翼に変えて 第十話・うたかたびと4 |
昨夜は遅くまでなかなか寝付かれなかったというのに、翌朝シューインはいつもよりも早く目が覚めてしまった。ブリッツを始めてからというもの、寝起きは至極良くなっていた彼だったが、いつもにも増して清々しい目覚めだった。 そして、起きた途端に頭に浮かぶこと。 ―― 今日もレンに逢える 自分でも笑えるくらい、考えることすべてがレンに直結してしまう。 シークスの練習場にて。 今までなら例えどんなことがあろうとも、ブリッツをやっている時だけは他のことは頭の中から消えていたのだが、今度だけはそれさえも崩されてしまっていた。練習中だというのに、ともすると動きが止まりぼんやりと考え込んでいるシューインを、チームメイトは珍しいものでも眺めるように見ていた。 今も、彼のシュートを阻止すべくアタックを仕掛けていたランドとエルグの二人のディフェンスが、あまりの手ごたえのなさに拍子抜けの表情をあらわにしている。 パスしてもすぐにボールを取られる。アタックすれば簡単に吹っ飛ばされる。シュートでさえもいつもの鋭さのカケラさえ見られない。 ―― どうした、シューイン シューインの目前に立ち塞がった、ひょろっと背の高いエルグが、クイクイっと片手で彼を挑発する。 ―― いつもみたいにかかってこいよ 背は低いがシークス一の俊敏さを誇るランドが、エルグの後方でシュートカットしようと身構える。 しかし、シューインから繰り出されたまるっきり覇気のないシュートは、常に怪我を覚悟で取りにいかなければならないスピードも威力もなく、前面にいたエルグに簡単に片手でカットされてしまった。 ―― なにやってんだ、シューイン! これでは練習にもなりはしない。 と、そこへ静かに近寄ってきていた巨体が、有無を言わさずシューインの襟首をむんずと掴み引っ張っていった。 ―― う、わっ? ド・ドルー? 後ろ向きになったまま水の中をドルーに引きずられていくシューインの姿は、かなり情けないものがあった。 練習用プールを出て控え室に入ったドルーは、半ば怒ったようにシューインを突き放し一喝した。 「そんな不抜けたツラで練習に出るんじゃねぇ!」 「………」 まさにその通りなのだから、シューインは何も言い返せない。自分でもどうしようもないことだけに、軽く下唇を噛み、悔しげに俯いてしまっていた。 「ただでさえ、昨日は疲れた試合だったからな。みんな気が立ってんだよ」 今度は少し声を和らげたドルーが、シューインの肩を叩いて慰めた。 「ま、お前もやっとこれで一人前ってことだな」 「…え? …何、が?」 「いいから、今日はもう上がれ。熱に浮れた顔して練習してもロクに身につかねぇからな」 自分の行動の意味するところを思いっきり見透かされていたことを知り、シューインはうろたえ、顔がカァッと熱くなってくるのを自覚する。 「お、俺……その…」 「わはははっ。今日もこれからデートか? 彼女によろしくな」 「……すまない。ドルー。ありがとう」 豪快に笑って励ましてくれる愛すべきリーダーに、シューインは改めてこのチームに入って良かったと感謝した。 着替えもそこそこに飛び出していくシューインを「頑張れよっ」と見送りながら、ドルーはニヤニヤと一人呟いていた。 「色男も恋に溺れりゃただの男ってか。しかし、あいつもなかなかいい面構えになりやがって」 ふと、あのシューインをそこまでのめり込ませている女性のことが気にかかった。が、昔はスリムだったのに今ではドルーよりも横幅の広い自分の妻の姿を思い浮かべてしまい、ゲンナリと脱力してしまったドルーだった。 シークスの練習場から出たシューインは、まずこれからどうするかを考える。コンサート会場となるスタジアムは、ハイウェイを通れば目と鼻の先である。コンサートの開演にはまだ早かったが、レンはもうとっくに寺院を出て会場でのリハーサルでもやっている頃だろう。 ―― こんなことなら、練習を早く抜けさせてもらって、レンを迎えに行けば良かった… そうしたら、もしかしたら、リハーサルも見せてもらえたかもしれない。 だが今更考えても仕方がないので、前日のレンと同様、彼もハイウェイをゆっくり歩いていくことにした。しかし、レンと違って周りの景色を楽しむような余裕はシューインにはなかった。急く気持ちが足取りをどんどん早めていって、結局いつのまにか走り出してしまっている。 すごい勢いで走り抜けていく彼に、たとえそれがシークスのシューインだと気が付いた者がいたとしても、とても声を掛けられるものではない。 当然、あっという間にスタジアムに着いてしまった。 開演までまだかなり時間があるというのに、スタジアム前にはもうそこそこ人が集まっていて、昨日のブリッツの試合とはまた違う盛り上がりを見せていた。 シューインはゲートが開場になるまでの間、目立たない場所に位置取り、それらの人々を見るともなしに見ていた。すると、どうしてもいつも見慣れたファン層との違いが目につき始める。 その違いをなんと言い表せばいいのか…。熱く力強い興奮を伴うブリッツのファンと、静かだけれど湧き上がってくる期待全開のレンのファンと。 ブリッツファンが男性と(ミーハーなファンも含む)女性とでほぼ均衡のとれた割合なら、レンのファンはやはり僅かながら男性の方が多いような気がする・・・。 ―― これがみんなレンのファンなのか…… チクリ、と胸を刺す痛み。 ただのファンに対してでさえ小さな嫉妬を覚えたシューインは、自分自身のその気持ちにこそ驚いていた。 ―― レンに逢ってから、俺の中にいろんな感情が芽生えてるような気がする まだほんの数回しか逢っていないというのに、こんなにも彼の心を占有するレン。今までブリッツ以外のことには固く閉ざされていた彼の心が、レンのことをきっかけに様々な方向に向けて開かれていくようだった。 抑えきれない恋慕、暴走したいほどのせつなさ、抉り取りたくなる嫉妬。 そして、レンに対する独占欲。 レンのことを考えるだけで、泣きたくなってくる。 逢いたくて、いてもたってもいられなくなる。 その微笑みを自分以外に向けて欲しくない。 レンの姿を他の誰にも見せたくない。 ザナルカンドの歌姫でもあるレンに、そんな途方もない思いを抱く自分。 決して綺麗なだけではない、それらの想いすべてが………たまらなく愛おしい。 出逢ってからの時間など関係ない。 こんなにも深く彼の心に入り込んできたレン。 『運命』という言葉を、本気で信じてみたくなるほどに…… 開場の時刻になり入場が始まって、受付でチケットを受け取り、レンのコンサートが始まっても、シューインは彼女がもたらしてくれたこれらの感情を、深い感慨とともにかみ締めていた…。 コンサートが始まる前。 開演を待つ控え室の中で一人、レンは期待と不安に揺れていた。 シューインが来てくれていることは疑いようがない。それが、今日のコンサートでの一番の期待である。昨日の彼の様子から、それはむしろ期待というよりも確信に近い。 ブリッツを見ていたレンのように、自分も彼を歌で熱くさせたいと、いつも以上に気持ちが高ぶっている。 ……ただ…… このところ、レンはコンサートが終わると極度の疲労感に襲われるようになっていた。コンサートを重ねるごとにそれが強くなってきている。 おそらく、その原因をレンは知っている、と思う。 一年前のあの出来事があったから。 寺院と評議会が、何らかの形でレンのコンサートを利用しているということ。それが何であれ、レンは受け入れて立ち向かっていくと決めていた。それでも、しばらくは何の変化もなかった。 彼女自身も、あれは聞き間違いだったのでは? と思い始めた頃…。コンサート終了時の自分の疲労度が、日に日に増してきていることに気付いたのだった。それが、最近は特にひどくなってきている。 前回のコンサートでは、終演後、半日以上もベッドから起き上がれないほどだった。そのため、今では彼女の身体の回復を待って、次のコンサート予定が決められるようになっていた。予定の日付を連絡してくるのは、評議会である。 レンとて、こんな状態が異常だとよく分かっている。何しろ自分の身体のことなのだから。ただされるがままに、ほおっておくつもりもない。だから、寺院の僧侶や連絡してくる評議会の議員にも何度も問い詰めてみた。だが、事の真相を知っているのは、ほんの一握りの上層部だけらしい。下っ端の彼らは本当に何も知らされていないようだった。 仕方なく自分自身で分析してみても、どうやら彼女の召喚の力を利用しているらしいことまでしか分からない。これでは何も分からないに等しい。強いて言えば、召喚の力を吸い上げられているような・・・。 しかし、それがレンの意志に関係なく、コンサートの時に行なわれているということが問題なのだった。寺院の朝夕の祈りの時間でのことなら、それは当たり前のことなのだが…。 けれど…。 レンの歌を待っていてくれる人たちがいる。 彼女の歌を聴くために、今では手に入れ難くなっているらしいチケットを手を尽くしてやっと手にした人々がいる。 コンサートまでの日々を指折り数えて、心待ちにしてくれている人がいる。 だから、レンは歌わないわけにはいかない。 いや、だからこそ、彼らのために歌いたい。 どんなことに彼女の力が利用されているのか知らないが、それが悪用されているのではないことだけはわかる。何故なら、観客はいつも通りコンサートが終われば皆満たされた表情になっているから。レンもその疲労度は増してはいるものの、得られる充実感は変わっていなかったから。 それに、今日のレンは今までになく気力が溢れているように感じていた。これならばきっと、前回のようにコンサートが終わっても倒れることはないだろう。 ―― きっとシューインのおかげ、かな? 彼が見にきていると考えただけで、身体中に新たに力が満ちてくる。 今日のステージ衣装を選ぶ時、迷わず、彼の瞳の色の服を選んだ。 光の加減で虹色に光る白いレースのフリルがとても綺麗で、もともと好きな衣装だったけれど、きっとこれからは、これが一番のお気に入り。 ―― 恋って、ほんとにフシギだね シューインよりも一足先にこの気持ちが恋だと自覚していたレンは、開演前の高ぶりを静めるために自分自身を振りかえる。 今までにもこれに似たような気持ちは何度かあった。 淡い、恋心とも呼べないくらいの…。 一時期レンの寺院にいた、亡き父に雰囲気のよく似ていた僧侶。 レンに想いを寄せてくれていた、少し年下の寺院の近くに住んでいた少年。 マリサの恋人にも、実はほんの少しだけ心を動かされていたレン。 けれど、その中の誰も、彼女の気持ちをかき乱すまでは至らなかった。 シューインは、違う。 見た目の良さはかなり得点が高いけれど、もちろんそれだけではない。 もともとファンとしての憧れもあった。 でも、出逢ってから初めて知った、彼の蒼い瞳の奥に揺らめく、心細げな子供のような影。 かつてのレンの姿と重なる……。 それが、シューインが時折見せる無邪気な仕草も相まって、レンの心を捉えて離さない。 彼のことを想う時、レンの体温は一気に上がる。 脈拍が早くなる。 息が苦しくなる。 いつでも胸が締め付けられて、だけど……。 甘い……全身が痺れるような感覚。 歌いたいという気持ちと同じように、彼に逢いたい気持ちもごく自然にレンの中に湧き上がる。 歌うことがそのまま生きることに繋がるレンの中で、いつのまにか歌と同じくらいの位置を占めるようになってしまったシューイン。 だから…。 ―― 今日だけは、キミのために歌うね コンサートが始まった。 レンの想いを乗せて。 シューインの想いも運んで。 ブリッツの試合の時よりも照明の落とされたスタジアムの中央、ひとすじの眩しいスポットライトを浴びたレンが歌う。 ― 時に 激しく ― ― 時に 優しく ― リズミカルな歌も物静かな歌も、レンが歌いだした途端、一瞬にして会場すべてをその歌声で染め上げてしまう。 観客たちは、レンと一緒に踊り、供に歌い、そして止めどなく涙する。 人の心の奥底に響くレンの歌声は、人々の感動を高め、昇華し、快い奔流となって会場内を縦横無尽に駆け巡り、立ち昇っていった・・・。 ラストの歌が流れている。 暗い観客席の中、シューインはふと我に返った。 ずっと今の今まで、夢想の世界に入り込んでいたようだった。それほど、レンの創り出す歌の世界に惹き込まれていたのだと、ようやく気付く。 ―― レン……君は…… 何故、レンが”ザナルカンドの歌姫”と呼ばれているのか…。初めて理解できた気がした。 スフィアビジョンなどでは解かりはしない。実際にその目と耳で、いや、肌でと言うべきだろうか、彼女の歌を聴いた者だけが、唯一感じ取ることができる。レンのコンサートのチケットが、なかなか手に入らないゴールドチケットになってしまっているのも、ごく当然のことなのだろう。 そのレンが、自分に好意を寄せてくれている。 シューインの中の、この幸運に感謝したいという気持ちが徐々に大きく育っていく。 ―― なんだか、俺、レンに逢ってから…… 人として生来持つべき豊かで温かな感情が、生まれ始めていた。 世界中のありとあらゆる物と、この気持ちを分かち合いたいほど。 ブリッツでさえ完全には消すことのできなかった、両親への憎しみにも似た思いも、今、消えかかろうとしている。 最後の歌が終わった。 観客は盛大な拍手とともに総立ちで、多くの人々が感動の涙にくれていた。 スタジアムの中の唯一の光の中、歌を聴いてくれた感謝を込めた晴れやかな顔を見せて、レンが会場の人々に向けて手を振っていた。 つと、シューインの客席のあたりに顔を向けた、ほんのまばたき一つの間だけ、レンが微笑む。明るさの違いのためにはっきりとは見えないのだろうが、そこに彼がいることを知っている証しの笑みだった。 ―― レン… レンがステージから退こうとするや否や、照明が燈される前にシューインは席をたち、控え室へと急いだ。前日の教訓があったことも理由の一つだが、とにかく早くレンに逢いたかった。 逢って、言いたい言葉があった。 観客席から出た途端に明るく照らされる廊下の照明に目を眩ませながらも、慣れたスタジアムの階段を駆け抜け、驚異的な早さで控え室へと辿りつく。その素早さといったら、ファン整理のための係員さえ、レン専用控え室の扉の前に陣取るのが間に合わないくらいだった。 「レン!」 無遠慮に扉を開けて、控え室の中へと入るシューイン。 「えっ? シューイン!」 たった今、やっと部屋に戻ってきたばかりのレンは、突然現れたシューインの姿に当然のごとく驚いた。 けれど、すぐに輝く笑顔にすりかわる。 「聴いてくれた? 私の歌」 清々しい汗の光るレンの笑顔が眩しくて。 「ああ! ああ! レン!」 高く上ずった声で強く頷いたシューインは、言葉よりも行動で示していた。いや、意するよりも身体が先に動いていたのだ。にっこりと本当に嬉しそうに微笑むレンを見ていたら……。 激しくレンを抱き寄せるシューイン。 「素敵だった! とても!」 いきなりその熱い胸の中に抱きしめられて、レンは驚きで目を見開く。 「シュ……」 「レン!」 そして、次に告げられた言葉で、更に……。 「レン。好きだ」 驚きよりも……嬉しさが……しあわせが…… ……胸の中から……周り中から…押し寄せてきて…… 「私も……好き、だよ。シューイン」 ゆっくりとシューインの背中に回された細い両腕が、彼女の大切な人を包み込む。 どちらからともなく、深く見つめあった二対の瞳が閉ざされて、震えるくちびるが触れあう。 触れたところすべてから、融けて流れ込んでくるお互いの想い。 ―― ……愛してる… 急速に近づいていった二つの心が、強く一つに結びついた……その時。 レンは、幻光が飛び立っていくかのように、シューインの腕の中から崩れ落ちていった……。 − 第十話 END − |
○あとがき○ |