声に呼ばれて
【FFX〜FFX-2】 − 前 編 − 穏やかな波が打ち寄せる砂浜。温暖な気候のこの地方を照らす陽の光は柔らかく、静かな波間に融けこんでいくようである。 大陸の東南に位置するこの大きな湾の東端に、その浜辺はあった。強い湾流のために、湾岸のほとんどが岩場だったが、湾にいくつか流れこんでいる川の下流だけは、こうして小さいながらも砂浜を形成していた。小さかろうが狭かろうが、こういう浜辺は小舟の安全地帯には変わりない。海岸の間際まで生い茂っている樹木たちが、湾内に吹き込む潮風になびきながら、いくつもの漁船と一緒に、浜辺へとその影を落していた。 ささやかな潮騒を従えたのどかな風景の中、それら小舟の脇を横切って、いましも、勢いよく蹴られたボールが海へと向かって飛んでいく。ボールの後から追いかけてくる、悲しげな怒鳴り声を伴って…。 「父ちゃんの…バカやろー!」 「いてっ!」 「えっ?」 誰もいない海へと向かって蹴ったはずのブリッツボールが、波間に飲み込まれようとする寸前、いきなり海の中から現れた誰かに当たってしまった……らしい。 ボールを蹴った当の本人である男の子 ―― 歳の頃なら十二・三くらいか ―― は、すっかり驚いてしまっていた。何故なら、この浜辺は砂浜自体は狭いものの川から流れ込んだ堆積物のためにかなり遠浅になっていて、ボールが落ちていったあたりは自分でさえ腰までつからないくらいの深さだったから。そんなところから人が顏を出すなんて、誰が考えられるだろうか…。 けれど、どうやら自分が蹴ったボールがぶつかってしまったのは紛れもない事実だったから、男の子は慌ててその人影の方に走っていった。 近づいていってわかったことだが、その人はまだ若い ―― とは言っても、自分よりは四・五歳は年上らしい ―― 男の人だった。水に濡れて少し赤みがかって見える金色の髪が印象的だ。 「ごめん! 兄ちゃん!」 「んあ? これ蹴ったの、お前か? ボーズ」 ひょいとボールを片手で掲げて、その青年はニッと笑った。 「うん、誰もいないと思って蹴っちゃったんだ」 男の子が波の中に足を踏み入れようとする頃には、ちょうど青年も海から上がってきていて、波打ち際で相対する。 「そっか」 笑顔が爽やかな青年は、このあたりでは見かけない顔だった。服も、見たこともない物を着ている。街道から遠く離れたこのあたりで、よそ者を見かけるのは珍しいことだ。 「兄ちゃん、誰? どっから来たの?」 男の子は当然の疑問を投げかける。 「ん? オレ?」 「うん、ここらの人じゃないよな? おれ、見たことねーもん」 ボールを渡されながら青年を見上げる男の子は、子供ながらの不躾さ満タンで興味津々に尋ねていた。 けれど青年の答えは、思いがけないものだった。 「…あ……れぇ? オレ……誰、だっけ?」 ◇ ◇ ◇ 二人が出会った浜辺のすぐ近くにある小さな村。村と言うよりは集落といった方が適切かもしれない。男の子に案内されて行ったその村は、あの浜辺から少し川を上ったところにあった。かつて、召喚士やエボン信者たちの寺院巡礼に使われて拓けていった大街道は、大陸の西側に集中している。だから大陸東部にあたるこの辺りからは、かなりの距離がある。辺境の地と言ってもいいほどだ。ただ、この近くにも古い遺跡がいくつもあるから、大昔はこの付近にも都市があったのだろう。だが、今では訪れる者もほとんどなく、すっかり寂れた地域となってしまっていた。 『シン』がいた時代、こういうあまりにも小さ過ぎる村が襲われることは、まずなかった。生活するには確かに暮らしにくかったが、それでも『シン』に襲われるよりはどれだけマシだっただろう。人は一人では生きてはいけない。けれど多くの人が集まれば、いつかは『シン』に襲われてしまう。それ故、人が増えてくると皆で話し合い、適当な人数に分かれて、また別の場所へと移って行き、一つところに集まり過ぎないようにして暮らしていたのだった。 これは、長きに渡って『シン』に脅かされ続けた人々の、生きる知恵だったのである。 しかし、今はもう『シン』はいない。『シン』がいなくなって、もうすぐ一年になろうとしている。けれど、そうなればそうなったで、今度はわざわざこういう不便な場所へと好んでくる人々はほとんどいない。また、暮らしやすさを求めて大きな街へと移り住んでいく者たちも多く、小さな集落はだんだんと自然消滅的にその数を減らしていった。けれど、そんな中にも、慣れ親しんだ土地を離れられずに残る者たちもいる。 ここもそういう村の一つで、村人の数も十人そこそこの集落だった。家族と言えるのは夫婦者も合せてそれこそ三家族だけで、うち、子供がいるのはこの男の子の家一軒だけだった。 その、一軒だけの家の中……。 「なあ、兄ちゃんはどうしてあんなところにいたんだ?」 とりあえずボールをぶつけてしまったということで、そしてまた、自分よりは年上でもまだ若い男の人が珍しくて、男の子は半ば強引に、自分の家へと青年を連れてきていた。 この村は、皆、年嵩のいった大人ばかりで、男の子は普段から寂しい思いをしていたのだった。唯一、三つ年上の姉がいたが、母親のいないこの家では、彼女は家事や生計を立てるために働かねばならず、遊び盛りの男の子の相手をする暇はなかった。だから青年と会えたことで、男の子はまるで自分だけの宝物を見つけたみたいに有頂天になっていた。ここしばらくの、深く落ちこんだ気分を払拭するかのように。 さほど広くない質素な家の中、入り口近くにしつらえた食卓のテーブルに乗りかかるようにして、男の子が聞いてくる。 「う〜ん……。実は、それもよく、わっかんないんだよなぁ…」 テーブルを挟んで椅子に座った青年は、困惑した表情を隠そうともせずに、片手で柔らかそうな金の髪を掻いている。そうしているうちに、本格的に眉根を寄せて考えこんでしまった。どうやら本当に何も覚えていないらしい。 対して、男の子はワクワクた気分を抑えられないでいた。本来なら、人の不幸を喜ぶなんて不謹慎極まりないことなのだろうが、この青年からはそれほど深刻な匂いがしない。そして、この村ではこれほど心踊る事件はめったにないのである。 特にあのことがあってからは。 「ほんとに何も覚えてないの?」 「う、ん。…いや、それがそうでも……。なんかボヤっと頭の中に浮かんでくるような気も……」 その時、すぐ脇の扉がカチャリと音を立てて開いた。 「ティラ、帰ってるの?」 「あ、姉ちゃん」 「あら…えっ!? お客様?」 入ってきたのは、まだ若いながらもエプロン姿が板につき、村人から貰った魚を抱えて帰宅した、男の子=ティラの姉だった。肩のあたりまで伸ばされた髪は濃い茶色で、短く刈り込まれているティラと同じように一見してなら黒髪に見えるのは、さすが姉弟というべきか。顏はそっくりという訳ではなかったが、やはり目や口元がなんとなく似ている。なにより、額に同じ柄の布を巻いているのだから、姉弟以外の何者にも見えないというものだ。 最初は村人の誰かが来ているのかと思いこんでいた彼女は、ティラと同様、この村にはめったにない客という存在にひどく驚いた顏をしていた。 「うん、海でおれが拾ったんだ」 それを聞いて、彼女は慌てて言い募った。 「ま、拾っただなんて! ティラっ!」 「だって、ホントのことだもん」 事実を言っただけなのに、怒り口調でたしなめられて、ティラは口を尖らせる。ふと、ティラの耳に小さい声が聞えてきた。 「…ティラ…ティラ……」 青年が片手を口元に当て俯いて、ぶつぶつと何度もティラの名前を呟いていたのだった。 「兄ちゃん?」 「ティラ…。ぼーず、お前、ティラって名前なのか?」 声を掛けられて顔を上げた青年は、今までになく真剣な顔をして、逆にティラに尋ねてきた。 「うん、そうだけど…。それがどーかした?」 怪訝そうに覗きこむティラ。 「な…んか、その名前、よく聞いたことがあるような……気がする…んだ」 「ちょっと、ティラ」 二人の話に置いてけぼりにされた姉がティラを小突く。 「あん? なんだよ?」 「ひょっとして、この人……」 彼女はティラの耳元に手を当てて、こっそりと尋ねる。 「うん、そーなんだって。何も覚えてないって」 「ふぅ〜ん……」 ティラの返事に、今度は姉の方が少し困った顏になる。またやっかいごとを、といった風情である。 「それに、おれ、この人にボールぶつけちゃってさ」 「えっ!? まさか、それで?」 そんな大事なこと何で先に言わないの、とばかりに、姉が多いに慌て始める。 「あ、たぶん、それは関係ない……と、思う…んだけど」 「え…あ、そう…。そうなんですか…」 ティラをかばうような青年の言葉だったが、それでも心底ホッとしたように彼女は胸を撫で下ろした。おそらくは、いつもこういう具合に、やんちゃな弟に面倒を起こされているのだろう。 「まあ、それでもティラが失礼なことをしたのには代わりないわね」 問題を引き起こした弟を睨みながら、彼女が提案した。 「じゃあ、もし良かったら、その…しばらくの間だけでもここにいらしてくださいな」 「姉ちゃん! いいのっ!」 途端に、パッと嬉しそうな顏になるティラ。明解なティラの反応にクスリと失笑を浮かべながら、姉は青年の方にきちんと向き直り自己紹介を始めた。 ![]() 「私はミルといいます。この子はティラ」 チラとミルがティラを横目で見やる。名前は? という合図を正確に理解したティラは、プルプルと首を横に振った。 「あ、えっと、だけど……」 青年にとってはありがたい申し出だった。自分がどこの誰かもわからない状態では、何をしようにも、これからどうすればいいのかさえおぼつかない。それでも、このままあっさり好意に甘えてしまっていいものかと少しだけ逡巡していると、家の奥に見えている三つの寝台に視線を流しながら、ミルが言葉を継いだ。 「今はもう、父もいなくて、この家には私たち二人だけですから」 姉弟の表情に、翳りが落ちた…。 ◇ ◇ ◇ 青年がこの村に来てから、数日が経っていた。 いつもなら慣れないよそ者には排他的なはずの村人たちだったが、彼の妙に人懐っこい笑顔と物怖じしない態度に、いつのまにか自然に受け入れてしまっていた。もちろん、記憶を失くしたという身の上も、村人たちの同情と理解を深めるのに多大に役立ってはいたが。 夕方、数少ない村の男たちがその日の漁から帰って来る。不便極まりないこの村では、生活はほとんどが自給自足である。が、温暖な気候のおかげで、村の周りには多種多様の果物が実っていたし、野菜も比較的簡単に栽培できた。その上、湾内は魚の量も種類も豊富な漁場だったから、村人たちが生きるに必要なだけは不自由しなかった。ここで手に入らない物は、こういう村々を回っている行商人から買い求めることもできた。もちろん物々交換が主であることは言うまでもない。 日の暮れる前に村人たちが集まり、各自の収穫を交換し合うのも、この村ならではの昔からの習慣だった。まだ新参者ながら、青年もしっかりと自分の獲物を持って、その輪の中に加わっていた。 「おぅ、イユ。今日の出来はどうだったぃ?」 「うッス! 今日も大漁ッスよ。あ、ガトー、これとそっちのそのでっかい方の魚と交換してもらおっかな?」 声をかけてきたのは、この村一番の巨体であるガトーだった。まだ新婚で、横に寄りそう小柄な奥さんは、彼の影にすっぽりと隠れてしまいそうだ。 「バカ言うなぃ! これは今夜のうちのメインデッシュなんでぃ。こっちなら換えてやってもいいぜぃ」 「う〜ん、だったら仕方ないかぁ。んじゃ、商談成立ってことで」 イユというのは、彼がこの村に初めて来た翌日に、ミルが提案してつけた呼び名である。ティラは彼のことを「兄ちゃん」と呼んでなんら問題はなかったが、ティラより歳の近いミルやずっと年上である村人たちはそういう訳にもいかない。そこで、一緒に海に漁に出かけた時のことをティラがいささか興奮気味に話すのを聞いて、ミルが言ったのだった。
ミルが持ってきていた野菜の交換も終わり、三人は長い影を伸ばして家路へとつく。 ティラは、先ほどガトーと交換した大きな魚をどうやって食べようかと、楽しそうにあれこれ悩んでいた。イユの今日の収穫はほとんどが貝だったから、そのほぼ半分と交換した戦利品である。隣を歩きながら、イユは相槌を打ちつつ目を細めて、ティラの言い分を聞いてやっていた。すぐ後ろを歩くミルは、まるで本当の兄弟のように仲の良い二人の姿を、ほんの少し羨ましい気持ちで眺めていて……。 次の一瞬、息を飲む。 「!! ……イユさんっ!」 突然のミルの大声に、前を行く二人が同時に振り返った。 「姉ちゃん?」 「ミル?」 怪訝な顔で名を呼ぶ二人の目の前に、大きく目を見開いたミルの姿があった。 「どうかしたッスか?」 イユに聞かれて、ハッと我に返ったミルは、瞳を何度か瞬かせてから首を振った。 「う、ううん。……何、でもないの。…ごめんね、驚かせて…」 慌てて取り繕うミルの様子に、イユは心配そうな顏をしたままだったが、ティラは呑気に姉を詰り始める。 「もう、おどかすなよなー。姉ちゃんって何でも大げさに驚くんだからさあ」 魔物でも出たかと思っちゃったよ、などと茶化すティラに、イユがもっともらしく諭した。 「こら、ティラ。この辺りの魔物は小さくて弱いヤツばかりだからって甘く見てちゃだめだ。めったに人を襲ってくることはないらしいけど、たまには強暴なのだって出るって、この間ガトーに聞いたぞ。油断が一番恐いんだぞ」 「へへ〜ん、わかってるってば。だけど、今はそんなヤツラが来ても、兄ちゃんが守ってくれるから平気だもんね」 「…はぁ、まるっきりわかってないじゃん、お前」 「だぁってさぁ……」 仲良くじゃれあって先に行く二人を、歩みが止まったまま動けないでいるミルが見送っていた。視線は、ティラがぶら下がるように手をかけている、イユの腕を凝視して。 「……今、確かに……からだ、透けて…た…。…イユ、さん……」 ― 中編に続く ― Novel by テオ
Illustration by ゆうき様
2005.1.15〜2005.3.31 《 Novel & Illustration collaboration 》 -ノベイラコラボ- 初出
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○あとがき○ |