しく笑いあっている間にも、どこかで人が死んでいる。どこかで殺し合いが行われている。 そして、泣いている人が、いる。
その事実を。
一瞬にして干上がってしまったかのような喉を搾り出して、震える声で彼は尋ねた。 「…な、んで…?」 すまなそうな顔をして、デイルが告げる。淡々と。 「本当はこんな日に言いにくるべきじゃないんだろうが、急に明日出発ってことになっちまったんでな。でも、ちゃんと言えて良かった。何も言わずに行っちまったんじゃ、お互い夢見が悪いとこだったぜ。」 笑って…、もう二度と会えないかもしれないというのに、笑ってそう言うデイルの顔を見ていられなくなって、彼の方が深く俯いてしまう。 「デイル、…俺…」 「いいって。何も言わなくたって。お前が、こういうことには人一倍敏感だってことは、よぉっくわかってるからよ。親父さんの関係もあるからな。だから、気にすんなって。俺は、俺が納得したから行くだけだ。家族や友達を守りたいって思ったからな。それに、もうすぐ生まれてくるガキも、な…」 デイルにはもうすぐ子供が生まれてくることになっていた。つい先日、お腹の大きな幸せそうな奥さんに会ったばかりだったというのに…。 「俺は召喚士さまじゃねぇから、身体張って守りたいもんを守るしかないんだ。俺の力だけじゃ全然足りないかもしれねぇけど。それでも、守りたいって気持ちだけは、誰にも負けねぇ。」 「………」
『だけど、デイル。戦争ってのは、誰かを殺すってことなんだ。誰かが死ぬってこと、なんだ…。そして、それは、次は…お前かもしれない……』
言いたい言葉を、グッと堪える。 デイルの強い決意の込められた瞳を見ていたら、本当に何も言えなくなってしまった。 「お前にだけは、ちゃんと言っておきたかったんだ。チームのこと、頼むな。これからはお前がエースになって引っ張っていけよ。じゃあ…さよならは、言わないでおく。また、な。」 そう言って、去っていった友。 視界の向こう、門灯に照らされたデイルの背中が消えてからも、彼はその場から動くことができなかった。
ドンッ
やりきれない激情に任せて、脇の壁を握り固めた拳で叩く。ジンと痺れた手の感覚を、いっそ全身に回ってくれと願う彼がいた。この心まで痺れて何も考えなくても済むようにと。そんな弱い自分に、吐き気さえもよおしてしまうほどに…。 その夜、大事な試合の前だというのに、ベッドの中に入ってもまんじりともできない彼だった。
明けて、試合当日。
重い足取りで試合会場へと出向いた彼は、チームの登録メンバーからデイルの名前が消えていることを知った。マネージャーからは事務的に彼の私的事情でチームを辞めたとだけ伝えられた。けれど、彼と同じようにデイルと親しかった数人は事実を知っていた。決して自分たちからは話題に出すことはなかったが、チームのほとんど全員が事の真実を察していた。何故なら、こういうことは初めてではなかったから。 見て見ぬふりをする。己の精神安定を求めるためには、そうするしかないと、皆、自分に言い聞かせて…。
そして、試合が開始された。 今日の対戦相手は、ザナルカンド・ラグルス。荒っぽいことで有名なチームである。 前半、シークスは全体的に動きが悪かった。やはりデイルのことが少なからずチームに影響を及ぼしているようだった。彼は後半から出場することになっていたが、そんなチームメイトの様に次第に苛立ってきていた。 『こんなことじゃ、デイルに顔向けできない!』 ―― 頼むって、言われたんだ ―― これからは、俺がエースになれって! 結局、前半はシークスは無得点のまま終わった。いつものシークスらしくないだらしなさに、彼は前半の途中から顔をそむけ拳を握り締めていた。その拳は前半が終わるまで、ずっと小刻みに震え続けていた…。
後半に入り、彼が投入されてから試合の様相が一変した。
それまで動きの悪かったチームメイトを尻目に、彼はスフィアプールの中を縦横無尽に泳ぎ回った。憧れ続けてきたスフィアプールは、不思議なほど彼の身体に馴染んだ。とてもこれが初めてだとは思えないくらいに。 いくら動き回っても、疲れなど感じない。 『きっとデイルの思いが、このスフィアプールから俺に注ぎ込まれているんだ…』 そう思わずにはいられないほど。 本来なら、シュート確定率の高さから決められていたオフェンスとしてのポジションにいなければならないのだが、今日の彼はそんなことは当の昔に忘れ去っている。とにかくボールの来る所に、そして、来ると予想されるところへと先回りして、片端からボールを奪い相手を蹴散らしていく。そして、次々にゴールへとボールを叩き込む。 そんな彼にまるで覇気のなかったチームメイトたちも徐々に触発され、次第にチーム全体の動きも良くなっていった。目を見張るようなシュートがみごとに決まれば、観客たちも当然ヒートアップしてくる。 スタジアム全体が熱を帯び、近来、稀にみる熱狂的な歓声に包まれた試合となっていった。
ビーッ
試合終了のブザーが鳴り響く。 シークスは前半の大差を覆し、7対5で大逆転勝利をおさめた。 彼は後半からの出場にも関わらず、大量5得点を一人でたたき出していた。
鮮やかなデビューであった。
そしてその日から、ルーキーでもある彼が、名実ともにザナルカンド・シークスのエースとして認められたのである。
あれから、もうほぼ1年が経つ。
これまでにも、様々なことがあった。いきなり頭角を現した新人に、各チームが慌てて対抗策を練り、執拗な個人攻撃にあったこともあった。チームメイトと折り合いが付かず、一人孤立したことも一度や二度ではない。そして、必ず誰しもが経験するスランプ。それをなかなか抜け出せず、昔のように挫折しかけたりもした。 だが、今も尚、彼はシークスのエースとして活躍している。
しかし、やはりデイルは帰ってこなかった。
更に、あれから何人ものチームメイトが、固い決意の表情を浮かべてチームを去っていったことか…。もちろん、シークスだけではない。他のチームでも同様なのである。おそらく優秀なブリッツ選手は、戦場においては優秀な戦士足りえるのだろう。ただ、ザナルカンドでは本人の意思がなければ戦場に赴くことはない。強制されて行ったのでは、この戦争では戦力などになりはしないのだ。
大事な人を守りたい。
その思いだけで、皆、敵と、そして、自分の命を落としに行く…。
だからこそ、止めることなどできはしない。
今、こうしている間にも、きっとどこかで命が奪われ、落とされているのだろう。分かってはいても、日常の中に埋もれ故意に忘れ去っている自分がいる。そして、自分の身の回りの人々に直接関わってきた時に、再三、思い知らされる。 けれど、それも仕方のないことなのだろう。四六時中そういう考えに浸っているのなら、いっそ自ら戦場へと出向いた方がどれほど自己満足することか。
だけど、と彼は思う。 それも、本当の意味の解決にはならない。 そう、戦争そのものがなくならない限り。
戦争を吹っかけてきたのはベベルだとしても、ザナルカンドが受けて立ったのは事実であり、そしてそれを決定したのは、他ならぬ彼の父が議長を勤める<評議会>だった。 彼の預かり知らぬうちに勝手に起こされていた戦争ではあっても、その現場に在って実際に命を落としていくのは、戦争を起こした者たちではなく、彼と同年代の若者たちなのである。
戦場に送る側と送られる側。 戦争を起こした者たちと、実際に戦場で戦う者たち。
双方に深く関わる自分ではあったが、どうしてもそのどちらにも完全に同調できない彼は、形容し難いジレンマに、ただ、少しずつ心の奥深くを削り取られていくだけだった…。
そんな彼の心境を知ってか知らずか、ザナルカンドの夜景は今日も限りなく煌びやかで美しい。
− 第二話 END −
|