翼に変えて 第十六話・回天驚土1 |
「何故、いつまでたってもザナルカンドに侵攻できないのかっ! いったい軍は何をぐずぐずしているのです!」 「そっ、そうは申されましても、ゲルナ大僧正様。敵も必死なのでしょう。あそこを突破されれば、もう後がないのですから」 「だからこそ申しているのです! 窮鼠、猫を噛むの例えもあること。追い詰められた輩はどんな愚行にでるかわからないのですよ!」 静謐な空気に満たされているはずの、ここベベル廊に大音声がこだましている。 いつもは物静かに、各地から集まってくる信者たちに向かい高説をぶっているゲルナ大僧正が、声もあらわに下僧たちに怒鳴りちらしていた。まだ、信者たちが入廊を許されていない時間だからこその、いわば醜態を存分に晒していたのである。 ベベルの最高位である大僧正の地位に在るゲルナは焦っていた。 これ以上戦争が長引けば、従順につき従っていた信者たちも、ことの真実に気づくかもしれない。ベベル側では「聖戦」と呼んでいる、この戦争の本当の意味を…。 無欲を至上の教えとする宗教都市ベベルの、いかにも俗世的な野望を……。 このところ、信者たちの間にこの戦争に対しての不信感が募り始めてきていた。ひいては、戦争を起こしているベベルそのものへ。とりあえずこれまでは、ベベルに属する全宗教・全僧侶を説得に動員して「諸悪の根源はザナルカンドにあり」と、かろうじて言い逃れられてはいたが。 開戦当初の頃は、「聖戦」に参加することを至上の喜びとして、いくらでも集まってきていた信者たちも、戦争が長引けばそれだけ戦死者や戦傷者も増えてくる。敬虔なる信者といえど、残された家族や知人たちから寄せられる悲哀の訴えが、日々増加の一途を辿っていた。 つい先ごろ陥落させたアルベド族の都市アルカナの一件も、このことに深く尾を引いている。 結論からすればベベル側の完全勝利なのだが、アルカナという強大な都市を陥とすために費やした時間と犠牲は、まだ後に控えるスピラ一の都市ザナルカンド侵攻という最大目的に、大きな影を落したのだった。
「ザナルカンド軍は、ガガゼト手前の深い谷に堅固な要塞を一夜のもとに築き、徹底抗戦の覚悟のようです。しかも、今までは戦場にはあっても前線にはめったに出て来ることのなかった、ザナルカンド一と言われるゼイオン将軍が陣頭指揮を取り、自ら最前線に出て我が軍を蹴散らしております」 僧服の中に一人だけ場違いな戦士服の一兵士が淡々と報告する。伝令の任務を帯びたその兵士は、頭を垂れ膝まづいたまま戦場の様子を伝えていた。 「むう・・・。ゼイオン将軍ですか……。彼の名声は、このベベルにも伝わってきています。なるほど、それが手こずっている一番の理由ですか」 「はい」 兵士の返事も聞こえていないかのように、ゲルナ大僧正は渋い顔で考え込んでしまった。 ベベルの総責任者といえど、戦略に関しては素人も同然の彼である。それゆえ、今までは兵士となった信者たちに激を飛ばしはしても、実際の戦略にあれこれ申し立てることはなかった。戦闘に関しては、それなりのプロを配してあったから、その必要もなかったのだ。今までは。 しかし、長い戦争の中にあって、疲弊しているのは何もザナルカンドだけではない。ベベルも同様なのである。合法・非合法、あらゆる手段を使って、勝利目前まで来ているベベル側の方が、滅亡寸前のザナルカンドよりも心理的に追い詰められていると言っても過言ではなかった。 「聖戦なのだから、負けるはずはない」「勝って当然」と宣託し続けて犠牲を強いてきた信者たちも、厚い信仰心がため抑えつけてきた不平不満が、もう爆発寸前のところまできている。 日々、大僧正の名のもと彼らに託宣している身だからこそ、それらを直に感じ取り、大きな焦りを抱くのはもっともなことだった。 「その要塞を突破したとしても、まだガガゼトを越えなければならぬのでしょう? あの堅物のロンゾ族が守護している…」 「はっ。その通りかと…」 「うむむ。いずれにせよ、やっかいなことには変わりないということ…。あの最終兵器が、我らの思い通りに動いてくれれば何の問題もなかったものを……」 ゲルナは文字通り頭を抱えてしまった。 ―― いや、ことここに至っては、もう考えてもせん無いことですね… そして、決断を下す。 「ならば、海路からの侵攻に切り替えるよう、軍司令部にお伝えなさい。アルカナ侵攻時に建造した船がまだ多数残っていたはず。それらをすべて使用しても良い。私が許可します。もう一刻も猶予はないのだと、必ず伝えるように。いいですね?」 それまでの荒げた声とは一転、そら恐ろしいほどの優しげな声音でゲルナ大僧正は最終選択を告げた。 「はっ! 必ず!」 一礼の後、足早に去って行った伝令の兵士を見送りながら、大僧正が酷薄な笑みを浮かべるのを、傍に控えていたお付きの僧たちは、ゲルナと同様の面持ちで見守っていた。 その時、典雅なベベル廊に似つかわしくない、けたたましい警報音が鳴り響いた。 「何があったのですかっ?!」 せっかく大事の決断が一段落したというのに、またもや騒々しさに煩わされて、ゲルナ大僧正は不機嫌な表情を隠そうともせずに問い質した。だが、その場にいた僧たちは、「なんだ」「何ごとだ」と、ただわけもわからず右往左往するばかり。下僧たちが頼りにならぬことは分かりきってはいたが、余りの小心さに舌打ちしたくなる大僧正様だった。 そこへ、バタバタと慌ただしく警護の兵士が駆け寄ってきて、大僧正の前で膝まづいて報告する。 「侵入者です!」 「な、に?」 一瞬、驚いたように片眉を釣り上げる大僧正。 その様子に、兵士はいかにも身を縮めるようにして報告を続けた。 「し、しかも、既に最下層近くまで潜りこまれておりました」 「ほう、それは……」 驚きのその上に意外さの表情も貼り付けて、しかしすぐにゲルナはいかにも退屈そうに言い放った。 「どうせまた、いつものザナルカンドの密偵でしょう。今はザナルカンドへの大攻勢のために、少々警護が手薄になっていましたからね。その隙をつかれたのでしょう。本来なら許されることではありませんが、今回ばかりはそれも仕方のないことです。ですが、最下層に辿り着く前には、……わかっていますね?」 そしてそのまま、その場を去ろうとベベル最高位を示す金色の衣の裾を翻して背中を向ける。が、その耳にまたもや兵士の呟きが聞こえてきた。 「それが……」 いつもならすぐさま肯定の返事が返ってくるところを、その兵士は珍しく言い澱んでいた。 「どうしました? 何か変わった獲物でしたか?」 ほんの少し興味をそそられて、ゲルナは再び兵士の方に向き直る。 「はい。それが、今回潜入しているのは、どうやらザナルカンドの有名なブリッツ選手のようでして・・・」 「ブリッツ選手? 何故、そんな人物が密偵などを? 戦場でならば、優秀な戦士足りえるだろうことはわかりますが・・・」 不可解とばかりに眉をしかめていた大僧正は、すぐににんまりとほくそえんだ。 「それだけザナルカンドも人材不足ということかもしれませんね。いずれも同じということですか。まあ、いいでしょう。だからと言って、こちらが打つ手に変わりはありません」 「はっ」 それが最終指令と承諾した兵士が、一礼を残しその場を去ろうとした時、再び大僧正の声がかかった。 「お待ちなさい」 「はい?」 兵士が振り返って見た大僧正は、なにやら意味ありげな笑いを浮かべて言った。 「このベベルにまで知れ渡っているほどの有名な選手ともなれば、ザナルカンドでは知らぬ者はないほどの選手なのですね?」 「はい、おそらく」 「ふむ、それは面白いかもしれません。指令は変更です。そのブリッツ選手とやらを捕らえて、牢にお入れなさい」 「は? 牢に、ですか?」 ここ、ベベルにおいて、特にベベル廊下層階への侵入者は、即座に射殺と厳命されている。 「そうです。そして、その様子をスフィアに撮って、映像をザナルカンドに送りつけてやるのです」 その言葉を聞いた途端、二人の周りで息をつめて状況を見計らっていた大僧正取り巻きの僧たちが褒めそやし始めた。 「なるほど! さすが大僧正様!」 「スフィアに映ったそのブリッツ選手を見せて、ヤツらの動揺を誘うわけですな」 「陸路から海路へと進路を変更する我が軍の、いい牽制にもなりますな」 「これこそ、二重の奇策。いや、さすがでございます」 偶然思いついた謀(はかりごと)ではあったが、確かにかなりの効果が期待できそうであった。 大僧正は、至極ご機嫌に兵士へと言い渡す。 「良いですね? 必ず捕らえて、本人には気づかれないようにスフィアを撮影するのです。これは、最優先事項です」 「はっ!」 はぁっ、はぁっ、はぁ………。 自分の苦しい息遣いが聞こえてくるほどの静寂の中、シューインは一人、アンダーベベル最下層にいた。ここまで何度か見つかりそうになり危ない時もあったが、ザナルカンドで極秘裏に手にいれていたアンダーベベルの見取り図が多いに役立ってくれていた。 それに、彼が危惧していたよりも見張りの数が少ないように思える。 最初は「罠かもしれない」と慎重に慎重を重ねていたシューインだったが、どうやら前情報よりも確実に見かける兵士たちの数が少ないようだ。隠れた状態で見た、限られた範囲内ではあったが。 長い戦争のために、その絶対数が減ってきているのはどうやらザナルカンドだけではないらしい。 しかし、最下層に近づくにつれ、そうも言っていられなくなってきていた。さすがに、最重要機密扱いされている兵器が隠されているからなのだろう、見張りの数も階を追うごとに増えてきている。 何度、「もうだめだ、見つかる!」と思ったかしれなかった。 それでも、なんとか窮地をくぐり抜け、見取り図の示す目的地まですぐそこというところまで辿り着くことができた。 静かな興奮がシューインを満たしていく。 ―― もうすぐ、もうすぐだ… 目的の物がすぐ手の届くところまで来ている極度の期待感が思考を鈍らせたのか、シューインは気づかなかった。 この最下層に着いてからというもの、見張りの姿が皆無だったことを………。 細心の注意を払いながら、シューインはこれが最後と思われるドアを開けて入っていく。 これが地下とは思えないほどの広い空間。 そこには ―――― ベベルの最終破壊兵器。 予想以上の巨大な化け物 ―― ヴェグナガン ―― が、いた。 たかが機械であるはずなのに、それの持つ圧倒的な存在感に気圧されそうになる。 けれどシューインは、逢いたくてたまらなかった恋人にでも逢えたごとく、醜悪な外見の巨大兵器へと吸い寄せられるように近づいていった。 もう周りのことなど目に入りはしない。 それでも、一瞬、何かの気配がした気がして、あたりを見回してみる。が、やはりそこにはシューインとヴェグナガン以外、居るはずもなかった。 更に近づいていき、ほっと一息つくように、改めて目の前の巨大な異物を見上げるシューイン。 自分でも知らぬうちに、思いの丈が、言葉がほとばしっていた。 「おまえがレンを助けてくれるんだな?」 おそらく顔にあたる部分なのだろうか、何を模したのかも分からぬほどの人類最悪の敵であるはずのその機械は、まるでシューインを待っていてくれたような穏やかな表情さえ感じる。 カシャン 小さな音が聞こえた。 シューインは、ハッとして後ろを振り返る。 だが、やはりあたりには誰もいない……何の異変もない。 ―― ……気のせいか? おそらくこの時の彼は、必死に目指していた目的の物にやっと到達したことで、完全に舞い上がっていたのだろう。ベベルでもっとも厳重に監視されているはずの殺戮兵器が、無防備に近づけるはずがないということを、思い当たりもしなかったのだから。 シューインの目的が、自分を破壊しに来たのではないということを鋭く感知していたのか、機械としてあるまじき感覚を備えてしまっているヴェグナガンは、ただ静かにそこに在るだけだった。 更に、一歩。 ヴェグナガンに近づく。 その時、ヴェグナガンを除けばシューイン以外いなかったはずの空間に、激烈な声が飛ぶ。 「そこまでだ!」 驚愕と絶望と。 同時に脳裏に浮かび上がらせて、再度振り向いたシューインがそこに見たものは……。 ガチャガチャと撃鉄音を鳴らしながら、自分とヴェグナガンを完全包囲している、銃を構えたベベル兵士たちの幾十もの姿だった。 − 第十六話 END − |
○あとがき○ |