翼に変えて 第十七話・回天驚土2 |
乾ききって澱んだ空気が無機質に流れる薄暗い空間に、ガシャンガシャンと地響きと共に作業機械の重低音が聞こえてくる。 ここは、人のための区域ではない。 機械を優先に作られた、機械のために存在している、そんな場所だ。 日がな一日、耳をつんざく震動音に晒されて、話す相手もなく、こんな閉ざされた空間に一人取り残されていれば、正気を保てる人間などおそらく皆無だろう。 そんな場所に、シューインは幽閉されていた。 せっかく最下層まで辿り着いたのも束の間、ヴェグナガンの面前で囚われてしまい、ベベル廊地下のどこかにあるらしいこの監獄層へと強制的に放り込まれた。 潜り込んですぐに感じたことでもあったが、これが寺院の地下だとは到底思えないほどの機械設備である。宗教国家などと吹聴するくらいなら、いっそ兵器国家とでも開き直れば可愛げもあるもんだ、などと胸の内で悪態をつくシューインだった。 彼が入れられた独房は、他のそれと思しき部屋とは少し勝手が違っているようだった。他の独房は、入り口のみで窓がない。生きては出られない、そういう目的のために作られた完全な牢獄。むしろ、棺桶と言いきってしまった方がいいのかもしれない……。 対して、シューインの独房は頑丈ではあるが太い格子に全体を囲まれた作りで、四方八方から覗けるようになっている。逆を言えばこちらからも外の状態が丸見えなのだが、狭い、そう、まるで鳥かごの中の鳥にでもなったような感覚だ。 そして、他の独房には付いてもいない見張りが、常時2〜3人は張り付いていた。 ―― まるで極悪犯罪人扱いだな… まあ、ベベル最重要機密であるヴェグナガンに手を出そうとしたんだから、あながち見当違いという訳でもないか、と彼はまるで他人事のように思う。 他の独房の囚人たちと違い、シューインの場合、話す相手がいないということはない。日に何度も、ベベルの高官やら兵士やらが取り調べにやってくる。危惧していたこととはいえ、犯してはならない過ちを犯してしまったシューインは、悔恨の思いに身を焼きつつも、ベベル側の挑発には絶対に乗るまいと自分をきつく戒めて、頑として口を開こうとはしなかった。 そんなシューインの様子に、当然のようにゲルナ大僧正を始めとするベベル指導者たちは失望を隠しきれなかった。うずくまったままロクに顏も満足に見えないような映像をザナルカンドに送りつけたとしても、その効果は極めて薄い。ザナルカンドの誰が見ても、ブリッツのスター選手であるシューイン本人だと分からなければ意味がないのである。 業を煮やしたゲルナ大僧正が、監視役である兵士長へとそっと耳打ちする。 「スフィアに撮られているということを悟らせずに、なんとかして暴れさせるのです。あることないこと吹き込んでも構いません。どうせもう真実を知ることなど出来はしないのですから」 「……承知いたしました」 「なあ、ザナルカンドが降伏しないから、戦争が終わらないんだ」 大僧正に言い含められた兵士長自ら、尋問という形式ではなく、半ば罵るように語りかけた時、それまでピクとも動かなかったシューインが初めて反応した。 「違うって」 それまで、まるで貝のように固く口を閉ざしていたとは思えないほど、怒りの反論が返ってくる。 「そっちが攻撃をやめれば、すぐに終わるんだよ!」 ここまで顕著に反抗してくるとは夢にも思っていなかった兵士長は、返すべき適切な言葉がすぐには浮かばない。 「そんな手には乗らんよ」 彼がそんな言葉で適当に返事を返した途端、浮かされた熱がさっと冷めるようにシューインの口調が沈んでいった。 「おまえたち……」 先ほどまでの、激情にかられて口走った自分自身をも叱咤するかのように、 「いつか自分たちの武器で身を滅ぼすぞ」 そう言うと、シューインはがっくりと肩を落とし、再び元の位置へと戻って座りこんでしまったのだった。 「よくやりました、と言いたいところですが……」 嬉々として撮影したスフィアを持って、大僧正の元へと報告に行った兵士長だったが、返ってきた言葉は意外にも無情なものだった。 「これではまだ不充分ですね。このスフィアでは、この男がいかに絶望的な状況にいるのかが伝わってきません。それではこちらの意図を充分に果たすことはできないでしょう。それに、できれば工夫してこちら側の声も入らないようにして下さい。必要なのは、この男の絶望の言葉だけが入ったスフィアなのです」 更に困難な条件をつけられて、兵士長は報告に来た時とは正反対の気落ちした様子で応える。 「……わかりました…」 一度声を荒げてしまったからだろう。それからのシューインは、なかなか兵士長たちの挑発に乗ってはこなかった。なだめてもすかしても、彼はあいも変わらず顏を伏せたまま、じっとうずくまったままだった。 だが、彼らとてここで諦める訳にはいかない。執拗に、手を変え品を変え、部下の兵士たちと入れ代わり立ち代わり、なんとかこちらの餌に興味を示すよう問い掛け続けた。 と、ある事を話題にした時に、かなりうろたえたようにシューインが顏を上げたのだった。 「そう言えば、なんて言ったか、ザナルカンドには女の召喚士がいるらしいじゃないか? 歌姫としても有名な……」 おそらく自分でも気づかずに声を洩らしていたのだろう。 「……レン」 「ほぉ、レンというのか、その召喚士は…」 「…………」 自分の失言にすぐに気づいて、シューインはまた口を閉ざす。 しかし、やっとの思いできっかけを掴んだ兵士長がそれを見逃すはずがなかった。彼にしても土壇場なのだ。大僧正御自らの命令を遂行できなければ、せっかく兵士長の地位まで這い上がってきたこれまでのすべてが水の泡になってしまう。 ―― ここで失敗する訳にはいかないんだよ 兵士長は、彼がいかにも食らい付きそうな話をでっちあげることにした。 「これは極秘情報なんだが、その歌姫とやらが使者として、ここベベルに来るらしいな」 「まさかっ!?」 あまりにも明解な反応に、兵士長は胸の内でほくそえむ。 「ふん、そうか、有名な歌姫らしいからな。おまえもそのファンの一人ってことか」 「……いや、レンは……」 考えて喋っているのではない、つい、ポロリと零したような口ぶりに、おや? と兵士長は意外に思う。ファンではないとなると、……あとは……もしかしたら恋人だろうか。いや、幼馴染・単なる知り合い・親族ということだってあり得る。 考えた末、ここは冒険かもしれなかったがカマをかけることにした。 「……なるほど、そうか、そりゃあ心配にもなるだろうなあ。だから、そのレンとか言う召喚士は身の危険を冒してまで使者の任を引き受けたのか…」 そこまで言って、そっと牢の中を窺がう。シューインは暗がりの中でも鮮やかな金の髪を激しく揺らしながらしきりに首を振っている。耳を凝らすと「そんなはずはない。そんなはずは…」と呟きを繰り返しているのが聞えてきた。 完璧に的を得ていたことを確信した兵士長は、シューインに悟らせないように銃に仕込んだ撮影用スフィアでの撮影チャンスを狙っている、自分のすぐ後ろに控えている部下へと目線で合図を送る。 「この報告を聞いてから、だいぶ時間が経ってるからな。まだこの地下までは連絡は来てはいないが、もしかしたらもう既にベベルに到着しているかもしれないな。おまえのこともあって上層部はかなりイラついている。さて、どうなることか…」 それを聞いたと同時に、怒りに燃えた瞳でシューインが立ち上がった。 直後、兵士長は、カチリというスフィアのスィッチが入る微かな音を真後ろに聞いた。 「後悔なんてしてないからな! 俺、間違ってない!」 シューインは、目の前の檻に掴みかからんばかりに大声を張り上げる。 「なあ、聞えてるんだろ? あいつがあんたの彼女だったらどう思う?」 しかし前回とは違い、ゲルナから厳命された兵士長は聞えてはいても応えるつもりは毛頭ない。 「あんたらの機械兵器使って、どこが悪いんだよ! 召喚士を守るためには、ああするしかなかったんだ!」 あれだけ煽っておきながらまったく応えようとしない相手に、シューインは次第に焦れてくる。 「自分ならどうするか考えろよ!」 ここまでくれば、また、敵の術中に嵌ってしまったことは分かってはいたが、シューインはもうそんなことはどうでも良かった。 なぁ、と懇願するように、 「出してくれよ!」 今、願うのは、ただ一つのことだけ。 「あいつに……会わせてくれ」 ―― もし、本当にレンがここに来ているのなら…… 嗚咽が混じりそうになるのを必死で堪えていたシューインだったが、結局最後の哀願も無視されたことを知ると、力無く元の位置に戻っていった。 チッと背後でスフィアのスィッチが切られる音を確認してから、兵士長はやっと口を開く。しかしこの時の彼は、思いの他、事が上手く運んだことにすこぶる気を良くしていた。 だからつい、口がすべってしまったのだ。 「感謝するよ。おかげでいい映像が撮れた。これを見たザナルカンドの奴らの反応を見られないのが残念なくらいだな」 シューインの瞳が驚愕で見開かれる。まさか今の醜態をスフィアに撮られているなど、頭の片隅でさえ過ぎりもしなかった。悔しそうに唇を噛んでみても、もう後の祭りである。 「ああ、そうだ。最後にいいことを教えてやろう。さっきの歌姫の話はな、まるっきりのでたらめだよ。使者など、今頃派遣してくるはずなかろう?」 おかしくて仕方ないとばかりに、ご満悦の大笑いを残して、兵士長は大僧正へスフィアを渡すためにその場から去っていった。 後に残されたシューインの瞳の色が、その寸前までの暗い絶望の宿ったものから、怒りと僅かな希望に燃え始めたことも知らず・・・。 捕らえられ牢獄の中にあっても、シューインはヴェグナガンによるベベル壊滅を諦めていなかった。必ずこの牢を脱出してやると、蹲って気力の萎えたフリをしながら、虎視眈々と見張りたちの隙を窺がっていた。だが、レンがベベルに来てしまっていれば、ヴェグナガンを発動させることも適わないと、為す術もなくうろたえたがための先ほどの醜態だった。ヴェグナガンを発動させてその結果我が身がどうなろうと知ったことではなかったが、レンを巻き込むことだけは絶対にあってはならない。 ―― レンがこのベベルに来ていないのなら ―― ここを破壊し尽くしても、何の問題もないってことだ ピンチの後にはチャンスあり。 仕掛けた罠が成功して、相手に油断の出来やすい今がチャンスだ。 一つの失敗を次の成功に結び付けようと、ブリッツで鍛えられた鋭い感覚を研ぎ澄ますシューインだった。 ゲルナ大僧正は、至極ご機嫌だった。 「よくやりました。このスフィア映像なら、ザナルカンドの者たちもおおいに慌ててくれることでしょう」 「はっ」 ゲルナと同様、功績を認められた兵士長の声も弾んでいる。 「早速、この映像をザナルカンドへと送信するよう手配するとしましょう」 そして、チラリと自分の前で跪いている兵士長へと目線を流し、満足そうに一つ頷いて大僧正はのたまった。 「おまえの名前は?」 手柄を立てて高官から名を聞かれるということは、名誉であると同時に、昇進をも約束されたと同じことである。当然、期待のこもった声音で意気揚揚と兵士長は答える。 「はっ! ベイ・グランと申します」 「わかりました。きっと近いうちに朗報があることでしょう」 「ははっ!」 しかし、ベイ兵士長にとって不幸なことに、その約束が果たされることはなかったのである。 砂煙巻く荒野。 ここは後世「ナギ平原」と呼ばれるようになる。 だが今はまだ、戦乱の跡は濃くともマカラーニャから続く森も小川もある、ごく普通の名も無い平野である。霊峰ガガゼトを後ろに控えるがため、こたびの戦争で幾度となく戦場となり、見るも無残な姿を晒してはいたが……。 「おかしい……」 この平野の奥、ガガゼトへと続く山道の入り口にあたる場所に、ザナルカンドの文字通り最後の砦があった。そこに陣を構えてベベルを迎え撃っていた、むしろその人こそが最高最後の砦たるゼイオン将軍が、陣の最前面に仁王立ちになり誰に言うともなく呟いていた。その表情は、いかにも不機嫌そのものである。 ゼイオンは苛立っていた。 この一両日というもの、あれだけ執拗に攻撃を繰り返していたベベルが、まったく戦闘を仕掛けてこなくなったのである。 一応、平野の対極に位置する敵の陣はそのままではある。こちらの砦と違い、いかにも間に合わせの名ばかりの陣ではあったが。 通常ならば、単なる作戦変更か、はたまた様子を見ているだけだと考えるだろう。 けれど、敵がさっぱり攻撃してこなくなってからというもの、戦場における常勝将軍の勘が彼に警鐘を鳴らし続けていた。が、確たる根拠がなければ、陣を引き上げるわけにはいかない。 ―― これは、おそらく最後の戦いになるのだから…… ゼイオンにとっても、そして、ザナルカンドにとっても。 ―― いっそこちらから攻め入ってみるか しかし、万が一これが罠であれば、ザナルカンドにとって最後の防衛線であるこの砦を突破されてしまう危険性が高くなる。 動くに動けないこの状況に、ゼイオンのジレンマは増すばかりだった。 その時だった。 『……ゼイオン……聞えますか?……』 唐突に、彼の頭の中に声が響いた。それは彼が紛うはずのない、愛しき妻・ユウナレスカの声だった。遠隔地に思念を送るなどということは、誰にでもできることではない。エボンやユウナレスカほどの召喚士だからこそ可能となる。それでも一人では不可能なためエボンの補助を受けながらでないとできないうえに、多大な体力と精神力を消費してしまうため、めったなことではユウナレスカも使うことはない。 そう、余程のことがない限り。 『ユウナレスカ。何があった?』 ゼイオンは目を閉じ、ユウナレスカの思念波に自分のそれを同調させようと意識を集中させる。 『ああ、良かった。無事だったのですね、ゼイオン』 『無論、私は大丈夫だ。それよりザナルカンドに何かあったか?』 『…はい。ゼイオン、いよいよです……』 『!!……では…』 『ある…ことがあって、お父様はとうとう最後の決断をされました…』 『……そうか、エボン様が……』 『ですから、ゼイオン。すぐに戻ってきてください、ザナルカンドへ』 『しかし…。今、私がこの場を離れるわけには……』 『それも大丈夫です。ベベルは海路へと侵攻手段を変えました』 『な、にっ?!』 『お父様が、そうおっしゃいました』 『……そうか、では、ここにあるベベルの陣は……囮か…』 『………ゼイオン』 『わかった! すぐにそちらへ向かおう』 『…できるだけ急いでください。もうあまり時間がないのです…』 『承知した』 そこで無言の会話は終わった。 無理な力を浪費する遠隔通信で、今頃ユウナレスカが倒れてしまっているのではないかという心配がゼイオンの脳裏を過ぎる。だが、今はまだどうすることも出来はしない。 ゼイオンは勢いよく振りかえり、砦全体に聞えるほどの大音声で言い放つ。 「皆、よく聞けっ! ベベルは進路を変更した。確かな情報が今入った。あれは囮として残っているだけの陣だ。中は、おそらくもぬけの殻だろう。我々は即刻ここを引き払い、ザナルカンドへと帰還する!」 ゼイオンの呼びかけに徐々に近くに集まってきた兵士たちの間から、不審のどよめきが起こる。突然そう言われても、すぐに理解しろという方が無理というものだろう。 「皆の気持ちは解る。私とて、例え砂上の楼閣であろうと、これまで必死に戦ってきたのだから、できるなら敵を叩き潰してから帰りたい」 ゼイオンの言葉に同意の空気が流れる。 「しかし、我がザナルカンドに危機が迫っているのだ!」 一瞬にして、兵士たちの雰囲気が引き締まった。 「急ぎ戻るぞ、ザナルカンドに!」 その頃ザナルカンドでは、ユウナレスカの言葉通り、最後の選択が為されようとしていた……。 − 第十七話 END − |
○あとがき○ |