生きてるのに 自分の想いを誰にも伝えられなかったら
死んでしまっているのと同じなのかなぁ…
第三楽章 〜 Concerto 〜
赤い夕陽と 赤い月 二つの赤光(は 空の藍色と海の藍色を やわらかなヴェールで包みこむように 覆いながら 重なり合って とけ合って すべてが 淡い紫に… それは 温かだけど 寂しげな色…
水平線に 沈みかけのままの大きな夕陽 まるで 時が止まっているかのように
さざ波と潮風の音は ずっと変わらず繰り返している けれど 夕陽は未だ 沈まない
それは 温かで 不思議な時間だった…
ポーン…… 青くて丸いものがひとつ、赤い空を横切り、大きなアーチを描いた。
「行ったぞ、ミオン!」
「う、うん…」
自信無さそうな声で返事して、ミオンは両手を前に向けた。 白いラインの入った青いボールが、地面で一回弾んでから、ちょうどミオンの手前へと飛んできた。
「わっ、っとと、フニャン!」
ドテッ… ミオンが転ぶ音。 転んだミオンの背中の上を通り過ぎて、ボールは後方へ転がっていってしまった。
「だいじょうぶか〜?」
「うう〜…」
よろよろと立ち上がり、ミオンはとんがり帽子のツバを両手で持ってキュッキュッと深くかぶり直す。 とんがり帽子の前のほうには小さな丸い穴が開けてあり、ツノが丁度そこから出るようになっている。黒いドレスのスカートの丈は、シッポの邪魔にならないように短めだ。 ミオンのお気に入りの服装だったが、既に何度も転んでしまったために砂だらけになってしまっている。 けれども、ミオンは服の汚れなど気にしていない様子。
「ボールさ〜ん…」
転がっていくボールを追いかけ、飛びつくように両手でそれを捕まえた。 ハアハアと息を継ぐのも束の間、
「おにいちゃんっ。」
小さな両手でボールを持って、下から前方上空へ向けて放り投げる。 だが、そのボールはほんの少し滞空しただけで、すぐに地面に落ち、ほとんどバウンドもせずに転がり、止まってしまった。その距離、わずか2m足らず。少年の立っている所までは7mはあるので、全然届いていない。
「うう〜…」
「んー、もっと強く投げないと届かないッスよ〜。」
「……。」
ミオンは無言で頷いて、ボールを両手で拾い上げる。 ボールを抱きかかえて、ミオンは少年に大きな赤い瞳を向けた。 その瞳は、潤んで揺れている。
「……あたし、こういうの得意じゃないんだ…。 孤児院(でも、あんまりみんなとお外で遊んだことないし…。 おねえちゃんは、こういうことも得意なんだけどなぁ……」
涙声で言うミオン。しかし、小さな声だったので、少年には届いてはいなかった。
「どうしたー? もっと大きい声で言わないと、聞こえないぞー?」
「………」
「もっと近づいたほうがいいか?」
「………」
何か言いたそうな顔で、ミオンは黙ったまま少年を見つめている。 少年が数歩あゆみ寄り、二人の間は5mほどになった。 少年は中腰になって、ミオンに話しかけた。
「初めは誰だってうまくないんだ。気にすることないッスよ。」
「……うん。」
「さあ、とにかく投げてみよう!」
「うん。……えいっ!」
両手で思いっきり放り投げる。 ぽーん… 先程よりも少し高く上がった。が、やはりすぐに地面に落ちてしまった。 ボールは転がって少年の1m手前で止まった。
「お、もう少しだな。」
「うんっ。」
少年は手を伸ばしてボールを拾い上げて微笑み、ミオンは嬉しそうな顔で返事した。
「おにいちゃん、ボール〜!」
「よ〜し、ほれっ!」
ポーン…… 少年が片手で放り投げたボールがまた大きなアーチを描く。
「あ、わるい!取れるか?」
二人の間の距離が短くなったため、今度はノーバウンドで届いてしまいそうだ。
「わ、わ、フニャッ!」
ミオンはなんとかそのボールを両手でキャッチしたが、体勢を崩して砂の地面に尻もちをついてしまった。
「大丈夫ッスか?!」
「うんっ。だいじょうぶ。取れたっす!」
駆け寄った少年に、ミオンは両手で持ったボールを突き出し、嬉しそうに返事した。
「あ、ああ。あ、いや、そうじゃなくてさ、ほら、オシリ、痛くなかったか?」
「うん。平気だよっ。」
ミオンはピョンと、跳ねるように起き上がると、 猫のシッポのようなシッポを器用に使ってスカートに付いた砂を払い落とした。 ミオンはクスクスと笑みをもらす。
「おにいちゃん、女の子のオシリ好き〜?」
「えっ…?」
「うちのおとうさん、あたしやおねえちゃんのオシリ好きなのよ〜。 だから、おにいちゃんも好きなのかな〜って思って。 でもね、おとうさんが一番好きなのは、おかあさんのオシリなの〜。 あ、おとうさんね、おかあさんのムネも大好きなのよ〜。」
「ハハハ…」
少年は思わず苦笑い。
「ねえねえ、おにいちゃんは好きなひと、いるの〜? いるんだよね〜? おにいちゃん、かっこいいもん〜。 やっぱり、きれいなおねーさんなの〜? やっぱり、ムネとかオシリとか、大きいの〜? いいないいな〜。あたしも早く大きくなりたいな〜。 あたしもおかあさんみたいになれるかな〜。」
ニコニコと明るい顔で、大きな瞳をきらきらさせて、ミオンは元気な声を響かせる。 『うまくしゃべれない』と言って悲しげな顔をしていたのが嘘のようだ。 少年の相槌さえも待たずにポンポンしゃべってしまうところは、まだまだおしゃべり上手とは言えないが……夢中になっているのだろう。そんなひたむきな姿が可愛らしく思えて……少年の苦笑いは、いつしか優しい微笑みに変わっていた。
「ねえ、おにいちゃんっ。」
「ん?」
「キャッチボール、楽しいねっ。」
「ああ。」
「おにいちゃん、いつも、お友達とキャッチボールして遊んでるの?」
「ハハッ。キャッチボールは準備運動みたいなもんだよ。 俺の住んでる世界にはさ、ボールを使って点を取り合う ブリッツボールっていうスポーツがあってさ、 チーム対チームで試合をするんだ。おおっきなスタジアムでさ。 たくさんのお客さんが来て、みんな大興奮で、 そりゃあもう、見てるだけだって楽しいんだ。」
「わぁ…。」
「でも、キャッチボールにはキャッチボールの良さがある。 まあ、ボール遊びの基本はキャッチボールッスから。」
少年はミオンから再び5メートルほど離れ、中腰になって両手を広げた。
「さあ。」
「うんっ。」
ミオンがボールを両手で放り投げる。 ぽーん… そのボールは、前の時よりも高く上がった。けれど、方向が違う。ボールは少年よりずっと左のほうへ転がっていってしまった。 少年は少し歩いて、ボールを拾い上げた。
「ん、いい感じになってきてるッスよ。ちょっと方向が違ったけどさ。」
「う〜…。ねえ、おにいちゃん。どうしたらうまく投げれるの〜?」
「あせんなって。そんなにすぐ上手になれるやつなんていないから。 何度も何度も投げてみて、コツをつかむ。 そのためのキャッチボールなんだ。まずはどんどん投げる! 投げるの下手だからって、投げることをしないでいたら、 いつまでたっても上手になんてなれないッス。」
「わかったっす〜!」
ポーン…… ボールはアーチを描き、地面で弾み、ミオンの両手へ。
「わっ、とと……と、取ったよぉ!」
「うんうん。キャッチのほうはだいぶ上手になってきてる。 投げるほうも、がんばるッス!」
「うん。 行くっすよぉ〜!それっ!」
ぽーん…
「おっとっと……そうそう。勢いも大事ッスね。ほれっ!」
ポーン……
「わぁ、また取れたよぉ!」
ピョンピョン飛び跳ねて喜ぶミオン。
そんなふうに、キャッチ&スローを何度か繰り返した。 そして… ぽーん… ミオンの投げたボールが、また方向違いのほうへ転がっていってしまう。 少年は、数歩歩いて、片手でボールを拾い上げ、ミオンに背中を向けたまま… 静かに、止まった。
「……おにいちゃん?」
「………」
ミオンが声をかけるが、少年は答えない。 少年は、黙ったまま、夕陽のほうに向かったまま、振り返らない。
「おにいちゃん……」
「………」
「おにいちゃん、どうしたの〜? もう終わり〜?」
「………」
「ねえ、おにいちゃん、ボール投げて〜!」
ミオンが両手をブンブン振るが、少年は動かない。
「おにいちゃん……つまんなくなっちゃったの? あたしがヘタだから? うう〜…。 あたし、がんばるから!投げてよぉ〜!」
べそをかいて言うミオンに、少年はやっと振り返った。
「ハハ。ごめんごめん。つまんなくなんかないよ。」
「んもお…!」
彼の笑顔に、ホッと安心しながらも、ミオンは頬を膨らました。 そんなミオンを見つめ、彼は優しく言った。
「投げたボールが返ってこなかったら、寂しいだろ? そう、楽しみにして待っているのに、何も返ってこなかったら、 寂しい気持ちになるんだ。 自分が嫌われちゃったのかな、って、心配になったりする。 そういうのってさ、日頃のおしゃべりでも、同じじゃないかな…。」
ポーン…… 言いながら少年はボールを投げた。ワンバウンドして、ボールはミオンの両手へ…。
「ひごろの、おしゃべりでも?」
オウム返しに訊くミオン。 少年は、大きな夕陽を背に、目を閉じて静かに語った。
「自分は上手にしゃべれないから、相手を困らせないように、とか、 相手を傷つけないように、とか…。 キミはきっと、優しいから、そう思って、ためらってしまうんだろ? でもさ、確かに、上手に話したいって気持ちは大切だろうけど、 上手に話せないからって黙っていたら、何も伝えられないだろ? キミと話したくて、話しかけてくる、お友達や、 お姉ちゃん、お父さん、お母さん…… キミがいつもあまりしゃべってくれないから、 きっと、寂しい思いをしてるはずだよ。 みんな、キミと仲良くなりたい、キミのことをもっと知りたい、 キミの気持ちが知りたい、って思ってるのに…。 キミには声がある。キミは生きてるんだ。 なのに、自分の思いを何も伝えないでいるなんて、 そんなのは死んでしまっているのと同じだよ。 死んでしまったら、もう、好きだってことも、嫌いだってことも伝えられないんだ。」
少年の姿が、霞んでいく。夕陽の光の中へ溶けていくかのように。
「おにいちゃん……」
赤い月を背にして立つミオン。うつむいて、小さな声をこぼす。
「分かってるの。あたし、分かってるの。 でも、うまく、話せないの。 ダメなの。あたしなんて、やっぱり、 ついでに生まれてきた、できそこないなのよ…! あたしなんて、いなくなっちゃえばいいんだ! こんなあたしのせいで、おかあさん苦しんで…! あたしなんて、あたしなんて…」
「生まれて来なかったほうが良かった、なんてことは絶対にない!!」
少年の大きな声に、ミオンは言いかけた言葉を飲み込んで固まった。 ゆっくり顔を上げると、赤い光の中で、少年は温かく微笑んでいた。
「あたしなんて、とか、オレなんかのために、とか、 そういうふうに自分を卑下してしまうところ、 キミは、キミのお父さんとよく似てる。 キミのお父さんも、苦しんでいた。 でもさ、もっと、周りの声を感じてみなよ。 誰も、そんなふうにキミを見てる人なんていないはずッスよ。」
少年の姿が赤い光の中に溶け、 水平線に沈みかけの赤い半円が、半円のまま、どんどん大きく広がって、近づいてくる… 全てをのみ込むかのような、温かく、大きな、赤い半円球(……
「おにいちゃん……」
やさしい感覚が全身を包んでいく。
気がつくとミオンは、真っ暗な浜辺に立っていた。 星明かりだけの暗黒の中、さざ波と潮風の音だけが変わらずに響いている。 夕陽は見えない。赤い月も見えない。
頭が、ぼーっとしている。深い眠りから覚めた時のような、だるい感覚。
(夢、だったのかな……)
夢を見ていたような気がする…。 でも、全て、夢だったのだろうか。
(おにいちゃん……)
周りを見回すが、人影は見えない。
(おにいちゃん…おにい……?)
ふと、気がつく。
(あれ?声が……)
声が、出ていない。自分では声を出してしゃべっているつもりなのに……
(え?あ、体が……!)
ミオンは慌てて体をばたつかせる。しかし、ミオンの体は勝手に空中にふわふわと浮かんでしまう。 まるで全身が羽毛のように軽くて、力も入らない。
(なんなの?これって……)
何かに上から引っ張られるように、ミオンの体は地面から離れていく。 ミオンは自分の体を自分で抱きしめるように、右手を左腕に、左手を右腕にあてる。 だが、そこには雲を掴むような空虚があるだけだった。
(あたし、死んじゃったのかな……)
# # # # #
日が沈んで、既に5時間が経とうとしていた。 城の外に、灯火が十数個。ランプを片手に持った警備兵が十数人集まっている。 隊長スタイナーの前に、立ち並ぶ甲冑姿の警備兵達。 今や四十歳となり貫禄たっぷりのスタイナー。 警備兵…「プルート隊」。今は王家の誇る精鋭部隊として名を馳せている。 何人か、体力の限界を感じて脱退する者もいるが、それ以上に新たに入隊する者のほうが多いため、隊員の人数は年々少しずつ増えている。 国家間の戦争はなくなったものの、未だ魔物による被害は絶えない。 国民の平和な生活を守るため、今もプルート隊は日夜、厳しい訓練を続けている。
「今のところ、城内でも城下町でも魔物を見かけたという者もおらぬし、 不審な者を見かけたという話もないのである。」
「そうか……。」
スタイナーの言葉に、国王は虚ろな声で返事した。
「誘拐ならば、交換条件の話が上がってくるはずなのである。 これは、やはり、どこか我々にも分からぬ場所に、 隠れて、出られなくなってしまったとか…… 今頃、疲れきって眠ってしまっておられるのかもしれぬ。 ええい、とにかく、探すしかないのである! プルート隊、再度、出動である!」
「了解であります!!」
プルート隊は一斉に敬礼して答え、ある者は城下町への渡し船に乗り、ある者は城内へ、あるものは地下の港へと走り去っていった。
その場に残ったのは、国王と、隊長スタイナーのみ。 国王は、ずっと力無くうつむいたままだった。 そんな彼の背中を、スタイナーは大きな手でドシッと叩く。
「らしくないのである。」
「そうか?……そう、だな……。」
「ミオン姫さまは、必ずプルート隊が探し出してみせる。 お主はミオン姫さまの無事を信じて待っておればよいのである。」
「ああ……。すまないな。こんなことまでさせちまって。」
「当然のことなのである。ミオン姫さまを大切に思っておるのは、 お主達だけではござらぬ。」
「……。」
「お主も、ミオン姫さまのことを大切に思っておるのであろう?」
「当たり前だ!……そんなの……当たり前だろ……」
彼はうつむいたまま、両の拳を熱く震わせている。
「ミーネもミオンも、オレの大切な娘なんだ。 オレ、甘えん坊なミーネをかまってばかりいたけど、 ミオンのことも、いつだって気にかけてたんだ。 気にかけていた、はずなのに…… オレ、ミオンの気持ちに、気付いてやれてなかったんだ…… いや……心のどこかで、気付いていたかもしれない…… なのにオレ、うまく言えなくて……何も言ってやれてなかった…。 ミオンは、ひとりぼっちで苦しんでたんだな。 ミオンのやつ、自分なんか生まれてこなければよかったんだ、なんて言って…」
彼はその場に座り込み、地面に拳を叩きつけた。 右拳、左拳… その手の甲に、彼の瞳からこぼれ落ちる雫が音を立てた。
「ミオン…。父さんも母さんも、お前達二人の生まれた時、すごく嬉しかったんだ。 ちゃんとした子供が生まれるかどうかさえ分からなかったのに、 元気な赤ちゃんが二人も生まれて、どれだけ喜んだことか……。 お前達二人のおかげで、父さんも母さんも、幸せだったんだ…。 ……今さらこんなこと言っても、遅いのか? 許してくれ、ミオン……」
冷たい静寂の中で響く、彼の悲しくて熱い思い……。 ミオンは、そんな父の言葉を、空の上から聴いていた。
(おとうさん……)
今すぐ、父に飛びついて、抱きつきたい…… そんな思いで、胸のほうがいっぱいで…… けれど、ふわふわと宙に浮かぶ体は、言うことをきいてくれない。
(ごめんなさい、おとうさん……)
ミオンの体は、父から離れ、遠ざかっていく。
スタイナーは、彼を、襟首をつまんで無理矢理立ち上がらせる。
「ミオン姫さまの無事を信じろと、言ったはずである!」
「……ああ。」
自分の足で立ち、彼は小さく頷いた。 スタイナーは両腕を組み、夜空を見渡す。 東の空に、青い月が見える。 どこか悲しげな、淡く冷たい色の青……
赤い月は、どこにも見えない。
「……赤い月が消えたことと、何か関係があるのかも知れぬ。」
「………」
「いつぞやのこと、思い出さぬか? あの、逆神隠(しを……」
逆神隠し……それは、神隠しの逆。 突然いずこかの異世界からやってきた者が、再び異世界へ帰っていくこと。
「あの不思議な赤子が現れた時も、月に異変が起こっていたのである。」
「ミオンが、神隠しにあっているっていうのか?」
「分からぬが、そうも考えられると思ったのである。」
「クッ…!」
もし、異世界に行ってしまったとすれば、一体いつになったらミオンは戻るのだろうか。戻ってこれるのだろうか。 神隠し……そんなこと、信じたくない。すぐにでも、戻ってきてほしい。今すぐにでも…。 彼は城に振り返る。 まだミオンがいなくなってしまったことは彼女に伝えていない。 彼女は今も、王室で、苦しみの中にいる。 こんなときに、彼女を不安にさせるわけにはいかない。
「オレも、探しに行く。あとは、頼む。」
そう言い残し、彼は歩き出す。
「ま、待つのである!ここは我が隊に任せ、お主は国王らしく…」
止めようとしたスタイナーに、彼は背中越しに言う。
「大切な娘がいなくなって探さないで待ってなんて、いられると思うか? そんなやつが、父親っていえるか?」
彼は少しずつ歩みを早め、走り出した。
(そうだ。オレは、『国王らしく』なんていう前に、 本当の自分らしく…今は、父親らしくありたいんだ!)
# # # # #
ミオンの体は、風に揺られるように宙を舞い、城の中へ、城の二階の奥へといざなわれていた。 二階の奥、王室。そこには、数名の医者と助手が集まっていた。その人垣で、よく見えないが、母は大きな布団から首だけを出している。 母は、苦しそうな顔をしていた。
(おかあさん……)
大好きな母の、苦しんでいる表情を見て、ミオンも苦しい気持ちになった。 母の声、心の声が聴こえてきた。
(あの子、いつもわたしを心配そうに見つめてたわ…。 わたしがどんなに笑顔を浮かべても、あの子には分かるのでしょうね。 確かに、わたしはあなた達を産む時、とっても苦しんだわ。 でも、あなた達が元気な声を上げてくれた時、とっても嬉しくて…。 わたしは、とっても幸せな気持ちになれたの。 双子のあなた達を産むには、2倍の苦しみがあったわ…。 でも、双子のあなた達が産まれて、喜びも2倍…いいえ、きっと、それ以上、 とっても、とっても嬉しかったわ。 苦しかった、けど……あなた達だって苦しかったのでしょうね? わたし、自分のおなかにあなた達がいるって知った時、 嬉しくて、彼に伝えたくて城を飛び出して、無理をしてしまって… きっと、まだとっても小さかったあなた達に、 とっても苦しい思いをさせてしまったのでしょうね? だから、わたしが苦しんだのは、天罰みたいなもの。 いいの。例えこのまま苦しみが続いたとしても、 わたしは、あなた達さえ元気でいてくれるなら……。 心配かけて、ごめんね。こんな悪いお母さんを、許してね……)
(おかあさん……!)
声をかけたい。なのに、声が出ない。抱きつきたい。お母さんの声に、こたえたい。けれど…
(おかあさん!おかあ…さん……!)
いくら叫んでも、それは声にならなかった。
(おかあさん……ごめんなさい。あたし……もう……。 でも、おかあさんは、がんばって!お願い、おかあさん…!)
ずっと、母のことを見ていたい。 なのに、ミオンの体は勝手に天井を通り抜け、城の外へと放り出されてしまった。
暗い夜空に漂うミオン。少しずつ、城が遠ざかっていく。
(このまま、お空の向こうへ行ってしまったら、 もう戻って来れないのかな……)
城も、城下町も、遠ざかっていく。
(……お空の向こうに行く前に、おねえちゃんにも会いたいな…。 おねえちゃんは……あたしなんていなくても、 いつもみたいに元気にしてるのかな……。)
その願いに答えるかのように、ミオンの体はどこかへと降下していく。 ゆっくりと、少しずつ。城を横切り、崖の上を下り、港のそばの、小さな浜辺へと… 浜辺の上空で、ミオンの体は止まり、滞空する。
青い月明かりの下、波打ち際に佇む、小さな人影が見えた。 とんがり帽子をかぶった、黒いドレス姿の幼い女の子。 スカートの裾からは、ネコのシッポが垂れ下がっている。 女の子は、両手を目元にあてて、グスングスンと鼻を鳴らし、泣いている。
「ミオンちゃん……」
ミオンとお揃いの服装はしているが、潤んだ瞳の色は青。 ミーネだ。 周りに人は誰もいない。おそらく、一人で勝手に城を抜け出して、妹を探して歩き回っていたのだろう。黒いドレスはほこりだらけで、あちこちが擦り切れてボロボロになっている。
「ミオンちゃんの、足跡だよね…?」
浜辺には、ミーネの足跡と同じくらいの小さな足跡が波打ち際まで続いていた。 しかし、ミオンの姿はどこにも見えない。
「ミオンちゃんをさがすんだー!」
泣き叫びながら走り出す。が、靴の先が砂地に埋もれて引っかかり、ドテッ、と音を立てて転んでしまう。
「うう〜…」
ヨロヨロと立ち上がり、とんがり帽子のツバを両手で持ってキュッキュッと深くかぶり直す。 涙に濡れた頬にべったりと付いた砂をドレスの袖で拭い、ミーネは立ち尽くした。
「ミオンちゃん、いないよぉ…。」
ミーネの寂しい声が小さく響く。
「ミオンちゃん、どこにいっちゃったの…? パパが心配してるよ?ミーネだって、心配してるのよ? ミーネ、寂しいよぉ…。 ミオンちゃんがいないと、なんだか、 体が半分どっかいっちゃったみたいに、変な感じなの…。 ミーネね、パパやママに抱きつくのも好きだけど、 ミオンちゃんのこと、キュ〜って抱きしめてると、 なんだかすごく落ち着くから、好きなんだぁ…。 ミーネね、いつもミオンちゃんとはうまく話せなくって…。 でもね、ミオンちゃんのこと……大好きなんだよ。 でも、いつも、うまく言えなくって…。 ミオンちゃんは、ミーネのこと、嫌いだった? そうだよね?ミーネがいつもパパを取っちゃって甘えてばかりいるから、 ミオンちゃんは、寂しかったのよね? 孤児院(でも、ミーネは他のお友達と遊ぶのに夢中で… ミオンちゃんがいつも寂しそうにしてるのに、 一緒に遊ぼ、って言ってあげられなかった……。 ミーネ、いつもおねえちゃんぶってるくせに、 おねえちゃんらしいことなんて、なんにもしてなくって…… ごめんね、ミオンちゃん……」
海を見つめるミーネの小さな背中。 淡い青の月光の中で、その後ろ姿はとても悲しげに見えた。
(おねえちゃん……)
声が出ないことが、悔しい。
(あたし、おねえちゃんのこと嫌いなんかじゃないよ!)
そう言いたいのに、伝えたいのに……言葉一つ通らない…… 今、何も言えないことが、悔しい。今まで、何も言えないでいたことが、悔しい。 あんなに一緒だったのに……
(もう、何も言うことはできないの…?)
ミオンは、虚空に向かって尋ねた。 すると……静寂の中、どこからか、声が……
『キミの想いは、届かない…… ここは、キミが、いなくなってしまった世界だから……』
それは、あの、夕陽の少年の声だった。
『キミがこのままいなくなってしまえば、 ミーネはずっと悲しみ続けることになる。 キミのお父さんも、悲しみ続けることになる。 そして、キミのお母さんが、 キミがいなくなってしまったことを知ったら、 きっと、今よりもずっと苦しい気持ちになるはずだ。』
(そんな……そんなのイヤだよ……!)
『ミーネも、お父さんも、お母さんも、 キミのことを大切に思ってるんだってこと、分かっただろ?』
(うん。)
『そしたら、キミは、どうしたい?』
(あたしは……)
視界が、ぼやけていく。霞の中に、浜辺も、海も、夜空も、青い月明かりも、遠ざかっていく。ミーネの後ろ姿も遠ざかっていく。全てが、闇の中に消えかけていく。
(つたえたい…!)
右手を前方に伸ばす。消えかけているミーネの後ろ姿に向かって。
(言わなくちゃ…! つたえなきゃ…!)
体が思うように動かない。ミーネからどんどん離れていく。離れたくない!必死にミオンは手を伸ばした。
(つたえなきゃ…! おねえちゃんに、おとうさんに、おかあさんに…!)
消えかけの光に、手が届く……
(あたしの、想いを…!)
# # # # #
ドサッ! 何かが倒れたような音が背後から聞こえ、ミーネは振り返った。 煌々と輝く赤い月が浮かぶ空の下、浜辺に小さな影が一つ。 うつ伏せに倒れているその小さな影は、ミーネと同じ、黒いドレスにとんがり帽子姿。
「うう……」
両手をついて体を起こし、ふらふらしながら立ち上がって、顔についた砂を袖で落とし、両手で帽子のツバを持ってキュッキュッと深くかぶり直し…赤い瞳を瞬かせる。
「ミオンちゃん…?」
「うう……おねえちゃん…?」
「ミオンちゃんっ!」
ミーネは砂に足をとられながらも、必死に走り、ミオンに飛びついた。
「うわぁーーーん!」
嬉しさのあまりか、ミーネは大声を上げて泣き出してしまう。 ミオンをぎゅっと抱きしめて、ミーネは泣き叫び続けた。
「おねえちゃん……」
それ以上、言葉が出ない。 うれしい……ありがとう……ごめんね…… いろんな気持ちで、小さな胸の中がいっぱいになって……体の中が熱くて、胸が大きく高鳴って、頭が…両目の奥が熱くて……伝えたい気持ちがいっぱいあったはずなのに、出てこない。頭の中も、いろんな気持ちでいっぱいで…… 両の目からは熱いものが溢れ、ミーネの服へこぼれ落ちた。 いつの間にか、引き寄せられるかのように、ミオンもミーネを抱きしめていた。 抱きしめ合っていると……なんだか落ち着く。それはミオンも同じだった。
これだけは、言わなくちゃ…… どうしても、伝えたい想いがあった。今なら言える。今こそ、言わなくちゃ。そう思った。 ミオンはミーネの耳元で、声を振り絞り、ささやいた。
「あたし、おねえちゃんのこと……
だいすきだよ。」
やっと、やっと言えた、その気持ち。 ミオンは熱い涙でいっぱいの頬をミーネの頬にすり寄せる。
「ミオンちゃん……」
ミーネの頬も熱い涙でいっぱい。 グスングスンとしながらも、ミーネもやっとのことでささやく。
「ミーネもね、ミオンちゃんのこと、だいすきだよぉ…!」
長い、長い時間、二人は寄り添っていた。
「お〜い!ミオン!ミーネ!」
港の方向から、父の声がした。 父が遠くから走ってくる、浜辺の砂を蹴る足音が近づいてくる。
「パパ? パパだよミオンちゃん! パパ〜!」
ミーネは右手でミオンの左手を握り、左手を振り上げてピョンピョン飛び跳ねた。
「おとうさん…」
ミオンは近づいてくる父の姿を見つめ、小さくつぶやいた。
西の空に赤い月、東の空に青い月。 二つの美月は、光を重ね、紫色のスポットライトとなって双子の姉妹を照らしている。 二人の前で立ち止まり、腰を落とし、父はミオンを見つめた。
「ミオン……」
「……。」
ミオンは、光を讃えた潤んだ瞳でじっと父を見つめている。 見つめ合ったまま、それ以上何も言えないでいる二人。 ミーネは繋いでいた手を離すと、ミオンの背後に回りその小さな背中を、両手でポンと押した。
「ほら、たまにはミオンちゃんもパパに甘えてあげないと、 パパ、さみしくって泣いちゃうわよ。」
ニコニコしながら言うミーネ。
「おとうさん……」
ミオンはゆっくり父のそばに寄り、抱きついた。
「ミオン…。探したんだぞ。父さん、心配したんだぞ。」
父はミオンを抱きしめ、抱き上げる。
「ごめんなさい…。」
「いや……いいんだ。お前が無事だったんだから、もう、いいんだ。 それより、早く行こう。もうすぐなんだ。」
「えっ…?」
「もうすぐなんだ。さあ、母さんのところへ行こう。」
父はミオンをお姫様抱っこして、ミオンの瞳を見つめた。 その声は明るく、その瞳も輝いていた。 父は、優しい声でミオンとミーネに言った。
「もうすぐ、産まれるんだ。」
# # # # #
夜明けが近い。 窓の外の空は夜の藍色から淡い青色へと変わっていく。 城の外は、飛ぶ鳥のさえずりが聞こえるほど静か。
だが、城内は、あわただしさを増していた。 王室で、夜を徹して女王の身を見守る医師達。 ミオン姫の捜索から戻った警備兵は全員、そのまま徹夜で城の警備にあたった。 スタイナーとベアトリクスも、城のロビーで警備についている。 このような時こそ城の警護には最善を尽くさねば、と。
ミオンとミーネは、父と一緒に、姫の部屋にいた。 きれいな黒いドレスととんがり帽子に着替え、ミオンとミーネは間に父を挟み、並んでベッドに腰掛けている。
「パパ〜、ミーネね、弟がほしいんだ〜。 パパも今度は男のコがほしいんでしょ〜?」
「父さんは、無事に生まれてくれればどっちでもいいんだ。 確かに、今度は男の子がほしいなって気持ちもあるけど、 お前達みたいな可愛い女の子がもう一人生まれるなら、 それもまた嬉しいからなぁ〜。」
「うんっ。ミーネもね、女のコでもいいよ。 どっちでも、おねえちゃん、かわいがってあげるんだぁ〜。」
ミーネも、父も、ずっとソワソワしっぱなし。 二人とも、足をバタつかせたり、手をパタパタさせたり。
「ねっ、ミオンちゃん。ミオンちゃんも一緒に、 遊んであげたり、お風呂に入れてあげたりしようねっ。」
「うん…。」
小さく頷くだけのミオン。 ミオンはおとなしく座っている。けれど、その小さな胸の内は落ち着いてはいなかった。 不安が、ぬぐえなかった。
(おかあさん、今、すごく苦しんでるよ…。あたしには、分かるもん。 あたしには、そんな、楽しそうな顔、できないよ……)
うつむき、暗い顔をしているミオン。 その小さな肩を、父はそっとたたき、話しかけた。
「ミオン……不安なのは、オレもお姉ちゃんも同じなんだぞ。 だけど、こうならないでほしい、って不安がってるより、 こうなってほしいな、って、イイことを思い浮かべてるほうが、 本当にイイほうになるような気がしないかい? だから、今は、母さんと赤ちゃんの無事を信じて、 明るい未来を思い浮かべて、 母さんと赤ちゃんの、無事を願おう。」
「………。」
不安に思ってたのは、自分だけじゃなかった。
おとうさんも、おねえちゃんも、同じだったんだ。 なのに、あたし、一人で不安がって…… そうだよね。今は、おかあさんと赤ちゃんの無事を信じなきゃ。
父の言葉に、ミオンはポロポロと涙を溢れさせた。 なんて言ったらいいのか分からない、いろいろな気持ちでまた、胸がいっぱいになっていた。
「ねえねえ、パパ、ミオンちゃん。」
ミーネがベッドの上でピョンピョン跳ねながら言った。
「ミーネね、ママのそばに行って、がんばって〜って、言いたいの。 でも、ママのお部屋、人がいっぱいで、入らせてくれないでしょ? 大きな声出すと、怒られちゃうし…。 でもね、『お歌』だったら、怒られないと思うの。 ここから、三人で、歌おうよ。 ママへ、い〜っぱいの気持ちをこめて。ねっ?」
「おおっ、いいなそれ! 母さん、きっと喜ぶぞ。 歌だったら、ミオン、得意だもんな? ミーネも、あの歌なら上手に歌えるよな?」
「うんっ。いっぱい練習したもん。」
「ミーネのシッポはネコちゃんのシッポ〜♪じゃないぞ?」
「分かってるもん。あの歌でしょ?」
「ああ。」
「……あの歌?」 やっと口を開き、ミオンが尋ねると、 父はミオンに振り返り、微笑んで言った。
「あの歌だよ、母さんの……」
ラー ラララー ラララララー ラララララ ララ ラララー
ラー ラララー ラララー ラララララ ララララララ ラララー……
城内に歌声が、静かに、やさしく、響き始めた。 幼い女の子二人の、可愛らしくも美しい声を、一人の男性の温かな声がそっと支えている。 たった三人の歌声だったが、重なり合い、響き合い、広がりゆく優美なる協奏曲(となって…… それは母の耳元に、しっかりと届いていた。
(あなた……ミーネ……ミオン……。 ありがとう……。 わたし、がんばるわ。 お母さん、がんばるからね……。)
「おぎゃあ!おぎゃあ!おぎゃあ!」
王室から、元気いっぱいの産声が聴こえてきた。
「………!」
三人、顔を見合わせ、一瞬固まり、
「「生まれたの?!」」
「ああ!」
ミーネとミオンの同時の問いに、父は大きく頷いた。 三人、手を取り合って、王室へ走り出す。 元気な産声だった。赤ちゃんは無事だ。 母のほうは? 不安な気持ちを振り払い、無事を信じて、三人は駆けてゆく。
丁度、王室の扉があき、そこから医者の助手らしき白衣の若い女性が一人出てきたところだった。 三人はその女性の前で立ち止まった。 息を切らして肩を上下させている三人を見て、白衣の女性は、にっこりと微笑んだ。
「おめでとうございます。とっても元気な男の子の赤ちゃんですよ。 ただ……その……残念ながら……」
白衣の女性が顔色を曇らせる。
(残念ながら?!)
三人が不安な気持ちになりそうなところ、すかさず白衣の女性は再び笑顔になった。
「残念ながら、双子の赤ちゃんではありませんでしたけどネ。」
(って、オイ!!!)
三人同時に心の中で突っ込みを入れた。
「ママは?!ママはだいじょうぶなのっ?!」
白衣に掴みかかってミーネが聞くと、 白衣の女性は、にこやかな笑みのまま言った。
「お母さんも、もちろんお元気ですよ。 さあ、どうぞ中にお入りください。」
Copyright (c) 2002 HARUKA
|