始まりは白い… −あたしの物語− | |
もうもうと白い湯気の立ち昇る、ここはガガゼトの山奥深い秘湯。 知る人ぞ知る効能豊かな温泉で、様々な人が癒しを求めてやってくる。 いや、人だけではない。 亜人種はもちろん、サボテンダーや果てはシパーフまで……。 さすが、霊峰がその懐に秘めていた温泉、というところだろうか。 そんな霊験あらたかなこの温泉に、珍しくリュックが一人で浸かっていた。 それまでも何度も訪れたことはあったが、一人だけでというのは初めてのことだった。 と言うのも、ちゃんとそれなりの訳があったのだが…。 一緒にガガゼトに来たユウナは、今、ロンゾ族の長老となっているキマリのところにいる。 つい、先日のこと。 パインが、少しの間だけ故郷に顏を出してくると言ってセルシウスを降りた。 「故郷ってどこさ〜?」 当然、好奇心満々で尋ねたリュックだったが、 「そのうちにな」 と、例のごとくはぐらかされた。 しかし、いろんなわだかまりが解けた今、そう言うパインの表情は明るい。このまま『とんずら』したりはしないということだけは、信じられる二人だった。 けれどいくら一時とは言え、一人抜けただけでもやはり勝手が違う。そこで、なかなか活発に活動する気にならないリュックが、気晴らしに温泉に行こうと言い出した。それに「うん、いいね」とユウナも乗り気になった。思いついたら即行動が信条の『かもめ団』。早速、ガガゼトへと向かったのだった。 ガガゼトに来れば、キマリに挨拶をしにいくのはもはや当たり前のようなもの。 そこで、いいところに来たとばかりにユウナがキマリに引きとめられた。 ロンゾのこれからについて、ユウナの意見を聞きたいのだという。長老として、一族に認められているキマリの決めたことに逆らうものなど、もうどこにも居はしないのだが、それでも大召喚士たるユウナが認証したとなれば、対外的にも効果があるということだった。 当然、ユウナは喜んでそれに応じる。 「ごめんね、リュック。先に行っててくれるかな? キマリの話が終わったらすぐ行くから」 そして、今に至るのである。 「はぁ〜。いいお湯だぁ」 余計なものを脱ぎ、いつも着ている水着だけになったリュックが、ゆったりと湯の中手足を伸ばしている。 ふと、思いついてキョロキョロとあたりを見回す。他に誰もいないのを確認すると、 「へっへ、泳いじゃおっかな〜」 広い温泉をバシャバシャと水飛沫をあげて泳ぎ始めた。 そこへ。 「お! 誰かと思えば、シドの娘じゃねーか」 誰もいないはずの温泉に響き渡る、聞き覚えのある声。 しかも、この言い方は・・・・。 「ギッ、ギップルぅ〜?」 思わずリュックは泳いでいた手足を止め、危うく溺れそうになってしまった。運良く、温泉の中でも浅い場所だったから助かったが……。 「おいおい、大丈夫かぁ〜?」 温泉の淵に腰掛け、懸命に笑いを堪えながら聞いてくるギップルに、リュックは ―― 誰っのせいで溺れかかったと思ってんの〜 と、逆恨み。 やっと足をついて立ちあがると、そこはちょうどリュックの腰のあたりまでの深さだった。そのままその場所に立ちすくんで、焦るリュック。 ―― み、見られたかな……泳いでたとこ…… ―― 見られた、よねぇ…… それは、いまだにクックッと笑っているギップルの様子が肯定していた…。 ―― ひ〜ん、恥かしいよぉ だんだんと赤くなる顏を自覚しながら、リュックは泣きそうな気分になってきた。 「まあ、分からないでもないけどな。こんだけ広けりゃ」 ギップルのその言葉を聞いて、リュックの顏がパッと明るくなる。 「だよね? だよね?」 両手を胸の前で合わせ、リュックは今にも揉み手しそうな雰囲気で身を乗り出して聞いてくる。 「ああ、まあな。かく言う俺も一泳ぎしようかと思ってたしよ」 「へぇ〜、そうなん……」 言いかけて、リュックは初めてギップルの姿をまともに見てしまった。 ―― はっはっはだか〜〜〜〜!!! 正確には上半身が。 ちゃんとリュック同様、水着は身に着けている。温泉に入り、しかも泳ごうというのだから当然なのだが……。 自分の姿のことなど遠い彼方に飛んで行ってしまっているリュックは、ギップルの格好にかなりマジに驚いてしまった。 ―― うわーうわーうわー・・・・ ザンブと湯の中に身を落とし、腰が底についたのをいいことに両手で足を抱え込んでその場に座りこんでしまった。顏だけはなんとか湯面の上に出ている。 急に湯の中に入って返事どころか動かなくなってしまったリュックに、ギップルが不審がる。 「ああ? どうしたんだ? いきなり」 よっ、と言う掛け声とともに、ギップルが温泉の中に入って近づいてくる。 それを見て、 ―― ひ、ひえぇぇぇ。こっち、来る〜 リュックだとて、どうしてこんなに焦っているのかわからない。自分でも訳もわからず、 「こっこっち、来るなぁ〜」 と叫んで、手でお湯を叩いてギップルへと飛沫をかける。 「おわっ! な、なんだぁ? 変なヤツだな」 眼帯で隠されていない方の眉をしかめて、ギップルが立ち止まる。 「ヤワ、ミミア」 (まあ、いいか) それを聞いて、心底ホッとするリュック。 少し離れた場所で、しばらくはそのまま互いに話もせずに温泉を堪能していた。 ふと、リュックが気になっていたことを思い出しギップルに尋ねてみた。 「あのさ。…一人?」 先ほどからみごとな泳ぎを披露していたギップルが、ちょうど泳ぎの合間にかけられたその言葉に反応する。 「ああ。まあ、その、ちょっと傷跡が、な…」 「あ! そぉかぁ、ヴェグナガンと戦った時の?」 一瞬、口元を歪めるギップル。 「あのな、それ、あいつらには言わないでおいてくれな? ただでさえ説明すんの面倒なんだからよ」 「えっ? う、うん…」 「頼むな」 リュックは、いつも傲岸不遜に見える彼の細やかな気遣いを垣間見た気がした。 ―― へぇ〜、そうなんだぁ ―― さっすが、マキナ派のリーダーやってるだけあるねー ―― みんなに、心配させたくないんだ…はぁ… ―― ……あ、れ……あたし……ナンか、変… 頭がグルグルしている。 視線が定まらない。 息苦しい。 ―― まじ、…変…… 急に話をしなくなったリュックを変に思い、ギップルが「ん?」とそちらの方を見ると…。 今しも、リュックがブクブクと沈んでいくところだった。 「おいっ!」 ザザッとお湯を掻き分けて近づいていき、彼女の腕を掴んで引き上げると、危うく溺れそうになったリュックが真っ赤な顔をしてヘタっていた。 「…は…はは……。あ、あんがと…」 「ガミギョフズ、ア?」 (大丈夫、か?) 「だい…じょばない…かも…」 「おいおい…」 「た…はぁ。…の…ぼせちゃっ…たみたい…」 ギップルの水着姿を見てしまってから、なんだか自分のそれが急に気恥ずかしくなってしまい、肩より上のお湯の中にずっと浸かりっぱなしだったのだから、リュックがのぼせるのも至極当然というものである。 「仕方ねーな。ほら、立てるか?」 肩と腕をささえて立たせようとするが、すっかりのぼせてしまっている彼女はへなへなとまた座りこんでしまいそうになる。 「ふゃ〜」 意味不明の声を出して、全然力の入らない身体を懸命に自分で支えようとはしているらしい。 「…ったく、しょーがねーかぁ。ほらよっ」 掛け声とともに。 「へっ? ひゃあ!」 リュックの身体が宙に浮く。 いや、ギップルの腕に抱きかかえられたのだ。 ―― えええぇぇぇぇぇ!?! しかし、ジタバタしていたのも、ほんの少しの間だけ。すぐにギップルの腕の中、静かになるリュック。のぼせて目も頭もグルグル回っているというのに、更に熱の上がりそうなこの状況に、すっかり身体も思考もマヒしてしまったかのようだった。 リュックを抱きかかえ ―― いわゆるお姫様抱っこで ―― ながら、ギップルは先ほど自分が座っていた淵の所までザブザブと湯の中を歩いていく。 ―― 軽いな、こいつ あまりの軽さに、思わず腕の中のリュックへと目を落とす。 赤い顔に荒い息の彼女は、苦しげな表情で目を閉じておとなしくしている。 …と。 スーっと視線が顏から全身へと移っていって……。 ―― へぇ。こいつ、意外と…… まあ、男ならば当然の反応というべきか。 ―― おっと、いけねぇいけねぇ いきなりギップルの脳裏に、シドとアニキの顏が浮かんだ。 シドもアニキも、ことリュックのことになると見境がなくなる。それはいつも近くで見ていたギップルはよく見知っていたことだった。それだけ、娘とか妹というものは可愛いものらしい。知らぬはリュックばかりなり、なのである。 彼女と付き合うには、彼らと渡り合う覚悟がなければ到底無理だということも。今まではそれも他人事だと、タカをくくっていたのだが。 ―― どうやら、その覚悟とやらが目覚めちまいそうだな… ―― …まだ、カケラだけどな しっかりと自分で自分に釘を刺しつつ、岩だなの上にリュックを寝かせて、ギップルはそのまま外へと出ていった。 朦朧とした意識の中、何か、冷たいものが額に当たる。 「ひぇっ?! 冷たい!」 バチっと目を見開いたリュックは、ギップルが自分の顏に雪をかけてくれている光景を見る。 「ギップル! これって?」 「見りゃわかるだろ。雪だよ、雪」 「あ、そっか。ここガガゼトだもんね」 温泉の洞窟を出てほんの少し行けば、霊峰を彩る雪景色だ。 「…雪。あたしのために…?」 ―― そんな格好のまま? 困ったようにニヤリと笑った彼は、 「ああ、雪だけはたんまりあるからな、ここは。しっかし、おかげで俺の服、びしょびしょだ。こりゃ乾くまで帰れねーや」 首を回してすぐ横を見ると、小さな雪の山と岩に掛けられたギップルの服。どうやら服に包んで雪を持ってきてくれたらしい。 「のぼせたら、とにかく冷やすのが一番だからな」 ―― どうしよ…… ―― すっごく、嬉しいよぉ せっかく雪のおかげで下がってきていた熱が再び急上昇しそうになってくる。 「……ありがと」 それだけ言うのが精一杯だった。 「おう、気にすんなって。こういう時は遠慮せずに甘えてりゃいいんだよ」 ―― どうしよ…… ―― もう、どうしていいかわかんないくらい… 「リュック〜?」 遠くからユウナんの声が聞えてきた。 ホッとすると同時に、ちょっとだけガッカリしてるあたしがいた。 ―― ありがと、ユウナん、いい時に来てくれて ―― ごめんね、ユウナん、ホントはもっと遅く来て欲しかった ユウナんの後からアルベド族の仲間たちも一緒に来ていて、ギップルもやれやれって顔してる。雪のおかげでだいぶ楽になったあたしは、上半身だけ起こしてユウナんに応えていた。 「ユウナ〜ん。こっちだよー」 チラリと見たギップルがニッと笑って小さく呟いた。 あたしもニィって笑ってやった。 ―― ヨオヨソ、ハミキョハ (このこと、内緒な) ―― フン、ハミキョ、メ (うん、内緒、ね) えへへ。 あたしの物語がね。 うん、始まりそうな予感がするんだ。 ユウナん、今はまだ恥ずかしくて言えないけど、いつかきっと話してあげるね。 ガガゼトの温泉と雪が運んでくれた、とっても幸せな出来事のことを……。 | |
○あとがき○ |