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〜 【Relational Novel】 〜

【Relay●MoonLignt Baby】

第九話 〜双月協奏曲〜 Violet Moon







「あの月は、いつまであのままなのでしょう」

紫紺の夜空を背後に従え、初めて見せる色合いの月明かりの中、荘厳なるアレクサンドリア城が浮かび上がっている。夜も半ばともなれば人々の気配も静まりかえり、見張りの兵士の無機質な足音だけが城内にこだまする。

平穏な静寂が支配する城の一角、中庭を見下ろす、回廊の片隅に。
豪奢ごうしゃな装飾に彩られた窓辺にたたずむ、隻眼せきがんの美女、ひとり。
ゆったりと肩を埋もれさせる豊かな巻き髪が、穏やかな夜風にふわりとなびく。
大きな窓から差し込む淡い紫の冷光を浴びて、今宵の彼女は一層妖艶ようえんさを増しているようだった。
しかし、いつもならば愛剣セイブザクィーンをたずさえるその腕に抱かれているのは、心地良さ気にすやすやと寝息をたてている赤子あかご。そっとその顔を覗き込むと、照らす月明かりが眩しいのだろうか、可愛らしい睫毛まつげを伴う瞼がぴくぴくと動いている。
小さいながら懸命に生きている健気けなげさが、彼女に自然と湧きいずる微笑をもたらす。

再び顔をあげて、夜空に君臨する双月を見上げる。
いや、今は重なりて、まるで元から一つ身だったのだと主張しているかのような紫の玻璃はり月を。
その光彩が、いかにもおのれの心情を表しているようで、自嘲の歪みを唇に敷くベアトリクスだった。







【 Relational Novel ●MoonLight Baby● 】
 第十話 〜双月協奏曲〜 Violet Moon 
                      〔 FF IX ED after 〕







スタイナーに求愛されてから幾ヶ月。
一度は快諾したものの、いざ我が身を振り返ってみると、ベアトリクスはまったく覚悟のできていない自分自身に気づいてしまった。
再三に渡ってのスタイナーからのいざないをかわすのも、もはや限界というものだろう。

――けれど、まだ…

自分で自分の心がわからない。
胸元であどけなく眠る幼子を、憂いを帯びた片瞳で見つめる。

――この赤子のように、余計なことなど考えず
――ただるがままに、いられたら…

微かな光のせいなのか、それともベアトリクス自身の翳りなのか。
影を落としたその表情でさえ、見る者がいれば震えがくるほどの鮮烈さを放っていた。






翌日、夕の刻、ベアトリクスは城下からアレクサンドリア城にいるはずのスタイナーのもとへと急いでいた。腕には昨夜ガーネットから預けられた赤子を抱いている。


突然、ガーネットから赤子を手渡された時、さしものベアトリクスも当惑したと同時に、動揺もしていた。さすがの自制心ですぐに落ち着いてはみたものの、まず頭に浮かんだのはスタイナーに相談するということであった。だが、あいにくスタイナーはこのところ毎晩のように城に詰めている。それも、この赤子の親を捜索するという目的でプルート隊がほとんど借り出されているがためだったのである。

この数日で城下での聞き込みはほとんど終わってはいたのだが、結局、手がかりらしきものは何も得られなかった。トレノに赴いたブルツェンとコッヘルからも見つかったという連絡はない。他国からの反応も同様である。そこで、残ったプルート隊は城下町を出て、周辺の小さな集落にまで捜査の手を広げることにしたのだ。
スタイナーに至っては、こういう時こそ万が一のことがあってはと、毎夜自ら城の見張りを買って出ていたのだった。

ガーネットが不在であった数日前に比べ、現在ではジタンも戻ったこともあり、ベアトリクスの忙しさもとりあえず一段落というところだろう。それでも決して暇だとは言えぬ状態ではあったが、さすがに夜の任務只中ただなかのスタイナーに逢いに行くことははばかられた。
こんな時、ベアトリクスは自分の生真面目さを呪いたくなってくる。
トット先生もトレノへと帰ってしまわれた今、このまま城に居ても慣れぬ赤子を持て余すだけと悟った彼女は一旦自分の屋敷へと戻り、頼みとする乳母に一時預けることにしたのである。


いきなり赤子を連れ帰ったものだから、始めは驚いていた乳母やだったが、事情を察するが否や、さすがにベアトリクスを育て上げただけあって、彼女の赤子の扱いは手馴れたものだった。テキパキと世話をし始める乳母の手並みに、ベアトリクスがしきりに感心していると、
「お嬢様も今から慣れておかれないと、ご自分のお子様の時にお困りになりますよ。
 もっとも、このワタクシがきっちりとお世話させていただきますけどね。ええ、それはもう…」
などと、今、もっとも彼女が避けたい話題をここぞとばかりに押し出してくる。
日頃、よほど言いたきことを抑えていたのだろう。

「まったく、スタイナー殿もなにをぐずぐずされておられるのやら。お嬢様に求婚なさったとお聞きした時は、ワタクシはもう天にも昇る心地でしたのに。まあ、あの朴念仁では仕方のないことやもしれませんねえ。ですが、お嬢様もお嬢様です。お子様は早めにお産みにならないと、お身体の負担が増えるのでございますよ。本当にいつになったら、このように可愛いお嬢様のお子をこの乳母に抱かせていただけるのかと・・・・・・」

矢継ぎ早やに繰り出される言葉の嵐に耐え切れず、赤子を胸に半ば耳を塞ぐようにしてベアトリクスが屋敷を後にしたのは、もう陽も山のへ消え入ろうかという頃合だった。

「まずはこの子をどうすべきか、スタイナーと相談しなくては…」

屋敷を出る時に乳母やに言った、自分自身への言い訳ともとれる、スタイナーに逢いに行くための理由。

逢いたいのに…逢いたくない。

 ―相反する思い―

もちろん同じ城内で今ではほぼ等しき地位にいる二人は、その職務上毎日のように顔を合わせてはいる。しかし、互いに公私の区別をわきまえているだけに、まさに目の前にあって言葉を交わしていてさえ、それは逢っていないのと同義であった。
けれども、この赤子はガーネットたちからの頼まれごとなのだ。このために、めったに取らぬ休暇も願い出た。
例えおおやけのことでなくても、それが敬愛する女王から託されたものならば、何をおいても最優先すべき事柄なのである。更には、女王の私的なことであるだけに、自分一人だけではなく、同様に近しいはずのスタイナーにも当然相談すべきであると・・・。
三段論法ならぬ、まったくのこじつけであろうとも、今のベアトリクスはスタイナーに逢いに行くための大義名分を必要としていたのである。


赤子を抱き道を急ぐおのれの顔が、夕日に染まり始めた街並みの朱さに紛れながらも、どれほどにほころんでいるのか、ベアトリクスは自分ではまったく気が付いていない。そこはかとなく浮き立っている気分を、幾分持て余し気味な戸惑いとして感じてはいたが…。






「・・・以上、報告終わります!」

「うむ、ご苦労である。」

城内に入るとすぐに、見張りの交代の報告を受けているスタイナーの姿を見つけて、思わず駆け寄ろうとしたベアトリクスだったが、はたと今までの経緯を思い出し、急ぎ物影へと身を寄せた。今この場で赤子を抱いた自分がスタイナーに語りかけることは、余りにも多くの好奇の目に曝されてしまう。もっと人目の無い場所で、と急ぎ頭を巡らす。長きに渡って仕えてきた城のことは、事細かに頭の中に入っている。報告を受け終わったスタイナーがどの道筋を通って自室へと戻るのかさえ…。

――忠誠がゆえに把握していたことが、このような形で役に立とうとは・・・

ベアトリクスはそんな自分の考えに、失笑を禁じえなかった。

ふと、頬に柔らかい感触を覚える。
そっと顔を傾けると、腕の中の赤子が懸命に小さき手を伸ばし、ベアトリクスの顔に触れようとしていた。

「あぁぅぅ〜」

つい先ほどまでぐっすりと眠っていたはずだった赤子が、いつの間に目覚めたものか。大層機嫌が良さそうなのは、乳母やによって沐浴させてもらい、清潔な衣服に着替えさせられ、おまけにたっぷりとミルクも飲ませて貰ったのだから、至極当然と言うものなのだろう。
小さくともまるで邪気のない澄んだ瞳で見上げられていると、素直になれずいろいろと小賢しい手段を弄している自分に、急に気恥ずかしさを感じてしまう。

そのまま瞼を伏せ、おのれの思考の中に沈みそうになった時。

望んでいたはずの声を耳にして、心の臓が激しく波打つ。

「そこにいるのはベアトリクスではないのか? どうしたのだ? こんな時間に…」

「! スタイナー…。 そ、その…」

まったくいつものベアトリクスらしくなくうろたえている様を、怪訝な顔で見つめていたスタイナーが彼女の腕の中で蠢く物体に気付いた。

「それは…? まさか…」

ガーネットとジタンが赤ん坊を拾ったということは、今やこの城内で知らぬ者などいない。しかもプルート隊こそがこの赤子の身元捜査あたっていたのだから、スタイナーがすぐに合点がいくのも道理というもの。そのことに思い当たり、徐々にベアトリクスはいつもの自分らしき態度へとたち戻っていった。

「ええ、例の赤子です。実は昨夜、ガーネット様たちから預けられてしまいました…」

「ふむ。それはもっともなことである。これから姫さまたちは式を控え、お忙しくなられるのだからな」

「スタイナー! 姫さまではありません。もうガーネット様はこの国の女王でいらっしゃるのです!」

スタイナーの言葉尻を聞き逃さず、いかにもに堅苦しく訂正を求め言い募るベアトリクスの様子を見て、スタイナーはさも嬉しげに破顔する。

「やっと、いつものベアトリクスらしくなったのである」

「!」

スタイナーの言葉にハッとしつつも、ベアトリクスとてこのような会話をいつまでも続けるつもりはない。

「…それで、この子をいったいどうしたらいいのか、あなたと相談した方がよいかと…」

またもや、自信なげに語尾が消えていく…。
どうしたらもこうしたらも、ベアトリクスの言い分は単なる口実に過ぎないということを、スタイナーはすぐさま看破していた。赤子の親の捜索は既に命令が出され、即日実行に移されている。プルート隊はそのために連日走り回っているのである。親が見つかるまでの間、育児に慣れた者に世話をさせればいいだけのこと…。


逡巡するベアトリクスの目の前に、鈍い光を放つ鎧で覆われた両手が差し出された。

「?」

「その赤子は、姫さま、いや、ガーネット様のもとにジタンを呼び戻してくれたという噂ではないか。自分にもぜひ抱かせて欲しいのだが…」

「あ……はい…」

促されるまま、壊れ物を扱うようにそっと赤子を手渡すベアトリクス。
その胸には、ここしばらく決して消えてくれない、ある焦燥感を生じさせたまま…。

「それにしても、このところ不思議なことが続くものだ」

急に温かく柔らかな場所から堅く冷たい場所へと移動させられた赤子は、当然のごとくむずかり始める。しかし、偶然触れた鎧のツルツルとした感触が気に入ったのか、そのままぺたぺたと触り遊び始めていた。その様子をしばし心配げに見守っていたベアトリクスは、ほっと安心したと同時に寒々しくなってしまった腕の中を、おのれの腕で温めるかのようにかき抱く。

「本当に…。あの月といい、この赤子といい…。いったい何が起こっているというのでしょう」

「悪いことばかりとは限らないのである」

「え?」

おのれの心境も重なったためか不安げな響きを帯びた問いに、意外にもスタイナーの柔らかい声音が返ってきて、必要以上に驚きを隠せないベアトリクスがいた。

「それは、どういう……?」

不審な表情で改めて問い掛けてくる愛しき麗人に向かい、スタイナーは真っ直ぐに見つめて言った。

「ここでは、場所が悪い。姫さ…ガーネット様がこの赤子を拾われたという浜辺に行ってみようではないか」

「何故」や「どうして」という返ってきて当然の疑問の符は、ベアトリクスからは発せられなかった。
むしろ、スタイナーの方からそう言ってもらえて、正直なところ安堵のため息を漏らしそうになっていたのである。

いつまでもこのままではいられない。それはベアトリクスも至極承知していた。しかし、それを打開するための方法を見つけられぬまま、事ここに至ってしまっていたのである。

『この子はきっと、あなた達にも幸せを運んでくれると思うの。』

ガーネットからこの赤子を託された時に言われた言葉。
実はベアトリクスこそ、そうなって欲しいと願っていたのだった・・・。


一方、スタイナーとて、いくら<鈍感を絵に描いたような>と称されてはいても、こう何時も何度も避けられていては、気づくなと言う方が無理と言うものである。一度は受けた求愛を、さも無かったかのように振る舞うベアトリクスの挙動の不振さを、深い悩みゆえのことと思いやったがため、まったく為す術を持たなかった。
そういう自分に、やはり不甲斐なさと苛立たしさを覚えながら…。

そのベアトリクスが、やっと自分から行動を起こしてきたのである。例え赤子を口実にしようとも、この機会を逃したら、又、互いに暗中模索の日々に立ち戻ることは火を見るより明らかだった。






アレクサンドリア城の地下から、警護の兵士をかなり強引に説き伏せて小船を出させ、近くの浜辺に着いた時には、既に陽はその姿を隠し、なかなか見慣れることのできない大きな紫の月が中空に差しかかろうとしていた。
冴え冴えとした月光の中、紺碧の海と紫暗の空に挟まれて、浮き出て見える白浜へと降り立つ。赤子は未だスタイナーの腕の中、小船の揺れが心地良かったのか、すっかり寝入ってしまっていた。
心を洗われるようなその寝顔を見つめてから、波に濡れて色を濃くする砂に足を取られぬよう、ゆっくりと歩き始める大小二つの影。

しばらく歩いていると、華奢きゃしゃな麗姿からポツリと声が漏れる…。

「自信が……ない、のです…」

「そんなことは、心配無用なのである」

勢い込んで詰め寄りたい気持ちを抑え、スタイナーは静かに応える。
何が、などと聞く必要はなかった。二人の想いが同じ方向を向いていることだけは確信できる。

「ガーネット様も、国も、…家庭も…。二人で協力すれば、恐れるものなど何もないのである!」

抑えようと思ってはいても、募った気持ちは次々と溢れ出してくる…。
次第に大きくなっていったスタイナーの声に、眠りながらもピクリと反応する赤子。

「スタイナー……いえ、アデルバート」

安心させるように赤子の薄くて柔らかい髪をそっと撫でてやってから、ベアトリクスはスタイナーの勢いに釣られるかのように、思わず本心を呟いていた。

「…私で、良いのですか?」

赤子の髪を撫でながら細かく震える指が、ベアトリクスの心中を物語る。

「私は、おそらく良い妻にはなれませぬ。あなたや家庭よりも、きっとガーネット様やアレクサンドリアの方を優先してしまうことでしょう…」

戻した手を堅く組み、血の気の引いた唇がキュッと小さく噛み締められる。

「そんな自分を……私が、私自身が…許せない…」

指先が白くなるほどに強く握り締められた両手を、まばたきもせずにベアトリクスが見つめている。
ふと、その手の上に硬い甲冑に覆われた大きな堅手が添えられた。

「それでいいではないか」

ハッと顔を上げるベアトリクス。
目の前には、揺るぎなく真っ直ぐに自分を見つめているスタイナーがいた。

「我らは同じ魂を持つもの同士。この身は既にガーネット様と王国に捧げている。何時いついかなる時も、我が身を投げ打つ覚悟はできている所存である。ベアトリクス、それはおまえも同様なのではないか?」

「……はい」

コクリと一つ息を飲み、ベアトリクスもスタイナーの言葉に真摯に耳を傾ける。

「だからこそ、我らがより強固な絆を築ければ、それが王国、ひいてはガーネット様の御為おんためにもなると信じるのである。そもそも、我らがおのれの幸福を否定していては、ガーネット様の真意に反するのではないだろうか?」

「それは…」

痛いところを付かれたと言わんばかりに、ベアトリクスが目線を外す。

「お互いを必要としていることを知ってしまった今、もはや離れ離れでは心は満たされぬ。満たされねば、心など無きに等しい。心無き者の空しさ、悲しみを、その身を持って教えてくれたお方が、いたのである……」

「…ビビ殿、ですね…」

遠慮がちに掛けた言葉が掠れる。
返事の代わりに、ゆっくりとその身体に似合わぬパチリとした瞳を閉じて、スタイナーは懐かしげに語った。

「ビビ殿に会わなければ、そしてジタンや姫さまたちとのあの旅がなければ、自分は今もただの頭の固い若輩者だったであろう。はからずも敵対していた時、立場は違えどおまえも同じような経験をしたのではないのか?」


一度は王国を出奔しようとさえ、思いつめた。
望んで行動したことではないにせよ、女王ブラネのもと、この国を追い詰め、アレクサンドリアの街を破壊せしめたのは、紛れもなく自分たちであった・・・。
スタイナーに引き止められ、改めて王国への忠誠を誓った。

――けれど…

罪の意識が消えたわけでは、ない。
新しき女王は、真にこの国のことを思い、民を思う。そんな主君に仕えることこそ、本意であり、償いでもあると言い聞かせてきた。自分自身に。
女王と王国のために、我が身をにして尽くすことに躊躇ためらいはない。

――けれど、復興も未だ途中のこの時期に、おのれの幸せを優先させることは……

そのことが、あらためて強い自戒の念を呼び覚まし、ベアトリクスを苦しめていたのだった。



「…ええ、確かに」

再び見据えられたスタイナーの視線に、ベアトリクスは身の置き所なく居心地の悪さを味わってしまう。

「今思えば…。私は『悪』の側にいたことになるのですね…」

その言葉を聞いた途端、スタイナーは腕の中の赤子のことさえ忘れたかのように、激しく言い募った。

「それは違う! 信じて仕えていた主君がよこしまな野望を抱いてしまったというだけのこと。ベアトリクス、おまえはそれをいさめるために居たのである。あの時、おまえが転身してくれなければ、今ごろ我らはどうなっていたことか…」

スタイナーの弁護の言葉を僅かばかり潤んだ眼差しで受け止めて、ベアトリクスがそれこそ心内のすべてを吐露とろし始めた。

「けれど、たとえ戦場と言えど、それが女王のめいであったとしても。
 いままで幾多の罪もない生命いのちを奪ってきたことは事実……。
 どのような者であろうと、人である限り、親がいて、その者を愛する人がいる。
 ビビ殿のように、人為的に作られてしまった者たちでさえ…。
 人は如何いかほどいようが、生命は一つ。
 たった一つのかけがえのないものなのだと……初めて知ったのです。
 愛するということを知って……。
 初めて人の生命の重さを、その生命が奪われるということの意味を。

 この子を見て、いつか我が子をこの胸に抱きたいと思ってしまった。
 こんな私が、今更、暖かい家庭を持ちたいと望むことなぞ…。

 …私は、臆病になってしまいました。
 もはや、この剣を携える資格など…ない、のです…」

赤子を連れていようが、常に我が身と一体のごとく今も腰に携えている愛剣、セイブザクィーン。それを悲しげにベアトリクスは眺めやる。

「生命の尊さを知っているからこそ、人の上に立つ価値があるのではないのか?
 無駄な殺生をせずに済むのなら、それに越したことはない。
 過去のことを悔いるのは誰にでも出来る。
 しかし、それだけではそこから何も生まれぬ。
 亡くしたものは二度とは帰らぬ。
 ならば。
 もう二度と道を誤らぬよう、大事な物を失わずに済むよう、努力するべきではないか?
 そして、そうなるべく国や民を導ける立場に、我らは居るのである…。
 我らが慈悲深き女王とともに……」

ゆっくりと滔々とうとうと。
スタイナーは想いのすべてを込めるように、悩みにうれの人に語りかけていた。

「そうは思えぬか?」

「アデルバート……」

ベアトリクスの見開かれた瞳は言わずもがな、隠されその役目を果たさぬはずの片割れも、熱いしたたりで覆いを濡らす。

「染み付いてしまった習性や矜持きょうじはそう簡単に変えられるものではない。
 だが、自分の信じるものを否定することは更に至難の業であろう。
 それを敢えてやってのけたおまえを、尊敬こそすれ非難するなど、もっての他なのである!」

「…っ…アデル…バートっ…」

今や、将軍の仮面を脱ぎ捨て、一人の女性に立ち戻ったベアトリクスは逞しき鎧姿に身体を預ける。対照的な、その胸の柔らかき赤子を間に抱えるように…。
いっそすがりつきたいほどの昂ぶりはあれど、か弱き者への配慮を忘れ得ぬところが、あくまでベアトリクスらしく。

「私は。 …それを誰かに言って欲しかったのかもしれません。けれど…。やはり、私は愚かですね。他の誰でもない、あなたに言って貰わなければ意味はないというのに…」

斜めにかしいだ頬に当たる硬い鎧の冷たさが、熱くたぎった感情の奔流をほどよく醒ましてくれる。

「自分の醜い心をさらしてしまって、あなたに軽蔑されるのが恐かった…。自分がこれほどまでに意気地がなかったとは…。今の今まで、存じませんでした…」

「それ以上は、もう良いのである」

そして、ベアトリクスの悔恨の言葉を遮るのは…。

ぎこちないけれど、はかり知れない愛おしさの込められた、熱い……くちづけ。

群青の空をりんと照らす今は一つの双月が、その姿の中に恋人たちのシルエットを映し出す。
穏やかな潮騒が、祝福の旋律を奏でる。
淡き二つの影を包み込むように…。


 刹 那せつな


二人の間がまぶしく輝きだした。

「!」
「なにごと!?」

閉じていたはずの二人の瞳をも射抜くほどの眩しさ。
正しきは、スタイナーに抱かれていた赤子が、まばゆい光を放っていたのだった。
光に押されるように離され後ずさりすると、赤子がスルリと宙に…


  ― 浮いた ―


フワリと浮いたまま移動し始めた赤子は、二人の視界から月の姿を隠してしまう。

もう一度、紫の月光を集束するかのごとく強く光り輝くと、その余りのまばゆさに恋人たちは思わず顔を背けてしまう。

そして、あたりに再び静やかな闇が戻ってきた頃には、まるでかき消されたかのように赤子の姿はなかった。



しばし、二人は言葉もなく立ち尽くす。

ようやく聞こえてきた声の持ち主は、麗艶なる美女。

「あれは…。あの赤子はいったい何だったのでしょう…」

それに応えるは、堂々たる体躯たいくの王国騎士。

「はて? 自分にもさっぱりなのである。」

見つめ合う、三つの瞳。

「けれど…」

ツィと伏し目がちに視線を逸らし振り向き、いつの間にか元通りに分かたれた月を見上げる。

「私の心の氷を、溶かしてくれました…。あの子と、あなたが…」

そっと背後の巨壁にもたれる。

――私が背中を預けられる、唯一の…

硬いはがねに覆われた、熱き血潮のあかの月。

冷たき氷も溶けるほど、震える美貌のあをの月。

一つ時より、より複雑に、絡み絡まれ様々な色をかもし出す。

「いつか、きっと…」

願いを込めたささやきに、大の男をも投げ飛ばす数々の武勇伝を持つとは思えぬ細い両肩へと、静かだけれどズシリとかかるその重み。僅かばかりにひそめた眉目びもくが、秀麗なを描く。自分の両腕がいったいどれほどの重さであるのか、まるきり理解していない無骨者をにらもうとして、ふっ、とそれが出来ない自分をわらう。

「どうかしたのであるか?」

男女の機微きびなどまったくうとい、この愛すべき人との間に。


――戻ってきてくれるのかもしれませんね…



双つの月が、お互いに照らし合い、新しき光の色を紡ぎ出すように・・・







     第十話 END

Copyright (c) 2002 テオ



BGM:「FFIX」より「ローズ・オブ・メイ」
MIDI提供:Pocketbook



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