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〜 【Relational Novel】 〜

【Relay●MoonLignt Baby】

第八話 〜 Eyes On Me 〜 遠き月





夜闇。積雪。絶望や疑念、冷血の象徴にも使われるこれら単語は、時として幻想的な響きを湛える。今が、そうだ。冴えた風は雪の種子を散らし、白雪に吸い込まれた潮鳴りはプレリュードを歌う。雪明りに、全ては小さくまばたきを繰り返している、この情景こそ。

「アービン、こっち〜。綺麗だよ、すっごく。」

そこには、大手を振っている少女の姿が朧なラインで刻まれていた。酸っぱい親雪の香りと潮の香りが、冴えた空気に快い。大声を出した少女は髪を流そうとする風に逆らわず、横髪を掻き揚げた。

友を呼ぶ声が海の音に溶けた後数秒の時を経て、息を上げて駆けて来た男性が、自光する雪に足跡を落とし始めた。男声が響く。
「セフィ……早いってっ!!」
「だらしないなぁ〜。でも…ショットガンだかマシンガンだか、背負ってるからねぇ〜。」
そんな雑談も、波のメロディーに重なり、幻想的な小節を紡ぎ、そして夜の声音が曲を継ぐ。
セルフィはアーヴァインの肩を軽く叩く。お疲れ様っ、と悪戯っぽい顔が告げていた。セルフィのうなじに掛かるはねた髪がゆっくりと、アーヴァインの顔の正面を向いてくる。彼は、彼女の目線が夜空に向かっているのを見た。瑠璃色の生地に、半月のペンダントを飾った空のドレス。それは、感情を一切交えずにも、美しかった。

綺麗だね…。唇がごく自然に紡いだ感嘆が、白い吐息として舞い上がる。無数の星を散りばめたような海、セルフィを魅了した夜天。そして輝く大地が、その吐息を美しく映えさせていた。

アーヴァインは、うん、と頷く。だがその感性は、イヴニングドレスではない、別の物に対して向けられていた。

それは、体温を奪っていく風が、雪の蛍を散らすという、叙情的な光景だった。一握にも満たない生命が、一瞬だけ邂逅し、やがて還るという物語が抒情詩(じょじょうし)にされている―というのは考え過ぎであろうか。だが少なくとも、感情の反射鏡であった雪蛍は、どこまでも美しかった―。

―僕らしくも無い。

その真偽はどうであれ、そんな感傷的になってしまった自分に、彼は呆れ混じりに苦笑した。


と。夜のさざなみが夜空の光を散らしながら奏でる緩やかな旋律に、ひとつの大声が爆ぜた。それだけでは終わらず、声―それは、大泣きする声だった―が、両者の間に沈黙を築きあげてゆく。音源は、アーヴァインの背。正確には、白い顔もあらわに、背負われている赤ちゃん。

彼が空虚な笑い声を発するのと、セルフィがねえ、ここの気温分かってるの…?と睨むのは、ほとんど同時だった。
気まずい沈黙の中、よりその堀を深くしてゆくのは、無邪気ともいえる泣き声であった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


暁。透明感のある暗い灰色の空に、茜色の光が昇ってくる時間。太陽と月とが邂逅する、刹那の時間。

月と太陽が、光のハーモニーを奏でていた。

短い金髪の紅顔に、驚くほど真摯な感情が刻まれていた。だから、アーヴァインとセルフィは赤ちゃんを受け取った。サイファーの言葉、「幸せな子供はあいつには必要ない」の裏には複雑な理由があるのだろう、彼らはそれを問わなかった。


だが、育児という未知なる壁に、彼らは衝突するのだった。ついでに言うなら、アーヴァインよりは育児上手であろうセルフィは、同窓会の為、あと2日で帰ってしまうという問題もある。

「まずは……んと、どしよっか?」
はねた茶髪が、困ったように揺れた。その動きと同じ感情の瞳に見つめられたアーヴァインは数秒考える仕草を見せ、「とりあえず…本借りよっか」と答えた。軽く肯定の頷きを見せたセルフィは、小走りにバラムガーデンへと向かっていった。


知り合いの学生への状況説明―サイファーと風神の名は言わなかったが―に大分時間を食ったが、図書室に到着した。


―育児に関して、まずはスキンシップが大事である。その理由として―

パタン。古く厚い本が閉じられる。育児理論などではなく、彼らが求めているのは方法だ。だが、バラムガーデンに育児の本はこれしかなかったのだ。はぁ…と両名が息を漏らすと、しばらく抱いていなかった為か、赤ちゃんの大声が号泣を始める。慌ててセルフィが抱いてあやすと、声の大きさは次第に下がり始める。5分が経過すると、赤ちゃんはもうぐずるだけになっていた。



彼女の顔には、微笑みの日が差していた。

「あ!!泣き止んだよ!!でも……これさぁ、勘で何とかなるよねぇ。」
セルフィが漏らす。アーヴァインは、その意見に確信と言える程の同感を憶え、同時に二日後以降へ心配を馳せた。
「なるけどねぇ…。」
ぽつりと、彼は呟いた。だが、アーヴァインの不安なぞ惑星の裏側、セルフィは赤い頬をつついて遊んでいた。
翌日、翌々日と、全ては順調に過ぎ、セルフィの背中は列車の扉に消えていった。


それからが、拷問の開始である。

セルフィの揺りかごを離れた赤ちゃんは泣き始め、あやしてみたが泣き止まず、バラムの街を全力疾走する羽目になり、周囲の目線に突き刺されて精神が消耗しきり、

どうにかバラムガーデンに生還したと思うも束の間、学生らの忍び笑いに包まれた雰囲気にひたすら忍耐、寮に逃げ込んだは良いが、泣き止ませる手段がない。ミルクをあげてみたが、飲まない。おしめを変えようとしたが、暴れる。寝付かせようとしたが、泣き止まない。

泣くわ泣くわ泣くわで、アーヴァインは、歴史的濃霧の中一人迷宮に取り残された気分になった。


ようやく眠った―原因は泣き疲れだろう―と、アーヴァインが安心したのは、午前1時。夜泣きが心配だったが、まぁ、それはない。赤ちゃんの体力が底をついているだろうし。その証拠に、寝返りさえうっていない。

アーヴァインは、精神的に疲れきった体を引きずり、ようやくベッドに辿り着いた。だが、刹那。

夜泣きが始まった。

疲れきった心身を、その泣き声は叩きつける。がくり、と腰の力が抜け、絶望の溜息が落とされた。帽子が…やけに重い。コートが身体を床に押し付けようとしている―。

途方に暮れたアーヴァインは、セルフィを訪ねる事を決意した。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「という訳。分かった?」
「それは分かるんだけど…。聞きたいのは、なんでここに連れて来たかっ!!」


自らの足元を指差し、セルフィは怒鳴りつける。彼女は、アーヴァインが赤ちゃんを寝かしておかなかった事実に対して呆れと共に怒りを覚えのだが、ベッドに寝かす―というか寝ていたのだが―事を前提に、アーヴァインをほったらかしに突っ走ったという痛い事実がある為、少しの反省が混じっていた。

「僕がトラビアに着いてすぐ、セフィが『着いて来て』、って言ったんだけど…。」
「こらそこっ!!」

セルフィはアーヴァインのみぞおちに肘鉄を叩き込んだ。そして、今まで泣かなかった事への、ある種の驚愕を込めた目線で、アーヴァインに背負われた赤ちゃんを見つめた。泣く赤ちゃんの小さな口腔からは、白い息が昇っていた。

目線の脇で『くの字』になったアーヴァインを見やって、彼女は溜息をつく。

「アービン。」
澄んだ、澄みすぎた感情の種が、アーヴァインの感情に緊張を植えた。泣き声は遥か遠くの喧騒のように感じられ、沈黙、むしろ硬直した空気が落ち……時間だけが流れてゆく。波が、雪を溶かしていた。

「……馬鹿っ!!な〜ん〜で何も掛けないのっ!!風邪引くよっ!!すぐ寮に戻るよっ!!」

セルフィの怒鳴り声に、赤ちゃんは泣く声を大きくした。



トラビアガーデン、学生寮、セルフィの寮。ここは本来四人部屋なのだが、彼女の同僚は任務やら任務でどこかに行っている為、一つの広い空間が空いている。だがそこは、十人分はあろうかという喧騒に満たされていた。

「ミルク探して〜、アービン。そこにある毛布も頂戴ね〜。」
と言うと、毛布が表面積いっぱいに広がりばさっという音をたてる。
「あ、おむつも必要かぁ…。セフィ、僕の鞄から取って。」
と言うと、鞄をあさる音が広がり、保護者を失った赤ちゃんが泣き始める。それを慌ててアーヴァインがあやしに行くが、不器用な両手は余計に泣かせ、すかさずセルフィの叱責が飛び―

このくらいの騒音公害が、十五分は続いている。その為、隣で壁を叩く音が絶え間なく響いているのだ。正直言って、耳栓が欲しくなる。

「僕ミルク作ってくるから、あとよろしく〜。」

五月蝿さで満たされた部屋に、さらに大きな声が響いた。声の主であるアーヴァインがウィンクを残し、粉ミルクの袋と哺乳瓶を手に、部屋を後にした。セルフィはセルフィで、今ようやく紙おむつを発見したところであった。



トラビアガーデンの調理室。暖房が効いていない為、そこは冷凍庫のようであった。実際問題として、トラビアくらい寒い地域になると、冷蔵庫さえ消え失せ、バラム等温暖な地域における冷蔵庫の役―すなわち食品を保存する―を保温庫に譲るのだから、事実調理室こそが「冷凍庫」なのだが。
冷気の伝導を阻止する為に作られた二重窓も効果を成さず、ひんやりとした風が流れる中、アーヴァインはコンロに向かった。


ポットが見当たらない事に軽く舌打ちし、とりあえずアルミ鍋で良いか、と手に取った。
目分量の哺乳瓶2杯の水で満たしてからコンロにその鍋を置く。

一緒に持ってきた哺乳瓶に粉ミルクを入れると、コンロのスイッチをひねった。青い炎が上がる。空気の対流により、熱が空気に染み込んでいった。


心地よい温かさが身体の芯まで伝導し、眠気を染み出させている上に、哺乳瓶に入れるとき放たれたミルクの微粒子が甘い香りとなり、優しく嗅覚を撫でてはその強い眠けを貼り付けていく。

今日はとても疲れている。不眠不休でこっちに来たのだから当たり前だ―といえばそれまでだが。

火を止めたアーヴァインは、眠気にあらがう事も出来ず、それに従って夢へ一歩を踏み出した。


静かな寝息が、二つ。甘い一小節を空気に溶け込ませては、新たな一小節を落としてゆく。赤ちゃんを抱いたセルフィ。セルフィに抱かれた赤ちゃん。意識はやはり、夢の中に在った。

******************

セルフィは孤児院にいた。赤ちゃんを腕に抱いて。これが夢、『孤児と成り果てた孤児院』という、想像でしかない場所の夢だと理解しつつも、そのあまりの寒々しさに違和感を持ち、屋内を回り始める。響くのは、吹き抜ける風の唸りとセルフィの足音。そして、潮騒。それは、歩きまわっていた間の唯一とも言える共通事項だった。
結局彼女は、夜の砂浜に腰掛ける事にした。そこが、一番安心できるから。空虚すぎる屋内を抜けてゆく風は、孤独の傷を叩きつけていくから。だが、孤独や不安が無くなるという事はない。
ただ、黒く、暗い空で神秘的な光を投げかけている横顔を見つめていると、少しだけ、痛みが和らぐのだ。時を伸ばすような、長い波長の子守唄。それは、夜の波の独唱だった。心を落ち着かせてくれる香りに身を委ね、セルフィはそっと赤ちゃんの髪を撫でた。


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気付けば、アーヴァインは孤児院に立っていた。赤ちゃんを腕に抱えて。これが夢。十年は前の孤児院の夢。それは一瞬にして理解が出来たが、どうも妙な感じは拭いきれない。

「まませんせいの声が聞こえるんだよねぇ。ついでに…キスティ?…ゼル、やっぱりいじめられてる〜。って事は〜、あの声がサイファー?」

音源である天井に、そして赤ちゃんに苦笑を向ける。すやすやと眠る顔は、憎たらしいほど穏やかだった。

「ちょっと行ってみよっと。面白そうだし。」

うろ覚えの道順を頼りに、アーヴァインは足を動かし始める。途中、微かに憶えている気がする物をたくさん見た。来年の夏にと八本だけ―みんなの分と、まませんせいに―残しておいた線香花火。真新しいクマのぬいぐるみ。たくさんの絵本。

アルバムを読み返した時のような照れ交じりの感情が、彼を微笑ませていた。

宝石箱の中身を思い出せた事に、アーヴァインは、だが一片の悲風も湛えていた。

―まぁ…、僕に限って言えば、そこまで美しくはないね。

潮の香りが、孤児院を走り抜けていった。


階段の最後を上ると、夜になっても尚明るい、子供達のはしゃぎ顔があった。まませんせいに絵本を読んでと言っているのだろう。アーヴァイン自身、そうやったような気がしないでもない。

さらに近づいていく。誰も気付く気配さえ見せない為、アーヴァインは自分が空気のような物なのだろうと思った。無邪気な会話は続く。

この絵本を読んで欲しいと「まませんせい」にせがむサイファーとキスティス。その我がままを注意するセルフィ。もう夢の中のゼル。スコールはいないが、「おねえちゃん」を待っているのだろう。

「そういえば…僕は?」

この部屋にいない事実に気付いたアーヴァインは自問し、再度部屋を入念に見回すが、少年の茶色い髪は見つからなかった。

彼は溜息を一つ、自身の過去と同じ髪の色を持っている赤ちゃんの頬を指で突いた。



なんで僕はここにいるんだろう。だれも僕なんて気にしてくれないのに。僕が風邪引いたって、だれも心配さえしてくれない。なんで僕はここにいるんだろう。ああ、身体が熱い。空に浮いてるみたいだ……。
僕、死んじゃうのかな。それでもいっか。どうせ僕なんて……。頭が痛いなぁ…。

でも…怖いよ。誰か、僕を助けて。せめて……。




赤ちゃんを腕に歩き回った末、アーヴァインは過去の自分を見つけた。一人きりのベッドで、暗闇という揺りかごに揺られながら、眠る自分を。乱れた息遣い、額ににじむ汗。それが、病人だという事実を物語っていた。

窓辺に望める月は空で、儚く大きな、だが半分でしかない光を宿して輝いている。アーヴァインは、過去の自分にどうしようもない同情を抱いた。誰かに理解して欲しくて、でも誰か来て、と言える勇気がない。人の理解は、あたかも月のように、手の届かぬ物だと思い込んで何も行動を起こせないのだ。今の自分も。もしかしたら未来の自分も。

ふと彼は、腕の中の赤ちゃんに憧憬を抱いた。知らず知らずのうちに、他人の優しさを受けている、この横顔に。


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―大丈夫?

誰だろう…。あ、幻聴かもね…。あはは、おかしくなっちゃったのかなぁ、僕。

―ねぇ…大丈夫?

誰だろう、この声。


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いつも、一人きりだった、と、セルフィは思う。豊かな表情という仮面をかぶり、辛さや寂しさを隠してきていた。夜の風が冷たい。だが、美しい夜景に彩られ、温もりを消してゆくこの風も風流となるのだ。

ふと、空を見上げると、美しい夜景が広がっていた。
漆黒のドレスに、星々が金糸を編み込み、半月の横顔がそれを照らしている。全てを絵画としてしまうその空から、彼女は不意に目を反らしてしまいたい衝動に襲われた。アービンと過ごした今日のあの時間が、心を彫る氷刃となって蘇るからだ。

自分は、素直な気持ちが分からずに日差しの海に真実を沈めている。そうだったと思い直し、だがどうする事も出来ず、彼女の頬を、月の光を吸った露が滑り落ちた。



セルフィは、必死にもう一滴を拭う。全ての寂しさを水葬してきた、その代償として寂寥の風が身を冷やしてゆく。その風に拭われる事なく、氷水の涙は湧き出でてくる。セルフィは、必死に、必死に、最後の一滴を拭い続けた。

涙収まらぬ彼女は、腕の中の赤ちゃんに憧憬を抱いた。知らず知らずのうちに、寂しさから逃れていられる、この横顔に。


******************


アーヴァインの手から、セルフィの手から。帰りたい、という二人の想いが重なったと同時に、小さな生命の温もりが離れていった。同じ場所、違う時で。


すうっと雪の粒が溶けてゆくように、赤ちゃんは去っていった。慌てて周囲を見渡すが、そこにあるのは、夜空という光の闇の色彩のみ。ふと目に留まったのは、半月だった。それは、何故か赤ちゃんの横顔に似ていた。

薄刃のような夜風が、海を吹き抜けていった。


二人の夢はそこで覚めた。だが、続きはある。誰も知らないだけだ。


―大丈夫、アービン。きっと良くなるから。

―歌を歌ってあげるね…。

その刹那後、アーヴァインの孤独を癒した、子守唄があるという事を。









夢から覚める。寂寥を携えた過去の夢から。茜色の炎の光が、夜の終わりを告げていた。セルフィは、自分の腕から温もりが消えている事に気付いた。かすかにその名残を抱いている―だが、多分自分の体温だろうとセルフィは思った―毛布が腕を覆っているだけであった。全部夢かぁ……。とセルフィは呟く。

いつの間にか出ていた涙を拭き取り、セルフィは小腹が空いている事に気付き、調理室へと歩いていった。



夢から覚める。孤独を携えた過去の夢から、アーヴァインは、眼前の鍋から爆音がしている事に気付いた。、100度に達した時に起こる、沸騰。アーヴァインは慌てて火を止める。熱せられたアルミ製の鍋に、水が零れ、じゅっ、と断末魔を立てて、消えた。涙は、それで最後だった。


     第八話 END

Copyright (c) 2002 ノウァ1



BGM:「FFVIII」より「Eyes On Me アレンジ曲 My mind」
MIDI提供:Farst Fantasy



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