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あらわれた傷跡・前編
チョコボの形をした湯口から滔々と流れる水音に、耳を奪われる。湯船になみなみと湛えられたものが、自らのあたたかさを空に伝えようと白い蒸気を立てており、視界を覆う。 ゆったりとした時が、空間が、そこにあった。 うっとりとした様子で、ティナが誰にともなく、水面に目を落としたままで呟く。 「まさか空の上でお風呂に入れるなんて。どうやってこれだけたくさんのお水を飛空艇まで運んで、取っておけるのかしら?」 隣からの声がいい具合に響くのに対し、ロックだったら陽気に歌い出してしまいそう、と頭によぎってしまい、セリスはつとめて明るく返してみせる。 「カジノよりよっぽど素敵な施設よね、セッツァーにしては上出来じゃない? ああ、でもこのファルコン号はダリルさんて女が作ったんだった」 「そうなんだぁ」 腰を覆い隠してしまえる長さの金髪を、頭の上でまとめあげて綺麗なうなじを出しているセリスに、ティナは相槌を打ちながら、薄い双の手のひらでお湯を幾度もすくっては音や感触を楽しんでいる。白さ際立つ肌は火照りやすいようで、真っ赤な頬が、児戯にいそしむ少女の子供っぽさをいや増していた。 その頬を狙った水鉄砲の攻撃が、見事に命中した。撃ち手に注意を向けたティナが、照れくさそうに上目遣いでまばたきする。 「夢中になっちゃって可愛いこと、ティナママったら。モブリズの皆が見たらどう思うかしら」 「だ、だって初めてなんだもの、こんなに広いお風呂」 「まあ、そうよね。でも私が最初にここ使ったのは一人だったから、がらんとしてて寂しかったわよー。仲間もまだ四人しか集まってなくて、私以外男ばっかりで……」 「リルムちゃんとも早く一緒に入れるといいね」 「大丈夫よ。情報も集まって来てるし、探し出せるわ、きっと」 そうしてセリスは自分にも言い聞かせているのだろう。残された仲間のうち、彼女がもっとも想いを馳せているであろう彼とも再会出来る、そう信じ、願って、気丈に己を支えている。世界崩壊後、モブリズの子供たちと出会い“愛”を認識し得たティナだからこそ、セリスの言外に溢れる気持ちが今ではわかっていた。 「セリス、頑張ろう!」 セリスの両肩を押さえ、懸命に励ますティナに、思わず微笑まされる。 「ありがとう……持つべき者は友、よね」 「え? それって私のこと……?」 「当たり前じゃない」 しっかりと頷くセリスが次に目にしたのは、浮かない顔の相手であった。 「どうしたの、私何か悪いこと言った?」 己の失言がどこにあったかを探そうとするセリスに、首をこれまた懸命に振って否定する。 「違う、違うの」 ただ、その理由は頑なに閉ざそうとしていた。 ティナが隠そうとするほんの一瞬前に、普段の服装では人目にさらされていなかった、左胸にあるその傷跡にセリスが気付けたのは、天の配剤と呼べるものだったのかもしれない。 今のこだわりと直に関わるとものだは知らないながらも、奇しくも時機を逃さずに、セリスは問いただした。 「どうしたの、それ……」 息を呑み、ティナは上げていた手を指摘された部分に押し当てる。重ねて上下の唇が重なる線までお湯に潜って、沈黙を貫く姿勢を見せた。 「詮索するつもりはないの。ただ、大丈夫なの? 私たちの体は治癒能力も半端じゃないのに、そんなに残る傷があるなんて……」 生来のそれと人工的なそれといった違いはあれど、ティナとセリスの二人は、人を超える魔導の力を内在させていた。 互いの人生に深く根ざした共通項を持ちながら、一緒に戦ってきながら、世界が崩壊する以前はろくに話もしなかった。話がしにくかった、と表現すべきだろう。セリスはそれをひどく悔やんでいた。今からでも取り返したい、ティナに歩み寄りたい気持ちがあった。 説明を待ってわずかに期待する素振りはあるものの、見せかけではなく心配してくれている側に、結局事情を明かす側としてティナは折れた。 「ついこの前までは、余り覚えてなかったの。この傷が出来たのは、あやつりの輪をはめられていた頃のことだから」 「……あっ」 帝国軍に与していたセリスは、意識を封じ込めるおぞましいその道具を詳しく知っていた。黙認していた自己への嫌悪をも含んだ、苦い表情を浮かべる。 「最近……モブリズで暮らし始めたあたりから、よく夢に見るの。欠けていた記憶を取り戻そうとしているのか……罪を思い出しなさいって、わたしがわたしに訴えているのか」 「なんですって……?」 その時、天井から垂れてきた水滴がセリスの首筋を打った。冷たい感触にうち震えた彼女を、鎖骨の下で対流する湯熱も、すぐ傍にある寂しげな微笑みも、なかなか暖めてはくれなかった。 柔らかくも凍てついた雪がしんしんと降り積もるような語り口で、ティナは話をしてくれた。 兵器だけど、人形だけど、人間……少なくとも半分は人間でしょう。ものは食べなきゃいけないし、汚れたりもする。 任務に使われない場合はいつも、どこか地下の一室に置かれていてね。お世話をしてくれる女の人が一人、ついてくれて。 わたしはいちいち命令しないと何も出来ないけど、言い換えれば命令さえすれば身の回りのことは出来た。 楽なお仕事だわって皆最初に呟くの、でも、長いことは続かなかった。どんどん新しい人に替わっていった。 わかるよね、意志のないわたしは薄気味悪かったに決まってる。 でも、一人だけ。がらんどうで、何も返せないわたしにずっと話しかけてくれた娘がいたの。 「一人で食べるのって、味気ないもんね。さ、食べましょ。……ちゃんと命令しないと駄目、か。はあ、もう。食・べ・な・さ・いっ」 ろくに日も差さないような場所で、わざわざわたしに付き合って、共に食事を取り。 「今日は、うわ、すごいね。髪にまでこびりついて……すぐ落とそう。怪我はないみたいでよかった、強いんだね」 放っておけばいいものを、卒倒しそうになりながら血みどろのわたしを洗い流してくれたり。 「あなたにもきっと、名前がある筈よね。呼びにくいからってあたしが付けるのはまずいかぁ」 根から明るい娘だったみたいで、相手の反応はいらなかったのか、独壇場のお喋りは尽きなかった。わたしは彼女の色んなことを知った。 一番話題に出てきたのが、二親を早くになくしながらも自分を苦労して育ててくれた、年の離れたきょうだいのこと。 「あたしの名前はね、兄さんが付けてくれたのよ。十やそこらの子供に妹の命名権を渡すなんて、変な親よね。まあ気に入ってるんだけど」 帝国軍で働くようになったのも、軍隊にいる兄さんの少しでも近くにいたいからだと、誇らしげに明かしてくれた。 「お前は変だな、そんなのと四六時中いて、よくおかしくならないもんだなんて言うのよ。ひどいったらありゃしないわ。あなたを目にしたら、兄さんだってそんな暴言撤回すると思うの。生き人形なんかじゃない、あなた、自分で気付いてる? 瞳がね、あたしに応えてくれているんだよ。うつろだったのがだんだん、輝き出しててね。本当に、綺麗なのよ……」 そっとあやつりの輪に手をかけて、外そうとしてくれたこともあった。 おしまいの日はね、夢で繰り返されるものだから、とても鮮明なの。 わたしの武器としての名声、覚えてる? セリス。 “三分で魔導アーマー五十体を倒した少女”……そう、その記録が生まれた日だった。 わたしは彼女の待つ暗い地下牢に帰ったの、五十人の一人に名を連ねていたお兄さんの血を浴びて。 彼女は既にそれを知らされていた。 責められ、食事の皿と一緒に恨み辛みをぶつけられても、やっぱりわたしには何も返せないでいた。 「どうして? 兄さんが何をしたっていうの!?」 問われても。 「この……人でなしっ……! あんたはやっぱり人形よ、殺人機械とおんなじ! あたしっ、あたしが間違ってたわ」 頷くことも出来ずに。彼女の心を軽くしてもやれずに。 「返して! 兄さんを返してよぉ!」 命令されても。 この手で簡単に奪えても、取り戻せない命。取り返しのつかない罪。 償おうという心も持てない、冷たい人形にも出来ることを、ひとしきり泣き叫んでようやく彼女は思いついたの。 「あんたなんか、いなければよかったのよ! いなくなっちゃえっ、死んじゃえ!」 投げ散らかされていた食事は、彼女の分もあって。パンとスープだけだったわたしの食事とそう変わらない粗末なものだったけど、ナイフを使う菜も一品用意されていて。 抑えきれない激情からやむなく飛び出た、決して本気ではない言葉だったと思うの。本当に優しくしてくれたのよ。 だから余計に、あんなことをしてしまったのが悔やまれてしょうがないの。 わたしは手に取ったナイフで、自分の胸を刺していた。 歪む顔、金切り声。わたしが最後に瞳に映した、耳に残した、彼女の記憶だった。 Copyright (c) 2002 にじます
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