※この作品は今回のリレー小説の]シリーズ各話、 ──特に第一話──とリンクしております。 もしまだ前話を御覧になられておられない方がいらっしゃいましたら、 是非とも御覧くださいませ。 本作が、より一層楽しめます。
「泣かないで」
「──うん」
「……幸せに、なろう」
「……うん。なろう。幸せになろう。 ……ううん、きっとなれる。絶対、幸せになれるよ」
「あはは、すごい自信」
「そうかな……変かな?」
「そんなことない。……嬉しいよ」
「……でもね、信じられるんだ。とても不思議だけど。 ……だって──」
───だって、あの子と出会えたんだもの───
【Relay●MoonLight Baby】最終話 〜島唄〜
朝がまた来る
[FFX ED after]
「……触るぞ。触るからな。……ああっ、泣くな、泣くなよ?だいじょぶ、ほら、ぜんっぜん怖くないだろ〜?」 と、ティーダは目の前にいる小さな“それ”に、そろそろと手を伸ばした。できるだけ刺激しないよう、ゆっくり、ゆっくりと。“それ”は、きょとんとした表情で、一片の汚れもない無垢な瞳を、ティーダに向けていた。──よし。よし、よし。イイ感じッス……。段々と距離を縮めていき、指先と“それ”の距離は十センチ、五センチ、三センチ、二センチとなり── ──いまだ! 指先と“それ”の距離はわずか一センチにまで縮まった瞬間だった。 「……ぁぁぁああああやぁぁああああああ」 “それ”は、あっという間に顔をくしゃくしゃにして、泣き出してしまったのだった。ティーダはハッ、と息を呑み、すぐさま赤ん坊を抱きかかえ、ゆさゆさと懸命に揺らしながら、 「あーまたかよっ?!悪かった!悪かったッ!ごめん、ごめんごめんほんっっとゴメン!!ごめんってぇぇ。 あぁほらほら、だから……なぁっ?泣くなっつの〜!」 「ふやぁぁあああああ〜〜〜〜〜〜っ!!」 と、あやそうとするが、一向に泣き止む気配はない。泣き声はどんどん大きくなっていき、次第には空気が震えんばかりの音量に家の中は支配された。今度はティーダが顔をくしゃくしゃにしてしまう番だった。「泣きたいのは、こっちの方ッス……」と、本当に泣きそうな声で呟くと、ティーダは“それ”をやわらかなベッドの上に戻し、距離を置いた。すると、“それ”はみるみる内に大人しくなっていき、ほんの三分も経たない内に落ち着きを取り戻し、今では何かを掴むように中空で手を遊ばせていた。……要は、俺が触らなきゃいいってワケね……。ティーダはその様子を見て、げんなりとした調子でうなだれた。 「……親父…あんたって……意外と、偉大なのかもしんない……」 今更ながらに、改めて今は亡き父に対し、心からの尊敬の念が浮かんできた。もっとも、心の中を占める割合としては、今はそれよりも「これからどうしてけばいいんだろう」というような不安や切なさなどの方が多分にあったのだが。
「けひっ」
ベッドの上の“赤ん坊”はティーダを嘲笑うかのようなタイミングで、 それでいてどこまでも無邪気に笑ったのだった──。
「ワッカ、悪い。そうゆうわけで、やっぱ俺んちじゃ預かれない」 「おいおい……いきなり何言い出すんだぁ?」 やわらかな陽射しが差し込む昼下がりだった。 ティーダは、例の赤ん坊を連れて、ワッカの家を訪れていたのだった。実は妻であるルールーが現在産み月を迎えた彼女への負担となることを危惧したワッカは、自身が監督するブリッツ・チーム、ビサイド・オーラカのエースであるティーダに「監督命令だ」と言って預けていたのだ。赤ん坊をティーダに預けることで、これで一安心だな、と気持ちに一段落つけていたワッカは、突然の「預かれない」発言に、不満気な表情を浮かべつつも、来客であるティーダに出す紅茶をテーブルの上にかちゃり、と音を立てて置く。 「この辺じゃあ、預かれるのってお前んちぐらいしかないだろ。他んトコは子供もいるし、ウチだって、もういつルーが子供産んじまっても、おかしくない時期なんだぞ」 「俺だって預かったやりたいの! 赤ん坊って、可愛いしさぁ。……でもさ、泣くんだよ。俺が触ろうとすっと、すっげ泣くの。あれじゃ、面倒見るもなにもないって……」 と、ティーダも苛立ち気味に、紅茶をがぶり、と音を立てて飲んだ。が、飲んだ後で思わず眉をしかめ、渋い顔をする。──そうだった。いつもだったら、砂糖を一杯、混ぜてから飲むんだった。それほどまでにあの小さな赤ん坊に自分がかき乱されているのかと思うと……ティーダは、さらに大きな溜め息をついてしまうのだった。ワッカはふーむ、と一つ間を取って、再び切り出した。 「そうは言っても、別に今お前、忙しいわけじゃないだろ。ブリッツも今はシーズンから外れてるし」 「や。そ〜ゆ〜のでもなくって……」 ティーダは受け答えに困り、ちらり、と家の奥にいる赤ん坊の方に目をやった。奥では赤ん坊用のベッドの上ですやすやと寝ている赤ん坊を、ルールーが穏やかな表情で見守っていた。その表情は以前、旅をしていた時のような、どこか張り詰めた険のある表情はどこにも見受けられず、すっかりと“母親”といったような、優しげな顔になっていた。もしかしたら、あの赤ん坊にこれから生まれてくる自分の子供のことを、重ねているのかもしれない。 「……多分、嫌われてるんだ。俺。あの子に」 「じゃあ、ユウナは? もうすぐガガゼトから戻ってくるだろ。確か……ああ、今日じゃないのか?」 「う……」 ユウナはここ数週間、ガガゼトのロンゾの村の復興の応援に出向いていた。予定では少し前にその作業に一段落をつけ、シドが駆る飛空艇でキマリと共にこのビサイドまで帰島するはずだったのだ。が、その道中にルカからの要請があったらしく、先日キマリのみが来島していたのだ。ユウナからの連絡によれば、ルカでの仕事も昨日終えることができたらしく、今日にでも帰島する、という話だった。だが、ティーダはどこか浮かない表情で頬をかりかりと掻きながら、 「いや……その……ユウナにはあの子供のこと……ナイショ、にしとこうと思うんだ……」 と言う。その言葉を聞いて、ワッカが驚かないはずもない。 「なんでだよ? 別にいいじゃねえか」 「だ、だって、なんか……ばらしちゃ、マズくないッスかっ?」 「マズイって、何がマズイんだよ?」 「ん〜〜……後ろめたいっつーか、なんつーか……あるだろ、そうゆうの!」 「はぁ?! 後ろめたい? お前何言ってんだ?」 「イヤ、だからさぁ!」 ワッカはとびっきり大きな溜め息をつき、「何言ってんだか、さっぱりわかんねぇ」と、呆れ顔でティーダに告げる。ティーダもまた、「……俺もよく、わからんッス」と、頭を抱えてしまった。しばしの、間。二人は同じタイミングで紅茶を啜り、同じタイミングでカップを置き、同じタイミングで「はぁ…」と、溜め息をついていた。 その停滞した状況を打破せんが如く、例の赤ん坊を寝かしつけてきたルールーがやってきた。いつもよりも随分とゆったりとした歩き方を見て、、ティーダはなんとなく自分の母を思い出した。ルールーはテーブルの側までくると、ふう、と息を吐き、 「せっかく寝付いたのに、そんな大きな声で話してると、起きちゃうわ」 と二人をたしなめるのを聞き、……ああ、これはいつも通りだ。と、ティーダは一人納得する。ルールーはワッカに子供を見ていて、と伝えると、ワッカは「ああ、わかった」と素直に言う事を聞き、赤ん坊が寝ている部屋へと向かった。ルールーはそれまでワッカが座っていた椅子に、緩慢な動作で腰掛ける。ティーダはそんなルールーを見て、 「……大変そうだな」 と、肩を竦めた。するとルールーは、「あんたもね」と、皮肉っぽく返し、ふふふ、と笑う。そしてルールーはワッカが残したカップに新しく紅茶を淹れ、それを音も立てずに啜った。その様子から見ても、二人は昔と比べてみると、随分と夫婦らしくなっていたことにティーダは気づく。
「あんたは……まだ結婚しないの?ユウナと」
「いっ!?」 紅茶を口にした後、ルールーは唐突にそう聞いてきた。あんまりにも突然な話題だったので、ティーダは思わず大きな声をあげてしまう。 「け、結婚…ッスか……」 ティーダはそう言ったきり、鼻の頭を人差し指でかりかりと掻き、沈黙してしまった。何か考えているようで、それがまとまるのをルールーは辛抱強く待つ。たっぷり一分の間を使った後、ティーダはひとつ大きく息を吸うと、 「……実は……まだそうゆうの、なぁ〜んにも考えてないんだよなぁ」 と、苦笑しながら言う。ルールーはその言葉を受けて、「……でしょうね」と、同じく苦笑しながら、頷いた。本当ならば、ユウナのことを思うならば、怒るべき言動だったのかもしれない。が、ルールーはこの青年が本当は“何も考えていないわけではない”ことを知っている。 「ユウナは……多分、それを望んでいるんだと思うんだ。時々、そういう話、するしさ。……でも俺、自信ないんだ。このまま結婚して、ホントにそれでいいのか、とか。子供きちんと育てられんのか、とかさ」 その言葉を聞いて、ルールーは思わず苦笑してしまった。ティーダは「なんだよ」と、思わず眉をしかめると、 「ごめん。ただ、あんたって本当、スピラの常識とは外れた考え方をするのね、って思ったら」 「常識?」 「スピラは、シンがいたから。いつ死んでしまうかわからないから、好きな人ができたら早くに結婚する人が多いのよ。それはもう、スピラに住む人々の性格のようなものになってしまっているから。だからシンがいない今も、早婚する人が多いことには変わりはないの」 久しぶりのルールーの解説を聞き、ティーダは「ああ……そういや、前にリュックもそんなこと言ってたっ……」と言いかけて、口をつぐんだ。しまった。リュックの名を口にしてしまったことに、何故か「しまった」と思ってしまったのだ。その沈黙の意味を察したか否か。ルールーは再び紅茶を音も立てることなく啜り、穏やかな調子で話し始めた。 「……子供は……きっと、生まれてしまえばどうにでもなるわ。授かったものだもの。それを守ろうとしていくうちに、きっと気づかないうちにあんたは父親になってるわ」 「……そんなもん……かな……」 「それに、母親という先輩がいるもの」 ティーダは眉をしかめ、「センパイ?」とオウム返しに聞き返した。 「父親は、子供が生まれてきて、その子供にようやく触れた時、初めて父親になるのよ。でも、母親は違う。母親は、子供を授かって、お腹の中で大事に大事に育てている時から、もう母親なの」 「あ〜……なるほどね」 ティーダには、ルールーが話すその言葉の一つ一つに、とても説得力があるように思えた。そう話すルールーの顔こそが、彼女がとる行動の一つ一つ、呼吸の仕方にすら、ティーダは先程から“母”を感じていたからだ。 「だから、子供を育てることに関しては、きっと問題ないわ。経済的にも……あんた、ブリッツのエースだものね。それも、大丈夫。あとは……もうひとつだけ」 「もうひとつ?」 ルールーは一瞬だけ目を伏せ、次にティーダの目をじっと見つめ、
「あんた、もしかして──他に好きな人いる?」
──ストレートだった。その瞬間、“あいつ”のことを思い浮かべてしまっていた。 でも、肯定もできなかった。ティーダはルールーのその質問に、首を横振って答えた。ルールーはそんなティーダのことをしばし眺め、やがて、再び紅茶を手に取る。そう。と言いながら。
「そうね──そうであることを願っているわ」
「本当、ひさしぶりになるわね。シンが消える……少し前、くらいからかしら」 「ええ、そうですね……お元気そうで、何よりです」 ミヘン街道の旅行公司の中で。目の前に座る褐色の肌をした女性──ドナの、以前よりもずっと優しげに響く声を聞き、ユウナも穏やかな笑みを浮かべ、それに応える。ドナも、そんなユウナを見て、ふふ、と照れたように慣れない笑みを見せた。 「今はルカに住んでらっしゃるんですか?」 「違うわ。ルカへは買い物に来ただけ。ビサイドの付近にいくつか島があるでしょう。そこに、連れの──バルテロの故郷があるの。今はそこで暮らしているわ」 ユウナは大召喚士として前途有望な若い僧兵達に講義を開いて欲しい、というルカを治める老師──現在では都市や街を治める者の名を総じて、老師と呼ぶようになっている──からの依頼があり、キマリと別れ、ルカに立ち寄っていた。そこで偶然にもこのドナと再会したのだ。そのまま別れてしまうのもなんとなく寂しくなり、ここ旅行公司でお茶でも、という運びになったのだった。もともとこの場所でシドが駆る飛空艇と再び待ち合わせてビサイドまで送ってもらう予定だったので、都合も良かった。ユウナはドナがビサイド近辺に住んでいる、と聞くや、 「あ、じゃあ、うちからも近いんですね。それでしたら、このあと叔父に飛空艇でビサイドまで送ってもらうので、御一緒しませんか?」 と誘った。が、ドナは首を横に振り、 「結構よ。船の予約もしちゃったし。 ……でも、礼は言うわ。気が向いたら、遊びにいらっしゃい。歓迎するわ」 にっこりと微笑み、そう伝える。ユウナも心から笑みを返し、二人の間に穏やかな空気が流れた。 ふと周りを見渡すと、旅行公司は以前訪れた時よりもずっと訪ねる人が増えており、今現在、テーブルを囲むドナ、ユウナ達を背に、カウンターでは幾人かの行商人が旅に必要な道具を買い揃えているところだった。今ではべベルからルカへの行商、または、その逆の経路での行商などをする際、この旅行公司は欠かせないものとなっている。いや、もともと旅をするのには必要不可欠とも言えるものであったには違いないが、以前まだシンがいた頃は“アルベド嫌い”の風潮がスピラ全体に蔓延していて、アルベド族のリンが経営するこの店にも、意固地になって立ち寄る人間が少なかったのだ。最近ではそういった種族間の壁も今ではさほど目立たなくなっており、慣れないアルベドの店に少々緊張しながらではあるが、それでも入店する客が増えてきた。 アルベド族と、ヒトとの種族の壁──。それが完全に取り払われるのは、最早時間の問題だ、と、その光景を見ていたユウナは思った。 「……違う世界みたいね」 「え?」 ドナも同じものを見つめていたらしく、彼女が言ったその言葉に、ユウナは反応する。 「こうしてヒトとアルベドが、警戒することなく一緒にいるなんて。ほんの2年前とは、まるで違う世界みたい」 “シン”もいないしね。と、ドナは肩を竦めながら付け足した。ユウナはそんなドナの言葉に答えず、ただじっと、ドナを見つめた。ドナはユウナの視線に気づき、苦笑しながら「何よ」と聞いてくる。ユウナは、いいえ、と言い、くすりと笑いながら、話し始めた。 「違う世界に見えるのは……きっと、ドナさんが変わられたからだと思います」 「私が、変わった?」 驚いたように、ドナはユウナをみた。ユウナはええ、と答え、続ける。 「とても…とても、優しそうです。なんだか、お母さんみたい。……何か、いいことでもありましたか」 ユウナは陽の光がよく似合う笑顔をふんわりと浮かべながら、心からの言葉をドナに伝えた。が、それを聞き当のドナは、「お母さんみたい、って」思わず吹き出してしまっていた。「ありがとう。とりあえず、誉め言葉として受け取っておくわ」と、笑みを浮かべる。ユウナはそんなドナの言葉から何となく空気を読んで、おずおずとドナに聞いてみる。 「あの……もしかして今の、失礼……でした?」 「まぁ、あまりそう言われた事は、なかったわね」 と、ドナは言いながらも、特に気を悪くした風ではなかった。その様子を見てユウナもまた、安堵の溜め息をつき、今度は二人で笑いあう。まるで、旧来からの友人同士が語らいあうかのように、やわらかく時間は流れていった。ひとしきり笑みを交わした後、ドナはユウナの笑顔を見て「……あなたを見て、笑うことができて良かった」と、ぽつりと呟く。その言葉はユウナには聞き取れなかったようで「え?」と聞き直すも、首を横に振り「なんでもないわ」と、ひゅっ、と眉を上げた。そして気を取り直すかのように椅子に座り直し、 「いいことなら、あったわ。赤ん坊をね、拾ったの」 「赤ん坊……ですか?」 「そうよ。とても不思議な赤ん坊だった。 何も知らないような、あどけない無垢な顔なのに……どこか、老成した表情をしていて……」 歳の割に落ち着いてる、と言えば、あなたもそうだったわね──とドナは言い、笑った。ドナはバルテロの故郷であった出来事の一部始終をユウナに話した。最初の頃にあった村人との確執、そこに現れた赤ん坊。大変な思いをしながら、それでもなんとか育てて、そして──。 「消えちゃったわ」 「消えた……?」 「そう。私が村で異界送りをした時にね」 ユウナはドナの言葉を聞き、しばしの間思考を巡らす。異界送りをした時に消えた……? 通常の召喚士の異界送りでは、生者を幻光虫にまで分解することは、不可能だ。幻光虫の扱いに長けた、例えば──そう、グアド族の、それもかなりの力を持った召喚士でもないと。ドナはとても優秀で、尊敬すべき召喚士ではあるが、そういう意味では普通の召喚士なので、彼女の舞で生者まで異界に送られた、ということは、まずない。では、赤ん坊は死人(しびと)だった? いや。それも、考えられない。生への強い執着がなくては、死人(しびと)にはなれない。まだ自我をほとんど持たない赤ん坊がそれになれるはずがないのだ。話を聞く限りでは、魔物でもないようだし……。考えが浮かび、また消えていく。そんなユウナを見て、ドナはくすくすと笑いながら、 「多分、あなたが今考えていることは、私たちも考えたわ」 と言った。何となく心を読まれてしまったようで、ユウナは思わず頬を赤らめ、「あっ、ご、ごめんなさい」と何故か謝る。そんなユウナの様子が可笑しくて、ドナは声を出して笑ってしまった。
「だから、不思議な赤ん坊、だったのよ」
そうしてにっこりとドナが微笑んだ時、旅行公司の主であるリンがやってきて、二人に紅茶を淹れてくれる。ユウナとドナは礼を言い、早速淹れられたばかりの紅茶を、音もなく啜った。そして、「わあ、おいしい」と、ユウナは顔をほころばせながら言い、ドナもまた、目をすうっ、と優しげに細めながらリンを見上げ、満足げに頷いてみせる。リンはそんな二人の顔を見て、「光栄です」とにっこりと、感じのいい笑みを浮かべてみせた。が、不意にリンは、 「私も──……あ、すみません。突然話に割り込んでしまって……お気に触られましたか」 と、話し始めるも、まずは二人の了承を得ようとする。ユウナとドナがその先を促すようにすると、リンは安心したように笑みを浮かべ、話を続けた。 「私も偶然にも、私も赤ん坊を見かけました。あれは……二週間程前でしたか」 「え?」 「実はリュックがその頃程からビサイドに行っておりまして、彼女から通信機で連絡があったんです。“赤ん坊を育てるのに要る道具を一式くれ”と。そこで私が“巡回公司”でビサイドに向かうと、その赤ん坊がいたのです。そうそう、ティーダ君も一緒でしたね」 その言葉を聞いた時ユウナは驚いたように眉を上げて、「え……?」と、呟くように言った。リュックと……ティーダが? が、ドナもリンもそんなユウナの様子を、“例の赤ん坊が以前からいた”ということへの驚きだと思ったようで、特に意に介す事もなくドナは話の続きを促す。 「でも、それが私が話した赤ん坊だという確証があるわけでもないでしょう?」 「そうなのですが……彼らも、その赤ん坊はビサイドの浜辺で拾った、と言っていました。確かあなたが仰っておられた赤ん坊も、連れの方が浜辺で拾われたのでしょう? 時期的にも、状況的にも、ただの偶然とは思えないのです」 「その赤ん坊は今はどうしているか、何か聞いてる?」 「いえ、そこまでは……」 「……どういうことかしら」 リンの言葉を聞き、ドナもまた考え込むように、すうっ、と目を細めた。が、その最中、ユウナの考えは待ったく別の方向に向いていた。 ──ティーダが、リュックと一緒にいた。ティーダが、リュックと……。二人で、赤ん坊を育てていた。もしかしたら、今も、ずっと? 何故? いつから? リンが話した二週間前というのは、リンが二人に会った時間でしかなく、もしかしたらそれ以前からもずっと、その赤ん坊を育てていたのかもしれない。ティーダとリュックが、二人で……。
───ざわり。
……嫌。 ぽつりと出た呟き。 ──嫌だ。ユウナは顔をぶんぶんと横に振り、その考えを打ち消そうとする。でも、想像の中での二人が一緒にいる光景が、頭に焼き付いて離れなかった。ティーダとリュックが一緒にいるということを聞いただけで、何故だか胸がすうすうしてしまう。すうすうと、ひどく頼りなく、乱暴な音がユウナの体の中を無尽に走り回る。何故だろう。何故、確証もないことで、ただの自分の想像だけで、こんなにも心を乱されてしまうのだろう。──リュックに、嫌な気持ちを抱いてしまうのだろう。 ……嫌。いやだ。 こんな考え方、いやだ。
───こんな私は、嫌だ───。
「……そゆわけで、リュック、悪いんだけどまた面倒みてくんないかな」 リュックは、驚きの色を隠せなかった。何しろ、ドアを開けたその場所にティーダと、“あの”赤ん坊がいたのだから。何故その赤ん坊が、数週間前、リュックとティーダが面倒を見た子供であることが分かったのかと言うと───ティーダに抱かれた赤ん坊の、見事な泣きっぷりのおかげだった。 「えっ、ちょ、ちょっと、なんでまたこの子がいるの〜っ?」 ティーダの腕の中で泣き荒ぶ赤ん坊をリュックは受け取ると、あやすように揺すり始めた。だが、ティーダがそれまで長時間抱きかかえていたためか、相当の鬱憤(うっぷん)が溜まっているらしく赤ん坊はなかなか泣き止まない。ティーダも、触れられないまでも赤ん坊を何とかあやそうと、必死になって可笑しな顔をしてみせたりと奮闘する。リュックが泊まっているビサイドの宿───元々は討伐隊の宿舎だったのだが、シンが消えた今、旅人達(主に大召喚士であるユウナに会おうとする者達)のための宿に改装されたのだ───は、あっという間に赤ん坊とティーダ達によって、騒がしくなってしまった。他の人たちの迷惑にならないようにとリュックはティーダを部屋に招き入れると、再び赤ん坊をあやそうと、ゆったりとしたリズムで赤ん坊を腕の中で揺らし続ける。赤ん坊もようやく落ち着きを見せ始め、徐々に徐々に、潮が引いていくかのように赤ん坊は泣き声は小さくなっていった。二人は安堵の溜め息をつく。 「……で……どうゆうこと?」 リュックがティーダに事情を求めると、ティーダは重い重い溜め息をつく。ティーダの様子は明らかに疲れていて、それはリュックも彼を一目見た時から気づいていた。触れようとすれば必ずと言っていい程泣き叫ぶ赤ん坊の面倒を、それでも見なければならないということを考えれば……まぁ、それも仕方のないことではあるが。ティーダは赤ん坊が再び自分のところへやってきた経緯を話す。リュックはひとしきり話を聞いた後、 「う〜ん……でもさ、この子ってホントのほんとに、あたし達が前に会った、あの子なのかな……?」 というもっともらしい疑問を言う。ティーダも、リュックのその言葉を聞いてしばらく「う〜ん」と唸ってはいたものの、 「……でも、なんつーか……わかる、だろ。同じ子だって」 「……うん。わかる。……なんでだろね」 ティーダの言葉は普通に考えれば答えになっていないものではあったが、リュックには何となく、ティーダが言っている事がわかる気がした。内心では、リュックも確信に近い気持ちで、以前に見たあの赤ん坊と、この赤ん坊が同じ赤ん坊であると感じていたのだから。顔つきや声色でわかる、というようなものでもなくて、もっと根本的な“何か”で、そのことが分かるような気がしていた。リュックは赤ん坊をベッドに寝かせて、さらさらの柔らかな髪をゆっくりと撫でる。赤ん坊は気持ち良さそうに目を細め、リュックのことを見つめていた。ティーダはその様子を見てもう一度、 「……な、頼む。この子の面倒、見てやってくれよ」 と、切実な表情で言った。御丁寧に、両手まで合わせて。ティーダのそんな様子を見て、リュックは胸が詰まるような思いでいた。思わず、目を逸らす。
───キミにそんな風に頼まれたら、「嫌だ」なんて言えないじゃん……
「……う〜ん……いい、ケドぉ……」 「ホント?!恩に着るッス!!」 「……でも……」
───でもさ
「……ユウナんは?」 「え?」 「ユウナん、今日帰ってくるんでしょ?だったら、別に大丈夫じゃないかな」 「……ああ……」
───そだよ キミにはユウナんがいるんだよ? 今日ユウナんが帰ってくるんだから、 あたしなんて別に……いらないじゃん
「ユウナには……この子のこと、黙ってよっかな、って……思うんだ」 「……え?」
───なんで?
「どうして、ユウナんには言わないの?なんで隠すの?」 「いや、なんでって……なんとなく」 「別に隠す必要ないでしょ?なんで?ねえ、なんで隠すの?」
───ねえ、なんでなの?
───……えーっと……なんでだろう
「そんなの……わかんないッスよ……なんとなく、かな」
───なんでユウナには言えないんだろう
「なんとなくじゃ、わかんないよ。ちゃんと説明してよ! ……それに、さ」 「あ?」
───それに、何?
「それに……あんな風にするの、止めた方がいいよ……」 「あんな風って……なに」 「だからぁ。……あたし、家に泊めるのとかさ」 「なんで?別にいいだろ」 「良くないよ!キミがユウナんだったら、どう思う?」
───そりゃ、そうかもしんない……でも、さぁ
「キミのそういう優しいところ……嫌いじゃないけどさ。 誰にでも優しくするのって、ユウナんが可哀相だよ」 「はあ?!誰でも?」
───“誰でも”つったのか?
「じゃ、何。リュック、俺が誰でも家に泊めちゃうようなヤツだって思ってんのか?」
───冗談じゃない
「そんなことするわけないだろ!」
───泊めたのは───
「リュックだったから、泊めたんだよ!」 「……え」
─────あ───。
二人の間に、突然にしんとした沈黙が襲い掛かってくる。 リュックは、目を見開いてティーダのことを見ている。ティーダもまた、リュックを見つめていた。 ──言ってしまった。 ……聞いてしまった。 今まで何となく感じていたお互いの気持ち。でも、決して、決して言葉にすることはなかった、見ないふりをし続けてきた、お互いの気持ち。ないものと思い込み、隠しつづけてきた気持ち達。それが今、言葉という確かな形となって、二人の間に現れてしまった。自分の心臓の音、相手の心臓の音までもが聞こえてきそうなほど、しんと静まり返った時間。断続的に赤ん坊が動く衣擦れの音が聞こえてくる。ティーダも、リュックも、お互いに何も言えずにいた。今、何か言ったら。動いてしまったら。何か取り返しのつかないことになるような、そんな気がした。お互いに目を逸らせずにいたままだったが……不意にティーダは一瞬だけ目を伏せ、
「……リュック」 「帰って」
と言葉を紡ごうとするも、ほんの刹那の間もなくリュックはティーダの言葉に被さるように、ぴしゃりと言い放つ。冷淡に響いたその言葉に、ティーダは再び凍りついた。眉間にぎゅっと皺を寄せ、ティーダはリュックを見る。彼女の唇は、震えていた。 「お願いだから。帰って。……早く」 やっとの思いでそれだけ言うと、リュックはその場に立ち尽くしてしまう。ティーダもまた、しばらくの間立ち尽くしたままでいたものの、深く深く溜め息をつき、ティーダは赤ん坊を抱きかかえる。赤ん坊は、ここに来る前よりもずっとずっと重くなっていた気がした。そしてまた赤ん坊はティーダが触れた途端、 「……ぁぁああああやぁあああ〜〜〜……」 と泣き出す。沈黙に包まれていたその部屋の中に、赤ん坊の泣き声は痛いくらいに二人の心に突き刺さってきた。だが、もうあやそうとする気力も起こらないままに、ティーダは押し黙ったまま部屋を出て行く。静かに閉じられていくドアを見つめながら、リュックは依然、その場に立ち尽くしたままだった。
──なんなの。 なんなのさ。 どうしてキミが、急にそんなこと言い出すの。 あたしが勝手に想ってるだけって思ってたのに。 なんで、キミがそんなこと言うの?
嬉しいはずだった。 ずっとずっと想っていた人から、初めて伝えられた気持ち。 嬉しいはずだった。そのはずなのに。
「──全っ然……嬉しくないよ……」
リュックはそのまま、その場に崩れ落ちてしまう。 ぎゅっ、と瞑った瞳からは、温かなものがはたはたと音を立てて、床に吸い込まれていった──。
「ティーダ」 わんわんと泣く赤ん坊を抱いたティーダが宿舎を出ると、そこにはユウナがいた。突然の出来事にティーダは一瞬言葉を詰まらせる。 「……ユウナ……お、おかえり」 「ただいま」 ユウナはにっこりと笑みを浮かべ、ティーダに答える。ティーダも笑みを浮かべようとするが──それは、苦笑にしかならなかった。ユウナは泣き続ける赤ん坊を見て、「だめだよ、ちゃんとあやしてあげないと」と苦笑し、ティーダから赤ん坊を受け取り、優しく優しく抱き上げた。よしよし、と囁くように声をかけながら、湖に浮かぶボートのように、ゆらり、ゆらりと丁寧に体を揺する。それでも赤ん坊はぐずっていたが、ティーダに抱かれていた時よりはずっと静かになっていた。 「元気な子だねえ」 ユウナは笑っている。ティーダにとって、少なくとも今はその笑顔は見るに耐えないものとなっていた。あんなにも、彼女の笑顔を愛していたというのに。 「ユウナ、なんで俺がここにいるって分かったんだ?」 なんとなく話題に困って、胸の内に浮かんだ疑問をぶつけてみる。するとユウナは相変わらずの笑顔で、 「ううん、家に帰ったら誰もいなくって、それでルールーとワッカさんの家に行ってみて、ちょっと話してきちゃった。ティーダが今赤ん坊預かってることだとか、今リュックが宿舎にいるってことだとか。それで……」 一瞬、言葉が詰まった。
「……もしかしたらティーダも、ここにいるかな、って思った」
──今度浮かべたユウナの笑顔は、何も知らない人が見れば、きっと優しくて、心のほだされるような、いつもの彼女の笑顔に見えたのかもしれない。が、“わかっている”当人達にとってみれば、その笑顔はとても笑顔と呼べるものではなかった。 「そしたら、やっぱり……いた」 「……ユウナ」 ティーダが何か言いかけると、ユウナはくるりと踵を返し、 「帰ろ」 と、声を大にし、歩き始める。ティーダもまた、にべもなく歩き始めた。 「帰って、御飯食べよう。ここに来る前に御飯炊いといたの。ルールーから、スープも分けてもらったんだよ。きっと、美味しいんだろうなあ〜、私もね、ルールーの味付けとか真似しようと思ったことあるんだけど、どうしても上手くいかなくて……」 ティーダに向けて言うような。己に向かって言うような。それとも、虚空に向かって言っているかのような。終始明るい口調で一歩前を歩いていくユウナの背中は、ティーダの瞳にどこか痛ましく映る。
──知っている。 もう、ユウナは知っているんだ──。
「……あ〜〜〜っ、早く夕飯食いたいッスっ!」 ティーダはそう叫びながら走り出し、あっという間にユウナを追い越す。「先、行ってるからー!」とティーダはユウナに手を振りながら、そのまま家に向かう。全速力で。前を見ようともしないで。ただただ、がむしゃらに腕を振り回し、大地をめちゃくちゃに力いっぱいに踏みつけるようにしながら、走りつづけた。最悪な事に、ユウナを気遣う余裕すらなかった。ユウナを傷つけておいて。抜き去る際の、ユウナのあの表情。頬を伝っていたもの。それでも、明るく喋りつづけようとしていた、ユウナの気持ち。
既に世界は焼けるような夕陽の光に包まれていた。紅に燃える村の中を、ティーダは走った。
──すっげぇダセェや。俺。
夕食後。 ユウナは一人、食器を洗っていた。ティーダはと言えば、食事を終えてからすぐに「ちょっと、海に行ってくる」と言い、すぐに出かけてしまったのだ。かちゃかちゃ、と皿が水の中でぶつかり合う音だけが、独りだけでは広すぎる家に、虚しく響く。時計を見ると、既に夜の十一時。ティーダが出かけてから三時間程経っていたが、まだ彼が帰ってくる様子はなかった。
──やっぱり、リュックのところにいた──。
その事実は、ユウナを確実に落ち込ませていた。何をするにも気が入らず、食事の間もずっと言葉や素振りばかりが空回りをして、ちっとも楽しめなかった。ユウナは家事を一通り終えると、ベッドで寝ている小さな命の元へ向かう。赤ん坊はユウナが部屋に入ってくるのを認めると、目を一層細めて、笑顔を浮かべ迎え入れてくれる。ユウナはベッド脇にいつも置いてある椅子に腰掛け、赤ん坊の髪をすっ、と撫ぜる。そして赤ん坊をじっ、と見つめ、なるほど、と思う。確かにどこまでも無垢なようで、それでいて何もかも知っているかのように老成した表情。多分、ドナが言っていた赤ん坊と同じ赤ん坊だろう、と、ユウナは直感的に感じた。何となく、“わかった”のだ。ワッカとルールーの家に行った時、ことのあらましを一通り聞いた。どうやらティーダとリュックがずっと面倒を見ていたわけではなく、一度はワッカ達の家でも預かっていたらしい。突然現れたり、突然消えたり、ということをいろいろ繰り返して、現在に至っているらしかった。時期的に考えても──リュックの子供では、ない。そのことは思っていたよりもずっと、ユウナを安心させていた。そしてまた、そんな思いを抱いてしまう自分を戒める。 赤ん坊は、そうして嫌悪感に苛まれるユウナを労わるかのように、「あー」と声を出しながら、ユウナの方へと手を伸ばす。ユウナもそれに応え、掌を差し出し、あとは赤ん坊のされるがままになっていた。ユウナの細い指先を頼りない手つきで触る赤ん坊を見て、ユウナは思わず苦笑し、 「本当に不思議な子」 と言う。 ──できれば。できれば、もっと幸せな形でこの子を迎えてあげたかった。ティーダも、ユウナ自身も心からの笑顔でいられる時に、この子を家に迎えてあげられていたとしたら、いったいどれほど幸せな気持ちになれただろうか。もちろん、赤ん坊の本当の両親を見つけねばならない、という責任感はあった。むしろそれこそを一番に考えねばならないことを、ユウナは充分に理解している。
でも。
そうだとしても、やはり、ティーダと一緒に赤ん坊を育てる。そのことはきっと、結婚した後の二人の生活をよりリアルに想像させるに違いない。まだその契りを交わしていない二人であったとしても新婚にも似た気分に、きっとたっぷりと浸ってしまうのだろう。そして、もしかしたらティーダも……そのことについてはいろいろと迷っているティーダも、その仮初の幸せを真実のものにしようとしたかもしれない。もしかしたらそのことをきっかけに、結婚する、ということを決意してくれたかもしれない── そこまで考え、ユウナはハッ、とした。そして、自嘲気味に笑みを浮かべる。……バカみたい、と。あるはずもないことを想像し、尚且つそれを求めてしまうなんて。
シンがまだいて、死を覚悟し旅をしていた時は、未来のことなど考えた事もなかった。が、今は違う。この平和な時代を築いた今は、確実に未来は存在している。その未来という存在は、ありとあらゆる可能性と別れ道と想像の余地をユウナに与えた。 そして、その未来の自由達は──ユウナを、弱くさせることとなった。 数え切れない選択肢。結末を知らない事への不安感。死の螺旋という束縛からの解放感とともに、それらのあまりに膨大な量の分岐点と白紙の“これから”達に、ユウナは押しつぶされそうになることがしばしばある。普段通りの生活を送れていたならば、それは別段深刻に考えるほどのものでもない。だが、例えば今回のようなこととなると──それらは、ユウナに無遠慮に襲い掛かってくる。 ──幸せになるって、とんでもなく難しいことなんだ。 そのことに、今更ながらユウナは気づく。そう、自由こそが、最大の不自由でもあるのだ。
ユウナは赤ん坊の柔らかな頬を、すぅっ、と撫ぜる。そうしながら、静かに赤ん坊に問い掛けた。 「ねぇ……キミは、どこから来たの……?お母さんは誰?」
「あぅあ…あー。あー。」
赤ん坊は、窓に向かって懸命に手を伸ばしつづけていた。何かを掴むかのように、小さな手をぶんぶんと振る。窓からは、柔らかな金色の光が音もなく降り注いでいる。ユウナが視線を窓の向こうへとやると、そこには待月があった──。
──その、月の下で。 静かな漣の音が、夜の闇を満たしていた。本来ならば真の暗闇に覆われ、畏怖の対象としかならないはずの夜の海であったが、ここビサイドは村そのものの灯りが少ないため、夜空にある星々だけで充分な明るさを得ることができた。ティーダはがむしゃらに泳いでいた。 ──ハッ ハッ フッ フハッ ハッ── 波は普段のそれよりもずっと高くなり、海水は昼間よりも格段に冷たくなっていた。既に泳ぎ始めてから3時間以上は経っている。いくらブリッツで泳ぎ慣れ、常人以上の泳力・体力があるとしても、ほんの一時も休むことなくこれだけの時間を全力で泳げば、さすがに限界を感じてしまうはずだった。ティーダ自身の体力は明らかに消耗されており、夜の海で冷え切った体は上手く言う事を聞いてくれない。それでも。それでも、ティーダは泳ぐ事を止めなかった。どんなに体力を消耗しても、冷水で体の自由を奪われたとしても、ティーダの泳ぎは全く衰える事はなかった。 ──フッ フッ フッ ハッ ハッ── 心臓は異常なまでに高鳴り、息はすっかりと上がっている。腕や足は鉛と化したように重くなり果て、唇は余りの寒さから、ブルブルと震えきっていた。
──バカ野郎。バカ野郎だ、俺!
『リュック〜起きてるっスか〜?昨日の夕方から来てくれてるんだって〜?』 『朝飯作るからさ、一緒に食……』
──ユウナを悲しませた。 俺、ユウナを裏切った。
『じゃ、オレも協力するっス!』 『赤ちゃんの扱いなんてわかんないけど、さ。 なんていうか……ほっとけないっていっつうか……。 赤ちゃんも、リュックも』
──なんで、なんで迷ってんだよ、俺。 リュックは……リュックは、ただの仲間だったはずだろ? 一緒にガードやってて、ユウナのことを一緒に守ろうとして、 ただ、それだけだったじゃんか!
『ユウナんも……子供好きそうだよね……』 『え…?』 “ぼんやりと考え事なんかしていたら、ついそう口にしてしまっていた。 気がつけば、ぽかんと口を開けてあたしを見ているティーダと視線がぶつかる。”
──……違う。
『ね、ねぇ……。お布団貸してもらってもいい?赤ちゃん寝かせたいんだけど』 “あたしのその言葉に、はっとしたようにティーダが立ち上がった。” 『そっスねッ!ずっと抱っこしてたら手がしびれるもんな』
──違う。ガードやってた時は、特別だった。 誰かが……ユウナがいつ死んじゃってもおかしくないって状況で、 ただ俺たちはそれを何とかしようって思いつづけることに必死だった。 だから、俺もただユウナのことだけを見つめていられた。
『ここ、客間なんだ。あ!! リュックも今日泊まってけば?』
──平和になっちゃったら、余裕ができる。 ……リュックのことを考える、余裕もできる。
『ほら、夜中とか一人じゃ大変だろ?オレでも……ミルクぐらいは作れるし』
──最低だ。
「最低だ!俺、最低だあっ!!」
ティーダは水面を力一杯に叩いた。既に感覚のなくなった手ではあったが、それでも鈍い衝撃が伝わってくる。 「うっ!うぅっ!ぅぐうぅぅっ!!」 そのままティーダは、何度も何度も水面を叩く。その度に派手な水しぶきが上がっていたが、次第にその力すら薄れていき、最後にはパシャ、という弱々しい音しか響かなくなる。動く事を止めたこの瞬間から、ティーダは自身の体が信じられないほどに鈍く、重たくなっていることに、改めて気づく。体中の隅々が酸素を欲していて、荒い呼吸はゼヒゼヒと喉の奥で嫌な音を立て始めた。 ──ゼッ ゼッ ゼッ フッ ハッ── とうとう疲れ果て、ティーダは闇色に染まる海に、仰向けになって浮かんだ。空には満天の星空と、一際明るい光を放つ月が浮かんでいた。 ──考えろ。 何が一番いいのか、どうすればいいのか、よく考えろ。 曖昧なままでいいわけなんてない。 このままでいいわけない。 考えろ。答え、出すんだ。 「……考えろよ……」 ティーダのその呟きは、あっという間に潮騒にかき消されてしまう。遠い星空は気づけば水分を含ませすぎた絵の具のように滲んでいき、次第にその点のような光もぼやけたものに変わっていった。それは海の水のせいなのか、それとも別の何かのせいなのか。その時のティーダには、考える余裕すらなかった。
今日は、待月。 明日は、真円なる満月だ。
「──。」 リュックは思わず息を呑んだ。それもそのはずだった。真夜中過ぎに唐突にやってきた客人。誰だろう、と思いドアの開けたその向こう側には……。 「リュック。──入れてくんない?」 ──びしょ濡れのティーダが立っていたのだから。
彼の帰りは、遅かった。 もう、午前三時を回った頃だったろうか。眠れないままで赤ん坊と一緒にベッドに横になっていたユウナの耳に、ドアの鍵の開錠音が聞こえてきた。──ティーダ。心の中で、ひっそりとその名を呼ぶ。水気を含んだ足音は、家の中に入ると静かに静かに歩を進めていく。そして聞こえてくる、衣擦れの音。着替えているのだろう。しばらくすると、今度はパタパタと羽音のようなスリッパの足音が聞こえてくる。その足音は段々と近づいてきて──ユウナの、すぐ近くにまでやってきた。そのままベッドに腰掛け、何を言うわけでもなく佇む。ユウナもまた、眠ったふりをし続けていた。やがて彼は、ブリッツ・ボールを片手で掴んでしまえるような大きな手を、ユウナの肩から腕を、何回か一定のリズムで撫ぜた。
──“あの人”のところに行ってたの?
心の中で問い掛けた。無論、彼はそれに答えることはない。彼は、しばらくの間そうしてユウナの腕を撫ぜていた。次に、ユウナの目の前にいる赤ん坊に恐る恐る、手を伸ばす。ユウナは目を先程よりさらに細め、起きていることを悟られないようにする。そろそろと赤ん坊に手が近づいていくのが、瞼の間からうっすらと見える。赤ん坊が起きないようにとの配慮だろうか。が、赤ん坊はその気配を感じたのか、ぱっちりと目を覚ましてしまった。彼の手が、一瞬脅えたように震え、静止した。赤ん坊はその伸ばされた彼の指を、きゅう、と掴む。 「あ」 彼の、掠れた声が一瞬だけ響いた。赤ん坊は笑うでもなく、汚れのない真摯な眼差しで彼を見ていた。彼もまた、赤ん坊を見つめ返しているようだった。しばらくの間、そうしていた。
──私は……キミを好きでいて、いいの?
だが、彼は唐突なタイミングで立ち上がり、またパタパタという足音を立てながら、居間の方へと向かってしまう。
──私は──
居間の長椅子がぎしり、と音を立てる。彼はそこで寝るつもりなのだ。いつもは一緒のベッドで寝るのに。どうしてそうするのだろう。この、小さな来客がいるせいだろうか。それとも、ほかに理由があるのだろうか。
──それでも わたし は
キミが “すき” なんだ──。
その夜。 ユウナは、独り枕を濡らす。 赤ん坊だけが、迷いのない真っ直ぐな瞳で、その姿を見ていた───。
涼しげな風は、冷たい風よりもずっと寂しさを引き立たせる。
真夜中の潮風に吹かれながら、ユウナはそんなことを思う。ユウナは、人を……そう、ティーダを待っていた。今朝彼は家を出かける時に──今日はキーリカの子供ブリッツチームにプロブリッツ・プレイヤーの講師としての仕事があった。シーズン・オフの休暇中といえど、いやむしろ休暇中だからこそ、こういったアマチュアブリッツ・チームからの依頼は絶えないものなのだ──玄関まで見送りにやってきたユウナに、
「悪いけど、今日は帰りが遅くなるッス。仕事が終わってからも、多分向こうのコーチとかと飲みに行かなきゃならなくなると思うんだよな。……で。悪いんだけどさぁ……夜、浜辺まで迎えにきてくんないかな」 話を聞く限りだと、ティーダが帰ってくる時間は真夜中の十二時過ぎにもなりそうだ。そんな時間に、とも思ったが、ユウナは次のティーダの一言を聞いて、何も言い出せなくなってしまう。
「……話が、あるんだ」
苦笑しながら言う彼の言葉を、ユウナは素直に受け入れるしかなかった。 話がある。──なんて恐ろしい響きを持つ言葉なのだろう。ユウナはその言葉から考えられる限りの事柄を一日中想像していた。そして、その想像は……必ず、たった一つの“答え”へと辿り着いてしまう。とてつもなく鋭利で、残酷な“答え”。その“答え”のことを計らずともまた思い描いてしまい、ユウナは思わず、すやすやと眠る赤ん坊を抱く力を込めた。 赤ん坊は紫のような緑色のような、赤色のようなオレンジ色のような──とても“何色”とは一括りに言えないような、温かみのある不思議な色の布に包まれている。先日ワッカの家を訪ねた時、「ティーダに渡してくれ」と渡されたものだった。ワッカが海辺でこの赤ん坊を拾ってきた時に身に付けていたものらしい。手触りも布のような、そうでないような。薄く引き延ばし、布状の形にした微温湯(ぬるまゆ)のような……これもまた、一括りにして言えないような、不思議な手触りだ。ワッカの話によれば、赤ん坊は拾われた時、今にも波に攫われそうな夜の砂浜に捨てられていたにも関わらず、全く濡れることなく、砂も一粒たりともついてはいなかったそうだ。 ますますもって、奇妙な話だ。そう、この赤ん坊を目の前にし腕の中に抱いていながらも、現実感が全くないのだ。 様々な場所に突然現れ、消える赤ん坊。濡れない不思議な布。魔物ではない。死人でもない。召喚獣と交感したことがあるユウナにはよく分かるのだが、この子は召喚獣、というわけでもなさそうなのだ。 ──では、キミはいったい、誰?
キミはいったいどこから来たの? キミのお母さんやお父さんは? 何故いろんな人たちの前に現れては、消えていくの?
浮かんでは消えていく赤ん坊への疑問達。浮かんでは消えていく彼への不安達。金色の月明かりで濡れた浜辺の中、ユウナの心は独り揺れていた。
その時。
「ユウナ」
聞き慣れた声に、ユウナの体はぴくりと揺れる。声が聞こえてきた方向を見ると、船着場の桟橋にはいくつもの灯りをたたえた木造船から、幾人もの人が降りてきているところだった。そのことにすら気づかないほど、かき乱されていたのだろうか。声の主の姿は、その灯りのせいで黒いシルエットと化していた。でも、それが誰なのかははっきりと分かる。金色の髪の毛、見知った一切の無駄のない完璧な体つき。
「──おかえりなさい」
──だいすきな人。
「……ティーダ」
「ただいま。ごめんな、遅くなっちゃって」 ティーダが一歩一歩近づいてくる度、シルエットと化している彼の体はひどく大きくなっていく。足元から自らの方へ向かって伸びる黒い影が今にも襲ってきそうだ、とユウナは思い、身を竦めた。彼の姿がちゃんと見えないことが怖いのだろうか。彼の顔が影になっていて見えないのが、怖いのだろうか。人は闇を恐れる生き物だ。何故闇を恐れるのか? それは、闇は常に暗がりに包まれているため、その明確な正体が分からなくなるから。人は、明確に言うならば闇ではなく、“わからないもの”を恐れるのだ。ユウナは、彼自身を恐れたわけではない。彼の表情が見えないことに。彼の姿が見えないことに。そして、彼の心がどこに在るのかがわからないことに、恐れを抱いていた。 近づいてくるティーダにユウナは立ち上がりながら「家に帰ってから話す?」と聞く。が、ティーダは首を横に振り、
「ここがいい」
と静かに答える。普段の彼に見られない落ち着き。
──“ここがいい”とは、どういうことなのだろうか。 ……もう、家へは帰らない、ということなのだろうか。
ユウナの中で、また新に葛藤が始まる。二人は改めて、砂浜に腰掛けた。心地よい穏やかな暖かさと涼しさに包まれた夜。船着場のさわさわという喧騒が聞こえる。浜辺に波が打ち寄せる永遠のリズムが、ユウナの心に焦燥感を少しずつ、少しずつ宿していく。 「赤ん坊……置いてこなかったんだな」 「うん。出かけてる間に何かあったら、って思って」 それに……独りでいるのは、心細かった。
──なんだろう。 ティーダは何を言おうとしているんだろう。 これから何が始まるんだろう。私、何を聞かされるんだろう。
トッ、トッ、トッ、トッ。早鐘のように素早く鼓動する自分の心臓の音が聞こえていた。体の中に氷の塊が生まれたかのように、ユウナは身も、心も、すっかりと縮こまってしまっていた。そして、どれほどの時間が経った頃だっただろうか。不意に紡ぎ出された、 「……あのさ」 という彼の言葉に、ユウナの体はぴくり、と震える。そしてほんの間も与えないままに、 「待ってっ」 ユウナは制止をかけてしまった。ティーダはハッとしたようにしてユウナの方を見る。だが、その肝心の表情は相変わらず闇に包まれたままで、よく見えないままだ。黒い闇に覆われた、ティーダの顔。ユウナは自分が発した言葉にようやく気づいたようで、 「あ……ごめんね……。……続けて」 と慌てて言ったきり、すっかりと下を向いてしまった。その言葉の続きを言えない自分が、まだ彼の言葉を聞く覚悟すらない自分が、どうしようもないほどに情けなかった。かつては、死すら覚悟できたというのに。それなのに……。 「……俺、いろいろ考えたんだ。昨日の夜」 ティーダは海のほうへと視線を向け、ぽつり、ぽつりと話し始める。まだ心の用意のできていないユウナは、彼が話し始めたことにひどく狼狽してしまう。どうしよう、どうしよう。始まってしまった。 「あの後、海行ってさ。全力で休まず三時間! すっげぇ泳いじゃったんだ。おかげで、今日はもう体中筋肉痛なんだ。オーバーワークってやつ」
「……そうなんだ」
普通に相槌を打とうとしただけなのに、ユウナの「そうなんだ」は、想像いていたよりも遥かに冷たく響いてしまっていた。明るい口調で話そうとしていたティーダも、言葉を詰まらせる。そして、一瞬の間。その一瞬の間は、“どうせ話すのならば、すぐにでも本題に”。そういった暗黙の了解のようなものを、二人に与えていた。ティーダは再び息を吸いなおして、 「……で、さ。……考えた」 と、改めて言い直す。 「泳いで泳いで泳ぎまくって、本当、もうダメだ、ってくらい体使ってさ。で、体力とかと一緒に頭ん中もからっぽにしてさ。全部、最初っから考えた」 「……うん」 「……で、気づいたんだけどさ」 「……うん」 「……てゆうか、気づかないフリ、してただけなのかもしんない」 ───何? 「俺、さ……。
……旅の時から、リュックのことも……見てた」
───心臓が、跳ね上がったかと思った。
最早、ユウナはそこからは一言たりとも、声を発することができなかった。ティーダの口から直接出てきた、彼女の名前。「旅の時から」という言葉。赤ん坊を抱きしめる腕に力がこもる。 「……と、思うんだ。ホントはよくわかってないと思うんだよな。好き、なのかどうかもよくわかんないし。ただ……気には……なってたかな。ザナルカンドからスピラに来た時、一番最初に会ったのって、そういえばリュックだったし。最初に一緒に旅しよう、って言ってたのも、そういえば……リュックだったし」 「……そう」 「でも、あん時はシンのこととか、召喚士だとかアルベドだとかって、いろいろあっただろ。特に、ほら……ユウナのこと、死なせないって。ずっとずっと考えてたし。だから、あの時はユウナのことだけ、考えられた。ユウナのことを一番に、見ることができてた」 「……う、ん」 「……で、よぉっく考えたらさ。そのことで一番話し合ったのって、やっぱリュックだったんだよな。なんかあったら話し合ってさ。宿でどっちかの部屋まで行って、夜遅くまであーだこーだ、言ってた時なんかもあったし」 ──そうだったんだ。 私、知らなかった……。 「なんだろうな……あんな大変な状況だったのに、そんなこと思ってる暇なんてないのに。……まぁ、だからこそ、気持ちに気づかなかったんだろうけど。……でも、さ。 あいつといるの……結構、楽しかった」 「……」 「……シンがいなくなってさ。世界にも、ここに生きるみんなにも、俺達にも、余裕ができただろ。だから、あいつのこと考える隙間、心の中にできちゃったんだ」 「……」 「……正直言うと……。 ……気持ち、揺れてた」
──正直、だよね。 正直、すぎるよね。
眉間が熱くなる。喉がカラカラに渇ききり、吐く息には熱がこもり始めた。多分、今何かを喋れば、それでユウナは堰を切ったかのように泣き出してしまっていただろう。でも、それでも、絶対に涙だけは見せないようにしようと思ってた。そんなものを見せてしまえば、ティーダが困ってしまうだろうから。ティーダがどんな考えでいようと、それが私の望まない答えでも、望む答えであったとしても、目の前で泣かれたりしたら、きっときっと困ってしまうだろうから。そんなユウナの様子に気づいたのか、ティーダの声に動揺の色が浮かぶ。 「あ、……。ご、ゴメン……」 「……」 「……俺さ、嘘、あんま巧くないだろ? ……だから全部話そう、って思ったんだ。そうした方が、いいだろ。お互いすっきりできるし。ユウナも……答え、出しやすい、と思ったし」 「……答え……?」
──答えって、何?
「俺はもう……答え、出てる。 あとは……あとは、ユウナがそれを受け入れてくれるか、だけなんだ」
──答えが、出てる? 私が、受け入れるだけ?
「ね、ねぇ、ちょっと待って……」 「勝手かもしんないけどさ。俺……もうこの答え、変えられない」
どっ、どっ、どっ、どっ。心臓の鼓動が限界まで大きく、早く打っていた。血液がものすごい勢いで体の中を動き回るのを強く感じ、額にはうっすらといくつもの汗の粒が浮かんでいる。 ──待って。待ってよ。そんなの、早すぎる。まだ何の用意もできていなかったのに。私だって話したいこととか、聞きたいことだってあるのに。今はただ、そう、キミが話したことに驚いているのに精一杯で、上手く話せないだけなんだ。もうちょっと、もうちょっと時間をくれれば私も話すから。言いたいこと、言えるから。だから、お願い、もうちょっとだけ──
「──ユウナ──」
ティーダの表情は、相変わらず見えなかった。船着場ではようやく入港作業を全て終えることができたらしく、ビサイド村へ向かって歩く人影が、いくつか連なって見えた。まだ人が残っているのか、連絡船の灯りはついたまま。シルエットとなったティーダの深遠なる闇に包まれた唇が、その言葉を──紡いだ。
───ごめんな。
「──────────────────。」
そう言ったきり。
ティーダは立ち上がり、波打ち際の方に歩き出してしまう。 ユウナは──何も、言えなかった。 答え。そう、答えを出さなければ。 彼の答えを受け入れ、そのうえで、自身の答えを出さなければ。 でも、そんなもの……そんな答えなんて、本当に出せるものなのだろうか。
──出せるわけ、ないよ……。
ティーダの心は決まってしまった。決まってしまったものを、変える事はできない。 ティーダ自身もそう言っていたのに。 それなのに……答えが、出ない。 唇が、動かない。 体も、心も、震えたまま、何も出てこない。何も、生まれてこない。
ティーダの背中が、段々と遠くなっていく。波打ち際からほんの数メートルのところだっただろうか。彼は立ち止まり、幾億もの星々の中に浮かぶ満月を、じっと見上げていた。
──ごめん。こっちの方こそ、ごめん。 私、キミのこと、笑顔で送ってあげることもできないんだ。 ……好きなのに。 キミのこと、こんなに、こんなに好きなのに。 それなのに、キミが選ぶ幸せを、認めてあげることもできないんだ。
ティーダは少しの間月を見上げた後、ユウナの方を振り向く。その頃には、連絡船の灯りも全て消え、残った明かりといえば煌々と浜辺を照らす、明るすぎる月と星々だけだった。月下に浮かぶ、彼の姿。
──……違う。 好きなのに、じゃない。 好きだから、なんだ。 キミのこと、こんなにもこんなにも好きだから。 だから、キミが選んだその道、認めてあげることができないんだ。
……ねえ、ティーダ。 ごめんなさい。 キミがなんて言っても、私のことをどう思ってても……
「──ユウナあっ! ほんっっと、ごめんっ!!」 「……っ」
三度目の“ごめん”を、波音に負けない程の大きさで言ったその時。 彼は……。
──それでも、わたしは、キミのことが……
「俺! やっぱユウナのこと、大好きッスっ!!」
───彼は、笑顔だった。
Copyright (c) 2002 侑史
|