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〜 【Relational Novel】 〜

【Relay●MoonLignt Baby】

第二話 〜島唄〜 あしたへの霊歌



 白々とした月の影に、どこか薄ら寒さを覚えていた。
 夜も更け喧騒の途切れたのに乗じて、しめやかな波が、耳にも、心情的には足の爪先にまでも、ひたひた迫る。
 涼風、と好意的にしか解釈しようのない空気の流れが、開け放した――というより最初(はな)から玻璃(はり)のない小窓を通っていく。べつだん鳥肌を立てることもなく、身体はそれを心地よく受け取ったにも関わらず、窓辺にいた女は両手を二の腕にやり、自分をかき抱くようにした。身を震わせるなら、そんなに肌を露出しているなと十人中十人に突っ込まれそうな格好をしている癖に。そもそも、ここは最南端にある常夏のビサイドには及ばねど、ほぼ一年を通して穏やかな気候が続く島であるというのに。
 小さな村落、多くはない家のうち一軒に、かつて自ら派手な光輝を発していた召喚士――元、という冠を頭に載せるべきかもしれない――のドナが、ぽつねんと、柔らかくも弱い光に見下ろされていた。

 永遠のナギ節がライバル兼後輩にあたる少女の手で成し遂げられてからというもの、彼女はガードを伴って片田舎に引っ込み、いまだ忸怩たる思いと戦い続けていた。傍からは傲慢とも取られがちだった、実のところ強いて胸を張り、息巻くことで維持されていたドナの矜持は、陰りを帯びたままである。
 ドナ達よりも先にザナルカンドに辿り着き、究極召喚以上のものを得たユウナ一行には、やはり、とも、さすが、とも素直に思えるが、賞賛の気持ちが悔しさを軽減したりはしない。
 支えてくれる人が傍にいてくれるので、ドナの心は荒みきってはいないものの……。
 そのバルテロの、帰りが今日は遅い。一人でいる時間に彼女はそろそろ焦れてきていた。心細さが肌寒さに通じているのだとはっきり認識する前に、ドナが行動に移った。



 空っぽのエボン=ドームから、来た道を逆戻りに南下していって、バルテロの故郷に居を構えたのはつい最近のことだった。召喚士がのんびりしていてはシンの犠牲が増えるといった、せっぱつまったものに急かされる旅ではなくなったので、途中で各寺院に寄ったり、復興に人手が足りない場所に留まっては労力を提供したりしていたのだ。
 海の恵みだけを頼みにしても、日々は事足りる。行商人が訪れ、市が立つ、それで足りないものは補える。殆どの住人がそうした慎ましさを良しとするような村に、バルテロの方はすぐに順応した。人は子供時代の生活様式がどうしたって基準になるのだから、これは至極自然なことなのだが。
 バルテロは得意の肉体労働で、村での存在価値と金銭とを確実に得ていた。世相は今、平和にひたりたがっている。武術指南所なぞを開いても稼げぬと、彼は読みきっていた。本人としてもガードであった自負うんぬんより何より、身体をなまらせるのが嫌だったのであろう。

 一方の、ドナは。今この時は人気(ひとけ)がないからこそ、彼を出迎えに行こうと重い腰を上げたのであった。

 室内灯を点けている家はまず見当たらない。足下が暗いので、擦るようにして歩かねばならない。
「ヒールが傷むわ、まったくもう」
 ドナがぼやくと、相すいませんとばかりに、土から砂へと踏みつけるものが変化した。
 目の前が開けると、いっぱいに潮を含んだ風が巻き上がり、遠慮なしに服の裾をばたばたと打つ。彼女が正面に覆うものといったら、網タイツと上下に分かれた水着もどきのみ、今度は本当に小麦色の肌が粟立った。
 ここ数日、バルテロは仲間たちと船着場の橋を修理していた。初めて俺が指揮を執ってるんだと、昨晩語ってくれた彼の誇らしげな顔を思い出す。ずっとドナだけを見て、気にかけて、守ってくれた時分を振り返り、置いてきぼりにされた感があった。それをはっきり表明するのも癪なので、態度にはおくびも出さず聞いていたけれど。
 今夜は少し、寂しがりに過ぎる。ドナは苦笑した。きっとこの夜の海がいけないのだ。月の薄明かりは却って人の細部までも照らし、隠していたい深部をも暴く。海原は奥へ黒く広がっており、呑み込まれてしまいそうで。
 寄せては返す波音に、時折混じる虫の重奏。そこへ静かに、文字通り踏み込んで来たのはドナが待ちかねていた男であった。中天に鎮座した月を背負う形で、波打ち際に沿って進んでくる人影を、彼女は正面にとらえる。
「どうしちゃったの、バルテロ!? こんなに遅くて心配したの、よ……?」
 筋骨たくましい偉丈夫の影は、いつもと何だか違っていた。左の肩口に、ブリッツボールを一回り縮めたような瘤がくっついているのだ。よく表情の掴めない――本人には内緒だが、明るい中でまじまじ見ても、のっぺりしたその顔は表情が掴みにくい――相手に目をこらしていると、突如、奇声が上がった。
「……だぁ〜」
 内容も音程も、到底成人男子のものではない。
「ずいぶん宵っ張りだなあ、お前さんは」
 バルテロが瘤に話しかけ、瘤をあやしつつ、彼女の間近にまで来た。
「お、お迎えだぞ」
 それもやっぱり瘤に向けられたものである。恋人に対してまだ一言もない彼に、ドナはちょっと眉をしかめた。だが、瘤の正体が明らかになって、不満は驚愕にとってかわられたのだった。
「な、何よそれ!!」
 彼女の叫びに動じることなく、それ呼ばわりされた乳児は、喉を鳴らしてかすかに笑った。



 海岸から道々質問攻めにしてみたが、赤子を背負ったバルテロはろくにことのいきさつに触れてはくれない。
「頼むよ、明日の朝説明するから、とりあえず寝かせてくれないか。もうへとへとで……」
「冗談もほどほどにして! 真夜中になっても戻らないと思ったら、赤ちゃんなんて持ち帰って、どういうこと!?」
「それは……うーん、俺にも正直、うまく理屈がつかなくてなぁ。あ、あー、わかったわかった、そう目くじら立てないでくれ。一息入れてから話すよ」
 長い付き合いだけあってドナの金切り声にいちいち熱くならず、折れるところは折れてしまうのが得策だと彼は経験則で知っていた。そうして、背中で大人しくしている手土産を当然のように彼女へ渡そうとする。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
「まずこいつを寝かしつけてからな。赤ん坊は眠るのが仕事だもんなー? よしよし」
「なにのんびりしたこと言ってるのよっ」
「ほら、受け取ってくれよ。慌てるのも無理ないが、ずっと俺の背中に乗っけとくわけにもいかないだろ」
 正論だったので、ドナはぐっと詰まった。
 覚悟を決めて伸ばした両手に、意外に重く、妙に生あったかい身体が被さってきてドナはうろたえた。居場所が移ったことにきょとんとした、つぶらな瞳がドナを一心に見上げてくる。あどけない視線にさらされていると、ただでさえぎこちない手つきが更におぼつかなくなるようだった。 
「よぉし、お客様の寝床を作らなきゃなあ」
 気のせいだろうか、バルテロの口調はどこかうきうきしている。彼はこの状況を結構楽しんでいるらしい、ドナには信じられなかった。
 確かに、年の離れた弟妹がわんさかいたとは聞いたことがある。また、永遠のナギ節が訪れてからというもの、子供が欲しいと彼が明言したのも一度や二度ではなかったが。そこまで子供好きだったとは。
「ねえ、これでいいの? ぐ、ぐにゃっとしてて、どこ掴んでいいのかわからないわ」
 横抱きで固まっているドナに、バルテロが線に例えられそうな目を極限までに細めた。珍しく自分が優位に立てたがゆえの、微笑であった。
「泣く子には勝てないってよく言うけど、ぐずってもない子に形無しとはなあ」
「あいにく私は子供嫌いなの! 苦手なのよ!」

「実は、夕方に着いた連絡船が、舵を誤って橋にぶつかってきたんだ」
 遅い夕飯を頬張りながら、バルテロは切り出した。
「大丈夫だったの!?」
「目の前にぴんぴんしてるじゃないか。ただ、色んな後始末があってこんな時間までかかっちまった。船に乗っていた妊婦が一人、頭をひどくぶつけて死んでな」
「あ……じゃあ、あの子はひょっとして」
 ドナが、口をつけようとしていた杯の水から、簾(すだれ)の奥で健やかな寝息を立てている子に視線を移す。
「いや、その(ひと)は産み月にはほど遠かった。事故とは関係なく、この子は海辺で拾ったんだ」

 聞けば、なるほど不思議な出逢いだった。
 仲間達と帰り道が分かれる所に来て、挨拶を交わしさて行こうとしたところ、背後から彼らに呼びとめられた。振り向き、距離を取ったまま、ちょっとした仕事の確認をして、今度こそまた明日、となり。バルテロは踵を返した。そこに。
 ついさっきまで何もなかった筈の砂浜に、独力で遠くまで行けない赤ん坊が寝転んでいたのである。
 今にも波に攫われそうな位置にありながら。奇跡的に溺れもせず波に打ち上げられたというわけでもなく。その子は全然濡れていなかった。雫一つ、寄せ付けていなかったのだ。

「でも現実問題としては結局、誰かが……親が捨てたってことじゃないかしら」
「ドナ。俺が進行方向から目を離したのはほんの少しの間だぞ」
「人間、切羽詰ると案外素早く動けるものよ。ともかく。あの赤ん坊がどこから来たか、そしてどこに引き取られるか。それを考えていかないと」
 うちに置くつもりはない、と一応遠まわしに釘を刺したドナである。暫くは預かるしかないにせよ、なしくずしに養子にされてはたまったものではない。
「まあ、あの子にとっても本当の親が見つかるに越したことはない……けどなぁ」
「でしょう? 私達がしてやれることを履き違えちゃいけないわ。さ、もう寝ましょ」
 理屈に感情がついていかず、不服そうなバルテロを、ドナは力一杯寝所まで押していった。

 夜明け前、つまりはドナ達が床に就いてそう時間は経ってない頃、唐突にその目覚ましは鳴った。
「ふ、ふぇええええ〜ん」
「……な、何!? 体の具合でも悪いの!?」
「ん〜……なんだ? そうか、赤んぼか。そういやこの位小さな頃は、何時間おきかにミルクをあげなきゃならないんだった」
「ミルクですって? 牛乳じゃ、ないのよね。あるわけないじゃない!」
「明日買って来なきゃな。ドナ、それじゃあ……パン粥を作ろう。どろどろになるまで煮れば、まあ食べられる、筈だ」
「ええっ? 手間がかかるのねぇ」
「冷ましたら、綿布に浸して吸わせて。えーと、パン、パンと」
「はぁ……全く、何様なんだか」
「何様、か。生まれたてのこの時ばっかりは、まさしく王様ってところだな」
 一騒動にけりがつき、ドナが摘まむ布地を必死でくわえる赤子を優しく眺め、バルテロはそう表現した。



 そうこうしているうちに朝陽は昇り、睡眠不足の恋人達にも容赦なく強い光を浴びせた。
「仕事、抜けられなくて済まない。近所の人達にその子のことを、聞いてみてくれないか」
 私に押し付けないで、と責めようとしたが、目の隈がくっきりとして痛々しいバルテロに、きつい文句を飛ばせる筈もなかった。
 籐の長持を占領して、悠々と睡眠を貪っている赤ん坊を、ドナは睨みつける。それでも、一人ぼっちでただ彼を待つだけよりは。どんなに苦労をさせられても、寂しさを埋めてくれるならば。
 まあ悪くはないんじゃない? と感じたドナは、半日経たない内に激しく後悔することとなった。
 
「ふぇええええ〜ん」
「ど、どうしたっていうの!? さっきミルクはあげたばっかりじゃない!」
 話が通じる相手ではないが、思わず怒鳴ってしまう。ドナがうろたえている間も、赤ん坊は泣き止まない。赤くてつやのある頬を、ますます林檎そっくりにしてしゃくり上げる。
「ミルクじゃないなら決まってるわよね、はぁ……」
 ドナは上掛けをめくり、問題の部分に恐る恐る掌を当ててみた。
「うっ……びっしょり」
 おむつどころか、敷布までもがやられていた。差し入れた手が濡れたもの上下から挟まれる格好となって、ドナは赤ちゃんと一緒に泣きたくなった。

「よし! もう、これでよしっ! おむつのやり方なんてわかんないんだもの!」
 手拭いを適当にぐるぐる巻きにしただけだったが、彼の機嫌は直っていた。自分の親指を吸いながら、無邪気に笑いかけてくる。
「……お尻が気持ち悪かったの。坊や、なのよね。あった(・・・)もんね、さっき……きゃあ!」
 少し和んだ気分で特製ベッドを覗き込んだ途端、前髪を思い切り掴まれた。
「痛いっ、引っ張んないでったら! 嫌―っ、しかも涎だらけの手でっ!」



 これでは持たない、一刻も早く引き取り先を見つけなければ、とやむなくドナは赤ん坊を抱えて外に出た。
 とはいえ、賑わいでいる井戸端が近づくにつれて、足が進まなくなる。無視を決め込んでいる普段の態度がたたって、どう切り出していいか迷って立ち竦んでいると、向こうにたむろする一人二人がドナに気付いた。
 白けたような、気まずい雰囲気が周囲に漂う。
 そして、始まった。ちらちらとこちらを窺いつつ、声をひそめて内緒の話だ。肴にされて、勝手な判断をされて。胸のあたりに(くら)い濃霧がたちこめて、ドナを固まらせる。その場を動けなくさせる。
 やっぱり頼ってみようなどと、思うのではなかった。彼女は下唇を噛みしめて、自分から切り出そうとする勇気を閉じ込めてしまう。

 この島の住人とドナとの間は、うまくいっていなかった。
 きっかけは、忘れてしまう位に他愛ない事。村人達との齟齬(そご)も、ちょっとしたもの。恐らくドナの高飛車な態度が少し皆の気に障った、そんなもので。
 誰かがそれ(・・)を口にしたことが、いけなかった。
「偉そうに、旅を途中でやめたんだろうが。使命を捨てておいて、人の尊敬に値するってのか」
 そうだそうだ、と無責任な揶揄が後押しする。調子に乗ってもう一発かましてやろうと吸った息が、蒼白になって押し黙るドナを認めて飲み込まれた。
 ドナにとって決して許せない言葉だった。バルテロが取り成そうとしたが、逆鱗に触れられた彼女は頑なに拒んだ。
 常に死を覚悟していた旅の全てを――苦労も、努力も、スピラをシンの脅威から救いたいという真摯(しんし)な願いも、汚され蹂躙されたのだ。何も内実を知らない人間の、ただ一言で、あっけなく。
 一時は使命を捨てようかと迷った、だがドナは北へ歩むのをやめなかった。とうとう究極召喚を身に付ける一歩手前まで到達した。それでも広義からすれば、ユウナに先を越され使命を為しえなかった、負け犬の召喚士と評されても反論できない。そして、ザナルカンドまで辿り着いたという証拠がないのだから誤解が生じても仕方がないのかもしれない。
 その点をふまえ、ドナも敢えて自らの行跡を吹聴したりはしなかった。むきになって証を立てるのは、言い訳がましい。確たるものなくして人を貶める輩と次元を同じくしてはならないと、自身に課したのである。
 無論、彼女の誇り高さは裏目に出た。彼らとはそう広くもない島に共に住みながら、大変疎遠となり、現在に至る。
 
 お互い気になりながらも敬遠している有様の大人達に、会話の糸口を与えてくれたのは赤ん坊の一言――ならぬ一声であった。
「だぁ〜うっ」
 はっと、ドナが腕に包んだ子へ目を落とす。つられて村女達も、乳飲み子を注視した。
 妙齢以上の女性ならば誰しも備えている好奇心というやつが、各々の中でむくむくと膨らんでいった。耐え切れず、いつも場を仕切っている中年の女が、代表でドナに尋ねた。
「……その子、あんたが産んだわけじゃないよねぇ?」
 違う、と答える前に、茶々を入れる者がある。
「当ったり前でしょうが、いつお腹を大きくすりゃいいのよ。ぽんと出来てぽんと産めるもんじゃないんだからさ」
「それだと大層楽ちんなんだけどねえ」
「まったくだわぁ、あっはっは」
 明るくもけたたましい笑いが響いた。呆気に取られているドナに、数人が微笑みかける。先の仕切り屋小母さんが、貫禄ある足取りで近寄る。
「どれどれ、おーお、可愛らしいこと。何ヶ月くらいかね?」
「あ、それが、わからなくて。連れが昨夜、浜辺で拾った子で……」
「拾ったって? この辺で最近赤ちゃんが産まれたって話は聞いてないけど……誰か心当たりあるかい」
 ちょっとの逡巡があって、一斉に首を振る。女達の情報網に引っかからないということは、この子の身許を解き明かすのは相当な難題なのかもしれない。ドナの表情が曇った。
「なあに、昨日連絡船が着いたろう。事故のどさくさに紛れて、ほっぽり出しちまった馬鹿な親がいるのかもしれないよ。捨てる親の元に返すなんて、可哀想っちゃ可哀想なのかもしれないけどさ、やっぱ本当の両親を探さないとね。あたし等も協力するから、そうくじけなさんな」
「え……ええ」
「どれどれ、見せておくれ」
 太目の指が赤ん坊のぽっちゃりとした頬をくすぐる間に。
「あの、ありがとう」
 素直な感謝の気持ちがドナの口をついて出た。
「……なあに、困った時はお互い様だろう?」
 月並みな言い草の中に、込められたものは深かった。
 和やかな空気を感じ取って、女達がわっとドナ達に群がる。とっかかりが掴めれば、後は早い。和解を待ち望んでいたのは皆同じだったのだから。
「子供はこの位が一番可愛いよ。生意気な口を利かないもの」
「まあ、こんなおむつの仕方があるかね。ちょっと、あたしに任せな。教えてやるからさ」
「着替えなんかも無いでしょう。お古が取ってあるから、いくらでもあげるわよー」
 勢いづいた主婦たちに、さすがのドナも押されっぱなしになる。苦境が打開されたのを喜ぶ暇もなく、次々と話しかけられるのに応対せねばならなかった。



 帰宅してまず、所狭しと積み上げ、並べられた赤ちゃん用の品々に迎えられてしまい、バルテロは細っこい目を見開かせた。
「ああ、お帰りなさい。残念ね、赤ちゃんのお迎えはなしよ。もうおねむしちゃった」
 変貌した部屋を見渡す彼に、ドナは柔らかく笑んでみせる。
「近所の人たちが、持ってきてくれてね」
「そうか……へえ」
「ね、ひょっとしてあなたの期待通りになったわけ?」
 分厚い氷にひびを入れるものは、ただ一筋の光ということがある。赤子はまさしくバルテロの希望を叶える光明となってくれた。
 子供をだしにした、と言えば聞こえは悪いが、赤ん坊をきっかけにして、交流の途絶えていた村の者とドナが無理にでも接触を持てればと。画策とまではいかぬものの、漠然と願ってはいた。
 黙し、頷くだけで肯定を示した彼に、彼女はそっと抱きついた。

「昨日、子供が嫌いって言ったでしょ。あれはね、半分嘘で半分本当なの」
 子供が寝ている横の長椅子で、バルテロの逞しい腕に頭を預け、昨晩とは比べ物にならないほど満ち足りた心地で呟く。
「早く一人前の召喚士になりたいが為に、私が甘ったれた子供の部分とはさっさと訣別したかった、それだけのこと。自分が非力であるのが嫌なのと、他人の弱さを厭うのとは全く別物よね……」
 シンに怯え、召喚士を頼みとする。他者を疑い、ドナを咎める。しかし、小さき者を慈しめる人々だ。下世話でも、愛すべき人たちだ。
 その小さき者、守る手がなければ生きてゆかれない存在は、ひたむきに眠っている。ちょいと首をひねれば、口元を覆ってしまえば、あっけなく消える命。そんな想像をするだけでも、大変邪悪なことだと感じられるほどに、無防備だ。厄介でも、いとおしい人間だ。
「自分が報われなかろうが、賞賛されなかろうが、私はただ守りたかったんだって、この子を通して思い出したわ。召喚士としての優劣にこだわるより、もっと大切な初心をね」
 バルテロが労わりをこめ、彼女の長い黒髪を梳いていく。
「大体、召喚士が主役になる世の中ってのがおかしかったのよ。これからの、平和な世での主役は断然、生まれて来る子供達ね。そしてこの子も、その一人なのよねぇ……」
 言っとくけど負け惜しみじゃないわよ、などとめっきりご無沙汰であった彼女らしい口調が飛び出してきて、バルテロも滅多には出さぬ歯を見せ、破顔した。硬い岩盤から貴重な鉱石がお目見えした瞬間に、ドナも嬉しくなって、厚い胸板に甘えかかる。
 二人の甘い夜が幕を明けようとしたその時。
「ちょいと、開けておくれ!」
 邪魔をした人物は、予想されていたそれ――赤ん坊――ではなかった。

「夜分にごめんよ、緊急事態なんだ……」
 息せききって彼らの家に駆け込んできた女が、要領を得ない様子で喋り出す。昼間、ドナに最初に話しかけてきた女だった。
「昨日死んだあの妊婦をね、仮葬して、水ん中に棺を沈めといたんだ。そしたら、夜釣りに行ったとっつぁんが見たっていうじゃないか!」
「一体、どうしたっていうの?」
「おばちゃん、落ち着いてくれよ」
「ああ、済まないね、けど、けど……魔物になりそうだって、なりかけてるっていうんだよ」
「なんですって!?」
 ドナの鋭い声に、傍らで眠る赤ん坊がぴくり、と身じろぎする。
「いくら何でも早すぎるわ。一日で死者が魔物になるなんて」
「ああ、そうさ。でもたった今、浜で実際に起こってることなんだ。よっぽど未練があったんだろうって、皆噂してるよ」
 身重での、不安な旅の途中。誕生を心待ちにしていた我が子と共に、命を落とし。死者はその末路が不憫であるほど、憎しみや悲しみ、そして生者に害を為す呪いをより強く抱く。
「異界送りを依頼した、二つ向こうの島の召喚士は明後日の連絡船で着く予定だ。とてもじゃないが、間に合わない。今日の今日まであんたには冷たい仕打ちをしといて、本当に虫がいいようだけど、どうか……」
 懇願をみなまで聞かず、凛と背筋を伸ばしてドナは立った。
「行きましょ、バルテロ!」
「……だぅーうっ」
 返事を赤ん坊に先に越され、バルテロが目を丸くする。
「ふふっ。独りぼっちで留守番させるわけにもいかないわね。行きましょう……三人で」



 黒雲に月は遮られていたが、代わりに多くの松明が浜辺を照らしてくれている。村中総出のようだった。
 迷いを持たず海へ突き進むドナに、一人、また一人、次々と道を譲っていく。
 浅瀬に置かれた棺に七色の光が取り巻いている。通常は、異界送りによって遺体が幻光虫に純化されない限り、肉塊として留まっている筈のものが、水中の幻光虫と反応しているのだ。
 狭い棲家に閉じ込められた死者が、魔と結びついた力を得て、さあ外に出てやるぞと。釘を打たれた蓋を強く殴りつける。
「下がって!」
 ドナの注意よりも前に、彼女のガードを除いた全ての者は、慄き後ずさっていた。
「ドナ! 俺が……」
 守る、と乗り出したはいいが、懐に収まる嬰児(みどりご)に今更ながらはっとなる。
「大丈夫よ、バルテロ」
 そうして、ドナは厳かなる舞いを始めた。

 杖は持たない。代わりにドナの場合、額に宿した印が、集中を増幅させてくれる道具となる。一瞬で深い瞑想に入り、踊りながら自分の精神を解放に導く。召喚獣に心を託すように、生と死の境界で迷う魂に、寄り添うように。
 死者は一度だけ苦しげに呻いたが、抗うすべもなく細い虹の帯に姿を変えられて、するすると天へ上がっていき出した。
 水面に踏み出された召喚士の足を、幻光虫を含んだ海が弾力を持って押してくる。炎よりもまばゆい光沢を放つしぶきが、鎮魂の祈りに花を添える。
 最期の未練を伝えたかったのか、魂はドナの周りをしばし巡った。ゆったりと、慈しみのこもった眼差しで、一緒に戯れるかの如くドナもくるくると回ってみせた。
「……なあ、綺麗だろ? あれが、あれこそがドナなんだ」
 誰もが口をあんぐりさせたまま、眼前で繰り広げられる神秘的な情景を見守るしかない中で。バルテロは、ぎゅっと抱きしめた赤子に言い聞かせるように、熱を込めて囁いていた。
 
 在るべき場所、異界へと死者を送り終えたドナが、久しい役目ゆえに少々ふらつきつつも、まっすぐに岸辺へ戻る。バルテロと、小さな同居人の元へと。
 不意に、空にのさばっていた雲が切れて、ほんの少し欠けている望月に出番を与えてみせた。さやかな月光は、辺りを広く照らさずに、ある一定の方角へ、他でもないドナ達へと触手を差し伸べていった。
「あぁ、うーっ、だぁ!」
  時間切れ (タイムリミット)を宣告したのかもしれない、或いはこの世界に別れを告げたのか。いずれにしろ、赤子は己の運命を悟っていたのだと信じられるタイミングの良さで、雄叫びを上げた。
 刹那にて、月はその子を攫っていった。突然重みがなくなった事実に、バルテロが瞠目する。
 あらゆる意味で島に和をもたらす鍵となった存在は、余りにあっけなくかき消えてしまったのだった。
 


「きっと、あの妊婦に宿っていた命にちがいない」
 月影のきざはしを昇り、忽然と去った不思議な赤ん坊の正体を、大部分の観衆はそう判断したのだった。
「ひょっとしたら、夢の終わりのひと雫、祈り子が遣わした、最後の使者だったのかもしれない。まがりなりにも召喚士である私を激励する為の。異界送りをこなせたのを見届けたからこそ、いなくなってしまったんじゃないかしら」
 これは誰にも、バルテロにさえも明かしていないドナの心の内である。
「俺は、皆とはちょっと違う意見だな。あの子は未来を示してくれたんだよ」
「……どういうこと?」
 心底疑問に思っているドナに、バルテロははにかみながらも、きっぱり述べた。
「つまりだな、将来俺たち二人の間に生まれる子供を、育てる時の良い予行演習になったってことさ」
 さらりと爆弾発言できたようだが、内心照れきっている彼の耳朶は急速に赤くなっていった。彼女の頬も、火照ってくるのと同時に、緩んでいく。
 一旦究極召喚を目指し、死を覚悟してしまったから。正直、後々の人生を本気で考えられず、遠回りしてきたドナだったけれど。
 今は。
「そういうことにしておいてあげても、いいわね」
 ちゃんと、そう思えた。


     第二話 END

Copyright (c) 2002 にじます



BGM:「FFX」より「浄罪の路」
MIDI提供:Pocketbook



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