第二楽章 〜 A i r 〜
『 美 音 』
その一枚の紙に書かれた見慣れない文字を彼に見せられて、わたしが戸惑っていると… 彼は笑ってこう言ったの。
「古代文字さ。これは遠い昔に滅んだ国の文字でさ、 左の『美』…これは『ミ』とか『ビ』って読むんだ。 これ一文字で、美しい、っていう意味があるんだぜ。 右の『音』…こっちは『ネ』とか『オン』って読む。 音っていう意味があるんだ。」
彼の、意外なほど物知りなところにはいつも驚かされたわ…。 城にある古い書物にも出てこないような古代文字。 でも、それは民の間では意外と知られているものらしくて…… つくづく、わたしはまだまだ世間知らずなんだな、と思わされるの。 彼が爽やかな笑顔で教えてくれる、新鮮な風。わたしの知らなかったこと。 そういう時、わたしはなんだか楽しくて、嬉しくて……。
「どんな人間も、生れ落ちた時は同じ高さの、『ラ』の高さの産声を上げる。 始まりは誰もが同じ。そこから、成長するにつれ、 人はみんな、いろいろな音で話したり歌ったりして、 人それぞれの音を奏でて生きていくってわけで…… 世は音に満ちているわけで…… そんな中で、美しい音色を奏でるひとであってほしい、 っていう願いがこの名前に込められているってわけさ。」
「それで、なんて読むの?」
もったいぶっている彼に、わたしが寄りかかって問い詰めると、 彼は優しい声でその読みを教えてくれたの……。
そして、時は流れて……
# # # # #
「ニャンニャンニャ〜〜〜〜〜ンッ♪」
幼い女の子の声が城のロビーいっぱいに響き渡った。 とっても元気な、猫のような可愛らしい声。 濡れた素足で床にペタンペタンと音を立てながら、丸裸の幼い女の子がロビーをピョンピョン飛び跳ねて横切っていく。 湯上がりで湯気の立っている茶色の髪はショートカット。その額の上からは白くて短いツノが一本突き出ている。 ぷりんとした可愛らしいお尻からは、伸ばしてふくらはぎに届く程度の長さの、ふわふわした茶色の毛に覆われた猫のシッポようなシッポが生えている。 ぱっちりとした大きな目の、瞳の色は澄みきった明るい青。 歳は六つ。にこにことした笑顔が可愛らしい、元気そのものの女の子。
「お〜い、ミーネ、ちゃんと服着てから出ろよな〜!」
女の子を追ってペタペタと足音を立てロビーを横切る彼は、この城の主。つまりこの国の王。 ミーネは彼の愛娘。つまりこの国の姫。 ミーネが生まれたのは彼が十八歳の時。彼は現在二十四歳。若くて凛々しい国王様。
「なによぉ、パパだって服着てないジャン!」
「えっ?!ハハッ。いけねぇ、忘れてたぜ。」
ポリポリと頭を掻く彼。 彼の金色の髪にはツノはない。けれど、引き締まったお尻には金色の毛皮に覆われた、伸ばせば床に届いてなお余る程の長いシッポが生えている。 細身ではあるが筋肉質の野性味ある体躯で、両腕を組み、ハダカのまま堂々として笑っている。 階段を降りてきた警備の女兵がその姿を見て…
「キャッ!こ、国王様!ミーネ姫様まで! もおっ!ハダカで出歩くのやめてくださいって言ったじゃないですかぁ!」
彼は、時折『ハダカの王様』と呼ばれることもあったのだった。
# # # # #
「ねえねえ、パパ〜。」
風呂場のそばの脱衣所。服を着ようとしている彼に、ミーネはまだ下着をつけただけの状態でスリスリと猫のように擦り寄っている。
「パパ〜、早くゴハン食べて、あそぼ〜! ミーネね、またナワトビしたいなー!」
「ハハッ。ミーネはいつも元気だなぁ。」
「そうよ!ミーネはいつだって元気いっぱいよ!」
「分かった分かった。ほら、じゃあ、早く服着て…」
「ミーネね、お歌の練習もしたいのー! パパもいっしょに歌ってくれたら、 ミーネ、お歌じょうずになれそうな気がするのー!」
「う〜ん…そうだな。練習すれば良くなるかもな、ミーネの音痴…」
「オンチじゃないもん!!」
ミーネの小さな鉄拳が彼のミゾオチに炸裂!
「ぐはぁっ…!!……なんちゅうコドモだぁ……」
歴戦の勇士のはずの彼が、あっさりと悶絶。
「ミーネはね〜、いつだって自分のキモチに素直に歌ってるのよ〜♪」
ミーネはさっさと白い寝巻きに身を包むと、小さな背中に大きな父を無理矢理背負い、引きずりながら脱衣所を出て行った。
「ミーネのシッポ〜はネコちゃんのシッポ〜ニャンニャンニャ〜ン♪ パ〜パのシッポ〜はおサルさんのシッポ〜ウッキッキ〜♪ パ〜パに〜はシッポ〜が〜うしろにも〜まえにも〜生えてるの〜♪ ま〜えのシッポ〜はちっちゃいの〜〜〜♪」
「…その歌やめてくれぇぇぇ…」
ミーネの楽しげな歌声がロビーいっぱいに響き渡る。 リズムも音程もめちゃくちゃだが、ミーネにはそんなこと気にならないらしく、気持ちよさそうに歌っている。
姫の部屋に戻った彼とミーネ。 その大きな部屋の奥のベッドには、ちょこんと一人、小さな女の子が座っている。 ミーネと同じ顔で、ミーネより少しだけ小柄ではあるが、瞳の色が赤色であることを除けばミーネと殆ど見分けはつかない。 ミーネと同じ猫のようなシッポがドレスの裾から出ていて、頭にはツノもある。 黒いドレスを着ているため、雰囲気はどことなく落ち着いて見えるが、大人っぽいというほどではなく、おとなしい子、という感じがする。
「あ、ミオンちゃ〜んっ!」
その女の子に気付いてミーネは嬉しそうに声を上げ、飛びつくようにそばに寄った。 ベッドに腰を降ろし、きゅっと抱きついて、ほっぺとほっぺをくっつけてすりすりした。
「もぉ〜、ミオンちゃんったら、どこ行ってたの〜? パパがいっしょにおフロ入ってくれるって言ってたのに〜。」
「………」
「パパね、ミオンちゃんともいっしょにおフロは入りた〜いって、 言ってたんだよ〜。ね〜パパ〜? おねえちゃんも、ミオンちゃんといっしょに入りたかったし〜。」
「………」
ミオンはミーネの双子の妹。 二人はほんの数時間違いで生まれた一卵性の双子なのだが……。
ミオンは赤い瞳の目を時々またたかせるだけ。 ぼんやりと前方を見据えたまま、ミーネの言葉に何も反応しない。
「ねえねえ、いっしょにお歌のれんしゅう、しない? おねえちゃん、お歌つくったのよ〜。 ミーネのシッポ〜はネコちゃんのシッポ〜ニャンニャンニャ〜ン♪ ミオンちゃんのシッポ〜もネコちゃんのシッポ〜ニャンニャンニャ〜ン♪」
「………」
「ミオンちゃん、お歌じょうずだったよね? おねえちゃんに教えてよ〜。ねっ?」
「………」
ミーネがいくら顔をのぞきこんで話しかけても、ミオンはぼんやりとしたままだった。
「もおっ!何よ!ミオンちゃんったら!もぉ、知らないわよっ!」
ミーネはミオンから離れ、立ち上がってプンプン怒り出してしまった。
「お、おい、そんな言い方しなくたっていいだろ?」
彼が慌ててミーネの頭を撫でてなだめたが……
「だって、だって、グスン……」
ミーネは大きな青い瞳を潤ませて彼に抱きつく。 明朗快活で感情豊かなのはミーネのいいところなのだが……どうも甘えん坊で傷つきやすく泣き虫なのは困ったところ。幼い子供らしいといえば、らしいタイプではあるのだけれど…。 逆に、ミオンのほうは滅多なことでは泣かない。けれども、おとなしくて、思っていることを表に出さない子で……幼い子供としては珍しいタイプだった。
孤児院に二人を連れて遊びに行っても、みんなと楽しそうに遊ぶのはミーネだけ。 ミオンはいつも、父のそばから離れようとしなかった。
彼はミオンのそばに寄り、腰を落として目の高さを合わせると、 そのぼんやりとした目を見つめながら話しかけた。
「なあミオン、寂しいのはお前もお姉ちゃんも、父さんも同じなんだ。 確かに、お前は母さんによくなついてたからな…。 寂しいかもしれないけど…お前がそんな暗い顔してたら、母さん悲しむぞ。 こういう時は、母さんに心配かけないように、明るくしてないと。 ほら、お姉ちゃんと一緒に、お歌の練習……」
「歌えないの」
彼の言葉を遮るようにミオンが言葉を発した。 小さな、か細い声で。
「歌えないの……。あたし……歌えない……。 どうして? どうして歌えるの? おかしいよ……」
ぼんやりとしたまま、虚空につぶやくミオン。 まるで、目の前の彼が見えていないような……どこか遠くへ問いかけているようなつぶやきだった。
「ミオン……」
言葉がそれ以上出ない彼。 ミオンはゆらりと立ち上がり、どこかをぼんやりと見つめたまま、再び小さな口を開く。
「おかあさん……苦しんでるよ。 分かるの。とっても苦しんでる……。 あたしのせいなんだ。 あたしなんて生まれてこなければ良かったのに……。 なのに……歌ってなんていられないよ……」
ミオンはベッドの脇に置いてあったとんがり帽子を取り、それを深くかぶり、部屋を駆け出て行ってしまった。
(ミオン……)
彼は、ミオンを止められずに、何も言うことができずに、立ち尽くしていた。
「ねえ、パパ〜。ママは、苦しんでるの〜?」
涙で真っ赤に腫れた目と頬のミーネが彼にすがりついて尋ねた。 彼は、静かにかぶりを振る。
「だいじょうぶさ。母さんはああ見えても強いんだ。 だいじょうぶだから。お前は、心配することないよ。」
「フニ〜…」
寂しげに猫のような声をもらすミーネ。
(……ミオンは、あいつの苦しみを感じているのか…? 確かに、あいつは今……)
ミーネには優しい顔を見せながらも、彼の心の中は沈んでいた。
# # # # #
(おかあさん、死んじゃうかもしれないんだ……。 あたしとおねえちゃんを産んだ時、おかあさん、すごく苦しんだんだ。 そのせいで、カラダが弱くなっちゃって…。 あたしなんかが、くっついて生まれてきたせいで……。 おねえちゃんは、あたしと違って、 元気だし、おしゃべり上手だし、頭もいいし…。 あたしは、きっとオマケみたいなモノなんだ。 あたしなんて生まれてなかったら、おかあさん苦しまずにすんだのに…。 ……あたしって何? 生まれてきて良かったの? こんなキモチで、生きてたって、楽しくないよ…… あたし、どうして生まれてきたの? どうして…?)
港のそばの、小さな浜辺。 黒いドレスに、とんがり帽子姿の小さな女の子が一人、ぽつんと浜辺に立っていた。 ミオンは一人、赤い空と海を見つめていた。 夕陽が西の海岸線に沈みかけている。 東の空には赤い月が一つ、浮かんでいる。 青い月は、今日は見えない。 二つの赤い光が、大空と大海原を包みこみ、赤く染めている。
夕陽が沈んでいくにつれ、空の赤色は夜の藍色に近づいていく。 紫色。 赤に藍の色を溶いたような、くすんだ紫色。 それは、どこか寂しげな、物悲しい色だった。
背後の絶壁は暗く冷たく紫の光を浮かべるばかり。 眼前にどこまでも広がる海原も、空の紫を鏡のように映し、赤い水の流れは血の海を感じさせる。 暗かったけど、温かかった、母なる海に還りたい…… なつかしい気持ちになって、寂しくなった。 寂しさが小さな胸いっぱいに膨らみ、今にも体がはじけてしまいそうだった。
繰り返される、小波の音(…… 絶え間なくそよぐ、潮風の音(……
その大きな優しさが、母を思い出させる。 このまま、大いなる母のもとへ、溶けていきたい…… このまま、生きていてもつらいだけなら……
ミオンはとんがり帽子の頭をぶんぶんと振った。
(……分からないよ……このまま消えてしまいたい……けど、 シニタクナイ。シニタクナイヨ……。 怖いよ。自分がなくなっちゃうなんてイヤだよ……。 おかあさんにもおとうさんにも、おねえちゃんにも、 もう会えなくなっちゃうなんてイヤだよ……。 おかあさん、優しいんだ…。おかあさん、大好きだもん。 おとうさんも、おねえちゃんも、大好きだよ。 でも…あたしは……あたしはあたしが、嫌いだよ……。)
風が黒のドレスをはたはたと揺らす。風の音も、波の音も、全てが悲しい音に聴こえる。 そんな中で、ふと、優しい歌声が聴こえてきた。 どこからだろう、男性の、少年の歌声だ。 聴いたことのある、よく知っているメロディー。 それは、母がよく歌ってくれた歌だった。 たった一つの唱歌(が、世界を潤していく……
ラー、ラララー、ラララララ、 ラララララ、ラララララー…
ラー、ラララー、ラララー… ラララララ、ララララララ、ラララー…
大きな夕陽を見つめて、波打ち際に立ち、少年が歌っている。 歳は十七、八歳ぐらいだろうか。背はわりと高く、体つきは筋肉質。動きやすそうな服を着ている。 髪の色は輝くような明るい黄金色(。 その歌声は、やさしくて、あたたかくて…。ミオンはずっと、聴き入っていた。
少年は、いつからそこに居たのだろう。 ほんの5メートルほどしか離れていない場所だというのに、ミオンはずっとここにいたが、気付かなかった。 まるで、夕陽の中から現れたかのような少年。 普段はよく人見知りするミオンだったが、不思議に、警戒心は起こらなかった。 何か、どこかで知っている人と会ったような……なつかしい誰かと会っているかのような感じさえした。 そして、いつの間にか、ミオンもその歌を歌っていた。
ラー、ラララー、ラララララ、 ラララララ、ラララララー…
ラー、ラララー、ラララー… ラララララ、ララララララ、ラララー… ララララララー、ララー……
二つの歌声はぴったりと重なり合うユニゾンとなり、美しく響き合った。 幼い声ながら、ミオンは原曲と同じメロディーをしっかりと歌いこなしていた。 母の、記憶の歌。ミオンの大好きな歌だった。
二人で、一回り歌い終わり、浜辺に静けさが戻る。 その中を、 パチ、パチ、パチ、パチ…… 少年の、手を叩く音が響き渡った。 ゆっくり、拍手をフォードアウトして、 少年は夕陽を背に振り返り、ミオンに微笑んだ。
「歌って、いいッスよね。」
屈託のない明るい声でそう言った。 爽やかな、風のような、それでいて温かい、太陽のような微笑み。
「うまく言葉で表せない時もさ、歌だったら、 なんか伝えられるような気がする…。 俺のヘタな歌じゃ、伝えたい想いの半分も伝わんないかもしれないけどさ。」
くだけた口調が、どこか、父に似ていた。 金色の髪も、優しげな顔も、明るい笑顔も……。
「……おにいちゃんも、じょうず、だったよ。」
少し声を詰まらせながら、ミオンは少年にそう言った。 すると、少年はまた微笑んだ。
「そっか? しばらく聴いてなかったから自信無かったんだけどな。 でも、ミオンちゃんも、上手だったよ。」
「……。」
「歌えないの、なんて言ってさ、しっかり歌えるじゃん。」
「………」
「あっ、ごめんな。ヒニクのつもりはないんだ。 せっかく上手に歌えるのに、歌えない、なんて勿体無いと思ってさ。」
「………」
「怒った?」
「ううん。」
ミオンは首を振り、うつむいた。
「……あたし、おしゃべりとか、うまくできないの。 おねえちゃんはじょうずなんだけど……。」
何を言ったらよいか、いろいろな思いが頭に浮かぶ時、頭の中でその思いがグルグル回ってしまい、うまく言葉にできない。だから、うまく言えずに黙り込んでしまって……ミオンは周りから、いつもぼんやりしている子だと思われがちだった。
「別に、上手に話そうなんて思わなくてもいいって。 俺なんて、よく喋り方が良くないとか、言葉遣いが変だとか言われるけど、 それで人を傷つけてることなんてないと思ってるから、 ぜ〜んぜん気にしないで喋ってるッスよ! 要は、気持ちを伝えるってことが大切なんじゃないかな。」
「………。」
ミオンは少し考えてから、つぐんでいた小さな口を開いた。
「……あのね、あたし、不思議だな、って思ったの。」
「何がッスか?」
「だって、だって、あたしの、おかあさんの歌を、 どうしておにいちゃんが知ってるのかな、って思って……」
「ああ、それは…」
「それにね、なんであたしが、歌えないの、って言ってたこと、 知ってるのかって思って! それに、なんであたしの名前知ってるのかなって! それにそれに、おにいちゃん、あたしのこと知ってる人なのかなって!」
「お、おいおい、いっぺんに聞かれても…」
「あ、ご、ごめんなさい…。」
「ハハ。まあ、謝らなくてもいいって。」
恥ずかしそうに体を縮めるミオンに、少年は髪を掻きながら笑顔を浮かべた。
「そうだよな。不思議に思うのも無理ないよな。 実際、俺にもよく分かってない、不思議なことなんだし。」
「?」
「キミは俺のこと、もう覚えてないかもしれないけど、 俺は、ずっと前のキミに、会ったことがあるっつーか、 話しかけたことがあるっつーか……」
「……。」
キョトンとして少年を見つめるミオン。 少年は、額に汗を浮かべて苦笑いをする。
「なんか、気がついたらこっちの世界に来てたっつーか…… とにかく、来れて良かったよ。 たぶん、またあっちの世界に戻ることになるんだと思うけど… って、戻れなかったらつらいッスけどね…。 まあ、キミと、また会えて良かったよ。」
「……。」
少年はゆっくりミオンに近づき、そばで立ち止まると、その場…砂地の地面に腰を降ろし、 大きな右手でそっとミオンの小さな右手をとり、やさしく握った。
「今のキミを見ていたら、どうしても俺、黙っていられなくなったんだ。」
「?」
少し不安そうな顔になったミオンに、彼は温かく微笑んだ。
「伝えたいことがあるんだ、キミに……。」
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