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by 侑史
(……で……どういう状況なんだ……これは?) と、また別の理由で一人途方に暮れていたのは───そう、今日、初めてテツを目にした、無愛想が代名詞のこの男───スコールだった……。 たった今、目の前で起こっていた事に全くついていけずにいたのだが、しかし自身が解さぬその出来事で、仲間達の誰もが悩み、苦しんでいるということだけは、すぐに見て取れた。 (なんだよ、俺、やっぱり一人ぼっちか?) ぽつん、と独り取り残されたような気持ちになって、スコールはつまらなそうに舌打ちする。そうして、すっかりと意気消沈してしまっている仲間達の顔や、壊れたステージに視線をやり───ほらな? と、そう思うのだった。 (何を一生懸命にやってきたのか、知らないけれど……ほらな? 夢とか、希望だとか、そんなこと願ったりするから、叶わなかった時にそんなに辛い思いをしてしまうんだ。現に今のあんた達が、そうだろ?) 何を一生懸命にやってきたのか───。そう思いながら、スコールは仲間達の表情を順番に眺めていった。 (それなら、最初から期待しない方がいい。そうすれば、もし失敗したり、叶わなかった時に、あんた達みたいに傷つかなくて済むから。失う痛みを、受けないで済むから。だから───夢だの希望だのだなんて、持たない方がいい。そんな、叶うか叶わないかわからないものに、何を一生懸命に─── ……) セルフィ。アーヴァイン。キスティス。ゼル。それに───リノア。普段からすぐに人に気持ちを近づけようとするリノアは、セルフィの夢が破れたことに、特に傷ついているようだった。瞳を震わせて、唇を震わせて、肩を小刻みに震わせるリノアを見て───スコールは思いがけずに、自身の奥底から滲み出てきた、苛立ちのようなものを覚えた。それはリノアに向けてではない、別の何かに対してのもので……スコールは、すう、と目を細め、心の中で呟く。 (───そんなに。 そんなに、一生懸命にやってきたのか……) その感情は寂しさと呼ぶのか、切なさと呼ぶのか、または優しさと呼ぶべきものなのか。その時のスコールにはその正体を知る術もなく、彼らの、リノアの哀しげな瞳を見て、そう感じていた。しかし、先ほどまで抱いていた疎外感はもう、感じる事はなかった。ただ、そう───彼がそれまでに生きていた日常の中で、ほとんど抱いたことのなかったその感情が、彼を動かすこととなる。 (さっきの……あのテツとかいう子供が、ステージを壊した、って言っていたな) 子供───テツが去った方向を見、そしてそれを追おうとしない仲間達を見て───スコールは、ふっ、と軽く息を吐く。 (───くそっ) 心の中でもう一度舌打ちをしてから、ステージに気を取られているリノアに気づかれないように、スコールはテツの後を追い始める。キスティス達は彼のしたことを責めることは出来ない、と言っていたが、しかし、故意に壊したことそのものには責任があるのではないか、とスコールは考えていた。そのことをあの子供にきちんと諭し、技師達にかけあえば、あるいはコンサートにまで間に合わせる事ができるかもしれない……。 そう考え、駆け出したスコールは、自分でも気づいていなかった。 かつてのスコールなら、けして取らなかった行動を、今自らがしていることに───。 ◇ そこは、幽かな息づかいのみで、支配されていた。 昨夜の出来事から、少年達は家にも帰らずに、じっとここで息を潜め、過ごしていた。彼らが秘密基地と称する、遠い国、エスタとF.H.を結ぶ駅のホームにある、駅員室だ。破棄されてからもう何年にもなるこの駅は、ろくろく掃除がされないことからそこら中に埃が降り積もっていて、老朽化して落ちたホームの天井の隙間から差し込む陽の光の中で、始終埃がきらきらと舞い踊っている。この基地が少年達にとって重要であり、大切であることを証明するため、それぞれが寄せ合った『たからもの』が保管されているこの部屋で、少年達は普段、笑顔を絶やさずに遊び呆けているはずなのだが……今日に限っては、それはなかった。本来ならば陽光を好むはずの少年達は、しかし、そう広くもない駅員室の中で、今もじっと身を寄せ合うばかりである。 「───ねえ」 と、用心深く、声量を抑えて発したはずのノブの声は、しかし彼の思っていた以上に大きく響き、その場にいる一同はびくり、と大きく体を震わせる。ただそれだけで泣きそうになりながら、ノブは声を震わせて、 「……これで、良かったんだよね……? ぼくたち、間違ってないよねぇ…?」 昨夜から、幾度も幾度も繰り返し訊かれたこの質問に、一同は───特にエドは、心底うんざりしながら、しかしその反面、自らに諭すように、答える。 「……大丈夫だって言ってるだろ、ノブ? わからないか? ぼく達は、ガーデンのヤツらに勝ったんだ。あいつらはもう、コンサートを開くことなんてできない。あとは、何も出来ないでこのF.H.を出ていくだけ」 エドはそう言いながら立ち上がり、ノブ、ジュン、ナオの三人の、『一緒にガーデンをやっつけた仲間たち』を見渡す。彼らは一様に、何かに怯えるような表情を浮かべていて、エドは舌打ちでもしてやりたい気持ちになる。だがエドは、自身でも気づかないままだったのだ。自分の顔も、昨夜からずっと蒼ざめたままであることに。 「───ほら、みんな、もっと喜ぼうよ。ぼく達は、あのテツにだってできなかったことをやったんだ!」 蒼ざめた顔のまま、無理矢理笑みを拵えて言うその言葉が、どれだけの不安を煽ることになるのか───エドが気づくことは、なかった。 ───何故、どうして笑わない!? エドは心の中でそう叫びながらも、表層上は冷静を保とうと努める。だが……。 「ぼくがみんなを誘った時も、みんな、笑ってたじゃないか……?“やった”って。“これで、ガーデンのヤツらに痛い目見せてやれる”って。“テツがやらないなら、ぼく達でやろう”って……そう……そう、言ってたじゃないか!? それなのに、何で今みんな……笑わないんだよっ!!」 話せば話すほど、自らの中の不安も煽られていき、言い終える頃にはエドの声は震え、最後にはそれは悲痛な叫びへと変わっていた。耳に突き刺さるようなその声に、ノブもナオもジュンも、エドへの怯えの色を露にする。 (こんな……みんなのこんな顔を、見たかったわけじゃないのに……ぼくは、ぼくは、ただ───) くしゃり、と自らの髪を掻きながら、エドは苦渋に満ちた表情を浮かべる。求めていたものを叶えただけなのに、願いが叶えば、誰もが笑顔を浮かべるはずなのに。それなのに、何故ノブ達は……! そんな疑念を友人達へ向けながら、しかし一方で、自分自身にもそれと同じ質問をしていることに、エドは気づいていた。───そう、願いは、確かに満たされたはずなのに。そのはずなのに、今この体の奥底にある、今にも膝が震えだしそうな、今にも泣き出してしまいそうな感情はいったい、なんなんだ───? ふらり、と眩暈を起こしてしまいそうになる程に、昨夜からノブ達……特にエドは、この疑問を繰り返し繰り返し、問うてきていた。願いは叶ったはず。では何故気持ちは晴れない? でも、願いは叶えたはず! ───この一晩の間で、思考の螺旋に囚われてしまった一同の誰もが、もはや疲れ果ててしまっていたのだ───。 そんな時……悔恨に顔を歪ませながら、ノブが、呟いた。 「テツは……やっぱりテツだったら、こんなやり方、しなかったよね……」 「──────。」 それを聞き、エドの中で何かの線が、切れる。逆上したエドはノブの服の襟を掴み乱暴に持ち上げる。 「や、やめっ───!」 と、今にも泣き出しそうな声で言うノブに、しかしエドは容赦はしない。ぎろりと睨みつけて、 「そのテツがやらなかったから!! だから、ぼく達がやったんじゃないか!? テツは一週間、何してた!? 敵のあいつらと遊んでただろノブもナオもジュンもみんな見ただろ! ……テツは、テツはぼく達よりも、あいつらのが良くなったんだ、だからぼく達を置いてガーデンに遊びに行ったりしてああそうだそうなんだよそれが皆には、分からないのか!!?」 「っふぅぅぇぇええええぇ〜〜……っ!」 ヒステリックなエドの叫びは、ホーム中に響き渡り、ノブ達は脊髄をそのまま掴まれたような感覚の恐怖に襲われる。そしてついにジュンはそれに耐え切れなくなり、感情のままに泣き出してしまう。「泣くなよ!」とエドが叱りつけるが、しかし涙は涙を呼ぶもの。ジュンに続いてナオも、そしてノブも、声をあげて泣き出してしまうのだった……。エドは尚も、「泣くな! 泣くなってばっ!!」と、声を張り上げて、そうしながら、自らの瞳にも、涙が滲み出すのを感じた───その時の、ことだった。 「あのさあ……オレ別に、裏切ってね──んですけど」 「──────。」 聞き覚えのある、声が、聞こえた。 あれだけの泣き声がその声一つでぴたりと止み、エドの、ひゅっ、と息を呑む音が駅員室に一瞬だけ響く。それを合図にするかのように一同は駅員室を出て、ホームの入り口にあたる、今はもう機能していない改札口へバッ、と視線をやると───そこには、背に日の光を背負う……片手に鉄パイプを持った、テツの姿があった。 「───オヒサシブリ」 口を尖らせたままそう言ったテツの眼は明らかに怒りにたぎっていて、今にも暴れださんばかりの迫力がこもっていることに、その場にいた誰もがすぐに察した。 「て……テツ……」 (───バレている。───怒られる……) ……本能的にそう悟ったノブ達は、テツのその瞳に明らかな脅えの色を見せた。ずるずると、徐々に徐々に、三人が後退りをするその中で───ただ一人、エドだけは一歩、前へ踏み出でた。生気を感じさせないほどに青ざめた顔に笑みを貼り付けて、声をかける。 「本当、ひさしぶりだね、テツ。……何しにきたんだよ? テツもあれ───見たんだろ? ねえ? 一週間も待ってもテツが何にもしてくれないからさ、代わりにぼくがやっておいてあげたよ。……だからテツは───テツは、もう、もういらないんだよ、もうぼく達でやったんだからさあ、もういーんだ! だからもうここに来ないでよっ!」 ───虚勢、だった。今エドは、本当はテツのことを誰よりも心の底から怖れ、今にもここから逃げ出したい気持ちでいっぱいだったのだ。その結果として、金切り声にも近い叫びとなったエドの言葉を受けても、テツはまったく表情を変えない。ただ静かに、エドや、ノブ達を睨んで……奇妙な程に低く、冷静な声で、テツは言うだけだ。 「……やっぱ、てめーらがやったわけだな。エド───」 ───ガァンッ! と、テツは持っていた鉄パイプを、突如、ホームに思い切り打ち付けた。その轟音は構内に響き渡り、ノブ達も、エドもその音の大きさと突然さに、びくり、と大きく体を震わせた。そして一同の注意は、それに一気に集まる。───そう、それを、何に使うのか、の一点に、である。例えケンカが始まっても、けして武器は使わなかったはずなのに、とノブ達は、あれで殴られた際の激痛を想像し、ガタガタと体を震わせる。同じく、彼の本気の怒りを垣間見たエドもまた、まさかそんなものまで持ち出されるとは思わなくて、ごくり、と一度喉を鳴らしたまま、押し黙ってしまった。テツはそんな一同を無視するかのように横を通り抜けて、駅員室に入り───あるもの 「……これが何だか、おぼえてっか?」 「───それは……」 テツが置いたそれは───秘密基地に置いてあるテツの『たからもの』の、古ぼけて形も崩れてしまった、ペットボトル・ロケットだった。埃まみれのホームに膝をついて、テツは指先でその緩やかな曲線のボディ部分を、大切そうに撫で───かつての思い出へと、意識を飛ばす───。 「───まだオレらがガッコに入ったばっかの時にさ、授業で、みんなでこれ、飛ばしただろ? ……あれが、オレらが友達になるきっかけだった。あん時、オレ今じゃ信じらんないくらい、ネクラ〜なヤツでよ、まだ友達いなかったんだよなあ。オレ、今でもすんごいおぼえてんだぜ? ノブもナオもジュンもエドも、みーんなウマく飛ばせたのに、なんでかオレだけは、遠くまで飛ばなくてさあ。遊びみたいな感じで始めた授業のはずだったのに、気がついたら先生、できないオレのこと、すんげー怒っててさ。 “なんでキミだけ上手くやれないんだ!” “他の子はみんなできてるぞ!” って。───他のヤツは関係ねーつの! って……。 オレ悔しくって、悔しくってな。泣きながらコイツに空気、入れてた───」 「───う、うん……おれ、おぼえてる。テツひとりだけ校庭のすみっこで、先生と一緒にいたよね?」 「ぼ、ぼくも! そうだよね、テツ、いつも一人で何か考えてるみたいにしてて……友達になったのも、僕たちから声かけたから、だったんだもんね」 と、穏やかに語るテツに安心したのか、ジュンとナオも、それに続いた。二人は泣き笑いを浮かべながら、共に遠い過去へと思いを馳せるように、目を瞑った。ノブや、そしてエドも、口には出さずとも、心の中であの時の景色を、あの時にあったことを、思い浮かべている。ジュンの言葉にテツもまた、にこりと、どこか寂しげな笑みを浮かべて応え───続けた。 「もーすぐ授業が終わるっていう風になったらさ、先生、なんか急に優しー感じになっちゃって。 “もういいですよ”“よくがんばりましたね”なんて、言うんだよ。 ……オレ、そんな言葉が聞きたかったんじゃなくてさ。ただ、みんながやるみたいに、こいつが飛ぶの、見たかっただけで。で、オレだけができないまま、本当にチャイムが鳴り始めちゃったんだよなあ。オレ、なんかもー、めちゃくちゃ泣きたくなってさー。しゃがんで、うつむいて、歯ぁ食いしばってたんだ。 そしたら───」 と、テツはエド達に視線を向ける。 「そしたら……みんながオレのとこ、来てくれて。 オレに、言ったんだ。 “さあ───立って!” ───って。 “立って、もう一度がんばろうよ!”って。 簡単に言ってくれるよなあ、ってオレ、すっげー思ったんだけど───でも、それ……忘れられない言葉になった。 もう一度水を入れて、今度は水を多く入れすぎないように、少なすぎないように気をつけながら、涙と汗をぼろぼろ流しながら、空気入れて。がんばれ、がんばれっていうみんなの声聞きながら、がんばって、がんばって───。 ……そうしたら。 ───やっと……飛んだんだ。 水をすごい勢いで噴出して、オレ達みんな、ぐしょぐしょに濡れちゃって。こいつが、ま──っすぐ、ここの蒼い空へ、吸い込まれていくのを見て……オレ、ようやく、笑えたんだ……」 それから、みんなも知ってると思うけど、こいつはオレの『たからもの』になったんだ。───そう言ったテツの表情は、先ほどまでの怒りに満ちたものとはまるで違うものだった。その穏やかで、どこか寂しげなテツの横顔を見つめて、エド達は、───テツは、もしかしたら、怒りに来たんじゃないのかもしれない。あんなことをしたぼく達を、許しにきてくれたのかもしれない。瞼の裏に、その光景を浮かべながら話すテツの柔らかな口調に、気がつくと一同は、───今思えば、それはあまりにも都合の良すぎた考えであったということにすら気づかずに───安堵のため息を、漏らすのだった。すう、とゆっくりと目を開けるテツの次の言葉に微かな期待を抱く。テツはゆっくりと立ち上がり───今度は、悲しげに表情を歪めるのだった。ぎゅっ、と口をつぐみ、ペットボトルを見つめるテツの考えを、エド達は知る術はない。 「……だから、」 と。低く、掠れた声でテツは、静かに───告げるのだった。 「だから───ぶっ壊すんだ。」 「───え───?」 その言葉の意味を理解するより先に───テツは手にしていた鉄パイプを振り上げて───渾身の力を込めて、その『たからもの』のペットボトル・ロケットに振り下ろす! ───バゴンッ!! 「ぅわっ───!」 くぐもった音を立てて、たったの一撃で、そのロケットはあっけなく破壊されてしまった。取り付けていた翼が砕け、五つのペットボトルで組まれていた船体はボロボロになり、ほんの瞬きもせぬ間に、二度と空を飛べない姿に変わり果てる。突然の轟音にエド達は短い悲鳴をあげ、気を動転させる。状況を解す間もなく、テツはぎろり、と駅員室を睨みつけて、 「んで……テメーらの『たからもの』も、てってー的にぶっ壊す」 そう静かに宣言して───ノブ達の制止の声も聞かず、テツは駅員室へ走り───容赦なく、彼らの『たからもの』も、その鉄パイプで破壊しつくすのだった。鉄パイプが振り回される度に一つ、また一つと、思い出がたくさんつまった『たからもの』が、壊されていく。 夏休みの宿題で、ノブがみんなに手伝ってもらいながら、やっとの思いで作った、ミニチュアの木造の家。 仲間の中では一番速く走るということで、ナオが一番の自慢にしていた、牛乳パックの蓋をタイヤにした、小型のエンジンカー。 土を触るのが好きなジュンが、生まれて初めて作った、形の悪いマグカップ───。 それぞれの幼く、かけがえのない思いがこめられた『たからもの』達は、たったの一撃で、あっさりと崩壊していってしまう。自らの思い出が粉々に打ち砕かれるその度に、その持ち主は叫び声を上げ、泣き荒び、テツに飛び掛ってくる。しかしテツは彼らを力で振りほどき───そうされた者は、もう立つこともできず、その場に蹲ってしまう───、まったく容赦なく、次々に壊していく。 最後に残った、ステンレスの棚の上に置かれたエドの船の模型を壊そうと、テツは両手で鉄パイプを構え、渾身の力をこめて振り下ろそうとした。だが─── ───ベゴンッ!! 「痛 そこへ咄嗟に飛び込んできたエドが、船を抱き、テツの攻撃から『たからもの』を守ったのだった。まったく手加減せずに棚を力いっぱいに叩くことになったテツの手は、直接伝わってきた衝撃で痺れてしまう。びりびりと痺れる感覚以外に何も感じなくなってしまったその手から、鉄パイプが零れ落ちるのを見て───テツは、エドをキッ、と睨みつける。 「てめー、バカエド!! アブねえだろがよ!」 と、一喝すると、エドは涙を堪えきれず、 「何すんだよぉっ、テツ、何してんだよぉっ!?」 嗚咽と共にそう叫んだエドに、テツはしかし動じない。 「それ───よこせ。壊すから」 暴れまわった疲れから、息を切らせながらそう宣告するテツに、エドは激しく首を振り、抵抗する。船を覆い、かばうように体を丸める自らの腕をつかみ、強引にはがそうとするテツから逃れようと、エドは必死になって泣き喚く。 「やっ、やだ! やだぁぁ! テツだって知ってるくせに、これはぼくの、ぼくのッ……って、わかってるくせにぃぃ!! なんでこんなことするんだよぉぉ? わかんないよぉ、テツのロケットだって、なんでそんな簡単になんで壊せるんだよぉ!? そんなの、ぜんぜん『たからもの』じゃないじゃんかぁっ!」 エドのその言葉を無視して、テツは無言のまま、抵抗するエドから船を剥ぎ取って───目いっぱいの力をこめて、ホームへ叩きつける! ───ガシャアンッ!! 耳を覆いたくなるような破砕音が響き───エドの『たからもの』も、あっけなく壊されてしまうのだった───。 「あ……」 エドは、呆然とした様子でそのカケラを手にとって─── 「…………ああッ……!!」 そう、短く声をあげたきり。エドは、押し黙ってしまうのだった。すべての思い出が破壊し尽くされ、あとに残ったのは四人の少年達の、とめどない嗚咽ばかり。「はぁっ───はっ……」 暴れまわった疲れと、そして胸のうちに秘めていたその感情が手伝い、テツは体中から汗を噴出しながら、乱れた呼吸を整えていた。そんな一同の丸く、落ち込んだ背中を見渡して───テツは、静かに、「ロスは───」と、語り始める……。 「───オレがなんか悪さした時な……。ロスはぜってー、それと同じことをオレにもしてみせんだ。オレが物盗んだなら、オレの大切にしてたもんを盗ってみせるし。オレが筋の通らねぇことで誰かのこと殴ったんなら、いつもみたく手加減しねーで、本気でぶっとばしてきやがる。 ……だから───オレも、そうした」 テツはそうして、再び自身の『たからもの』である、ペットボトルのロケットの傍へ行った。テツの言葉に、それまで泣いていたノブやジュンやナオも耳を傾け、視線で彼を追う。しかしエドだけは、船に心を奪われたままであった。テツは目の前の変わり果てた、自分の『たからもの』を見つめて───ぼろっ、と大粒の涙を零す……。 「テツ……」 ぽつり、とナオがそう呟くと───テツは片足を振り上げて、 ───バキッ! と、再び起こった破壊音にエドがびくっ、と体を震わせて顔を上げると───そこには、再びロケットを思い切り踏みつける、テツの姿があった。───何度も、何度も。その音が一つ響くたび、テツや、エド達の中の、あのロケットが飛び立った瞬間の笑顔が壊れ、破れ、踏み躙られていくのを感じて、その場にいるテツ以外の誰もが、その耐えがたい『痛み』に顔を覆う。息を切らせて、逆光の中に立つテツは、叫ぶ。 「───〜〜〜っ!! ……簡単に壊せる!? 『たからもの』じゃないだぁ!? そんなわけあるかバカ野郎っ!! ムチャクチャ痛ぇに決まってんだろ!! テメーらにはオレが平気に見えんのか!? なんでもねーみてーに見えんのかよおっ!!?」 「──────っ」 そのテツの言葉に─── 一同はぐっ、と喉の奥が痛み、熱を持ち、再び視界が揺らぐのを覚えた……。 ◇ そして、テツがちょうどその言葉を言う頃に───テツの後を追ってきたスコールが、駅のホームに姿を現すのだった。しかし、少年達のただならぬ様子に、今声をかけるのは得策ではないと、しばらく様子を伺おうと物陰に姿を隠し───その光景を見守る。 ◇ テツはそのまましゃがみ込み、ぐしゃぐしゃに潰れてしまったロケットを大切そうに、大切そうに胸に抱き、「いってぇに……決まってんじゃんかよっ……!」と、絞り出すように、言った。たっぷり十秒、『たからもの』のロケットを涙で濡らした後、テツは顔を上げて、船のカケラを大切そうに掌に包み込むエドを、涙も拭かぬまま見つめ───こう、言った。 「……あのステージんトコでさ。コンサート開こうとしてたガーデンの女も、同じ格好してたよ。あいつもさ、ステージのカケラをそやって拾って、大切そうに握りしめてた……」 その言葉にエドは、ただ目を見開いた。ロケットを地面にそっと置いて、テツは 立ち上がる。 「エド……オレらがやろうとしてたことって、こんなんだったんだよ。誰かの夢とか、楽しみとか、大切なもん奪ってさ……笑おうと、してたんだ─── ……っ。……なあ、エド、オレ達、あいつらのこと『バトル野郎』だっつって、ヤな顔してきてたけどさあ……それ……それ、本当はオレ達のことだったんじゃないかなあ───」 「だまれッ!!」 テツの言葉を、拒絶の響きをこめたエドの声が遮った。テツは悲しげにくしゃり、と目を細めて、「エド───」と、声をかけるが、 「ウルサイだまれっ、だまれよっ!!」 と、エドは頑なにテツを拒む。 「一週間もあいつらと遊んでてさ! 急に戻ってきたと思ったら、何言い出してるんだよ!! だいたいあれはテツが言い出したことだったじゃないか!! ガーデンは悪いヤツらだって! あいつら、暴力ばっかふるうヤツなんだろ!!? そんなヤツらに好きにやらせたくない、だからこらしめてやろうってッ!! それなのに、急に何一人でいいヤツみたいになっちゃってるんだよおっ!!」 それを聞いて───テツは、自身の体がカアッ、と熱くなるのを、感じた。つかつかとエドに近づき、しゃがみこんだエドの襟首を掴んで強引に立ち上がらせて、ゴッ! と鈍い音を立てて、エドの額に自らの額を思い切りぶつける。その激痛に表情を歪めるエドから額を離さず、その至近距離のままでテツは、怒りを露にして吠えた。 「あいつらと話したことのないテメーに、あいつらの何がわかんだあッ!? 言ってみろよなんもわかんねーだろーがよ、ああッ!!? ……オレずっと思ってたんだ。オレ達は『創る』側。あいつらは、『壊す』側だって。……でも……なんも、変わんねーんだってえ……。 ゼルは、金髪でイレズミで、すっげー見た目怖ぇーけど、でもアニキみたいな、いーヤツだった。 リノアはバカみてーにお人よしで、ちょっと抜けてて、でも『スコール』ってヤツのこと大切にしてる、すんげー一生懸命なヤツだった。 ニーダのヤツは操縦オレより下手クソで、へらへらしててカッコ悪ぃけど、でもアイツ、誰よりがんばるヤツだった。 キスティスはムズカシーこと言うヤツだったけど、でもオレを助けてくれた。『バトル野郎』なのに、モンスターも無駄に殺さなかった。 アーヴァインはキザっぽい感じしてっけど、すごい優しいヤツだったし、セルフィだって、のんびりしててテンポ遅くて、見ててイライラしてくるよーなヤツだけど、あいつのタップダンス、すげーカッコ良かったんだ! あいつら、コンサートのためにがんばってたんだ! すげー、すげーがんばってたんだよ!! オレ達が、ペットボトルのロケットとか。ミニチュアの家だとか。……牛乳ビンの蓋をタイヤにしたみてーなちゃちい小型車だとか、ボコボコの形の悪ぃマグカップだとかテメーが大切にしてた船だとか! ……それつくってる時、どんな気持ちだったよ……? 楽しかっただろ? うれしかっただろがよ!? ───あいつらのコンサートも、それとおんなじだったんだ……。あいつらも『創る』ってこと、知ってたんだ、オレ達それを奪ったんだ!! ただ───オレ達、それを知らねーで、決めつけて……奪って……っ」 最後の、テツの言葉はもう───言葉には、ならなかった。 先ほど、そのガーデンの人間達に向けて放った言葉を、思い出していたのだ。しかし───。 「……わかんないよ」 と、エドは答えた。何ぃ……? と凄むテツにもひるまず、エドは積もりに積もっていた思いを、爆発させた。 「わかんないよわかんないよ、わかるわけないだろッ!?」 「ぐっ───!」 エドはそう叫び、どんっ! と思い切りテツを突き飛ばす。思いがけない反撃にテツは背中からホームへ落ちて、息を詰まらせる。間を与えずにテツの上に馬乗りになり、何度も、何度も殴りつけながら、臓腑を絞りださんばかりに、声を、心を張り上げる。 「あの人たちがどれだけいい人だとか、どんな気持ちでコンサートの準備をしてただとか、そんなのぼくにわかるわけないじゃないかあ!! ぼくはテツみたいにあの人たちといっしょにいる時間なんてなかったから! なんにもしないテツの代わりにどうやってあの人たちの邪魔しようかって、そればっかり考えてたから!! ぼくは、ただぁ……っ───」 ────ぽろり、と、一滴。エドの瞳から、零れ落ちるものがあった。 振り上げたエドの拳が止まり、ふるふると微かに震える。エドは、とん、と力なくその拳をテツの胸に落として─── 「ぼくは、ただ─── テツみたいに、なりたかっただけなんだよぉ……───」 それまでの間、ずっと隠してきた思いを、吐き出した……。 「……エド……?」 予想もしていなかったその言葉に、テツも返す言葉が浮かばない。ぼろぼろと、涙を零しながら、これまでの間、ずっと積もらせていた思いを、心のままに紡いでいく。 「ロケットの時、テツにはまだ友達がいなくって、最初に友達になっていたのはぼく達四人だったのに、ぼくがリーダーみたいだったのに、気がついたらテツはぼく達のリーダーになってて……。───ぼく……本当はずっとずっと、テツにあこがれてたんだ───。何でもできて、カッコ良くて、強くて、勉強はキライだけど、でも頭が良くって。大人だって、みんなテツのことを認めてて。……そう、まるで、マンガとかに出てくる、ヒーローみたいに思えたんだ……」 ぐすん、と鼻を鳴らせて語る彼の言葉を、テツはただ、受け止める。くしゃくしゃに歪んだ彼の泣き顔から、けしてけして目を離さないようにしながら。 「だからぼくも、テツみたいになりたいって思うようになったんだ。テツみたいになれば、ぼくもまた、みんなのリーダーになれると思ってたんだ。だから、コンサートの邪魔も、ぼくがしようと思ったんだ、テツができなかったことをぼくがやれば、みんなぼくを見てくれるって思ったから……ぼくもテツみたいなリーダーになれるって、思ったから! だからなんだよっ!」 エドはぐい、とテツの服の襟を掴み、力なくテツを揺すりながら、叫ぶ。 「わかんなかっただろ!? ぼくがこんなこと思ってたなんて、テツ、知らなかっただろ!? ぼくだって、ガーデンの人たちのことなんてわかんなかったんだ!! わかんなかったんだあっ!! ───あっあっ、ぁぁあ……っ」 エドは、そう言ったきり───再び、泣き出してしまうのだった……。 テツも、ノブも、ナオも、ジュンも。 それまでに触れたことのなかった、彼の気持ちに触れて、何も声をかけることすらできず、ただ、泣き荒ぶ彼を見守ることしか、できなかった───。 ◇ (───“知らなかった”……か……) その一部始終を見ていたスコールは、名も知らぬ少年達が交わした、それまでの間ずっと心の中に秘めていた言葉を、反芻していた。そうして、自分達に秘密を作り続けてきていた、仲間達の顔を、思い浮かべる。 思い返してみれば、スコールはこれまでの間、誰とも深く関わりあおうとすることはなかった。人とは常に一定の距離を保とうとして、それ以上に深く踏み込んでこようものならば、即座に拒絶する。自分のことを話すのは苦手だ、ということを言い訳にして、心の中でならばたくさん並び連ねている思いを、けして言葉にしようとはしない。 だが───あの仲間達は、そこからさらに、強い姿勢で踏み込んできてくれていた。 特にリノアは、常に拒絶し続けてきた彼の分まで積極的になり、スコールの心に張られた強固な防護壁のほんの少しの隙間をすり抜けてきては、あの人懐こい笑顔で、微笑み、彼の手を掴み、前へ、前へと引っ張っていった。 しかし……その彼らが今、スコールに知られたくない、秘密を作っている。 仲間達にまで隠し事をされ、無理やりに秘密を暴こうなどと、子供じみた行動に出てしまったが……あの少年達の言葉を聞いた今、スコールは考える。 ───秘密を…壁を作ろうとしていたのは……オレの方か─── と……。 スコールは、自らのことを他人に話そうとしないだけではない。自分の心に触れられるのが嫌なのと同じくらいに、人の心に触れるのも、苦手としていた。愚痴も、楽しい話も、幸せな話も、不幸な話も、その全てをスコールは拒絶してきた。これでは……秘密を作る、仲間達のことを責められる道理など、どこにもない。 「───くそ……」 先ほどまでとは違う、不思議なほどに穏やかな気持ちでスコールは、他の誰にでもない、自分自身に向けて、そう呟いた……。 ◇ ───と、その時。 ◇ 「はい、それまでぇぇ〜〜〜〜っ!」 『───!?』 と。 その場にいた全員が、相当真剣に悩んでいたところに、突如、武骨な男の声が割り込んできて……一同も、スコールも、思い切り面食らったような顔をして、声の主を見る。 「なっ……」 特にスコールの驚きといえば、ない。よっぽどあの少年達が交わす話に、没頭してしまっていたのだろうか。声の主であるテツの父───ロスが、ホームの入り口にあたる改札口付近に隠れていた、スコールの真横に立っていたのだ。しかも、それだけではない。 「みんな……」 呆然としたように呟いたスコールの目の前に、それぞれが担当するパートの楽器を持ち合わせたゼル、アーヴァイン、キスティス、セルフィ、そしてリノアまでもがいた。しかし皆もまた、テツ達が交わしていた話に夢中になっていたのか、今も尚、スコールの存在に気づいている様子がない。 (いつからいたんだ?) 抱いて当然の疑問をスコールが一同に問おうとするが、 「いっ、いつからいたんだよっ!?」 と、皆の登場に殊更驚いていたテツに質問を奪われてしまい、スコールはまたしばしの間、聞き役に徹することにする。ロスは、テツの疑問と全く同じ考えをスコールが抱いていることに気づき、まずはスコールに向かってにやり、と一つ笑みを浮かべてみせてから、テツに向かって意地悪く告げる。 「『あいつらと話したことのないテメーに、あいつらの何がわかんだあッ!? 言ってみろよなんもわかんねーだろーがよ、ああッ!!?』 ……てなトコ……からだな」 テツの口調を完璧にコピーしてみせる父の言葉に、テツは、顔を林檎よりも赤くして、 「バッ……誰のマネだっつんだよ、似てねーっての!」 「十点満点中何点ですかねェ? せんせー?」 「四点!」 と、こんな時でも茶目っ気溢れることを言うロスにテツは容赦なく毒づいてみせると、照れ隠しに背を向けてしまう。その答えに、ロスは先ず苦笑して───そして、そんな不肖の息子の背中を見て、「やれやれ───」と、一歩前へ踏み出した。 「どうやら……あらかた、カタぁついてるみてーだな」 と───テツ達の壊れた『たからもの』を見渡して、微笑みすら混じった呟きを漏らす。そう、テツが先ほどやろうとしていたことと同様のものを、ロスはやろうと思って、ここに来たのだ。しかし、既に自らの手でそれを行ったテツの背を見つめ、ふっ、と、笑みのこもった息を吐き、ロスはよれよれになった煙草を一つ、口にくわえる。 一方そのテツは、一行に背を向けながらも、しかしやはりその動向が気になって仕方が無いようで、ちらり、と、ゼル達の方に視線をやり、 「み、みんなは───どうして?」 と、おずおずと尋ねる。するとキスティスがふふ、と小さく微笑んで、 「さっきのあなたの様子、明らかに変だったから。冷静になって、少しステージを調べてみたのよ。そうしたら、ステージの周囲に───恐らく、吹き付けたスプレーが乾く前に、その上を歩いてしまったんでしょうね。一つじゃない、何種類かの靴底の跡が見つかったのよ。あなたは、自分がやったと言っていたけれど───これは、複数人で行動していた証拠だわ」 その言葉に、さらにアーヴァインが続ける。 「多分壊すことに夢中になって、そんなことにまで気が回らなかったんだろうね〜。その詰めの甘さから、犯人はまだ幼い子供だということが、考えられた。何より、足跡の大きさが、君の足のサイズと同じくらいなんだよね〜」 と、アーヴァインの掌大の破損プレートに残された『証拠』を見せて、にこりと笑ってみせる。キスティスはうんうん、と頷き、 「と、この二つの点から推察して……ってほど、大袈裟でもないけれどね。だいたい、急にあんなことを言い出すなんて、おかしすぎるもの。その不自然さからも、私たちはあなたが誰かをかばい、嘘をついているんじゃないか、という答えに辿り着いた、っていうワケ」 ─── ……はぁぁ〜………。 そう言葉を締めたキスティス、アーヴァインの解説に、テツは彼らが持つ観察眼に関心しきってしまい、力なく息を吐く。そしてそんな脱力してしまった自分に気がつき、ハッ、と目を見開いた後、 (……全部バレて〜ら……) と、苦々しげに顔を歪め、再び一同に背を向ける。が、せめて、と思い、 「そっ、そんなの当てずっぽうだろ? 合ってるかどうかなんて、わかんねーじゃ……」 と、強引な抵抗を試みるテツに、今度はリノアが肩を竦めてみせて、 「……『バカみてーにお人よし』……で、悪ぅございましたねぇ」 と、先のテツの言葉を持ち出して、これまた手痛い切り返しをしてくる。そこからの話を聞かれてしまっているとなると───もはや、テツが隠そうとしていたことは全て、彼らにはバレてしまっているようである。テツは今度こそ、うっ、と声を詰まらせて、押し黙るしかなくなってしまい、 (な、なんだよー、オレがやったことってゼンゼン意味ナシなカンジかよ!?) 全てを見透かされている状況、というのがこんなにも居心地の悪いものだとは想像もしていなかったので、恥ずかしさやら気まずさやらで、テツは悶え苦しむのだった。 ───だけど。 それ以上に、本当に気にしていたことは───……。 「─── …………」 すっ、とテツはその場から立ち上がり、動揺しきっていた先ほどまでとは、うって代わったような静かな瞳で、ゼル達を見つめる。その様子に、「……テツくん?」と、リノアが問い掛けると、テツは、まるでエド達を庇うように一同の前に立ち塞がり、 「バツなら……オレが受けるよ」 ───と。 穏やかに、しかし、覚悟のこもった眼で彼らを見つめながら、そう言った。その言葉を受けての、一同の反応は様々であった。キスティスはすう、と目を細め、セルフィは驚いたように目を見開き、アーヴァインは口元を僅かに結び、リノアは戸惑いを露にし、ゼルは露骨に眉をしかめてみせる。 「テツくん、私たち…」 リノアがそう声をかけようとした時、バッ、と突然に差し出された掌に、続きの言葉を遮られてしまう。その掌は、ゼルのものだった。 「ゼル……?」 「まぁ───待てよ」 ───聞こうぜ。ゼルはリノアをそう制し、ふんっ、と一つ鼻を鳴らし、改めてテツと向き合った。リノアも仕方なく口を噤み、それに従う。 ───覚悟のある者は、揺るがない。 テツの瞳は、まさにそれそのものだった。心は得てして水のようなもので、楽しい時には風が湖面をくすぐり、静かに波立たせるし、怒りに満ち満ちた時には嵐のように激しくうねり、平時を失う。哀しければその水は溢れ、一滴となって零れてしまうだろう。この時のテツの瞳は、どこか遠い遥か山奥にある静寂に包まれた、波一つ立たぬ湖の湖面のようだった。ゼルは、テツ少年が秘めたその覚悟を感じ取ったのだ。 テツはすう、と息を吸い、そして───語る。 「ハナシ、聞ーてたんなら、わかってっと思うんだけどさ。……コンサートの邪魔しようって、いっちゃん最初に言ったの、オレだったんだ」 テツは、ここで一度言葉を区切り、うーん、と頬を掻きながら、一つ唸る。そうしながら少し考えを整理し、続ける。 「さっきさ、オレみんなのこと、メチャメチャに言ったろ? ……あれもホントは、本当だったんだ。……みんなと話すまで、オレ、本当にみんなのこと、あんな風に考えてた。『バトル野郎』が来た! オレ達の大切なものをとりに来た! って。───そんな風に、考えてた。……だから、好き勝手させてたまるか、って思って、コンサート、開けなくしてやろうって、あいつらに話した。───あいつら、オレがやらなかったから、それでやっただけなんだ。オレがあんなこと考えなきゃ、あいつらだって何にもしなかった。悪いの全部、オレなんだ。オレが最初だったんだ」 そうしてテツは、深々と頭を下げる。 「───ごめんなさい」 という、心からの言葉と共に。この言葉に、エドは大きく目を見開いたが、しかしそれは誰にも気づかれなかった。顔をあげたテツは、ゼルの目を、みんなの目をまっすぐに見つめて、続ける。 「もうステージ、壊れちまったし、謝ったってどうにもなんねーけど。……でも───ごめんなさい。オレが全部、悪かったんだ。だから───バツも、オレ一人で受けるから」 「あ〜〜───……いっこ、聞ーてもいいか?」 真摯に語るテツの言葉に、ぼりぼりとこめかみを掻きながら、ゼルがそう声を上げる。テツが「ドウゾ」と一つ頷いてそれを促すと、ゼルはすう、と目を細め、厳しい眼差しで、 「───なんで、そいつらかばう?」 と、問うのだった。 「俺達は一週間、頑張れるだけ頑張ってきたこと、全部台ナシにされてんだ。特にここにいるセルフィは、俺らん中でもいっちばんこのコンサートを楽しみにしてて、いっちばん頑張ってきてた」 テツから目を離さず、親指でくい、とセルフィを指しながら、続ける。 「ふつーだったら、例え『バトル野郎』じゃなくっても───キレるぜ。ああいうこと、されっとな。下手したらテツ、おめー俺達に何されっか、わかんねーぞ? それでも、かばうのか?」 微かな怒りすら感じさせる、鋭い眼光を飛ばしながら、ゼルはそう訊いた。その凄んだ眼差しに、エドも、ノブ達も怖れの色を隠せずにいる。しかし───テツは、ゼルが放つ威圧感の中で───にこり、と。微笑んで……一切の迷いのない瞳で、答えた。 「─── オレの、ともだちだ。」 「───テツ……」 そのテツの答えに、エドの心が───震えた。ついさっき、あんなケンカをしたばかりの自分達に、どうしてそんな穏やかな笑顔で、そんなことを言えるのだろうか。エドは、嬉しさとはまた違う理由で、その疑念を抱きながら───また、泣き出してしまうのだった……。 「……案外、普通の答えだな」 ゼルは、テツのその答えに、相変わらずの眼光をたたえたまま、そう感想を述べる。だが、なおも落ち着いた表情のままでいるテツに、ゼルも、 「でも、まぁ───そんな普通の答えを、そんな風に普通に言うのが、一番難しいことなんだけどよ……」 くすり、と苦笑しながら、そう言うのだった。そして、テツのもとへと、のしのし歩いていき───威圧感を解いたとはいえ、状況が状況だけにどう怒られるかわからないため、さすがにテツは緊張を覚えていたところに───、テツのぼさぼさ頭に、ぼすっ、とその掌を置き、くしゃくしゃと髪を撫でながら、 「───んんっ。……許すぞ!」 先ほどまでの緊張感もどこへやら。ゼルは口を横いっぱいに広げて笑って見せて、そう言うのだった。この言葉に、テツも、エドも、ノブ達も─── 『……え?』 と、目を丸くする他に、返す言葉が見つからない。ここで空気の変化を察したリノアが、 「テツくん、私たち、別に怒りに来たんじゃないの」 先ほど言おうとしていたことを、ここに来てようやく伝える。「え?」と、さらにテツが驚いていると、ゼルはカラカラと笑いながら、 「おもしれーからさっきのお前の真似してみたんだよ! まー、まんまと引っ掛かったな! テツお前、あんなマジな顔しちゃってよ!」 というゼルに、「悪趣味だねぇ〜……」と、アーヴァインとキスティスは、苦笑の色を浮かべることしかできない。セルフィもリノアも、このゼルの行動には、さすがに呆れたように頭を抑えていた。当のテツは、(ハメられた!)と、さすがにこれには怒りを露にして、 「んなっ……て、テメーこのトサカ頭っ!!」 顔を真っ赤にしてそう声を上げるが───ゼルはにこり、と大きな笑顔を浮かべ、 「まっ───イイ男になるなあ。将来 と、テツの肩にぽん、と手を置きながら、そう言うものだから、せっかく膨れ上がったテツの怒気は、しゅるしゅると音を立ててしぼんでしまう。顔を真っ赤にして、テツはゼルの手を振り払いながら、 (あ、あんだちくしょう、んなコトゆーなよ反則だっつの) そう、ぶつぶつ呟いて、とりあえずその場の難を逃れる。だが───テツはやはり、そのことを考えると、表情を険しくせざるをえない。ザッ、と再びゼル、一同を見つめ、 「でも───でも、ステージは……」 と、掠れた声を上げるテツを、ゼル達は再び見つめた。 「でも、ステージはもう壊れちゃったじゃんか! それは───それは、もう、取り返しつかないじゃんかよ! やっちまったんだから! コンサートだって……もう……」 と、力なく肩を落とすテツに、ゼルは再び苦笑して、「それはな───」と、仲間達に目配せをする。そして、ゼルはこの一週間、ほとんど毎日触れてきたギターを取り出した。そして調弦を始めるゼルに、テツ達は眉をしかめ、 「ちょ……おい、何するつもりだよ?」 と、戸惑いを露にして声をかける。しかし、キスティスもフルートを、アーヴァインもフィドルを、セルフィもタップ・シューズを取り出し、演奏の準備を始めるものだから、それきり口を噤み、目の前で起こる事の成り行きを見守る他、なくなってしまう。そんなテツやエド達に、リノアがすっ、と近づき、 「見ててごらん?」 と、穏やかに言って聞かせた。ほんの、一分少々の準備の後、タップ・ダンスを踊るセルフィを囲うような形で一同は陣形を組む。すう、とお互いの呼吸を合わせる瞬間。しんと静まり返る駅のホーム。張り詰めた、何かが始まるのを予感させる緊張感。それらが全て満たされた時、セルフィがごく僅かに唇を動かし───カウントを、取った。 ───3、2、1 ─── ───タァンッ!! 「───っ!!」 その曲は、まずセルフィのタップから、始まった。軽快に、とめどなく、流れるように紡がれていく彼女のリズムは、昨日見たものと同じく、その音がたった一つ鳴るだけで、見ているこちらも楽しくなってしまうようで、自然、口元に笑みが浮かび始めるのを、テツは感じた。そして、そのリズムにまず加わったのは───ゼルだった。 「シッ!」 小さな気合を吐いた後、奏で始めた彼のギターは、笑顔で弾いている彼の心をそのまま表すかのように活き活きとしていて、指先が器用だとは知っていたが、あのゼルにこんな一面もあったとは……と、テツは驚きを隠せずにいた。そこへさらに─── ──────あっ──────。 キスティスのフルート、アーヴァインのフィドルが奏でる主旋律が加わり、ホームに響き渡るそれらの音に、さらなる厚みと奥行きを与える。その曲はテツだけではない、エド達もロスもリノアもスコールも。その場にいる全ての人の心を奪い、包み込み、自然、口元を緩ませ、歓びに身を震わせる。音はホームへ差し込む光と戯れ、宙を舞い、きらきらと光を放つ埃と踊り、ただそこに在るだけで、この荒れ果てたホームすら美しいもののように思わせるような、輝きを放つ! ───それは恐らく、たった1フレーズだけの演奏の、はずだった。 しかし、彼らが奏でたその音は、たったそれだけの演奏だけでも、その場にいた誰もの心を奪うには充分な力があった。───タァンッ! という、始まりと同じく、終わりもまたセルフィのタップで締められたその僅かな時間の至上の演奏に、それまでの間傷つき、落ち込んでいたノブ達すらも、笑顔を浮かべずにはいられない。力いっぱいの拍手を贈るテツ、リノア、ロス、ノブ達の横で、エド、スコールは彼らの演奏に、ただ言葉を失うばかりだ。スコールはしかし、そんな自分に気がつき、こほん、とわざとらしく咳き込みつつ、素直に感動しかけていた自分を、ついつい戒めてしまう。エドはというと、目の前で行われたその演奏に確かに感動していたものの───自らの行いを顧みて、素直にそれを表に出すことができなかったのだ。 「すげぇっ、やっぱすっげーよ!!」 と、先ほどまで自分が落ち込んでいたことも忘れ、顔中を口にして笑うテツに、セルフィはくすり、と微笑んで、「───ね?」と、言うのだった。 「ね? テツ。───ステージが楽器を弾くんじゃ、ないんだよ〜?」 「─────────。」 ハッ、と。テツは、その言葉に目を見開いた。セルフィは、さらに続ける。 「なーんてね、このことに気づいたの、あたしもついさっき、だったんだけど……。 ───テツ、ごめんね? あたし、あの時本当はちょ〜っと、テツが言ってたこと、まるまる信じちゃって……テツのこと、悪い子だ〜っ、って、思っちゃってたんだ……」 ───だから、ごめんね。ぺこり、と頭を下げながらそう言うセルフィに、テツは「ああ、いや、こちらこそ」と、頭を下げ返しそうになって─── 「って、アホかぁぁぁっ!!」 と、思い切り突っ込む。「え? え? なんで怒るの?」と、不思議そうに首を傾げるセルフィに詰め寄りながら、さらにたたみかけるように追い討ちをかけた。 「アホかてめー! 何でてめーが謝るんだよそりゃオレのセリフだろーが!」 「あ、あはは〜、そーいえばそーだね〜」 くしゃくしゃと、自前の外ハネの髪を掻きながら、照れ臭そうにそう言うセルフィに、ますますテツは脱力してしまう。だが───セルフィはくすり、と微笑んで、続けた。 「ねえ、テツ? あたし、気づいたの。ステージは消えても、音楽は消えない。あたし達がいるから、音楽があるんだ! って。体一つ、楽器一つあれば───ううん、楽器が一つもなくたって、あたし達には声がある! ステージが大切だったんじゃない。あたし達が、あたし達の夢を叶えるために今日までしてきたことこそが、大切だったんだって。 ───あのステージが壊れて、それに気づけたんだよ〜? それだけで、じゅうぶん。」 にっこりと、笑いながらそう言うセルフィに───テツは、言葉を失う。 「だから───だから、テツ。……それに、テツの友達のみんな?」 と、もう一度、深々と頭を下げながら続けるセルフィの言葉に───心が、震えた。 「ステージ。 壊してくれて、ありがとう」 「──────っ」 心だけではない。テツの体も、その言葉にびくり、と大きく震える。それはひどく怯えに似た反応だったが、そうではないことを、テツは知っていた。 ───その言葉を、理解するのにまず、一分。 「……なんだよ……」 一番最初、彼らがこの場所へ現れた時、咄嗟に背を向けたのは、話を聞かれたという、照れ臭さからだけでは、なかったのだ。本当に、本当に気にしていたのは───。 ───その言葉が、心に染み入るまで、また一分。 「なんだよ、それ……よっ、よくわかんねー、マジで……」 手前勝手な痛みだと、知っていた。だからこそ、このことだけは、例え彼らがどんなことを言っても、伏せておこうと決めていた。テツにとっては、ステージを壊したことよりも何よりも、この一週間の短い付き合いの中で好きになっていった彼らに放ってしまった、あの言葉が何よりも気がかりだったのだ……。 ───その言葉に、応えねばならない言の葉を 見つけるまでに、またさらに、一分、かかった。 信じられない、とでも言うように呟いたテツに、ゼル達は仕方ねえなぁ、とでもいうように苦笑する。その後ろで、セルフィの言葉に涙をぼろぼろと零す子供達の姿が、あった。テツは、その身を震わせながら、ひとかけらの勇気を握り締め───彼らに、訊いた。 「───ねえ」 「……?」 ん? と、その場にいる誰もが、短い声を上げる。……例え、罵られることになっても、仕方ない。「あんなこと言っといて、許されると思ってのか!」と、怒られても仕方がない。でも、彼らのあんな言葉や、こんな笑顔を見ていると───見て、いると───。こんな自分勝手な自分に辟易してしまう。しかし、そうしながら、希望を抱かずにいられない自分がいることにも、テツは気づいていた。 「あの……」 テツは、最後まで封じ込めようと思っていた、きっとわがままだらけの、どうしようもない言葉を、軽蔑されても仕方のない、あの言葉を───放った。 「……オレ……もしかして、また…… みんなといっしょに笑っても、いいのかなあ……?」 少し、俯き気味に。 自信なさげにそう訊いたテツの質問が、まるでよく分からない、とでも言うように。まずゼル達は互いの顔を見合わせて。その次に、テツの俯き、暗く影のかかった顔を、じっ、と見つめた。 「てめー、何をあっ……」 と、言いかけたゼルの口を、今度はリノアがお返しとばかりに、バンッ! と勢いよく塞ぎ───制し、ではなく塞ぎ、という辺りが、なんともリノアらしいのだが───、「手加減しろよ、リノア…」とぼやきながらその場に蹲るゼルを尻目に、リノアはにぃ〜っ、と唇を笑顔の形いっぱいに広げた。そうして、テツに歩み寄り、その小さな顔を、リノアは両手で包み込む。そうして、まるで犬の頬をがしがしと撫でてあやすようにしながら、 「あったりまえじゃんっ!」 と、言葉の中にも、たくさんの笑みをこめて、そう言った……。さらに、テツの既に潤んでしまっている視界に、ぬっ、と飛び出してきたのは───あの、テツがゼルへ突き返したはずの、Tボードだった。それをテツに差し出していたのは、やはりゼルで。しゃがんだままのゼルはリノアに張り手された口元を抑え───これは照れ臭さからなのだろうか───テツの顔を見ようともせず、 「───ほら。……お前んだろ?」 と、言うのだった───。 最初、これを受け取った時は、いったいどんな意味を持つものなのか、まるでわからなかった。だがしかし、あれから一週間が経った今。新たに受け取ったこのTボードから、テツは言葉を舌に乗せるよりも、ずっと多くのゼルの気持ちを、声を、聞いた気がして……。テツはそれを受け取ると、今度こそ、こらえきれなくなり───ついさっきまでとは、全く違う理由で瞼の裏が熱くなるのを、息苦しくなるのを、鼻の奥がつんとなるのを感じて───先ほど、心の中で見出した、彼らに伝えなければならない、二つの言葉を、舌にのせた───。 ─── ごめんなさい ─── ─── ありがとう ───。 ◇ 「……へっ……イイ顔するようになっちゃって、まァ……」 と、その一部始終を───息子のテツの泣く姿を見つめていたロスは、苦笑にも似た微笑を浮かべ、そう、呟く。 学校へだけは行け、というのが、ロスの口癖のようなもので、これはテツに技師としての技術だけではなく、世の中には他にも様々な出来事や学ぶべきものがあり、人それぞれによって違う主観、主張がある、ということを学んで欲しかったからなのだ。 学校へ行くのをサボりがちだったテツは、この一週間は特に、まともに学校に行ったことがなかった。本来であればサボり通したテツの今回の行動を、叱るべきところだったが───ロスは、テツが良くも悪くも、テツがガーデンに関心を抱いていることに気づいた。 テツなら、(これまた良くも悪くも)ガーデンにコンタクトを取ろうとするだろう。そうであれば、そこから何かを学ぶ、とまではいかなくてもいい。ほんの少しでもいいから、自分が求めるもの以外のものに触れる、ということの大切さに、気づいて欲しい───。そう願って、この一週間、彼が学校へ行かなかったことを大目に見ていたのだが───。ロスは、改めて、少しだけ大きくなったような、息子の背中を見つめる。それから、F.H.の空を。 「んん……仕事日和だな、今日も───」 ───まったく、それをせず、辛抱強く見守ってきた甲斐があったぜ、と、ロスは思うのだった。くすり、と笑った後───ロスはきりっ、と表情を引き締め、『技師』の顔に戻る。そうして、一同に向かって、 「ほれほれほれ、いつまでやってんだおめーら。コンサートの準備が待ってんだろが? とっととステージんトコ行っちまわねえか!」 というロスの言葉に、ハッとするゼル達。腕時計に目をやったセルフィが、 「あ〜っ、そうだった! もうリハーサルまで二時間切ってるんだったぁ! ど〜しよ、まだ照明プランのチェックも済んでないんだった〜」 顔を真っ青にして、すっかりと慌ててしまう。テツもハッ、と目を見開いて───そうだった、泣いてる場合じゃない! と、袖で涙を拭い、 「そ、そうだよな、コンサートはやるんだもんな! オレも、応援───」 と、言いかけて。 (……ん? 照明?) はた、と気づくものがあって、テツはその一切の肉体的活動を停止し、一同が語る言葉に集中し切った。次に気になる言葉を言ったのはキスティスで、 「でも、それに関してはリハーサルをしながら調整するしかないんじゃない? ステージだってまだ組み終えてないんだし」 (ステージ? 組み終える?) 眉をひそめるテツを他所に、さらに、アーヴァインが続く。 「音響のテストも兼ねないといけないからね〜、リハーサルは大変そうだよ〜」 (音響って何? ステージないんだよな?) 「つーかよ、俺前から思ってたんだけどよ、あのステージ、段差作った方が見た目に立体感が出て、オモシロいんじゃねーか? 平坦なままだとつまんねーっつーか」 (は? へ? 段差?) 「あー、私もそれ、賛成! アスレチックみたいで楽しいもんね!」 「いやリノア、アスレチックは関係ねーと思うぞ……」 「ってちょっと待てこらぁぁぁっ!!」 と、勢いよく突っ込むテツに、驚き、おののくコンサート関係者達。「び、びっくりした〜」と、リノアが鼓動の早まった心臓を抑えながら言う。 「急に大きな声、出すなよ〜」 アーヴァインが耳を抑えながら───何しろ、大階段からステージまでの距離で、苦もなく会話できるほどの大声の持ち主なのだから───そう文句を言うが、しかしテツはひるまない。再び顔を真っ赤にして、ついでに混乱具合も露にしながら、問う。 「さっきっからステージだとか照明だとか、何の話だよ? ステージ壊れてんだろ? だからコンサート、別んトコでやるっつー話じゃねーのかよ?」 何がなんだかわからない、という風に訊いたテツに、一同は再び顔を見合わせて─── 「あれ……誰も、言ってなかったっけ?」 「……そういえば、言ってないかも」 と、目を点にして、肝心なことを伝えていなかった自分達の間の抜けたやり取りに、苦笑せざるを得ない。得心がいかないテツの背後に、ぬうっ、と父、ロスが立ち───勘の悪い息子に、仏頂面を浮かべながら、こう言うのだった。 「ステージなら、あるぞ」 …………………。 『はあぁぁぁぁっ!?』 ガバァッ、と、ロスにしがみつく程の大きな大きなリアクションを再び返してくるテツ、そして落ち込んでいたはずのノブ達に、(……こいつら、オモロイなー)と、密かにロスは思わずにはいられない。エドもまた、ステージがある、というロスの言葉に、顔を上げずにはいられない。心底動揺しきってしまっているテツは、 「で、でも、だってっ……どこに!?」 目を白黒させながらそう問うが、その問いに関しての答えは─── ───ゴッ! 「痛ぇっ!?」 ───何故か、ロスの鉄拳、なのだった。鉄拳をモロに受けたつむじの辺りがじんじんと鈍く痛み出すのを感じながら、 「てめぇっロス、イキナリ何しやがんだよっ!!」 と、牙を向けるが、当のロスは余裕たっぷりの態度で、 「はァ〜〜……それでもてめぇはこのロス様の息子なのかねぇ……」 ついでに哀愁すらも漂わせながらそう言って、ロスはぐい、とテツの胸倉を掴み、顔を引き寄せ、息子の大きな眼をぎろり、と睨みつける。そして───持ち前の、意地の悪い笑みを浮かべてみせて、 「いいかクソ息子。お前のその問いの答えは、実にシンプルだぜ? “───壊れたなら、直しゃあいい。”───だ!」 それが俺達の仕事だろが。───と、ロスは付け加え、バッ、とテツを突き放すのだった。ロスのその言葉は、テツ達にとってはまさに目からウロコ、というヤツで……。特にテツの驚き様といったらなく、それからしばしの間、真ん丸く見開いた目で、ロスを呆然と見つめることしか出来なかった程だ。テツはそれから、同じく驚きを隠せずにいるエド、そしてノブ達。次に、その通り、とでも言うような笑みをたたえている、コンサート企画者達の顔を見て─── ───ああ─── 「……ぷっ……」 ……と、吹き出した。 ───ああ、そうかぁ─── 「ぷっ……くく……っはははっ、あはははっ!」 堪えきれず、その場にうずくまり、膝まで叩いて盛大に笑う我が子を、ロスはじっ、と見つめる。ひとしきり笑った後、ホームに座り込み、空を仰いで、テツは実に晴れやかな顔で、言うのだった。 「……なぁ、ロス? ───オレ達の仕事って、スッゲェなあ!」 その言葉に、今度はロスもふっ、と穏やかな笑みを浮かべ、 「───……これまではガーデンの修理にかかりっきりだったからな。だから、あれしきのステージでも時間がバカみてぇにかかっちまってたが……ガーデンの方はもう仕上がってるし、片付けもボチボチ終わる。全員総出の上、二時間もありゃあ、余裕で間に合うはずだ。───あの連中に何か償いてェと思うんだったら、こいつの手伝いを───」 と、言いかけて……ロスは、テツの顔を見て、口を噤む。テツの意識は既に、改札口よりも、その先にある街道よりも、そのさらに先にある大階段へ続く坂道よりも先の、ミラー・パネル郡中央に位置する、あのステージへと向けられていたのだ。 (……言われんでも……ってツラだねェ……) その口元に微笑みすら浮かべている息子の顔に、この一週間での息子の急成長の度合いを感じたロスは、思わずへっ、と口元から笑い声を零すのであった。そんなロスの心情を知ってか知らずか、テツは一つ大きく息を吸うと、パッ、と立ち上がり、 「さぁっ……てと! んじゃ、ちゃっちゃと言って、さっさとやっちまおうぜ! 善は急げ、時は金なり、コーイン矢の如し、ってな」 「───お前ソレ、ホントにわかってて言ってんのか? ……まァ、いいけどよ」 うん、と大きく背伸びをするテツに、ロスは眉をしかめながらそう言うが、その問いに対して「なにが?」と、きょとんと見上げるばかりのテツを見て、深く追求する事を諦めた。それよりも、と、ロスは『彼ら』の方を見やって─── 「───で? ……おめーらはどうすんだい?」 ───そう。自分達が起こした事の重さから、未だに座り込んだまま立ち上がれずにいるエド、そしてノブ達に向かって問い掛ける。ロスにしてみればその質問は、至って普通に放ったつもりのものだったが、しかし彼ら───特にエドにはその声はひどく低く、掠れ、威圧感のこもったものに聞こえ、その響きにびくり、と大きく体を震わせた。 「……ぼ───僕……」 埃まみれの地面をじっと見つめ、唇を震わせながらそう呟こうとしたエドだったが───それから先の思いは、言葉に変わることはなく、ただ再び硬く閉ざされてしまった唇の中で殺されてしまう。その隣のノブが、 「ぼっ……ぼく!」 と、突然大きな声を上げて、立ち上がった。その声にまた大きく体を震わせたエドが、そんなノブの顔を見上げると───彼は、泣いていた。泣きながら、テツやロス、そしてガーデンの人間達を、睨みつけるのにも似た、強い意志のこもった瞳で見つめていたのだ。ノブは拳を握り締め、震える膝を抑えながら、 「ぼくっ……ぼくも、やる! 手伝う!!」 ……そう、やっとの思いで、心を振り絞りながら、そう声を張り上げるのだった───。それを見て、エドは喉元にまで出かかった言葉を、ぐっ、と喉の奥へと、押し遣ってしまう。唇をぎゅっと結び、再び俯いてしまうエドの傍らで、しかしナオや、ジュンもまた、ノブと同じように「お……おれも!」と、声をあげて立ち上がり、 「おれも、おれもっ、ステージ直す!」 「オレ達、とんでもないことしちゃったから……だから、ごめんなさい、手伝わせてください!」 それぞれが、それぞれの精一杯の勇気を振り絞って出したその言葉を、セルフィ達はしっかりと受け止める。キスティスは少年達を安心させるように、 「───ありがとう。とっても、助かるわ」 と、包み込むような柔らかな笑顔を見せながら言った。他のSeeD達もキスティスが伝えたその言葉と全く同じことを思っているらしく、にっこりと笑みを浮かべて、同意を示す。彼らのその表情に、ノブ達は改めて、自分達のしたことを思い返し、後悔に顔を歪め、そうして、もう一度深く、深く頭を下げて、心からの謝意を見せるのだった。だが───それに同じようとしない少年が───一人。 「……エド……エドも、いっしょにやろうよ?」 顔を上げたノブは、未だに座り込んだままのその少年───エドに向かって、遠慮がちにそう、声をかける。その言葉に全く反応を示そうとしないエドに、ノブはもう一度、おずおずと手を差し伸べながら、 「…………ねえ、エド?」 と、声をかけるが、 「───うるさいっ、うるさいっ、うるさい!!」 エドは声を張り上げ激しく拒絶し、乱暴に手を振り払われたノブは、ショックと、そしてそれ以上の寂しさに襲われて顔を歪める。エドはけして顔を上げず、硬く、古びたコンクリートでできたホームに、爪に血が滲む程にしがみつきながら、言葉にならないままの想いを、そのまま吐き出した。 「みんな、みんなみんな、うるさい!! どうしてそんなこと言うんだよ? ……どうして……どうして、そんな顔、するんだよぉ……? ステージが直ったって、僕たちが悪いのは変わらないじゃないか……僕たちのしたことが、なくなるわけじゃないじゃないか! それなのに───それなのにっ!!」 ───そう、ノブだけではなかったのだ。ナオもジュンも、それを見守っているロスも、テツも、ガーデンの一同も、今もなお、頑なに心を開こうとしないエドに、視線を送っていた。それはけして厳しいものや、怒りのこもったものなどではなく…… “───もう、いいんだよ?” “───もう、怒っていないから。” “───もう、笑ってもいいんだよ?” ……まるでそう、語りかけるように柔らかく、優しいものばかりであった。もちろん、エドはそれに気がつかないはずがない。舌に乗せるよりもずっと深くエドの心に入り込んでくる一同のその思いに、しかしエドは素直になることはできなかった。いや───だからこそ、と言うべきかもしれない。そんなに優しい眼で見るから。そんな笑顔でいるから。全てを許すような、そんな顔を皆して、しているから。だからこそ、エドは余計に一同に心を開く事ができなくなってしまっていたのだ……。 ───はぁぁ……っ─── エドは熱を持った息を長く、長く吐いて───こくり、と唾を飲み込んだ。くっ、と顔を歪めると、もうどれほど流したかわからない涙が、また一粒零れ、ホームに降り積もった埃に、吸い込まれていく───。 「僕は───もう、間違えちゃったんだよ……テツみたいになんて、もうなれないんだよぉ……」 ───だから、もう、放っておいて───。 もう、これ以上にその気持ちを言葉にすることはできなかった。言葉という水を限界まで使い果たし、なおも己が身を振り絞って、最後の一滴として絞り出したエドの言葉から彼の心情を察した一同は、それ以上彼に声をかけることが───そうすることが逆効果になってしまうかもしれないと思い───できなくなってしまう。一度頑なになってしまった心を解かすのは、容易なことではないと、ここにいる誰もが知っていたからでもあった。 (……これ以上どうこう言うのは……あんましウマくねーかもなァ……) ちょっと計算違いだったか、と、ロスは顔をしかめ、一つ小さく息をつく。しかし、自身を戒めようとするエドの気持ちもわからないでもないため、やはりそれ以上に無理に何かしようとすることは、ためらわれた。その場にいた誰もが、ロスと同じように思っていたらしく、何となく寂しさの漂う雰囲気と共に、一同はその場を去ろうという空気が流れ始めた。ロスもまたその空気を察知し、仕方ない、と、コリコリと頬を掻いて、 “……じゃあ、先行ってるぞ。” そう、言おうとした───その時。 「ダメだ。───ほっとかねぇ」 ───と言う者が、一人。 その場にいた誰もが、その場を去ろうとしていた。確かにそのはずだったのだが……しかし、違っていた。 テツは。───テツだけは。心を閉ざし、全てを拒絶し、頑なに自らを責め続けるエドの近くへとずんずんと歩み寄り、彼を見下ろしていた。まるで、エドから離れつつあった皆の気持ちを繋ぎとめるかのように。事実、テツのその行動に、一度は心を切り替えて、ステージの修理へと向けられていた一同の心が、テツに、エドに、再び集まる。座り込み、けしてけして顔を上げ様とはしないエドの目の前に立ち─── 「な、エド? ……やろうぜ、いっしょに」 と、テツは静かに語りかける。彼の心を荒立てないよう、静かに。───ごく静かに。だが、それを見たゼルが、 「バカ野郎、テツ! こーゆうのはな、放っておくのがイチば……」 ───バンッ! 「んむぐっ!?」 顔を真っ赤にしてそう言いかけたのだが……、今度はロスがその武骨で大きな掌で、止めに入る。……もちろん、張り手と呼んだ方がいいくらいの勢いで。「……なんで……俺だけ……?」という、口元を抑えながらうずくまり放ったゼルの不平は、しかしロス達の耳には届くことはなく、ロスはただ、頑なに心を閉ざしている少年に語りかける息子の背中を、見つめていた。 (余計なことを───こういう時ゃ、ほっておくんが一番なんだよ!) 実際のところは───ロスもまた、ゼルと同じことを言うつもりでいたのだ。下手に心に擦り寄るような言動は、エドの神経を逆撫でしかねない。それを恐れ、テツの行動を止めに入るつもりでいた。だが……そのテツの、今までに出したことのないような穏やかな声に、もしかしたら、という希望を覚え、口を閉ざし、耳を傾けると決めたのだ。ロスだけではない。その場にいた誰もが、テツの言葉に、エドの反応に、注目していた。 先程と同様に、激しい拒絶を見せるかと思われたエドの反応は───だが、ごくごく、穏やかなものだった。顔を上げず、テツの言葉にしばらく呆けるように唇を開いた後、たっぷり一分の時間を使って、それをゆっくり、ゆっくりと自身の中に消化していく。いや、染み渡っていく、と言った方が、正しいかもしれない。ともあれ、長い時間を要したそれの後、エドはもう一度、はぁぁ……っ、と、深く息を吐いて─── 「……やっぱり……テツは、すごいね───」 そう、苦笑と、ほんの少しの寂しさも混じえながら、呟いた。テツはくすり、と微笑みながら、「なーにが?」と、やはり、穏やかな声で言う。───それは、まるで心にそのまま入り込んでくるかのような、それでいてけして不快ではないような力を持った声で───エドは、泣き腫らした目のまま、頬には涙の跡を光らせながら、口元には微かに笑みすら浮かべながら───例えそれが、自嘲的なものであったとしても───言う。 「あんなことの後なのに、そんな顔で、そんなことを言えるんだもんね。……さっきも、ガーデンの人達にテツ、ちゃんと“ごめんなさい”って。───“ありがとう”って、言ってただろ……? ……言えないよ? ふつう。言えないんだよ……」 そう言って、エドはすっかりと赤くなってしまった目の周りを、服の袖でごしごしと擦る。 「“ごめんなさい”とか、“ありがとう”とか───。 ねえ、テツは、わかる? たったそれだけを言うことを、どれだけがんばらなきゃならないか……どれだけ、たったそれだけを言うことが、怖くって……勇気、のいることなのか……テツには……わからないんだろうなぁ」 くっ、と、こみあげてきたものを押し遣りながら───エドは、続けた。 「だから───すごいなぁ、って。さすが……僕の憧れてるテツだなあ、って。───そう……思ったんだぁ……」 そう言って───ははっ、と笑って見せたエドの久しぶりの笑顔は、とても、とても冷たく、寂しく咲いて───それを見ていた誰もの胸にも、すうすうと心が痛むような風が走っていく。しかしまた、テツだけは違う反応を見せていて、彼は頬をかすかに赤らめながら、照れ隠しにこりこりと頬を掻いてみせて、 「そ───そっかぁ? 別にふつーだと思うんデスけど……」 と言う。そのテツの反応に、エドもまたくすり、と微笑み、閉ざされていた彼の心を再び柔らかに解きほぐしていく。だがテツは、必要以上に頬を紅潮させて、必要以上に自前のボサボサ頭をバリバリと掻いて、「あ〜……どうすっかなぁ……言っちまうかなぁ……」と、一人身悶えし続けていた。さすがに様子がおかしいと思ったエドが、首を傾げながらテツの顔を見上げると、テツは何やら密かに覚悟を決めたらしく、 「───おおしっ、決めたっ、言うぞっ!」 『いっ───!?』 と、突然大きな声をあげた。二人の静かな会話もあって、しばらくの間静けさの保たれていたホームに唐突に響き渡ったテツの大声は思いのほか大きなもので、一同やエドは、驚きでどきりと心臓を大きく脈打つのを覚えた。 「てめェッ、バカテツ! イキナシでっけェ声出すんじゃねぇよ!」 彼の持ち前の大声を突然に聞かされては吃驚してしまうのも無理はなく……さすがのロスも驚いてしまっていたようで、背中に汗が浮かぶのを覚えながら、そう抗議する。テツは「あ、いやぁー……あははは」と、きまり悪そうに笑って見せると、 「よっく考えたら、エドはずっと言わなかったこと、話してくれたんだもんなぁ。それなのにオレが考えてたこと、話さないのってなんかこー、悪ぃなぁ、って思って。……でもそれさぁ、すっげー話すの、ハズカシーんだよなぁ〜っ。だから、ちょっと気合入れようと思って……や、みんな、ごめんなー?」 本当に申し訳なさそうに手を合わせながらそう言うテツに野次を飛ばす一堂だったが、その『話』をこれから聞かされることになる当のエドは、一体どんな話なのかと、心臓をどきどきと鳴らしながら待っていた。収拾をつけてこほん、と一つ息をついたテツは、エドの目の前にしゃがみこみ、彼と目線をしっかりと合わせると───ぎっ、と、強くエドを、睨みつけつつ、 「いいかぁ? ───こんなの、もう二度と言ってやんねからな?」 そう潔く話し始めたかと思ったら、やはり未だに照れがあるのか、凄みながら言うテツに、エドは(こ、怖い……)と怯えながらも、 「な……なに?」 と、やっとの思いで返す。テツは、もう少しの間、左を見て、右を見て、下を向き、天を仰いだり───。そう、だらしなく逡巡した後、「ええいっ!」と、首を横に振り、雑念を振り払うかのように大声で、 「あのなっ、エド、てめーさっきっからオレのこと憧れてただとかナントカ、言ってたけどなっ!」 やけっぱち、とも取れるような勢いで───テツは、こう言ったのだった。 「おめーにアコガレてたのはなあっ……こっちの方なんだよ! バァカっ!!」 ───え───? 思いがけなかったテツのその言葉に、エドはただ、瞳を見開くことしかできず……返す言葉もないまま、テツを見つめ返すばかりだ。一度言ってしまえば、楽になるかと思いきやそうでもなく、尚も恥ずかしく思う気持ちに身悶えしてしまいそうになるのを何とか堪えつつ、テツは照れ隠しに髪をばりばりと掻きながら、続ける。 「ほら、さっきの! ───ペットボトル・ロケットの話。 あん時、ノブ達連れて、一番にオレに話しかけてくれたの……エドだっただろ。おぼえてねーか?」 「───……」 そう問うテツだったが、しかしエドはそれに答えない。いや、答えられなかった。テツの言葉がただ意外で、呆然とすることしか、できないでいるのだ。そんなエドの様子に気づいたのかそうでないのか───ようやく話を続けることへの抵抗も薄れたのも手伝ってか───テツは一つ微笑んで見せた後、さらに続けた。 「あん頃のオレってさあ、すっげぇヒネてたろ? トモダチとかって、なんか面倒くさいだけだったし、一人で機械イジってる方が、ずっと楽だったんだわ───。……でも、みんなが……お前が『あの言葉』を言ってくれたから、オレ……多分、きっと変われたんだよ」 「……あの、言葉……?」 そう呟いたエドに、テツはうん、と力強く頷き、すっと立ち上がると、空を仰ぎながら───言った。 「“立ち上がれ”。 “さあ、立ち上がれ!”───って。 あの時、オレに手を伸ばしながら言ったお前の声が、オレにはそんな風に、すっげぇカッコよく聞こえたんだ。さっきも話したろ? オレ───その時から、エドみたいになりてぇって、思ってたんだ、ずっと! エドみたいになれれば、きっとみんなと、腹の底から笑える、オレになれる。───そう思って、今日までがんばってきたんだぞ?」 ───ちょっとは、そうなれた……よなぁ? 再びエドを見下ろして、自信なさげに笑いながら、そう付け加えたテツの言葉に、エドは───エドは、ただただ、言葉を無くすばかりだった。目を見開いて、テツを見つめるだけの彼の瞳から、再び一筋の涙が、零れる───。 何も。───自分には、何もないと思っていた。 テツが持つ、誰もが憧れるような技師としての才能や、危険な場所へも平気で踏み入ることができる勇気みたいなもの。誰へも分け隔てなくふれあい、笑顔を共にすることができるような、仲良しの才能みたいなものも、まして、誰かに与えられる『力』なんて───何一つとしてない。そう、そう思っていた。でも───でも今、テツはこう言ってくれている。 “それはお前のおかげなんだぞ”───と。 テツが言う『憧れのエド』は、ずっとずっと昔に置いてきてしまった『自分』だった。今はもう、そんな自分はいないけれど───でも、確かに、こんな自分でも誰かに『力』を与えていたことが、あった。そして、それがあったからこそ、今のテツが在る───。 (僕……僕は……───) エドは、心の中でそう声を漏らし、堪えきれずにホームに座したまま見上げる。そこに───青空を背負った、テツの姿があり、彼が浮かべていた笑顔は、深い深い空の蒼に溶けていくかのように大きく、雄々しかった。テツはすう、とエドに向かってビシッ! と指を指してこう、言った。 「お前、さっきから“テツにはわからないだろ”っつってっけどよ! ジューブンわかるっつの! オレだってそうだったんだからさー!」 指先でエドの額をぐりぐりと意地悪く押しながら言うテツに、エドは「ご、ごめん……」と、本当に申し訳なさそうに謝った。テツはそれを見て、気持ち新たに、というように一つ咳をしてみせて───「だからぁ、」と、続ける。 「だからな? オレ、すっげぇエドには感謝してるんだぞ。オレを変えてくれたから。どんだけ“ありがとう〜!”って言ってもきっと足りないくらいに、すっげぇ、すっげぇ“ありがとう!”って……ほんっと、思ってるんだ」 と、話していたテツもまた、瞳に涙を滲ませる。しかし、けしてそれを零すことなく、涙を、笑顔に変えて、テツは、続けた。 「───だから、もっかいだけ、“ありがとう”って言っとくな。 ……『この言葉』、やぁっと言えるようになれたから。」 そう言って───テツは、エドに手を差し伸べ、こう───言うのだった。 「───────────────。」 もう───言葉は、いらなかった。 エドの瞳からは再び涙が溢れ、嗚咽が唇から零れ落ちる。 震える唇を噛み締めて、震える体を必死に奮い立たせて。 エドは、差し伸べられたその手に、ゆっくりと手を伸ばす。 テツは、そのおずおずと差し出された手に、 再び自ら手を伸ばして、力強く握り締めた。 顔を上げ、テツを見上げるエド。 そんなエドに、大きな笑顔を咲かせて見せるテツ。 ───うん……うんっ───! 「ごめんっ……テツ……みんな……ごめん、ごめんなさいっ……」 そう言いながら、涙を零しながら、 何度も、何度も頷いて───エドは、立ち上がった。 そう───立ち上がる。 ただそれだけのことだったというのに。 涙を拭い再び仰いだ空は、エドにとっては何故か、とても大きく、そして、とても近くに、見えたのだった───。 |