青い月
ガイアの海と 空のブルー 人の心のブルー
月の鏡が映すもの その夜のガイアの月光は いつにも増して青くって
胸の奥から全身へ 張り裂けそうなイタミ 響いて
はじめて感じる このキモチ
これが カナシミ ?
イタイよ… クルシイよ… 彼と 彼女の カナシミ いっぱい カナシミ 感じるよ あたしも いっぱい カナシイよ…
「別れよう」
彼の言ったその一言に 月の鏡はさらに青を増したんだ
【 Relational Novel ●MoonLight Baby● 】 第九話 〜双月協奏曲〜 Purple Moon 〔 FF IX ED after 〕
聞こえてくるよ 繰り返される さざ波の音( 潮風の音(を伴いて
母なる海の シンフォニー
(母なる海、か…。不思議だな。なつかしい気持ちになれる。 母親から産まれたわけでもないジェノムのオレにも…。 命の記憶、ってことなのか…)
彼は静かに目をひらく。 港のそば、小さな浜辺。 背後には断崖の絶壁。 けれど眼前には見渡す限りの大きな海原が広がっている。 空には、二つの大きな光の円が浮かんでいる。 青い月と、赤い月。 ガイアの月と、テラの月。 欠けること無き二つの満月(。 僅かに距離をあけつつも、密やかに、手を取り合うように 静かな光のハーモニーを奏でている。
心なしか、いつもより青く見えるガイアの月。 小さなテラの赤い月は、慰めるかのように温かな赤色の光を灯している。 青の光、赤の光、 とけあいそうで、とけあわない、 一つになれない二つの音色、二つの光の双旋律。
その光に 夜空の藍はうっすらと、柔らなヴェールに包まれて 海の藍にはきらきらと、煌く琥珀を散りばめて
夜の、人気(のない浜辺。 彼はこの場所が好きだった。 彼女にプロポーズしたのもここだった。 彼女に別れを告げたのも…
(もう、ここに来ることはないだろう。 ここの夜景を見るのも、最後だな。)
彼は、明日の朝この国を出ていく。 港に船が来るまでは、ここで時を過ごそう、 そう思い、彼は城を出て、ここに来た。
二つの月が、羨ましかった。 たとえ離れ離れになっても、いつかは必ずまた出逢う。
彼は、チッと舌打ちし、砂を蹴り上げた。 乾いた白い砂が舞う。月明かりに照らされ、星のように輝きながら。 潮の香りが立ちこめる。それを乗せた緩やかな風が、金色の髪を優しく包む。 尻から力無く下がる長い尾も、ゆらゆらと風に揺れている。 潮気に、目を閉じる。これ以上、瞳が潤まないように。
瞼の裏には、自然と彼女の姿が浮かんだ。 風に舞う黒髪、細身の肢体、小さな背中。 夕暮れの浜辺。 彼の言葉を、彼女はじっと、震えた背中で聞いていた。
「どうやら本当に、ジェノムには新たな命を宿す力は無いらしい。 もう、一年も経ったんだもんな。 これ以上、一緒に暮らしても、オレとお前の間に、 新たな命が生まれることは、きっとないんだろう。」
遠い過去に滅んだテラの人類の遺伝子をもとに、 造られた生命、『魂の器』、それがジェノム。 ジェノムはジェノムの手により人為的に造られることによってのみ、生み出される。 魂の器でしかないジェノムに、新たな命を自らの力で生み出す能力は与えられていない。 それが、魂を与えられて育った彼にも当てはまることなのかどうかは分からないが…。
「例え生まれても、ちゃんと、元気に生まれてこれるのかさえ、 分からないんだ、こんなオレの血を半分引き継いだら。 もし、まともな子が生まれなかったら、 その子の苦しみに、オレはどう償ったらいい? そういう可能性があるって分かっていてお前と一緒になる… そんなこと、許されると思うか?その子が、許すと思うか? だから、もう……オレはお前のそばに居ないほうがいいんだ…」
離れなければ、きっと、また会ってしまう。 会ってしまえば、きっと、気持ちを抑えきれなくなる。
「お前には、可愛い赤ちゃんを産んで、幸せになってほしいんだ! だから、もう、オレのことなんて忘れて、 いい婿さん、探せよ!」
突き放すように言った。 それが、彼女のため。 女として生まれた彼女に、女としての幸せを。 それが、彼女のため。彼はそう自分に言い聞かせた。
彼女は、虚ろな瞳を砂の地面に向けて、震えていた。何も言い返さなかった。 本当に悲しい時、その思いの言葉も感情も、沸きあがらなくなってしまう。 それは彼女も同じなのかもしれない。
「……なあに、世界中にはいっぱい男がいるんだぜ。 お前が今まで会ってきた男の、何百倍も、何千倍も。 その中には、オレよりイイ男もきっといるさ。 あんまりいないかもしれないけどな! ま、一国の女王様をフるようなフトドキ者はオレくらいなもんだろ。 オレはこの国を出て行くけど、それはお前から離れるためだけじゃないぜ。 オレにはオレの場所が、きっとあるはずさ。 それが見つかるまでは、まあ旅でもしながら自由気ままに生きていくさ。」
何故だろう、どうでもいいような言葉だけは勝手にどんどん口を出てしまう。 彼が喋ってる横を、彼女はすり抜けるように去っていってしまった。 無言で去っていった彼女に、彼は心の中で愕然とした。
ちくしょう!
悔しさで、頭がいっぱいになった。 何をやってるんだ、オレは… ちくしょう!ちくしょう!ちくしょう!ちくしょう! 砂浜に膝を落とし、熱く震える両の拳を何度も何度も砂に叩きつけた。
拳が刻んだ深き跡は、打ち寄せる潮にのまれてもまだ砂浜に残っている。 長い夜だ。おそらくまだ時計の二つの針は同時に天を切っていないはず。 あの時からずっと、彼はここに居る。
明日の朝、この国を出て行く。 荷物など持っていない。所持金も、他港までの船賃程度。 他に持っているものといえば、 腰に携えた短刀(だけ…。
時の流れるうち、波と風の音を聞いてるうち、 だんだん、寂しい気持ちになった。
ラー ラララ ラララララ ラララララ ララ ラララ…
いつの間にか、口ずさんでいた。 彼女の、記憶の歌。
(確か、この歌には歌詞があるんだったよな。 お前がいつか、教えてくれた…)
消えゆく 運命でも 君が生きている限り いのちは つづく ……
そこまで歌って、やめた。
「続かねえんだよ、オレの命は…」
もう口ずさむ気にはなれなかった。 しかし、どこからか…
ラー ラララ ラララララ ララララララ ララ ラララー
同じメロディ。澄んだ美しいソプラノ。 誰の声なのかは、すぐに分かった。 振り向くと、そこには彼女が立っていた。
「この歌は、自分の子供に向けて歌ってるんじゃないのよ。 自分を憶えてくれているみんなに向けて、歌っているの。 血のつながりなんて無くたって、記憶が続いていく限り、 いいえ、知っている人がいなくなっても、 わたし達のことを知っている人達の命が続いていけば、 わたし達の命は続いていくの、命の、記憶とともに…」
優しく語りかけた彼女。しかし、
「そうかい。そりゃ良かった。」
彼は笑って、彼女に背を向けた。
(そんな綺麗事で、救われるものかよ。)
心の中でそう言い捨てた。
「わたし、考えたわ。」
背後からの、彼女の声。
「養子をもらえばいいのよ。」
養子? 心の中で聞き返しつつも、彼は振り返らない。 彼女は構わずに続けた。
「この国には今、戦乱で親を失くした子達がたくさんいるわ。 その中から、養子をもらうの。 ほら、シドおじ様だって、エーコを養子に引き取ったでしょう?」
彼女の瞳は、決意の気持ちに満ち、光っていた。 けれども彼はかぶりを振った。
「孤児の中から、どうやって選ぶんだ? 選ばれた子はいい。選ばれなかった子のことも考えろよ。 孤児は、孤児院に任せておけばいいんだ。」
「でも!孤児院の子達、きっと困ってること、いっぱいあると思うの。 そういう子を、一人でも、二人でも、助けられるなら…」
「だったら国から援助金でも何でも出せばいい! それが国の王たる者のやる事だろ!」
「………」
「お前は、オレとは違うんだ! 普通に、自分の赤ん坊を産んで、幸せになれる。 そういう権利を、俺なんかのために投げ出すことはないんだ!」
「…でも、わたしはやっぱり、あなたと一緒にいたいの! それがわたしの幸せなのよ!」
「オレには、つらいだけなんだよ!!」
「――!」
「もう、放っておいてくれ……」
冷たい沈黙の中に彼のかすれた声がゆっくり消えていく。 彼女は首をうなだれて、か細い声で尋ねる。
「…それが、あなたの出した答えなの?」
「……」
「そうやって、また、自分だけで解決しようとするのね…」
「……」
「昔も、こういうこと、あったわよね? わたし、言ったじゃない。あの時と、同じよ。 わたし、あなたを守りたい……。 もう、ひとりで背負い込まないでほしいの!」
「………」
彼は、何も言えなかった。
(すまない。お前の気持ち、嬉しいよ。 嬉しい、けど、早く、去ってくれ、オレのそばから。 じゃないとオレは、堪えられない…)
視界が霞んでいく。 熱いものが、今にも溢れてこぼれ落ちそうで、彼はうつむきかけた顔を再び月明かりに向けた。 熱く潤む瞳に、月の明かりが、やけにまぶしい。 青い光と、赤い光、二つの光が相まって、紫に……
ぼやけた視界が紫に染まっていく。 なんだ? 手の甲で目をこする。
「――?!」
まだぼやけている視界の中に、空に浮かんだ紫の円。
紫色の月
煌々と輝く一つの月。 やや青みの強い、紫の光をふりまいている。 空が、海が、紫一色に染まっている。
「二つの月が、重なったのか?」
さっきまで、離れていたのに…。 しかも、重なっているどころか、とけあっているかのようにも見える。 光の奏(は今、一つの壮大かつ優雅なるアリアに…。
彼は不思議に思いながらも、その荘厳な光に惹きこまれるように、 ずっと紫色の月を見上げていた。
数分が経つ。しかし、月は一つになったまま、離れる様子はない。 ちらっと彼女に振り返ると、彼女もずっとその月を見上げていた。 彼は、小さく笑った。
「さっきまで離れてたくせによ、皮肉なもんだな。 オレ達が別れようって時に、くっつきやがって。」
「うう…」
突然、彼女が彼の視界の片隅でうずくまった。
「どうした?!大丈夫か?」
砂を蹴り、彼は彼女のそばに駆け寄っていた。 考えるより先に、体が動いていた。
(オレ、何やってんだ…?)
そう思いつつも、彼は彼女の背中を撫でていた。
「ううん。大丈夫。ちょっと、体が…。 ありがとう。」
ゆっくり立ち上がる彼女。 大丈夫とは言っているが、どう見てもまだ苦しそうな顔だった。
(苦しめているのはオレだ。分かってる。すまない、本当に…)
彼は、再び離れ、彼女に背を向けた。 でも、彼女には分かった。彼の思いが。
(あんなことを言っても、本当はわたしを思ってくれてるのね。)
おたがいのキモチ 感じているのに おたがいのキモチ 分かっているのに どうして ひとつになれないの? どうして 別れなきゃいけないの?
ホントは いっしょに いたいのに……
「あー、あー…」
どこからか、声が聞こえてくる。 とても幼い、これは……赤ちゃんの声だ。 二人がその声の方向に振り返ると、砂浜の真ん中に、布にくるまれた何かがあった。 その布の間から、可愛らしい小さな顔が見えた。 白っぽい、少しだけ紫がかって見える、柔らかそうな布。 ほんのりと、光を帯びている、不思議な布だ。 まるで、あの月光の中から紡ぎ出されたかのような。
彼も彼女も、暫し呆然としていた。 赤ちゃんが置かれているのは、二人から10m程度の場所だ。 さっきまでそこに、あっただろうか。 幾ら夜とはいえ、あれだけ月明かりがあったのに気付かないわけがない。 赤ちゃんの声だって、聞こえなかった。周りを見回すが、他に人の姿はない。 じゃあ、この子は一体?
「誰かが、置いていったんだ、よな?」
「…誰も、見なかったわ。」
「じゃあ、ずっとそこで寝てたっていうのか? オレは夕方からずっとここにいたんだぞ?」
「……」
「捨てられたんだ。ひでえな。 誰だよ、せっかく生まれた子を捨てたのはよ!」
「やめて!赤ちゃんに、聞こえてしまうわ!」
彼女はふらふらと赤ちゃんのほうへ近づいていく。
「大丈夫ですよ。わたし達がいますからね。」
赤ちゃんに呼びかけた。 赤ちゃんはキョトンとしている。
「ええっと…」
彼女はしゃがみ、赤ちゃんを包む布に両手をつける。 持ち上げようとして、持ち上げられず、手を引っ込める。
「ど、どう持ったらいいのかしら…」
「どうって、持つっていうか、抱き上げてやらないと…」
「こうかしら…」
「うわ!危ねえっ!」
刹那、彼は砂を散らす一陣の風となっていた。
滑り込み、砂地にうつ伏せになり、全身砂だらけになった彼。その、前方にグンと伸ばした両手が、彼女の手からずり落ちかけた赤ちゃんの体をしっかと受け止めていた。
「きゃっきゃっ」
「フウ…。間一髪だったぜ。」
「ごめんなさい…」
「オレに謝んなよ。なあ?ハハッ。こわかったでちゅね〜? んー?たのちかったのかい?あぶなかったんでちゅよ〜? でも、もうだいじょうぶでちゅからね〜?」
砂だらけのまま、彼は赤ちゃんを抱いて立ち上がり、 その小さな笑顔に、彼も笑顔で、可愛らしい口調で声をかけた。
「ど、どうしたの?急に、変な喋り方して。」
「どうしたのって、相手は赤ん坊なんだ、 赤ん坊にはこう優しく接してやるものさ。」
彼は両腕で赤ちゃんを抱いたまま、左右に緩やかに揺らした。 すると、赤ちゃんはいっそう楽しそうな声を上げた。
「…慣れてるのね?」
「まあな。タンタラス団は、街の何でも屋みたいなもんだったからな。 赤ん坊の面倒頼まれたり、猫や犬コロも預かったさ。」
赤ちゃんを抱く彼の顔に、先程までの沈んだ色は微塵もなかった。 先程までの彼のつらそうだった顔が、嘘のよう。 いつもの彼の、明るい笑顔。 子供好きな、優しいお兄さん。そんな感じがした。 この赤ちゃんのおかげ? 自分には何も慰めてあげられなかったけど… 彼に明るい笑顔を戻してくれた赤ちゃん… とっても、可愛らしい顔をしている…。 彼女も、抱いてみたくなった。
「わたし、赤ちゃん抱いたことない…。抱いてみたいな…。」
「そっか。じゃあ、抱いてみろよ。今度はしっかりとな。」
「うん。」
彼に促され、両腕と胸で包みこむように抱きかかえた。 ふっくらとした厚い布に包まれているのに、とってもあたたかい。 顔をのぞきこむと、赤ちゃんは嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
「かわいい…。」
心の底からそう思った。 あまりの可愛らしさに、抱く腕に少し力がこもる。
「うー…」
赤ちゃんが少し、顔をしかめた。
「えっと…ダイジョウブでちゅよぉ…。」
「ふぇぇ…」
「ありゃりゃ、大丈夫じゃなさそうだな。」
「えっ?何?何かおかしい?どっか痛いのかしら?この子、泣きそうよ?」
「ふえぇぇぇぇんっ!」
「キャッ、どうしよう?泣いちゃったわ!」
「そりゃ、赤ん坊なんだから泣くさ。」
「なに落ち着いてるの?早く、なんとかしないと…」
「あわてんなって。そうだな、おしめの取り替えは… 城に行くしかないか。あそこなら何でも揃ってるだろ。」
「おしめって…あの、おしめ?」
「ああ。それしかないだろ?」
「ということは…?」
「ああ。おしっこ、だな。泣き方とかで、なんとな〜く分かるぜ。」
「きゃっ!おもらし、しちゃったのですか?!」
「そりゃ、赤ん坊なんだから、しちゃうですね。」
「なんてこと!恥ずかしくないのでしょうか!オトナになってください!」
「赤ん坊だっつーの。」
「ふえぇぇぇぇっ!!」
「おお〜、よしよし、泣くな泣くな〜。さ、早いとこ行こうぜ。」
「うん…。」
彼と彼女は港のほうへ、城のほうへと歩き始めた。 赤ちゃんを抱く彼女の顔は明るくなっていた。 彼が、城のほうへ向かっている。 もしかして…そんな予感。 でも、彼は振り向いて言った。
「とりあえず、ついてってやるよ。 このままお前に任せると危なそうだからな。 だけど、この子は誰かの子なんだ。 必ず親を見つけて、突っ返せ。 それまでの間は面倒みてやるんだ。」
# # #
城内、王室。
「まずはさっそく、おしめの取り替えだな。 おっ?見てみろよ。こいつ、男の子だぜ。」
「きゃっ!そんな、恥ずかしい…」
「なに恥ずかしがってんだよ。 そんなこと言ってたら、おしめ一つ替えらんないぜ。」
「でもぉ…」
「いつもオレの見てるだろ?」
「そうね。うん…。あら、まあ、かわいらしい…。 あなたのとあまり変わらないわね。」
「オイ……」
笑顔の彼女の言葉に、苦笑いするしかない彼なのだった。
ベッドの上に寝かせられ、くるまれていた布を広げられたその上で、 赤ちゃんの濡れたおしめは、きれいな新しい布のおしめへ、 彼の手により手際よく取り替えられた。 その様子を、彼女はじっと彼の後ろで見ていた。
「覚えたかい?」
「うん…。」
自信無さそうに答える彼女に、彼は溜め息をつく。
「小の時はまだ簡単なんだ。 大の時は…あれがこうだからそれをこうしてだな…」
「ええええっ?!」
「きゃっきゃっ」
困惑する彼女とは裏腹に、赤ちゃんはおしめが替わって気分爽快なのか元気に笑っている。
「大変なのね…」
「慣れればたいしたことないって。」
「うえぇ…ふえぇぇぇぇんっ!」
「あっ、また泣き出したわ!」
「おっと、この泣き方は、お腹がすいた〜って合図だな。」
「同じじゃない!おしっこの時とどう違うの?」
「んー、なんていうか、その、なんとなく違うだろ? お、ちょうどいい、あったかくなったみたいだ。」
暖炉のそばに置いたヤカンから、哺乳瓶に湯を注ぎこむ。 湯気は立っているが、熱湯というほどの熱さではない。
「粉ミルクの量は哺乳瓶一本あたりこれぐらいだ。 よく振って溶かしてから、水でちょっと冷やす。 人肌程度の温かさにするんだ。だいたい、これぐらいだな。」
水の入ったタライから哺乳瓶を出し、布で拭き、彼はそっと彼女の手に哺乳瓶を手渡した。
「ちょっと、ぬるくない?」
「母乳の代わりだからな。それぐらいのあったかさにしてやらないと。 自分のムネのあったかさと比べてみろよ。 なんならオレが確かめてやろうか?」
「は〜い、あなたはこんなエッチなオトナになっちゃダメでちゅよ〜。 さ〜、ミルクのみまちょ〜ね〜。」
「きゃっきゃっ」
「トホホ…」
彼女が赤ちゃんの口元に哺乳瓶の先をあてると、 赤ちゃんは飛びつくように瓶を小さな両手で掴み先っぽに吸いついた。 ちゅうちゅうちゅう… よほどお腹がすいていたのだろうか。 それとも彼の作ったミルクがおいしかったのだろうか。 赤ちゃんは一気に哺乳瓶の半分ほどミルクを吸い込むと…
げぷうっ!
突然、豪快な音とともに息を吐き出し、ミルクを飛び散らせた。
「きゃああっ?!…な、なんですの?」
顔中にミルク混じりの息を吹きつけられ、ビックリしたままの顔で彼に振り返り尋ねる。
「なんですの、って、そりゃあ、ゲップじゃねぇか。」
「ゲップ…?」
「赤ん坊はミルク飲んだらこう、ゲップするもんだぜ。」
「はぁ……」
溜め息をつき、泣きそうな顔をしてハンカチで顔を拭い、彼女は再び赤ちゃんの口に哺乳瓶を近づける。 すると、また赤ちゃんは哺乳瓶に吸いつき、全て飲み干して、再びゲップ。 彼女の顔はまたミルクだらけになり、泣きそうな顔になり、 赤ちゃんのほうはというと、お腹がいっぱいになって満足そうな笑顔になった。
「あー、あー。」
小さな短い指で彼女の指を撫でる。 ゲップには驚かされたが、赤ちゃんの無垢な笑顔に、彼女の顔も自然にほころんだ。 彼女も赤ちゃんの指を指先で撫でる。
「ふふ…かわいい…。でも、なんか…心配ね。」
「え?何がだい?」
「だって、この子、『あー』とか『うー』とかしか言わないじゃない。 元気な赤ちゃんって、『おぎゃあおぎゃあ』って言うんじゃないの?」
「ああ、それは生まれたばっかりの時の産声さ。 生まれて何ヶ月か経ってる赤ん坊は、殆どそういう泣き方はしないんだ。」
「えっ?そうなの?知らなかった…」
彼は椅子に腰掛け、窓の外を見つめる。 外の夜空には、まだ紫色の月が浮かんでいる。 彼は静かに語った。
「赤ん坊の産声は、男女を問わず、人種を問わず、みな、 同じ高さの音の声、『ラ』…の音って決まってるんだ。 それは、親を呼ぶ声。愛されたいという、力いっぱいの叫び。 人は誰もがみな、その願いを胸に生まれてくる。 …なのに、親のほうは時に身勝手だ。 こうやって、自分の都合で我が子を手放してしまうやつもいる。 …オレは、人間じゃあない。 四歳の時にバクーに拾われるまでのこと、よく覚えてないけど、 オレはたぶん、ブラン=パルの、カプセルの中で生まれたんだ。 オレはきっと、産声なんて上げてない。 そんなオレが言うのも変かもしれない。 でも、それでも思うんだ。許せないんだ。 生まれてきた赤ん坊を捨ててしまう親ってやつがさ。」
彼は、淡々と、しかしながら力強く語った。
大きな壁掛け時計の音が、チク、タク、チク、タク… 静かに、時間が流れていく。
ふと見ると、いつの間にか赤ちゃんは眠っていた。どうりで静かなはず。
すや すや
その可愛らしい寝顔を見て、彼女の顔は、自然と緩やかに、優しくなった。 彼の顔も、興奮が消え、緩やかに、優しくなっていった。 全てのわだかまりを溶くかのような、安らぎ。 小さな寝息は、天使の歌声のよう。
「かわいいね。」
「ああ。」
しばらく、二人は赤ちゃんの寝顔をぼんやりと見つめていた。
ゴーン… 時計が一つ、音を立てた。 午前一時。
「自分の赤ん坊だったら、もっと可愛いんだろうぜ。」
「そうかな…」
「なんで、こんなに可愛いのに、捨てちまうんだろうな。」
「うん…。」
「この子の親を、探すんだ。」
「…でも、受け取るかしら。 きっと…このご時世だから、貧しくて育てられなくて、 こういうことになってしまったんだと思うわ…」
「それなら話は早いさ。助けてやれよ、国の王としてさ。」
「…うん。そうね。」
「夜が明けたら、プルート隊を使って調べさせるんだ。 城下町中、聞いて回らせれば、きっと情報は掴めるはずさ。 それまでは、お前がこの子を見ててやれ。 悪いがオレは……船に乗らなければならないから。」
「わたし一人じゃ、無理よ。」
「トット先生が来てるだろ?あのセンセに手伝ってもらえばいい。」
「……」
「もし、親が見つからなかった時は…かわいそうだけど、孤児院行きだな。」
「……わたし」
彼女は、そっと赤子の柔らかな頬を撫でながら言った。
「その時は、この子を養子にする。」
「まだ言ってんのかよ!」
「養子にするわ!例え、あなたがいなくても…!」
「……!」
「わたしは、あなた以外の人と結婚するつもりなんて、ないもの。」
彼女は彼をじっと見つめる。 その瞳は、今にも溢れかえりそうに潤んでいた。揺ぎ無い決意の光を湛えて。
「この子に親が見つかったなら、他の子でもいいの。 自分の産んだ子じゃなくても、きっと同じように愛せると思う。 だって…わたしはお母さんのこと、愛していたもの! 本当のお母さんじゃないって分かっても、 やっぱり、お母さんはお母さんって思えているもの! だから、だから…うう…!」
彼女は床に、苦しげな顔で倒れこんでしまった。 彼女はそのまま、意識を失ってしまった。 彼女の名を呼ぶ心配そうな彼の声が何度も響いていた。 何度も、何度も……
窓の外からの、まぶしい朝の陽射し… 目を覚ますと、彼女はベッドの上で、シーツの中で寝ていた。 その横で、赤ちゃんはすやすやと寝息をたてていた。
彼は? 慌てて部屋を見回すが…
彼の姿は無かった。
# # #
女王の間。
「城下町での聞き込み調査はワイマールとハーゲン、 トレノでの聞き込みはブルツェンとコッヘル、 張り紙の作成及び他国への捜索願い文書送付はラウダとバイロイト、 トジェボンとメルゲントハイムは…運搬船の方々に顔がききますよね? 港に停泊する船の船員に聞き込みしてください。」
「了解であります!」
女王直々の命令に、プルート隊の八名は一斉に敬礼して返事した。
「これでいいのかしら…」
「お見事です。」
小声で訊いた彼女にベアトリクスは微笑んだ。
「私も部下を連れ、城下町での調査に当たらせて頂きます。」
「ありがとう。」
ベアトリクスとプルート隊が女王の間を去る。 プルート隊隊長スタイナーには既に話してある。 スタイナーは既に自ら城下町に出て聞き込みを始めている。 女王の間には彼女と、赤ちゃんと、トット先生だけが残った。 今はトット先生がベッドのそばで赤ちゃんをあやしている。
「ほっほっほ。姫さまは本当に御立派になられましたな。 このトットも、うれしゅうございますぞ。 おっと、姫さまなどと呼んではいけませぬな。 今や立派な女王様でございますゆえ。」
「姫さまで構いませんわ、先生。」
先生の言葉に彼女は力無く笑った。
「先生にまで御迷惑をおかけしまして、すみません。」
「なんの、今でもこの老いぼれは姫さまの味方でございますぞ。 姫さまがお困りならいつでも手助けを……ムグムグ」
「きゃっきゃっ」
赤ちゃんが楽しそうに両手で先生のクチバシを挟み、引っ張っている。
「ありがとうございます、先生。」
「ムグ……ほっほっほ。それにしても、可愛らしいお子さんですな。 人なつっこいといいますか、まるで、これまでに、 たくさんの人の手を渡ってきたかのよう……ムグムグ」
「きゃっきゃっ」
「ムググ……こ、このお子さんは、 本当に捨てられたお子さんなのでございましょうか。」
「…分からないのです。あの時…気がついたらすぐそばにいて… あの、月が重なった時なんです。そう、まるで… 月が、わたし達そばへ置いていったかのように… でも、そんなわけないのですよね…」
「フム。なるほど…。 しかし、あの月が関連している可能性は否定できなくもないですな。 ガイアとテラの間に次元の狭間、輝く島の道があったように、 二つの月が重なることによって時空のひずみが生じ、 何処かの別世界から……ムグムグ」
「きゃっきゃっ」
もし、この子が本当に、月の女神が二人のために与えてくれた子供であったなら… でも、結局、彼は行ってしまった。 この子は、一体、なんのためにここへやってきたというのだろう…
「ううっ…!」
急に、彼女は床に膝を落とし、うずくまった。
「ムグ…おお?!どうなされましたか?」
「うう……大丈夫、です。この頃、体調がすぐれなくて…。」
彼女は自分の腹をさすりながら、ふらりと立ち上がり、 ハンカチで額の汗を拭ってから、ベッドの端に腰をおろした。
「でも、この子の顔を見てると、なんだか落ち着くんです。」
そっと、赤ちゃんの頬を撫でる。
「あう、あうー」
赤ちゃんは小さな手を、しきりに彼女の体のほうへ伸ばしている。 それは、彼女のお腹の辺りへ…
「あー、あー」
赤ちゃんは、何度も声を出した。笑顔を浮かべて。 まるで、そこに向かって話しかけているかのように…
「…この子、今朝からこうなんです。 わたしの体を気遣ってくれているのでしょうか…」
「フム…」
赤ちゃんの顔を見ながら、先生は少し考え込む。
「これは、もしかしたら、もしかするかもしれませぬな。」
「はい?」
「安心なされ。喜ばしいことです。」
そう 先生のカンは当たっていたの 彼女は 気付いていなかった でも おにいちゃんには 分かっていたのね この世界に来た時から 知っていたのかもしれない おにいちゃん いっぱい 優しく 励ましてくれてたの くるしんでいた あたしを…
「姫さまは、ご婦人がお腹に新たな命を宿した時に、 そのご婦人の体にどのような変化が起こるか、 知っておいでですかな?」
「? お腹がこう、大きくなってくるのでしょう?」
「いや、あの、その前にですな……」
# # #
そして……
「わたし、行かなきゃ…! 先生、この子をお願いしますね!」
「待ちなされ!無茶ですぞ、そのお体では!」
先生が引き止めるのも聞かず、彼女は部屋を駆け出て行った。 彼女は走った。まだふらつく足で、懸命に。 城下の所々でプルート隊員に会う。赤ちゃんの親の情報はまだ何もない。彼の姿を見た者もないという。 港のそばの浜辺にも、彼の姿はない。が、港の作業員に、彼らしき人物が朝の便の船に乗ったのを見たという者がいたという。彼は、やはり、朝の便の船でこの国を出ていったようだ。 そうと分かれば……彼女は昼の便の船に飛び乗った。 船はリンドブルムの港へ。彼女は、リンドブルムの街中を奔走した。 タンタラス団に会った。シド国王やエーコにも会った。しかし、誰も彼の姿は見ていないという。劇場にも、酒場にも行った。城の屋上にも。けれど、どこにも彼の姿はなかった。彼を見たという者もいなかった。 港から、すぐ、どこか違う場所へ行ってしまったのだろうか。 時は夕刻。しかし、今は泊まってなどいられない気持ちだった。 彼女は単身、ブルメシアへ向かった。しかし、やはり彼の姿を見たという者はなかった。 三国にいないのならば、大陸の外へ出たのかもしれない。 夜空には紫の月。その月明かりの中、彼女はさらなる旅路へ。船に乗り、外側の大陸へ。 日が昇り、沈み、紫色の月が姿を現し、また日が昇る。 霧が晴れ、魔物の減った世界とはいえ、その旅路は、今の彼女にはあまりに厳しいものだった。
宛てもなく 彷徨っていた 手掛かりもなく 探しつづけた あなたがくれた想い出を 心を癒す 詩(にして……
彼に、伝えたかった。 あなたの命は続いていく。 あなたとわたしの間に生まれた奇跡、このお腹の中に 新たな命が宿っていること… この嬉しさ、この喜び、伝えたかった。
城を出て二日目の夜、最果ての地、閉ざされた大陸の、エスト=ガザ。 そこで、ある一つの情報が手に入った。 けれど、それは彼女の気持ちをいっそう不安にするものだった。
前日の夜、リンドブルムからエスト=ガザへ向かっていた一隻の船が、嵐の中で座礁し、極寒の海に転覆、乗船していた乗組員と旅行客数名は全員行方不明… 捜索は難航しており、彼らの生存は厳しいであろう、との話だった。
彼女は一人、城へ戻った。城を出て三日目の朝だった。 三日が経っていた。長いようで、短かったかもしれない。 もっと探し回りたかった。けれど、体のほうが、限界だった。 部屋に戻るなり、彼女は倒れ込んでしまった。
「おお、姫さま…なんという…おいたわしい…」
「あう、あうー!」
月夜に拾われた赤ちゃん、この子の親もまだ見つかってはいなかった。 先生に抱かれながら、赤ちゃんは涙をいっぱい瞳にためて、心配そうに彼女を見つめていた。
おにいちゃん いっしょうけんめい あたしをはげましてくれた けれど その時はもう あたし イシキも ココロも イノチも 消えかけていたんだ…
このまま 流されて 闇の中に消えていくのかな… ここよりも もっと暗い 何もない闇の中に… シニタクナイ……シニタクナイヨ……
でも もうダメみたい…… ごめんね、おかあさん…… おとうさん……会いたかったよ…… 伝えたかったよ……あたしのこと…… あたしが、もっとはやく来ていればよかったんだよね…… ごめんね……
あたしは あきらめてしまいそうになった その時…
聞こえたんだ… あの歌が… 優しい歌声…
それは おとうさんの声だった
「船が転覆してさ、オレは漂流して、もう駄目かと思ったんだ。 オレ、お前を苦しめちまったからな、これは天罰だな、って思って、 あきらめかけていたんだ。 でも、夜空の月を見てたらさ、聞こえたんだ。 『戻ってきて!大変なんだよ!』って声が。 たぶん…こいつの声だな…。」
「あー、あー!」
彼が赤ちゃんの頭を撫でると、赤ちゃんはひときわ嬉しそうな声を上げた。
「こいつが、いろいろ教えてくれたんだ。 それで、こんな所でくたばるわけにはいかない!って気持ちになったんだ。 だって、そうだろ?」
彼は彼女のそばにより、彼女のかけているシーツの上にそっと手をあてた。 それは、彼女のお腹のあたり。
「新しい命、オレ達の愛の結晶が、生まれるんだろ? あったかい…。きっと、きっと元気な赤ちゃんだな。」
「……。」
彼女の、潤んだ瞳から頬へ、光る雫がこぼれ落ちる。 その顔には、窓から差し込む朝陽に負けない輝いた明るさがあった。
彼は彼女の頬の雫をてのひらで拭い、微笑んだ。
「ずっと……ずっと、謝りたかったんだ。 ごめんよ。本当に、いろいろ、ごめん……。 それに…… ありがとう。」
静かで優しい時間が過ぎていく。 輝かしい太陽が青空を駆けゆき、夕暮れの赤い空がやさしく大地をつつみ、 夜の闇が降りるとそれをかき消さんばかりに紫の月が光をふりまき始める。
その夜の月は、温かな、赤みがかった紫色に変わっていた。
# # #
七ヶ月後 新しい命が 誕生しました お尻にシッポ 頭には小さなツノを持った 女の子の赤ちゃん おぎゃあ おぎゃあ と元気な産声を上げて…
それが あたし です
まだ目はよく見えなかったけど 世界のまぶしさ 感じたよ 光あふれる世界の中で みんなのやさしい声 聞こえたよ
おめでとう!
たくさんの人が あたしの生まれてきたこと 喜んでくれた あたし うれしかった おかあさん おとうさん みんな
ありがとう
あたしには その後 たくさんのお友達ができました 孤児院のみんな あたしの 大切なお友達 おとうさんとおかあさん 孤児院のみんなにも いっぱい 優しくしてくれたの
人はみな 愛されたいと願い 力の限りに声を上げ この世界に生まれてくる たとえどんな苦しい現実が待っていようと いつの時代も それだけはきっと 永遠に変わらない
今日の日も どこかできっと 新しい命が 産声を上げている ようこそ この 光あふれる世界へ そして…
『おめでとう』
# # #
ところで、浜辺で拾った赤ちゃんはどうなったのかというと… それは、おとうさんが城へ戻って三日後のこと。
「よう、ベア姐、ちょっといいかい?」
「なんです?その呼び方、やめていただけません?国・王・様。」
「まあまあ、堅い事言うなって。」
「あのぅ…ベアトリクス…実は、この子を…」
「あうあう〜」
「面倒見て、いただけますか?」
「わ、私が、ですか?」
「オレ達、これから結婚式の準備で色々忙しくなるからさ。頼むよ。 こいつの親が見つかるまでの間だけでいいんだ。 見つかんなかったら、オレ達んとこに返してくれていいから。 まあ、トット先生に預けておいてもいいんだけど、なあ?」
「うん。 この子はきっと、あなた達にも幸せを運んでくれると思うの。」
「……。」
「それに、ベア姐ももうイイ歳なんだから、子育て覚えておいたほうがいいと思うぜ。」
「歳…!?」
「うっ…すげえ殺気…」
「きゃっきゃっ」
「ほ、ほら、こいつ、さっそくベア姐のこと気に入ったみたいだぜ!」
「じゃあ、お願いね!」
「……。」
紫色の月明かりが差しこむ城内にて、幸運の天使は次なる物語へ渡っていった。
おにいちゃん あたしの 初めてのお友達
元気でね!
第九話 END
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