翼に変えて 第十三話・時の鳴動3 |
一度瞳を開いた後、半日ほどしてからレンは再び目覚めた。 彼女の親友で同じように寺院に世話になっているというマリサに、一度帰った方がいいと言われ一旦はその気になりかけたシューインだったが、レンが召喚士であるという重大な事実に気づいてしまったからには、そのまま帰る訳にはいかなくなってしまった。 ―― せめて、レンの口からもう少し詳しいことを訊きたい… 彼と交代しようと戻ってきたマリサに丁寧に断りをいれてから、眠り続けるレンの横顔を見つめながら、シューインは自分の考えを少しでも整理しようと努めていた。 レンが深い眠りから未だ重い瞼をうっすらと開いた時、彼女のベッドの枕元に頭を寄せてうたた寝しているシューインの金色の髪が、真っ先にその瞳に飛び込んできた。 目覚めたばかりのレンを、窓からやさしくそよいでくる風のような爽やかな思いが包む。自力でまだ頭を動かすことも出来ないほど疲れきっていても、それだけでいっぺんに癒されてしまうと思えるほどの新たな力が湧いてくる。 「シューイン…」 すぐ横に置かれた彼の手の上に、苦労してほんの少しだけ動かすことの出来た自分の手を添えて、小さな声で名前を呼んでみる。 さらりと金糸が揺れて、隠れていた彼の顔が見えた。長い睫毛が小さく震えた後、静かに開かれていく。そこに現れた海色の瞳がしばらくさまよって、レンの瞳と間近に見つめ合った。 互いの瞳の中に、恋しい人の笑顔を映して。 「おはよう、レン」 「…おはよう」 目覚めたとはいっても、レンの極度に失われた召喚の力がすぐに戻ってくることはない。体力の回復とともに、じっくりと時間をかけなければならなかった。けれど最初の昏睡の時期が過ぎれば、後は横になったままでも話をすることくらいはできる。その時間を利用してシューインとレンは、二人の間の絆をより深めんとばかりに話し続けた。 レンがこれまで生きてきた道程。 シューインの過去の軌跡。 今までどんなことを思い、感じてきたのか。 どれだけ話しても、尽きることのない会話。 始めのうちはレンの体調を心配していたマリサも、これまでの時と違いよく笑いしゃべり食べる彼女の様子から、かえってこの方が回復も早いだろうと諦めて見守ることにしていた。なにより、はたから見ている方が照れてしまいそうなほどの、こんなに蕩けるような笑顔のレンを見るのは初めてのことだったから。そしてまた、いつも対外的なクールな笑顔しか見せないシューインが、これほどまでにあたたかい優しそうな表情をするなんて、思いも寄らないことだったから。 ゆっくりと穏やかに、二人の歴史が綴られる。 時にはお互いの辛い過去に涙して…。 シューインがブリッツを始めたキッカケとなった「歌」の話になった。 それを聞いたレンが、ベッドの中で驚いたように言う。 「それ……。私だよ…きっと」 コックリと頷くシューイン。 「うん。たぶん、そうじゃないかって思ってた。ここの礼拝堂でレンの歌を聞いてから」 「それじゃもしかして、あの時、ブリッツボールを蹴ったのが……シューイン?」 「ああ」 はぁ〜っ、とベッドに横になったままのレンがため息をついて、天井を見上げる。 「なんだか…不思議だね。あの時、キミはブリッツを見つけて、私は歌への迷いから抜け出せた」 「そうだね」 優しく微笑み頷いたシューインをチラリと見てから、レンはクスッと笑って言った。 「こんなこと言うと、キミは笑うかもしれないけど…」 「いや、笑わない」 「え?」 即答でかえってきた返事にキョトンとするレンの頬に手を当てて、シューインが顏を静かに近づけていった。 「俺も、同じこと考えてたから…」 二人の間に紡がれた言葉を、そっと飲み込んで熱く触れ合うくちびる。 ―― きっと、運命だね… 日一日と、レンは驚異的な早さで回復していった。倒れてからまだ四日目で、もう自分で起き上がり、少しの間なら歩けるまでになった。ここまで回復するのに、これまでの半分ほどの期間しか要していない。前回倒れた時は、歩けるようになるまで一週間以上もかかっていた。しかも、今回は今までで一番疲労の度合いが酷かったというのに…。 言うまでもなく、それはシューインのおかげであることは間違いなかった。 大切な人に自分のことを知ってもらう喜び。 好きな人のことを話してもらう嬉しさ。 互いの距離が確実に近づいていくという実感が、楽しくて楽しくて。 弾む会話に疲れての心地よい深い眠りが身体の疲労を癒し、一番愛しい人に常に傍に居てもらえる安心感で心が癒える。食事を運んでくれるマリサがビックリするほどレンの食も進み、体力も目を見張るほど回復していったのだった。 その四日目の夕暮れ、レンは寺院の庭をシューインに支えられてではあったが自分で歩けるまでになっていた。 ふと、シューインは立ち止まり、それまで微妙に避けていたレンが召喚士であるという話をようやく切り出す。 「レン…。君は、召喚士…なんだね…」 ハッとして、シューインの顏を覗きこむレン。 「………うん…」 そこで、レンは自分からシューインから離れて、一歩二歩とゆっくりと一人で歩いていく。まだ少々ふらつきながらも、しっかりとした足取りで。 「黙ってるつもりはなかったんだけど、とうとう分かっちゃったかぁ」 心配そうにレンを見守りながら、シューインが呟く。 「俺が、鈍過ぎたんだ。歌姫レンが召喚士だってことは、誰でも知ってることなんだから」 シューインが己の不甲斐なさに苦さを感じるように唇を歪め、俯き加減に横を向く。 「でもね…」 レンが立ち止まる。 「歌姫レン、じゃない私を、好きになってくれたこと…」 レンの背後の空が、少しずつ少しずつ茜色に染まっていく。 「すごく…ね」 バッと顏を上げ振り向いたシューインの視線の先に。 「嬉しかったんだよ?」 幾筋ものたなびく薄雲を朱紅 幸せそうに微笑むレンの姿があった。 レンは日々「歌」を歌う。 傷つき倒れた人のために、友を親を子を亡くした人の悲しみを癒すために。 悪夢にうなされる人々に、安らかな眠りを届けるために。 いつしか、ザナルカンドの人々はレンの名と歌を知らない者はいないほど。 深く静かにレンの安らぎの歌が浸透していった。 しかし、レンはずっと心を痛めていた。 自分が歌っても戦争は終わらない。 悲しみはなくならない。 自分の「歌」では、ほんの一時の癒しを与えることしかできない。 それでいいんだと言い聞かせても、どんどん膨れ上がる無力感。 よりどころのない頼りなさ。 そして、コンサートでさえも何かに利用されていると知った時。 レンの苦悩を払拭してくれた、あのブリッツボール。 あれ以来、全部吹っ切れた。 どんなに僅かな癒しであろうと、何に利用されていようと。 自分に出来得ることを、最善を尽くしてやるしかないということを。 そして今、恋を知って、彼女は更に強くなった。 召喚士として、これまでもこれからも彼女には様々な苦渋の選択があるのだろう。 けれど、レンは何があろうとそれらを受け入れ、乗り越えていこうとしている。 たとえ彼女自身が、自ら戦場へ行くことになったとしても…。 その、迷いのない微笑みが、すべてを物語っていた。 レンの微笑みの中に、一瞬にして彼女の覚悟を知ったシューイン。 そして彼もまた 新たな決意の微笑を彼女へと向ける。 同じ朱の色を映す、強い光に彩られた瞳で。 ―― だったら俺は、精一杯レンを守ってやる! ―― 俺の、出来る限りのことをしてでも… その夜、二人は初めて、お互い自身を一番近くで感じ合った……。 翌日シューインは、レンが倒れてからというものずっと篭りっぱなしだった彼女の寺院をやっと後にした。 だいぶ回復はしたものの、まだ完全ではないレンの状態に多いに後ろ髪を引かれながらも、彼もプロのブリッツ選手である以上、チームのことも気がかりだったのである。 とりあえず緊急事態であることをマリサから再度チームに伝えてもらってはいたが、あれからチームの方から何の連絡もないのはおかしい。リーグ戦とトーナメント戦が重なるこの時期、二日と空けず試合の予定が入っていたはずなのである。今日もスタジアムでシークスの試合が行われることになっていたはずだった。そこで、シューインはまず自宅へと帰る前にスタジアムへと寄ることにしたのだった。 途中、街角のあちらこちらで、心細げな顏で話をしている市民たちを見かけた。心なしか、出歩いている人々の数も以前より少なく感じる。それらを不審に思いながら、彼は先を急いだ。 スタジアムに着くと、ブリッツの試合どころか、そこは閑散としていた。観客はおろか選手たちの姿さえ影も形もない。 入り口は固く閉ざされていて、いったい何があったのかとシューインは眉を顰める。 思いっきり不安に駆られてあたりを見回していると、どうやらスタジアム関係者らしい見覚えのある女性を見つけることができた。 とっさに近づき捉まえて、畳み掛けるように彼女に尋ねる。 「ねえ、君。みんなはどうしたんだ? 今日は試合のはずじゃなかったっけ? これ、どういうこと?」 疑問を投げかける彼よりももっと意外そうな顔で、その女性が答えた。 「え? シューインさん、連絡行ってませんでしたか? スタジアムは閉鎖されてしまったんですよ」 「なんだってっ?!」 驚いて聞き返す彼に、彼女もさも残念そうに説明してくれた。 「この間のコンサートを最後に、急に閉鎖されてしまったんです。エボン様が直接宣言されて…。あの…、今日、評議会からも外出を控えるようにと全市民に通達があって……」 事情をよく呑み込めずに絶えず訪ねてくるファンたちへの状況説明のためにこうやって待機しているというその彼女も、相手がシューインだったからか不安を隠しきれない様子で彼女の方こそもっと詳細を教えて欲しそうな顏をしていた。シューインの父ザンギンならば、確実にもっと多くのことを知っているはずなのだ。通達を出した評議会の、現議長なのだから。 そのことに気づいたシューインが、彼女に済まなそうに言った。 「ごめん。俺、しばらく家に帰ってなかったから、全然知らなかった」 「そう…なんですか…。いよいよベベルがこのザナルカンドに攻めてくるんじゃないかって、いろんな噂が飛び交ってるみたいで。そんなこと私に聞かれても何も応えられないのに…」 あからさまに失望の表情を浮かべた彼女に、気を取りなおしたシューインが明るく声を掛ける。 「そんな時に偉いね、君。ありがとう」 あこがれのスター選手にウィンク付きの笑顔でお礼を言われ、たった今まで沈んだ顔をしていた彼女は真っ赤になってはにかんでいた。 「えっ! い、いいえ…。これも、し、仕事ですから…」 これから家に帰って父に聞いてみるよ、と手を振った後、急ぎ足で遠ざかっていくシューインの姿をうっとりしながら見送る彼女は、ここしばらくの陰鬱な気分を一時忘れ去っていたのだった。 ―― スタジアムが閉鎖? ―― レンのコンサートの後、何かあったんだろうか… ―― それとも、エボン様に考えでもあって…? 正式にはエボンの私有物であるスタジアム=エボン・ドームは、建てられた当初は大規模な召喚の儀式のために作られたらしいのだが、一般に解放されてからというもの今までエボンが個人的に使用したことはない。稀代の召喚士というだけでなく、こういう風に常にザナルカンドのためにさりげなく尽くすエボンだったから、市民に深く慕われるのも当然というものである。 召喚士は、一般の市民とはその位置付けが違う。そのため、市民の代表で構成される評議会には在籍することは適わない。だが万が一、エボンが評議会の一員だったならば、おそらく「永久議長」として満場一致で推挙されたことだろう。 そのエボンが市民の思惑も構わず動いたとなると、余程の事態が起こっていると考えられる。 ―― まさか、そんなに戦争の状況が悪いのか? ―― 確かにこんなに長引くとは思ってなかった… ―― そうしたら、やはりレンも戦場に…… ―― とにかく父さんに聞いてみないと…… 急速に高まる焦燥感が、自然とシューインの歩調を早めていた。 自分の屋敷に帰ったシューインは、真っ直ぐに父の部屋へと向かった。 以前のような確執はなくなってはいたが、それでも会うのは久しぶりの親子だった。父も母もシューイン以上に忙しく、家を空けていることが多かった。特にこの戦争が始まってからというもの、父は評議会の議長としてザナルカンドで最も忙しい人物の一人であったし、母はクラヴィツィン奏者として戦死者の家族や負傷者の慰安のためにとザナルカンド中を飛び回っている。 シューインもブリッツのプロ選手になってからは練習に試合にと多忙で、故意にではなくともめったに顔を合わせることのない家族だった。 すれ違いは、心も身体も同じ。 それでもなんの不自由さも感じない、家族。 シューインが我が家に抱く冷やかな印象は、そのまま親子の関係でもあった。 物心ついた頃から自分からはほとんど訪れたことのない父の部屋の扉をノックしようとして、部屋の中から微かな声が漏れてきて、シューインは先客がいること知る。別段、盗み聞くつもりはなかったが、「ベベル」「兵器」という単語が耳に入り、そのまま扉の表に貼り付いて立ち聞きの態勢になってしまった。 「やはり、ベベルは最終兵器を完成させていたか…」 ―― ?! ―― 最終兵器だって? ただならぬ会話の内容に、シューインの身が固まる。 「だが、そうか…。いくら強力な機械でも敵味方の区別がつかず暴走するようでは、ベベルも使い途がないというものだな。音楽を使って宥めるべくクラヴィツィンを組み入れたまでは良かったが、あれの演奏はことのほか難しい。かなりの熟練の奏者がいなければ使いこなせるはずもない。我がザナルカンドならまだしも、ただでさえ気難しいらしいその兵器を自在に操れるほどの奏者がベベルにいるとは思えない。ふん、意志を持った機械なぞを創り出してしまった、ベベル側の多いなる誤算だな。使えなければ最強の殺戮兵器といえども恐れることはない…」 「……が、……を使えない………ベベル側も……最後の大攻勢…………」 相手は父の密偵なのか、部屋の中でさえも声を極力抑えているようでよく聞き取れない。シューインはもっとよく聞えるようにと、扉に耳を押し当てる。 「その前に、ベベルはその最終兵器、ヴェグナガンと言ったか、それをなんとか処置しなければならないだろう。でなければ、ベベルも我が身が危ないからな。我々にも、今少しの猶予ができたというところか」 けれど、父ザンギンのその後の言葉に、シューインは更に愕然としたのだった。 「今更、僅かばかりの時間ができたところで、この劣勢は立てなおすことなどできないだろうが…。頼みの召喚士たちももう残り僅かだ。後は、我々の最後の切り札になってしまった歌姫をベベルに送ってどれほどのことができるか…」 ―― ?! ―― なっ、なんだってっ? ―― 歌姫……レン…を… ―― レンを……ベベルに送る…だと?! 「しかしそれも、今までの召喚士と同様の扱いをされればおしまいなのでは?」 「そうなったならば、このザナルカンドはもうエボン殿の手に委ねるしかあるまい…。最後の決断、だな。それだけは避けたかったが、既にエボン殿はその覚悟を決めておられるらしい…」 扉の前で立ち尽くすシューインの背中を冷たい汗が一筋流れていった。 ―― やはりエボン様が、何かを?! ザナルカンドの真の支配者であるエボンの名が父の口から語られたことで、事が切迫していることが伺える。召喚士の長であり、ザナルカンドの民衆から最も深い信頼と畏敬を寄せられているエボンは、ある意味、評議会議長である父ザンギンよりも人々への影響力が強い。ただ、いつも影から見守ることに徹していたエボンが乗り出すとなると、これはただ事ではない。さきほどの自分の脳裏を過ぎった不安が、現実のこととなって押し寄せてくるのをシューインはひしひしと感じていた。 かつて父から何度か聞かされていた言葉を思い出す。 『エボン殿が表立って動かれる時は、それがザナルカンドの危機だと思っていい』 と。 ―― そんなに切羽詰まっていたなんて… ―― ザナルカンドがベベルに負ける? ―― そんなバカな! いくら戦況が思わしくないと聞かされても、まさか負けるとは塵ほども考えてなどいなかった。そして、敗戦したザナルカンドがベベルにどんな目に会わされるかということも、彼には想像することさえできない。 ―― けれど、それを避けるためにレンが利用されるなんて… それでは、レンの命を、そう、生贄にするということではないのか・・・。 ―― そんなこと、絶対にさせない! ―― そう……だ ―― ベベルの最終兵器、ヴェグナガン ―― それを利用すれば…… ―― 確か、クラヴィツィンで操作すると言ってたよな ―― だったら、俺なら動かせるかもしれない ―― それに、敵味方の区別がつかない、意志を持った機械だとも言っていた ―― そのヴェグナガンを上手く操ることができれば… ―― レンを、助けられるかもしれない ―― そうさ、俺が… ―― 俺が絶対に、レンを犠牲になんてさせない! 結局最後までノックされることのなかった扉を鋭く睨みつけて、シューインは両の拳をグッと固く握り締めた。 そしてそのまま彼は気配を気取られぬよう静かに踵を返し、ザンギンの部屋の前から歩き去っていったのだった。 − 第十三話 END − |
○あとがき○ |