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by 異界返り
大きな岩が折り重なり、町並みが不自然に途切れた場所でその男は足を止め、きょろきょろと辺りを見回した。 「一体いつになったら出られんだかなぁ。ここなんか、今すぐにでもガバーッと開きそうな気がするんだけどな…」 外へと通じていた道が、爆破か何かによって塞がれたのだろう。いくつもの岩の下敷きになって崩れた建物が、1000年前の動乱を思い起こさせる。 ワッカは今日何度目になるかわからない、大きなため息をついた。 この場所に閉じこめられて、もう何日になるのだろう。 仮眠をとった回数からいっても、決して短い時間ではないはずなのだが、全くと言っていいほどカンが働かない。 「…まさか閉じこめられたまんま、ジジイになってくってか?」 瞬間肩をすくめ、ぶんぶんと首を振ったところを見ると、それだけは何としてでも避けたい選択肢のようだ。 魔物に喰らわれて死ぬのとどう違うのかと問われても、返答に困るのだろうが。 地下洞をあてもなくさまよい、疲れ切った挙げ句野営地へと戻る。天性の楽天家であるワッカと言えど、徒労とも言えるその繰り返しに焦りを感じ始めていたが、目下彼にはそれに勝るとも劣らず、気にかかっていることがあった。 いついかなる時にも、正確に時間の経過を告げるはずの腹の虫が、近ごろ妙におとなしいのである。 ここに来てからというもの、わずかな保存食しか口にしていない。ヒトと言うよりはロンゾのそれに近い体躯を持つ彼にとって、どう考えても充分な量と言えないはずだ。 「あんたの年じゃ、そんなに食べたって横に広がるだけよ」というルールーの冷たい指摘にも屈せず、毎日育ち盛りのティーダに張り合ってついつい詰め込んでしまってもびくともしない、卓越した内臓器官であるのにもかかわらず。 めっきりとつつましやかになってしまった腹をさすりながら、ワッカの物思いは最年長の仲間へと飛ぶ。 「それにしても、アーロンさんはすげーな。とても同じ人間とは思えねぇよなぁ。」 慣れない環境で仲間達が蓄積された疲労の色を徐々に濃くしていく中、ただ一人泰然と構える姿を思い出す。いや、その神経はますます研ぎ澄まされているような気さえするのだ。 「やっぱ、伝説のガードと言われる男はひと味もふた味も違うよなぁ。」 うん、あの姿はブリッツにも通じるよな。…と一人で感嘆しては一人で納得し、しきりに頷いている。ケリをつけたと言っておきながら、思考の中心が未だブリッツにあるということに気づいていないのは、本人だけのようだった。 そろそろ引き返そうかと思った矢先、背後からだしぬけに聞こえてきた何かが崩れる音に、ワッカは全身を緊張させた。 頭の中でひとぉつ、ふたぁつ、みっつと数え、呼吸を整えると、愛用の武器を握りしめて振り返った。 息を詰めて見守ること、さらに数秒。……小さな生き物が、かさこそと視界の隅を横切ってゆく。 拍子抜けした瞬間、ここに魔物の気配はないはずということに遅まきながら気がつき、思わず天の方向を仰いだ。 「お、おどかすなって。」 乱暴にがしがしと頭をかき回す手が、ふと止まった。眉根が寄り、視線が一点に集中する。 動物が飛び出してきた廃墟の奥に、何かがいる。薄暗がりの中、がれきにもたれかかっているように見える漆黒の影。 あれが探し求めていた死人なのだろうか。おっかなびっくりと近づいていったワッカの心臓がはね上がった。 「ルー!」 急いで駆け寄り、小さく上下する肩に触れると、ルールーがわずかに顔を上げた。 「……ワ……カ?」 「どうした?…具合、悪りぃのか?どこだ?」 光のとぼしいこの場所でも一目で見てとれる、土気色の顔。薄く開かれた目は力のない光をたたえ、ぼんやりとワッカを写している。 「頭が……痛くて……あと、吐き気が少し…」 ワッカが取り出したポーションに気づくと、汗にはりついた前髪をけだるく掻きやり、小さく首を振った。 「たぶん、無駄…きっと、場所のせい…出られれば、よくなる、はずだから…」 無理に起こそうとした上半身が、ゆらりと宙を泳いだ。慌てて抱きとめたワッカの腕の中で、ぜいぜいと繰り返される荒い呼吸。 「お、おいルー!!」 「……大きな声、出さないで。それとお願い、しばらく…、こうさせていて……」 気力を使い果たしてしまったかのように、ふっつりと言葉は途切れ、ルールーの身体から力が抜ける。 彼の心配が得体の知れない恐怖へと変わっていったのは、半信半疑で試してみた白魔法とポーションが、何の効果もあらわさないとわかった時だった。 呼吸はますます浅く早くなり、意識の途切れた身体は少しずつ冷たくなっていく。 数え切れない魔物を屠ってきた、希有な力を持つはずのワッカの腕が、小刻みに震え始めていた。 ずっともの言いたげだったユウナの視線と、事あるごとに「まじ、気づいてないの?」と尋ねてきたリュックの顔が、交互にフラッシュバックする。 苦い苦い後悔が、ワッカの胸を覆う。 この意地っ張りな幼なじみに無理にでも休養をとらせるのは、誰を差し置いても自分でなければならなかったはずなのに。 自らの弱みを見せるのを極端に嫌う彼女の性癖を知り抜いていたからこそ、体調の悪さを見て見ぬ振りをするのが自分流の気づかいだと思ってきたのが、今回はそれが完全に裏目に出た。 思い描いた最悪の事態を即座にうち消してみても、幾多の異界送りに立ち会った彼の五感はひたよせる死の匂いを敏感に感じ取り、心の中ではひっきりなしに警鐘が打ち鳴らされ続けている。 ――――みんな、俺を置いて異界に行っちまうのか?親父におふくろ、チャップ、今度はルー、お前まで………? 今にもかき消されそうなルールーの命の炎に反応したように、いつしか彼らの周囲には、幻光虫が集まり始めていた。 不吉な色でまたたく群れを追い払おうとするワッカの努力も空しく、光は徐々に数と明度を増していく。 ――――……冗談じゃねぇ…もう、置いていかれるのはたくさんだ……!! その時、声にならないワッカの叫びに呼応したかのように、幻光が虹色から白へと変わった。 『…だいじょうぶ?』 直接頭の中に響いた声に、ワッカは唐突に自分を取り戻した。 同時に、腕の中のルールーが、同じ色の光に包まれているのに気がついてぎょっとする。 急に強まった光に、反射的に強く目を閉じた瞬間、再び幼い声が聞こえた。 『…だいじょうぶ?お姉ちゃん?』 風が吹くなどありえないはずの空間に、ありえないはずのものが轟と走り、圧倒的な風量がワッカの呼吸を一瞬奪う。 やがて空気の流れがおさまるのを感じ、おそるおそる片一方の目をこじ開けた彼の前に立っていたのは、見たこともない一人の少年。 中腰になっている自分とほとんど変わらない高さにある深青色の瞳が、しげしげと二人をを見下ろしていた。 完全に消えた光と入れ替わるように、ルールーの目がゆっくりと開けられる。 「ルー………??」 名前を呼んだきり、言葉もなく硬直しているワッカに、ルールーは身体を起こすと、かすかにうなずいてみせた。 相変わらず顔色は紙のように白いが、呼吸は正常に戻り、弱々しいながらも笑みまで浮かべている。 乱れた髪をなでつけ、手近な岩に座る彼女の様子を見て、ワッカはへたへたと腰を下ろすと、大の字に寝転がった。 「………助かった………。こっちが死ぬかと思ったぜ。」 安堵のあまり、水分の飛んだ声が裏返っている。 「……何よ、大げさなんだから。」 異界のとば口から引き戻された彼女の第一声は、すこぶる不機嫌だった。 その気性から推し量るに、やはり自分が醜態をさらしてしまったとでも感じているのだろうか。 気恥ずかしさを隠そうとするあまりの素っ気のない様子は、彼女の挙措を一足飛びに子供じみたものへと変えてしまっている。 世知に長けたはずの彼女が、ワッカの前だけで見せる、淑女の仮面を外した姿。 思わず微苦笑を浮かべたワッカに、彼女はますます態度を硬化させようとしたが、興味津々といった幼い視線に気づき、慌てて居住まいを正した。 初対面の少年に向き直り、あらためて頭を下げる。 「…ありがとう、あなたのおかげね。」 瞬間、小さな顔に広がる満面の笑みに、意外な思いにとらわれた。 ルールー達はこの地の幻光虫、ひいては死人が自分たちを足止めしていると推測していた。 すなわち、生き埋めにされた彼らの怨念が出口を閉ざし、加えて自分の体調不良は、魔力によって増幅された負のエネルギーによるものなのだろうと。 しかし、にこにことルールーを見つめる少年からは、禍々しい気が全く感じられなかったのである… 自分たちの生死の鍵を握る者を前にして、流石のルールーにも緊張が走る。 ワッカはと横目で見てみれば、以外にもその表情にぎこちなさは見られない。交渉事はルールーの役目とはなから決めつけているように見えるのは、あながち気のせいではないらしい。 まったくいい気なものだ。子供だからといってあなどるな、とアーロンから釘を刺されたのを忘れたわけではないだろうに。 その助力をあっさりと諦めたルールーははつとめて何気ない風を装い、問いかけた。 「もしかして、私の仲間が会ったっていう子はあなた?」 『ええっと、たぶん。仲間かどうかは知らないけど、男の人と女の子になら会ったよ。』 かすかに語尾の上がるこの口調は、確かに光球から聞こえたものと同じ。 「男の人と女の子、か。間違いねぇな。」 リュックとアーロンの話を思い出して、したり顔で頷くワッカとは対照的に、少年はぶるりと身体を震わせた。 『あの男の人、何?ものすごいケガをしてて、流れてる血で身体中真っ赤で。』 「ケガぁ?!」 すっとんきょうな声を上げたワッカに、少年は真剣に頷いてみせた。 『ほんと怖かった…。今すぐにでも動けなくなりそうなのに…もう歩くこともできないのに、ちょっとずつ、ちょっとずつ地面を這って……前に進もうとするのをやめようとしないんだ。…あれ、一体何だったんだろ。』 「ケガ、ねぇ…そりゃあれほどの人だから、昔にゃそんなこともあったかもしれねーけど。」 揃って首をひねる二人に、こともなげにルールーが答えを提示した。 「アーロンさんは前にも一回、ガガゼトを通っているわ。それにここの幻光虫の数…。この子が見たのは、10年前のアーロンさんね、きっと。」 だよな、とワッカが何の疑問も抱かずに賛同した推測だったが、それは半ば当たり、そして半ばはずれていた。 自らの血でガガゼトの雪を染め、地をいざり進む彼の姿が、ブラスカのナギ節到来以後のものだとは…神ならぬ身の彼女に思い当たらないのも無理のないことであった。 「まさかリュックは、んな大変なことにはなってなかったよな?」 『その人の前に会った子?ううん、全然。すごく優しかったし。』 「優しい?どっちかっつーとそーぞーしいの間違いじゃねーか?」 『優しいよ。会った時に“見えた”もの。困ってる人を見たらほっとけない子じゃない?すっごく好きな人がいて、その人のためにがんばってる。自分のことはいつも二番目にしてね。』 ふーん、と何気なく相づちをうったワッカであったが、ふとイヤな予感が頭をかすめた。 「み、“見える”って、頭ん中がか?……まさか今俺が考えてることも……」 せきこむように問いかけてくる様子がよほど滑稽だったのか、少年はニヤリと笑った。 『知りたい?教えてあげようか?遠慮しなくてもいいよ、おっさん。』 「お、おっさん?!」 おうむ返しに自分の顔を指さしたワッカは、次の瞬間猛反撃に出た。 「冗談ぬかせ!俺ぁまだ23だ!」 『ふぅん、ならじゅーぶんオレの倍はおっさんだけど?』 「お前、すっげー昔の人間なんだろ?なら俺よかずっとジジイじゃねーかよ?!」 唾を飛ばしてわめくワッカに、少年は握りこぶしから一本立てた人差し指の先を、鼻の頭に当てた。彼をからかうつもりなのが、わざとらしい所作からありありと見てとれる。 『こ・え・が・お・お・き・い・よ。だいたい、病人の前で大騒ぎするなんて非常識じゃないの?』 「……〜〜〜!!」 所詮口では敵わないと悟ったワッカは、早々に実力行使に出た。 すなわち…… 『放せぇー、放せってば!暴力反対!!』 「やかましい!言うにコト欠いて、いちいちへらず口叩きやがって!」 身をかわそうとした少年を素早く掴まえ、首筋を締め上げるワッカ。シメられている方はじたばたと身をよじるが、鍛えあげられた二の腕はびくともしない。 黙って一部始終を見守っていたルールーは、思わず額に手を当て、首を振った。 一体この男は「死人と会って話をつける」の意味を、どう考えているのだろう。 是が非でも説得せねばならない相手(しかも子供)に本気で腹を立て、あまつさえ攻撃を加えるとは… 握りしめたこぶしを震わせるルールーの額に、ぴしりと青筋が浮かんでいた。 「ほれほれ、どうした?これからは口のきき方に気をつけます、っつーなら放してやってもいいぜ?」 意地悪くつり上がった口元を、キラリと光った何かがかすめる。無意識にその方向に目をやったワッカと、つられて顔を上げた少年は揃って顎を落とした。 すぐ後ろの岩盤に突き刺さり、小刻みに振動するのは……ルールーの髪飾り。 「…あんたの方がよっぱどうるさいわ。次は当てるわよ?」 二本目の髪飾りを引き抜くルールーの柳眉が逆立っている。 その物騒な表情に、ワッカは笑みを凍りつかせたままこくこくと頷き、“母ちゃんより怖えぇ…”と呟く少年を解放したのだった。 ルールーの後ろへ回り込み、舌を突き出す子供を見て、ワッカはげんなりと肩を落とした。 「…ルー、お前こいつをかばうのかぁ?」 「かばうも何も、この子は私の恩人じゃない。だいたい子供相手にむきになるあんたもあんたよ。」 情けない声で申し立てられた苦情を、ルールーは即座に却下した。 「だいたいお前、さっきまであれほどフラフラだったくせに、何だってこいつのおかげだって言い切れるんだよ?」 「何言ってるの、さっきまでとは全然空気が違うじゃない。この子が来る前はどこに行ってもどろどろした怨念が渦巻いていて…我ながらよく今まで我慢できたと思うわ。」 さも当然と言わんばかりの答えに、ワッカは眉間に皺を寄せ、首をひねる。 「そーなんか?…よくわかんねぇよなぁ……言われてみりゃ何となーく息苦しいっつーか………」 「私の場合、黒魔法の魔力が過反応したようね。みんなはそれほど違和感を感じていないみたいだし、何よりあんたは鈍感だもの。」 にべもなく言い放ったルールーにも、今日のワッカはひるまない。 「ドンカン大いに結構!俺、今度だけはニブくてすっげー幸せだって思うぜぇ、マジで。」 …と、大真面目に切り返す。何より彼女のあの苦しみようを思い出すだけで、勘弁してくれと叫びだしそうになってしまうワッカであった。 「まぁそーだな、ルーが元気になれたのは確かにこいつのおかげ、と。でもお前なぁ、だいたいこーんな簡単に直せんなら、もーちっと早く出てきてくれてもよかったんじゃねーかぁ?」 おっさん呼ばわりされたショックがまだ尾を引いているのか、ねちねちと問いかける声は心なしか暗い。 『そんなこと言われたって、オレそんなことができるだなんてわかんなかったもん。さっきだって、あ、誰かいるなって思ったら、死ぬんじゃねぇ!!って、ものすごい叫び声が聞こえてきて……ここからね。』 小さな人差し指を胸に突きつけられてオタオタするワッカの様子に、ルールーの頭の中でカチリと何かのピースがはまった。 なるほど、彼が近づいて来たのは、ワッカの声なき声がきっかけだったらしい。 それにしても彼が来て以来、一変した周囲の空気。その持ち合わせた感情が正か負かで、死人はここまで空気の性質を変えられるものなのか…。 『それで元気になってほしいなって思ったら、お姉ちゃんが目を開けてさ。』 優しいのね、と微笑むルールー。 『オレの母ちゃんもずっと大変そうだったから。…病気じゃなかったんだけど。』 「ええ、リュックから聞いたわ。妹さんがお腹にいたから……でしょう?」 『そう。で、心配してるおっさんが、まるで父ちゃん見てるみたいで。オレの父ちゃんすっごいヒトでさ。おっきな機械を大勢で動かすんだけど、父ちゃんがいないと仕事にならねえって、みんなに言われてて…』 それまで勢いよく流れていた少年の言葉が急に止まった。心底困り切った色を浮かべた瞳が、上目遣いに見上げてくる。 一瞬何事かと訝しんだワッカは、ああそうかと思い当たった。 「みんな、俺を置いて………」と吐露してしまった心の奔流を、少年は思い出してしまったのだろう。 かける言葉にひとしきり迷って、挙げ句ワッカはバシバシと少年の肩を叩いた。 「わかっちまったか、ってかぁ?」 『何となくだけど……ごめん。』 「俺のことなら気にすんな、今頃三人とも異界で仲良くやってるさ。」 何気なく答えたワッカを見て、とまどったような表情が幼い顔に浮かぶ。 『おっさん、自分の父ちゃんや母ちゃんに会いたいって思わないの?』 「そりゃ、思わねぇって言ったらうそになるけどな。だがな、今の俺はユウナをザナルカンドまで連れてくっつー仕事の途中だし。それに正直言っちまうと俺、親父とお袋の顔もよくわかんねーしな。」 『そう、なんだ…………。』 長い間隔をおいて返された言葉は、先刻までには感じられなかった湿り気を帯びていた。 「お、おい?」 『オレ……は、会いたいなぁ…………。すっごく、すっごく…………。』 大きな瞳を潤ませた涙が、音もなく頬をすべりおりた。 小さな全身から発散される、悲しみの波動。 が、ルールーの体調を慮っているのか、負の感情を懸命に押し殺そうとしているのが痛いほど伝わってくる。 『……オレ子供だしさ。それに正直言っちまうと、こ〜んな長い間別れ別れじゃいい加減会いたくもなるし。』 おどけてワッカの口まねをした唇が、きゅっと噛みしめられる。 「おっまえ…なあ、もうそれくらいにしとけって。」 涙を流しながら無理に笑顔を作ろうとする少年を、ワッカは乱暴に抱きしめた。 「お前…ガキのくせして、素直じゃねぇよ。泣きたい時にガンガン泣けるのはガキの特権なんだからよ。」 まぼろしの固まりであるはずの華奢な身体から、確かに震えが伝わってくる。 この感触は覚えがあった。……毎夜のようにむずかるチャップを抱きしめ眠りについた、遠い遠い記憶。 小さい頃から口が達者だった亡き弟は、顔も知らない両親に会わせろと、ずいぶんとワッカを困らせたものだった。 そんな自分と同じ心の痛みを持つ子供が、たまらなくいとおしくなる。 「無理なんかするんじゃねぇ、ガキはガキらしく泣けるだけ泣いて、その後は腹一杯メシ食って、くったくたになるまで友達と遊んで、いつでもでっけぇ声で笑ってりゃいいんだ…」 『おっさん、オレもう死んでんだけど…』 しゃくり上げながらも冷静につっこみを入れる子供の声を聞きながら、ワッカの中には新たな旅の目的が根を下ろしていた。 「いちいちうるさい奴だな。これから俺達がザナルカンドに行って、探してやるさ。お前みてーな子供を一人でも減らすための、その答えをな。」 ぞんざいな口調であるものの、限りなく暖かなその言葉。 『そうなんだぁ…わかるといいよね、その答え。』 少年は泣き笑いの顔でこくりとうなずくと、ワッカの胴に両腕を回し、力をこめた。 まるで自分には失われて久しい、人のぬくもりを懸命に思い出そうとするかのように。 ルールーは、何とも複雑な気持ちで二人を見つめていた。 少なくとも自分ならば、言葉をつくして少年をなぐさめることもできた。 だがワッカの朴訥な言葉は、それをはるかに上回る心の安らぎを、いとも簡単に与えてしまう。 自分の計算も何もない言動が、どれだけのかけがえのないものをもたらしているかということに全く気づかずに。 知識を駆使したどんな言葉もこの男には敵わないことを悟ったルールーは、微妙に沸き上がった嫉妬心を厭うように、小さなため息をつくのだった。 「おろ?」 『あれ?』 少年が見覚えのある白い光に包まれて、ワッカの腕から浮き上がる。 『えっと、どうやら行かなきゃいけない、のかな…。』 「行く?」 『たぶん…父ちゃんのとこ。きっと母ちゃんも、妹もいると思う。だから心配しないでいいからさ。』 「そか…。」 この地下都市に固執する理由がなくなったのだろう。執着がなくなれば、死人は異界へと旅立つことができる。家族が待つ、本来のあるべき場所に。 こぶしで涙をぬぐった少年はふわりと下降し、ルールーに抱きついた。 『お姉ちゃん、元気で。』 「ええ、こうしていられるのもあなたのおかげよ、ありがとう。」 『へへ、いいって。おっさんもありがとな。』 「だーかーらー、俺はおっさんじゃねぇ!!」 声を立てて笑った少年はルールーから離れると、ワッカの耳元に何事かをささやく。 そして口をぱくぱくさせたワッカを見てもう一度満足そうに笑うと、彼の身体は空気に溶けていった。 白の光に変わって、閉ざされた空間を虹色の光球が支配しようとしていた。夜――確証はないがそう推定している時間――がやってきたのだろう。 「ねえ………そろそろ戻らないと。」 「………だな。あいつもいい加減目ェ覚ましてるかもしれねぇし。」 ううん、と大きな伸びをして立ち上がったワッカは再び屈みこむと、有無を言わさずルールーを抱え上げた。 小さく抗議めいた悲鳴を上げたルールーに、首を横に振る。 「今日はだめだ。お前、いつだって周りに黙って無理しちまうだろ?こんな時くらい、お前の心配させてくれって。」 ワッカの今にも泣き出しそうな声音に、ルールーはほんの少し目を見開き、驚きの表情を作った。 思いの外安定感のある腕の中は奇妙に居心地がよかったし、裏表のない言葉は心の奥底まですとんとおさまってゆく。 素直に嬉しかった。が、生来の甘え下手が災いし、口をついて出るのは気持ちとは裏腹な、無粋な台詞。 「…一体どういう風の吹き回し?あんた、そんなに私を病人扱いしたいわけ?」 「つか、立派な病人だろ?だいたいお前、一人で歩けんのかよ。」 疑わしげな視線に、珍しくルールーは不敵な笑みを唇の端にのぼらせると、握りこぶしをとん、とワッカの胸につけた。 「歩けんのか?じゃなくて歩くの。あんたにはともかく、ユウナ達にこれ以上心配かけるだなんて、死んでもごめんだわ。」 「へーへー、りょーかい。」 根負けしたワッカの腕から解放されたルールーは、ドレスの裾をばさりとさばき、何事もなかったように歩き出す。 ワッカは、今さらながらにその精神力に舌を巻いた。 多少なりともよくなったとは言え、いつも通り振る舞うには相当辛いだろうに。 苦笑したワッカは、無精ひげの生えかけた顎をひと撫ですると、大股にルールーの後を追いかけていった。 「ねえ、そう言えばさっきあの子何て言ってたの?」 ルールーの質問に、横に並んで歩くワッカは、何故かうっと言葉を詰まらせた。 「あ?…あ、ああ。…あいつな、“今度生まれてきたらお姉ちゃんの子供になりたい”だとさ。またずいぶんと好かれたもんだな。」 「可愛かったわね、あんな子なら息子に欲しいわ。」 それだけはやめとけと言うように首を振るワッカに、ルールーはにこりと笑ってみせた。 黒魔導士でも召喚士ユウナのガードでもない、母性に溢れた当たり前の一人の女としての微笑み。 それは、飽きるほど彼女の顔を見ているはずの自分ですら始めて目にする、慈愛に満ちた笑顔だった。 ぽかんと口を開けたワッカの脳裏に、少年の最後の言葉がこだまする。 『また、生まれてくるようなことがあったら…今度はお姉ちゃんとおっさんの子供になってみたいな。』 何気ない一言だったのか、それとも他に含む所があったのか、今となっては確かめるすべはない。尤もどちらの意図にせよ、朴念仁のワッカにはとてもその言葉をルールーに伝える勇気はなかった。 野営地に戻った二人を迎えた仲間達は何も言わなかったが、朝の状態とは明らかに違うルールーの様子に、揃って安堵の表情を見せた。 「そうなんだ〜、じゃああの子、家族のとこに行けたんだよね、きっと。ほんっとよかったよねぇ?」 彼女の報告を受けて、最年少のガードが真っ先に喜びの声をあげる。 「それに根拠はないんだけどさ、何だか、もーちょっとって気、しない?」 リュックが指摘するまでもなく、今や確実に、洞窟内の様子は変わり始めていた。 何よりも重苦しくよどんでいた空気が、ずいぶんと薄らいでいる。 これならば強烈な吐き気も、あの脳髄が引きちぎられるような頭痛も、しばらくは再発せずにすみそうだと、ルールーは密かに胸をなでおろしていた。 だが何人もの仲間が死人たちに遭遇しているというのに、未だ出口は見つからず、ティーダが目覚める様子もないのはどうしたわけか。 眠り続ける少年の頭に手を置いて、ユウナが首を傾げた。 「そう、だよね…。私も、今すぐにも何かがおきそうな気がするんだけど…。何が足りないのかな。」 その言葉を聞いて、武器の手入れをしていたワッカが、立てた人差し指をちっちっと左右に振った。 「そりゃー、何だ。きっと俺達全員が、ここのヤツに顔見せしてねーからじゃねーか?まあ成り行きで迷い込んじまったこととはいえ挨拶もナシじゃ、そりゃぁヘソ曲げるってもんだろ?」 一斉に黙り込んでしまった仲間達に、ワッカは急に心配になった。 「も、もしかしてよ、みんな怒っちまったか?悪りぃ!…俺、また考えなしにヘンなこと言っちまって……。」 慌てたワッカの言葉を、ちっがーう、とリュックが遮った。 「もーワッカったら〜、そーじゃないよ!……ねぇルールー、今のって、もしかしてもしかするんじゃない?」 「そうね、何かの理由で私たちを引き止めようと…あわよくば引き込もうとでも思っているのかも…」 真剣な顔で意見を述べる二人の様子に、ワッカの喉がごくりと鳴った。 何気ない軽口のつもりが、瓢箪から特大の駒を振りだしてしまったのか。 だがワッカとしては、自他共に認める“非”頭脳派たる自分がほんの冗談で口にしただけのこと、一々大仰に構えられてはいささか尻が落ち着かないのである。 「あ、アーロンさん、何とか言ってやって下さいって!」 ワッカが救援を頼んだ伝説の漢は、無言で傍らに置いてあった太刀を膝の上に持ち上げた。 左手の中指で、くいと眼鏡を押し上げると、隻眼を閉じる。 挟む異論のない時の、いつものアーロンの仕草だった。 「お、おい、このワッカさんの可愛らしーい冗談なんだから本気にすんなよ。なぁキマリ?」 中途半端な笑顔でロンゾの青年を最後の砦とするワッカ。だが寡黙な獣人が口を開く前に、勢いよくユウナが立ち上がった。 杖を拾い上げると、足早に歩き出す。 「ユウナ!」 鋭く声をかけたキマリに、召喚士は振り返った。その二色の瞳によぎるのは緊張と不安、そしてそれを懸命にうち消そうとする確固たる意志。 「私、行ってきます!私が会って話をすれば、本当に出口が開けるのかもしれないし…。」 最も気にかけている者の名はあえて口に出さず、再びユウナはきびすを返そうとする。が、彼女を守護する者達は、異口同音に首を振った。 「今から?やめなよ!おっちゃんも言ってたじゃん、もしユウナんに何かあったらどーすんのさ!」 「あんな活性化した幻光虫の中になんか、行かせられないわ。少しくらい遅くなっても構わないから、せめて朝になってからにしなさい。」 ルールーとリュックに説得され、ようやく思いとどまったユウナを見て、ワッカはほっと息をついた。そんな彼にアーロンの声が追い打ちをかけるように響く。 「機が熟せば嫌でもわかる。楽しみに待つことだ。」 ぽつりと洩らされたその言葉に、今度こそワッカは意味不明なうなり声を上げてしまったのであった。 その後、野営地で横になったルールーは、少年の最後の言葉を思い出していた。 ――――お姉ちゃんの子供、か…。一体そんな日が来るのかしらね…。 うとうとと眠りに落ちたルールーの心はふるさとへ飛んでいた。 ナギ節到来後に母親となり、ビサイドの浜で走り回る息子を眺める夢。 誰一人欠けることのない仲間と共に、一点の曇りもない幸せに囲まれている自分。 そして隣に腰を下ろしている子供の父親…ワッカの溶けそうな笑顔を見た瞬間、夢は途切れた。 ルールーは、動揺した顔を見られないよう、慌てて顔を袖で覆った。 頬に、ゆっくりと熱が集まっていく。 ――――……私ったら、何バカなこと…… そう、これはいっときのはかない夢。 一刻も早く出口を探し出し、ザナルカンドを目指さなければならないこの大事な時に、何と不謹慎な想像をしてしまったのだろう。 第一、平和になった世界にユウナがいることはあり得ないはずなのに…。 が、その光景はあまりにも平和で、あまりにも幸せで、即座に手放すには到底忍びなかった。 眠気と困惑と羞恥とがないまぜになった、もうろうとした意識の中で、ルールーは思い悩む。 今再び眠りに落ちるまでの、このほんの短い間だけ、甘えた夢を見る自分を許してみようかと。 |