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〜 【Relational Novel】 〜

【競作リレー】 FFX ・ いにしえの夢

(二日目) キマリ





by 春告鳥





「小さいロンゾ、弱いロンゾ!」
「御山は弱く小さい者を嫌う」
「哀れなキマリ、惨めなキマリ!」
「うはははは!」

成年のツノに生えかわっても、キマリの背は伸びなかった。
ロンゾの女たちより小さいキマリに、黒毛のエンケはあからさまな罵声を浴びせ、金毛のビランは声高に嘲笑う。二人は若者の中でもとりわけ身体が大きく、力も強い。そんなビランに、キマリは一度も勝てなかった。何度戦いを挑んでもなぎ倒される。
ビランは御山のように強く雄々しく、キマリの前にそびえ立つ。

「素直に負けを認めろ、キマリ」
「キマリは負けない。ビラン大兄に必ず勝つ」
「小さいロンゾは頭もおかしい。敗北がわからない」
「女のロンゾにツノはない。ビランがこうしてくれようぞ!」
「何をするっ!」
ビランはキマリの、額のツノに手をかけた―――。
「うおぉぉぉ――」




少年時代の悪夢にうなされ、キマリはハッとして目を開けた。幻光虫が緑色に光る帯を引き、すうっと目の前を横切っていく。その行き先を目で追うキマリの視界には、眠っている仲間たちの姿があった。実際には殆んど眠れず、身体を休めているだけのようであったが。
ガガゼト山の地下深く、閉じ込められてしまった洞窟の街は、しんと静まりかえっている。野営地にしたこの広場を揺らす風もなく、まわりの空気は澱んで重くのしかかってくるようで、息苦しささえ感じてしまう。
ルールーが言っていた、この街の住人たちの残留思念の仕業なのか、さっきから辛い記憶ばかりに思考を占領されている。あるいは10年振りの帰郷が、無意識にキマリの気持ちを高ぶらせているのだろうか。
悶々とするキマリの胸中に、今度は数日前の出来事が浮かび上がっていた。




「キマリ=ロンゾ、見事なり!」

ロンゾの強者ビランとエンケ、二人に挑んだ因縁の対決にキマリが勝利した瞬間だった。ビラン大兄は言う。寺院からの追っ手はロンゾが食い止め、ユウナの後ろからくる敵はロンゾが倒すと…。エボンの聖なる山を守護する我ら一族が、エボンの反逆者となってしまった召喚士ユウナを守ると言うのだ。
ガガゼトの山間に木霊(こだま)していく同胞たちの(はなむけ)の歌は、キマリの心を打ち震わせる。二度と帰れるはずもないと思った故郷が、キマリを迎えてくれていた。

ロンゾの、獅子に似た風貌と毛で覆われた肉体は、極寒のガガゼトに耐えうるためだ。吹きすさぶ寒風も、凍りついた雪原も、みんなキマリには懐かしい。そのふところに抱かれてキマリは生まれ育ったのだ。
暖かくのどかな南国のビサイド島から、遠く……最北にそびえ立つ霊峰ガガゼトを何度夢に見たことだろう。背を向けて捨てたはずでも心の中にいつもあった。

キマリは、わかっている。ビランもエンケも御山も、厳しく険しいだけではないと。
キマリには、わかっている。故郷は優しいものだと―――。




あたりには無数の幻光虫がゆらゆらと浮遊していた。それはキマリの記憶に群がってくるようで眠らせてもらえない。忘れたいことばかりが走馬燈のように頭の中を駆け巡り、うんざりするほど心は痛んだ。そんな胸のうちを仲間たちには悟られまいとキマリは思う。余計な心配をかけたくはなかった。

一行が野営地にしたこの広場は街のちょうど中心に位置するようで、少し小高くなっていてここから街を望むことができる。日の光は届かないが点在する光る石の街灯が、不思議なくらい明るく街を照らし出していた。
広場の野外ステージだったらしい建物の―――もう壊れて壁が残っているだけの―――土台の上にティーダを寝かせている。
ティーダはまだ目覚めない。強烈な光の衝撃に気を失ったままだった。
横たわった少年のかたわらにはユウナが付き添い、祈るような眼差しを向けている。その近くには、美麗な顔を曇らせて腰を下ろしているルールーと、落ち着かない様子のワッカ。隻眼の男アーロンは壁に背を預けるように佇み、一番年下の少女は……足元に転がっている、朽ちてボロボロに剥げ落ちたプレートと対峙していた。

「レ…ギ……タ…広場?」
「レギスタン……たしか、この街の名だ」
しゃがみこんで囁くように呟いたリュックの言葉を、キマリが受ける。
「あ、キマリ。ごめん、起こしちゃった?」
「いや、起きていた」
「そっか。んじゃさ、この街って……。あ、いいや」
溢れ出す好奇心をリュックは胸にぎゅっと押し込んだ。またうっかりつっこんで答えられないキマリを見るのは気がひける。
「リュック、どうした」
「えっと……だって、おっちゃんが睨んでるし―――わかってるよ、他人の知識をあてにするなでしょ!」
最初はキマリに、そのあとはアーロンに向かってリュックは言った。
「ふん。他人(ひと)のせいにもするな」




眠れない夜をやり過ごし、仲間たちは自然とユウナのもとへ集まってくる。
あたりを見回してルールーが言った。
「朝になったようね」
「え? どーして、わかるの?」
「幻光虫が、少なくなったわ」
キマリがそれに補足するように、語を繋ぐ。
「幻光虫は夜、活発に行動する」
「あ、そっか」
「なんかいい加減だなぁ、おい」
「時間の経過を判断するには、それしかない」
「太陽がないもんねぇ、ここは」

リュックの言葉に、仲間たちは閉ざされた洞窟内をぐるっと見渡した。
生活に不自由しない明るさはあるけれど、日光は射さない、雨も降らない、仰ぎ見た頭上に空はなかった。そんな場所でずっと暮らしてきた人々は、いったいどんな気持ちだったのだろうか。空洞に漂っているどんよりとした気配は、仲間たちの胸に言いようのないやるせなさを感じさせている。
広場を埋め尽くすほどだった幻光虫の妖しい光は確実に薄れてきていた。朝が近づき、大気中にある幻光の濃度が弱まって光が見えにくくなったということだろう。

「けど、一夜明けても状況は変わってねーみたいだな」
「だよねぇ」
「それにしても腑に落ちないわね。水が一気に引いてしまったなんて、どういうことかしら」
「で、地面や建物が濡れてねーっつーのも妙だよな」
「この街に、魔物の気配も感じない」
ルールーとワッカに続き、キマリも素朴な疑問を口にする。幻光虫が飛び交ってはいるものの、モンスターは皆無だった。

「いずれにしても……ザナルカンドを目前にして、ここで足止めをくらうわけにはいかん。脱出する方法を考えるしかあるまい」
「うん、こんな気味悪いとこ、早く出たいよ」
訳もわからず閉じ込められてしまったここから出たい、その気持ちは全員同じだ。
アーロンは何かを考えるふうにティーダに目をやる。ユウナが不安げに顔を上げた。

「アーロンさん」
「どうやら、ここに閉じ込められたのも、こいつが目覚めないのも昨日の…」
「死人が原因、ですか?」
「あぁ、おそらくな。いったい俺たちをどうするつもりなのか、わからんがな」
「今度死人に会ったら…私、異界送りしてみます」
「そうだな……」
いつもだったら送ってやれとユウナを促すアーロンなのだが、何故か今日は歯切れが悪い。
「死者が迷っているのなら、異界へ送るのは召喚士の役目です」
「ユウナの気持ちもわかるけど…今はまだ無理かもしれないわね」
アーロンとユウナのやりとりを聞いていたルールーが、割って入った。

「どーいうことだ? ルー」
「グアドサラムで見たでしょ。ジスカル様は異界送りされてもなお、スピラに留まっていた」
「そうそう、反則だよねぇ」
息子シーモアに殺されて、異界にも行かず彷徨っていたジスカルの姿が仲間たちの目に浮かんだ。
「けどよ、そのジスカル様とどーいう関係があるんだ? つーか、そもそも、この街は何で沈んじまったんだ?」
「水没した理由まではわからないけど。この街の人たちがジスカル様と同じように、想いを残して亡くなったのだとしたら…」
「異界送りしても無駄っつーことか」
「えぇ、多分ね」
「それってまさか、殺されちゃったってコト?」
「この街ごと、沈んだのかもしれない」
「もうやだぁ、キマリ〜」
そんなこと言わないでよという顔で、リュックはキマリを見上げている。そうだとしたら街中は住人の怨念だらけではないのか。

「だけどまだ、異界送りが無駄だって決まったわけじゃないよね。私やってみる」
ユウナはそれでも諦めようとしなかった。死者でも生者でも関係ないのだ。困っている人がいたらユウナは放っておけない、死人が迷っているのなら安らかに眠らせてあげたかった。
「今はやめたほうがいい。キマリは、ユウナの身体が心配だ」
「え、どゆこと?」
ふと、キマリと視線を合わせたアーロンは、まるで暗黙の契りを交わすかのように、キマリの言わんとすることを汲みとった。
「この場所は幻光の濃度が高すぎる…か。キマリの言うように死人を異界へ送るどころか、ユウナの身に悪影響がでないとも限らんな」
「そんなぁ。ユウナんに何かあったら絶対やだかんね!」
「リュック、大丈夫だよ。でも…それじゃ、どうしたら……」

ユウナのことを一番に考えてくれる仲間たちの気持ちは嬉しかったが、異界送りは無理だと言われユウナは考え込んでしまった。思いあぐねるように皆黙りこくっている。
やがて途方に暮れた仲間たちの視線が、救いを求めるようにアーロンに注がれる。隻眼の男はふっと息を吐くと、仕方がなさそうに重い口を開いた。

「あくまでも、これは推測にすぎんが……この街の住人は、何か強い想いに縛られて留まっているのだろう。それを解き放ってやらねばなるまい。いったい何の目的でここに留まっているのか、どんな想いを抱えているのか…。死人を説得しないことには、この異常な現象が元に戻るとは思えんからな。異界送りはそのあとだろう」
「……そうですね」
ユウナもやっと納得したようだった。

「ともかく、死人を見つけ出すのが先決だな。これから俺たちガードは手分けして街を調べ、死人を探して話をつける、いいな」
アーロンはガードたちに向かいそう指示をする。頷く仲間たちの表情には、ひとまずこれからの方針が固まったことで、微かな安堵の色が差していた。
仲間たちがそれぞれ武器を携えると、ユウナも杖に手を伸ばす。それをアーロンは見逃さなかった。
「ユウナは、ここに残っていろ」
「え、でも……私も行きます」
「万が一の場合、連絡係も必要だ。ユウナは残れ」

―――こいつのそばにいてやれ。

口には出さないそんなアーロンの優しさが、仲間たちにも、そしてユウナにも伝わったのだろう。
はい、とユウナは頷くと、目を閉じたままの少年に視線を落とした。




ユウナを囲んだ束の間の和やかな円陣を、いつものように遠巻きに眺めると、真っ先に探索に出ようとしたのはキマリだった。

「キマリ」

その背中をユウナが呼び止める。ユウナは心配そうにキマリを見ていた。
シーモアは確かに……キマリのことをロンゾの生き残りと言った、ユウナに執拗に執着するシーモアの手で、ロンゾは全滅させられたのだ。

「キマリ、ごめんね。みんな私のせいだね。私のせいで…」
「ユウナ、謝るな。ユウナは間違っていない」
「キマリ…」

ユウナが悪いのではない、キマリのことで自分を責めるな、キマリは心の中で叫んでいた。
「こうしているわけにはいかない。キマリは探索してくる」
そう言って、キマリはユウナに背を向けた。これ以上、ユウナを悲しませたくはなかった。

あいつが倒れて、ユウナは不安を隠しきれない。あいつさえ目覚めれば、ユウナに笑顔が戻るのだ。ユウナの笑顔を守るためあいつの力が必要ならば、どんなことがあっても死人を探す―――。
この10年、キマリは一番近くでユウナを見守ってきた。しかしもう、ユウナを支えるのはキマリの役目ではない、なくなったのだ。
一抹の寂しさを振り切るように、キマリは野営地をあとにしていく。かたときも傍を離れたことのないユウナを置いて、ティーダに託すようにして。




「キマリ、そーとー落ち込んでるよねぇ」
「顔には出さねーけどな」
「そうね」
「シーモアのやつー、アタシのホームだけじゃなく、キマリの仲間まで……。ヒドイよ」
ユウナも、リュックもワッカもルールーも……大切な友や家族を失ってきた仲間たちには、キマリの哀惜が痛いほどわかっていた。仇を討ったからといって、簡単に悲しみが消えるものではない。
リュックは、いつもと変わらず落ち着き払っているアーロンの、むしろ顔色がよくさえ見える隻眼の男に、そそくさと歩み寄った。

「ね、おっちゃん」
「なんだ」
「年上なんだからさぁ、こんなときキマリのこと励ましてあげるとかぁ」
「キマリが望んでいない」
「どうしてわかんのさ」
「自分の問題は、自分で解決するしかないからだ」
アーロンはリュックをちらりと見下ろす。
「おまえに、人の心配をしている暇などあるのか」
「え?」
「今のおまえの問題は……一刻も早くこの街の死人を探すことだ」
「わかってるけど」
「それともおまえには都合がいいか。ここに足止めされて考える時間ができるからな。ならば……おまえだけずっとここにいろ」
「わかったよ、探す、探すよ。でも〜、そんな言い方しなくたっていいじゃんよ!」

リュックの戯言(たわごと)には付き合いきれんとでもいうように、アーロンはすでに歩き出していた。
「あ〜、まだ話の途中だっちゅーの。もう、待ってよ〜。おっちゃんってば〜」
緋色の背中を追いかけるように、リュックは駆け出していく。
やがて大きな影と小さな影は坑道の角を曲がり、野営地から見えなくなった。




「相変わらずニギヤカなやつだなぁ。で、相変わらず……アーロンさんは厳しいぜ」
「そうかしら」
「ん?」
「あれは、アーロンさんなりの……いいわ、あんたにはわからなくても」
「どういうことだ?」
ルールーは溜息を吐くと、幼馴染の顔を呆れたように眺めている。
「あんたも、相変わらずってこと」
「さっぱり、わからねぇ」
ワッカは腕組みをして、首をかしげている。
「さ、私たちも行きましょ。とにかく早く死人を探し出して……一刻も早くここから出たいわ」

怪訝そうに洞窟内を見回すと、ルールーは胸元をちょっと押さえて、意を決したように歩き出した。
ユウナとティーダを野営地に残し、仲間たちは洞窟と、死人の探索に出かけて行った。






X X XX XXX XXXX XXXXX XXXX XXX XX X X  







「ここが、レギスタンなのか」

キマリは半信半疑だった。
ガガゼトにはロンゾでさえ足を踏み入れていない場所が未だたくさんある。はるか昔に水没してしまったというこの街の話も、子供のころ聞いた覚えがあった。
人っ子一人いない過去の街―――その街を今キマリは歩いているのだ。

広場から続く道にも無残な落盤の跡がある。寸断された坑道は行き止まって、キマリは何度も足を止めた。朽ちた街並みは光る石の街灯に煌々と浮かび上がり、それは幻想的なほど岩肌を七色に染めていた。
荒れ果てた坑道から少しそれると鉱石の灯りが急に途切れ、あたりは水底のように蒼ざめる。見上げると岩壁が張り出すようにできた岩棚がキマリの目をひいた。小高くなったその場所に薄気味悪い光が集まっているのだ。
キマリはゆっくり近づいていく。死人がいる、直感だった。




そこには石碑が建っていた。この街で亡くなった人々の慰霊碑なのだろう。
その前にうずくまっている幻光虫を纏った虚ろな人影。キマリの気配を感じたのか、それは……肩越しに振り返った。

刹那―――。

男の形相に背筋がぞっとする。憎悪に満ちて歪んだ顔が、キマリを舐めるように見る。
その男は陰気な薄笑いを浮かべながら、ゆらゆらと立ち上がった。灰色に近いボサボサの銀髪、怠惰に肥った身体に薄汚れた白衣を着ている、小柄な中年男だ。

『ふん、ロンゾか』
「おまえは、この街の住人か」
『そうだ、このレギスタンのな』
「レギスタンは昔、滅んだと聞いた。そのおまえが何故ここにいる」
『クックックッ……』
嫌な笑い声だった。異様に耳障りなその声は、キマリを憂鬱な気分に陥らせる。忌まわしい男の顔を見ているだけで、どうしようもなく気が滅入ってしまうのだ。
「何がおかしい」
『昔滅んだ、か。クックックッ……そうさ、俺たちは生き埋めにされた。坑道を塞がれ、岩盤の下敷きになり、最後はご丁寧に水まで入り込んできやがった。……思い出しただけでぞくぞくしてくる。街のやつらが助けを求め泣き叫んで死んでいくザマは、たまらねー快感だったな。もっと嘆けもっと苦しめ! ヒャハハハ……』
レギスタンの辿った運命が楽しくて仕方がないとでもいうように、男は興奮した様子でまくし立てる。

『天罰さ、人殺しの報いを受けて街は沈んだ! レギスタンは俺から妻を奪いやがった! 妻を殺した罰だ。復讐してやりたかったさ、この街とこの街のやつらになっ!』
どうやら男は妻を殺されたと恨んでいるようだった。
恨みをはらす結果になったこの街の壮絶な最期に、人々の凄惨な姿に、身震いするほどの快感を覚えたらしい。おぞましい快楽に酔いしれている―――狂っていた。

「人の不幸が楽しいか」
『あぁ、たまらねーな。もっと楽しませてもらいてぇ』
「そんなことをして何になる。おまえの心が(すさ)むだけだ」
『利いたふうな口をたたくな。ロンゾに何がわかる!』
敵意を持った顔でキマリをぎろりと睨むと、一転して男は不気味な笑い声を漏らしはじめる。

『クックックッ……おまえらロンゾも俺の敵だったな。ロンゾは俺たちの恩恵を受けながら、いい顔をしなかった。レギスタンは神聖な御山を汚すだと? そうだ、あのときロンゾは何をしていた? ザナルカンドもロンゾもレギスタンを見殺しにして、こうしてのうのうと生きていやがる。許せねぇな、俺が復讐してやろう! みんな破滅に追い込んでやる、ひとり残らず消えてなくなれ!』
酒でつぶれただみ声で、毒を吐くように男は言った。
キマリは目を伏せ、悲しそうに(かぶり)を振る。

「もう終わってしまった。ザナルカンドは1000年前に滅亡した。ロンゾも……全滅した。キマリの同胞は殺された」
信じたくない事実をキマリは口にしていた。言葉にした途端、たちまち悲しみが押し寄せてくる。心の要塞に亀裂が入り、砂の城が波に削りとられていくように、キマリの中の絶望は一気に水かさを増していった。
山門の入り口で会ったケルク大老、ビランにエンケに……同胞たちが歌ってくれた『祈りの歌』が、耳に残って離れない。
『そうか』
男はニヤニヤと笑いながら、舌なめずりするようにキマリを凝視している。
『まだ終わってはいないさ』
唇を引き、歪んだ顔でそう言った。

気がつくとキマリの身体は無数の幻光虫に取り囲まれていた。湧き出すようにキマリめがけて集まってくる光の大群に目が眩む。光の渦に巻き込まれ弱気になった心の隙間に死人の魔の手が容赦なく忍び込んでくる。
深い闇の中に引きずり込まれ奈落に堕ちていくような感覚、男のかすれただみ声だけが呪文のようにキマリの心を支配していく。
キマリの意識は混乱していた。


『誰にヤラレタ?』
「シーモア=グアド。シーモアとグアド族が一族を全滅させた」
『悔しいだろう。復讐したいだろう。シーモアを殺せ!』
「キマリは仇を討った。シーモアを打ち滅ぼした」
『そうか、よくやった。次はグアドを全滅させるのだ。クックックッ……。目には目を、ヤリカエセ、キマリ!』
「グアドが憎い」
『そうだ』
「シーモアはユウナを狙っていた。そのためなら手段を選ばない」
『ユウナ?』
「キマリは召喚士ユウナのガードをしている」
『それでヤラレタのか。ユウナのせいで』
「ロンゾはユウナを守った」
『ユウナがいなければ、ロンゾは死ぬことはなかったのだな。ユウナのせいだ。ユウナが悪い』
「ユウナは言っていた。自分が悪いと、自分のせいだと」
『そうだ、その通りだ』
「シーモアが憎い。グアドが憎い。キマリがユウナのガードでなければ一族は……。ユウナのせい、全部ユウナの……」
『ユウナをヤレ、ロンゾの恨みをハラセ。キマリ!』
死人の男の復讐心がキマリに乗り移る。全身の血が怒りに奮い立っていく。

「ロンゾの恨み! ロンゾの怒りが宿ったこの槍で!!」


手にした槍を握りしめ、一瞬、男から視線を外したキマリの……視界の隅に緋色が映った。姿は見えない。けれど、ひらりとはためいたのは確かにアーロンの装束だ。 
そう、あの日のように―――キマリを覚醒させる緋色の記憶。
それは雷光のようにきらりと、キマリの脳裏に甦っていた。




10年前―――。

ロンゾ男子にとって額のツノは、かけがえのないものだった。誇りの象徴そのものなのだ。それをビランに折られてしまった。
小柄な身体を馬鹿にされ、からかわれても耐え続けたキマリの強い心にも限界がきていた。まだ15歳のキマリにはこの恥辱に耐えきれるはずもない。
「キマリは、死んでしまいたい」
ツノのない、みじめな姿をさらして生きていくくらいなら、そのほうがずっと楽だと思った。


失意のキマリはガガゼトを降り、どこまでも続くナギ平原を死人のごとく彷徨いながら、マカラーニャの森に辿り着いた、そのときだった。
虚ろなキマリの視界に突然飛び込んできた、(おびただ)しい鮮血と装束の緋色。強烈なその光景にキマリの身体は凍りついてしまった。

長い黒髪の青年だった。瀕死の重傷を負っているのか、動くたびに鮮血は溢れ出し大地を赤く染めていく。身体を引き裂かれるような激痛だろう。いや、もう痛みさえ意識の埒外(らちがい)なのか。
身の丈ほどもある太刀を支えにして得体の知れない何かに導かれるかのように、男はそれでも立ち上がろうと前に進もうとしている。地を這うように身体を引きずり進むその青年は、やがて力尽きたのか、そのまま地面に崩れ落ちるとぴくりとも動かなくなった。

―――もう死んでしまったのか。

キマリは恐る恐る近づいていく。
「おい」
横たわる男に声をかけ肩を揺すると、その身体はごろんと仰向けに転がった。
瞬間、あまりの惨さにキマリは絶句してしまう。傷は右目を潰し半身を貫いているようだった。全身から滴る鮮血は緋色の装束をどす黒く変色させ、傷口に巻かれている布を褐色に染め上げている。顔面からむしり取ったらしいその切れはしが男の側に落ちていた。
助かるような身体ではない。それはキマリの目にも歴然としていた。

「おい…おい!」
キマリの何度目かの呼びかけに左目だけがゆっくり開く。綺麗な瞳の青年だった。澄んだ鳶色が真っ直ぐにキマリのことを捉えている。うわ言のような声が聞こえた。

「ユウナを………ビサイドへ……」
「ユウナ?」
「召…喚士……ブラスカの…娘だ。……約束…したんだ」
「約束?」
「ユウナを…連れていくと……。友と…約束した。……ベベルから…一番…遠いところへ……。ユウナを……」
「わかった。キマリが連れて行く」
「すま…ない………キマ…リ……ユウ…ナ…を…頼むっ……」
弱々しい声から伝わってくる、強い想い。―――ユウナを頼む、それがキマリに向けられた最後の言葉になった。
「…………」

キマリに託したことの少しの安堵と、もう起き上がることのできない無念で、ないまぜになった涙が青年の頬を流れていった。失くしてしまった右目からも伝っていたと思う。青年は長い睫毛を伏せると、それから二度と瞼を開くことはなかった。
青年の名は、アーロンといった。


キマリの心は震えていた。ツノがない、ただそんなことだけで自分は……。
ロンゾのちっぽけなプライド、女々しいコンプレックスにしばられて死んでしまおうなどと、生きている価値などないと思っていたのだ。キマリのヒトより一回りも大きい立派な体躯、ロンゾの戦士として鍛え上げたこの身体のどこに不満があるというのだ。
生きたくても生きられない人がいる。時間を止められてしまった青年の無念を思う。
今のキマリには死ぬ資格さえもないと思った。

「おい、起きろ。起きろ!」
血だまりの大地に膝をつきキマリは、まだ体温の残っている青年の肩を揺り動かしていた。死んでほしくなかった。こんなに強い意志に触れたのは初めてだった。行きずりに出会った青年の死が、どうしてこんなにも悲しいのだろう。
青年が目を開けないことが悔しくて、自分が情けなくて、こみ上げてくる感情に胸がつぶれてしまいそうで―――。
「キマリは、約束する」
血と泥で汚れた、けれど端整な青年の横顔に心の中で何度も誓う。

―――キマリは約束する、キマリは負けない。

青年に託された幼い娘、ユウナをビサイドに連れて行くこと。それは死人のようにあてもなく漂っていたキマリの行き先を正してくれる道しるべのようだった。
キマリに生きる使命を与えてくれた、キマリにユウナを頼むと言った、あの日のアーロンが忘れられない。




「ユウナは、ロンゾの敵ではない! キマリはユウナのガード。どんなことがあってもユウナを守る!」
キマリの槍は(くう)を斬り、死人の男に向けられる。不意をつかれ男はのけ反る。
『うっ……。ユウナのせいで、おまえの一族は……』
「ロンゾは戦う民。信じたものを守り抜くため、この身さえも盾にする。ロンゾは命を賭けてユウナを守った。最後まで戦い抜いた同胞を、キマリは誇りに思う!」
『……殺されてもか……恨まないのか……』
キマリは首を横に振った。信じた道を貫き通す……命よりも大切なものがあるのだと、胸を張って言えるキマリにもう迷いはなかった。


『強いな、ロンゾは』
「ユウナはもっと強い」
『その召喚士か』
「ロンゾが束になってかかっても、ユウナの強さには敵わない」
キマリの言葉に男はしばらく考えるふうをして、思いあぐねたように視線を外す。
せつなげな瞳を石碑に向けると、ぽつりと言った。

『あいつは……妻も気丈なやつだった。妻にはいつも元気づけられた。そんなあいつが、あんなにあっけなく逝っちまったのが信じられない。……あいつが死んだとき、みんなうわべだけのお悔やみをくれたさ。悲しい顔を装ってな……。けど、やつらはみんな帰っていきやがる、家族の待っている温かい家庭にな。これから結婚するだと? もうすぐ子供が生まれるだと? 冗談じゃねぇ! そんなやつらに俺の絶望の何がわかる? 幸せの中にいるやつに同情されることほど腹の立つことはねぇ! 馬鹿にしやがって! 俺の気持ちなど、これっぽっちもわからねぇくせに!! 俺のことをわかってくれたのは、あいつだけ、あいつだけだったんだ―――』

やり場のない憤りに身体を震わせる男の声は叫ぶようで、キマリの胸を揺さぶった。
『そのうちやつらは俺を……腫れ物に触るような目で見やがった。しまいには変人扱いさ。誰も寄り付かなくなった。仕事も生活も俺の人生も、みんなこの街に狂わされた。この街とこの街のやつらにな!』
怒気を帯びた言葉を、男は身勝手に言い捨てていた。

「甘えるな!」
キマリの低く張りのある声が、男を一喝する。
「おまえは甘えている」
『何だと!』
「おまえは何もわかっていない。そんなおまえの姿を見たら妻は悲しむ」
『ロンゾに何がわかる!』
「ならばおまえに訊く。おまえは相手の気持ちを考えたことがあるというのか」
『相手の気持ち?』
「おまえにキマリの気持ちがわかるのか」
『…………』
「キマリは……ツノを失くした」
『ツノ?』
男はキマリの額に目をやった。ぽっきりと折れてしまったのか、根元が残っているだけだった。ツノのないロンゾは見たことがない。

「生きる希望をなくした。キマリは死にたいと思った」
悲しみに押し潰されて、ひとりぼっちで絶望の淵に立っていたのだ。
「皆同じだ。おまえだけではない」
辛いのはおまえだけじゃない、寂しいのもおまえだけじゃない、無表情に見えるキマリの金色の双眸がそう言っていた。
その眼差しは一瞬、悲しい色に光って見えた―――。




キマリがユウナに会ったのは、ベベルの長い橋の上だった。

「ブラスカの娘を探している」
「わたしがそうですっ」
「ユウナか?」
「はい」
「キマリが、ユウナをビサイドへ連れて行く」
「…………」
利発そうな顔立ちをした、その少女は答えなかった。愛らしい二色の瞳は戸惑うように、じっとキマリを見つめている。
まだ幼い娘が、ロンゾ族のような獣人を怖がるのも無理はないのだ。
「キマリが怖いか?」
本当は怖かったのかもしれないが、ユウナは首を横に振る。キマリは少しだけほっとしていた。

「ベベルから、一番遠いところへユウナを連れて行く。これは死にゆく者の願いだ」
「しにゆくもののね・が・い…」
キョトンとした顔をして、しばらくユウナはキマリのことを見上げていた。
「……とうさん、しんじゃった。……ほんとに、しんじゃったんだ」
「ユウナ」
「とうさんのこと、だいすきだった。もう、あえないんだね…」
そう言い終わらないうちに、ユウナのつぶらな瞳からは、みるみる涙が溢れ出していた。

大召喚士ブラスカのナギ節が始まって、ベベルの街はお祭り騒ぎで……ぼんやりとしていた父の死が、そのとき急に実感としてユウナの胸にのしかかってきたのだろう。
死にゆく者の願い―――。
あれはアーロンのことを言ったのだ。けれどユウナはキマリの言葉を、父の死と受け止めていた。
「うぅっ…」
キマリよりずっとずっと小さいユウナ。泣きじゃくる幼い姿にどうしていいかわからない。キマリは屈んで片膝をつくと小さな肩にそっと手を置く。しがみついてくるユウナを胸に抱き止めてキマリも心の中で涙をこぼした。

―――何としてもこの娘を、無事にビサイドへ送り届ける。

それだけを強く思った。
ユウナの置かれている立場など、キマリには知る由もなかったが、ただ目の前にいる少女のか弱さと、それをキマリに必死に託したアーロンの姿がすべてだった。


キマリはユウナの手を引いて、ベベルの長い橋を渡っていく。
ユウナはふと立ち止まり欄干に近づくと、遠くに望むナギ平原をただじっと眺めていた。父が戦った平原をもう一度、瞼に焼きつけていたのだろう。
ビサイドへ向け新しい人生(みち)を歩き出す、キマリの手をしっかり握って歩く、ユウナの温もりは元気をくれる。キマリを頼りにしてくれている、そんな気がした。

あの日アーロンに出会わなければ、ユウナのことを託されなければ、今のキマリは存在しない。ユウナを見守り続けること……ユウナの笑顔とビサイドの人々の温かさに支えられて生きてきたのだ。
誰かの助けが必要なときがある、ひとりでは生きていけない。




「キマリに話せばいい。キマリがおまえの話を聞く」
『え……』
思いも寄らないことだったのか、男はキマリの真意を推し測るような目を向ける。妻のほかには誰にも心を開いたことがないのだろう。誰ひとり男の話に耳を傾けるものなどいなかったのだ。
『俺の話……』
男はぽつりと呟くと、しばらく黙りこくった。ずっとひとりだと思い込み、頑なに心を閉ざしていたのだ。
やがて誰に言うともないように躊躇いがちに、男は話し始めていた。


孤独を酒で紛らわすしかなかった。仕事もせずに飲んだくれる毎日は、優秀な研究者だった男の心ばかりか姿形まで醜く肥らせていた。(おり)のように鬱積していく悲しみは、怒りとなり恨みにすり替わり男の体内を埋め尽くす。
しかし人々を恨んでも男には何もできない。(くだ)を巻くだけの無力さに苛立つしかない日々。
そこに降って湧いたような惨劇だった。レギスタンの無残な末期にほくそえむ、男の荒んだ心は邪悪な喜びで満たされていったのだ。

けれど何故か虚しい。自分が本当に望んでいるのはこんなことではないと思った。
妻との生活を取り戻したい、妻の優しい笑顔が見たい、妻の温もりを抱いて眠りたい、それだけでいい―――。
こらえていた男の想いは堰を切ったように溢れ出していた。
遠い日の、妻との暮らしに思いを馳せる男の顔はまるで夢を見ているようで、話すたびに甦ってくる幸せな記憶に、男は時折言葉に詰まった。
やがて、日増しに膨らんでいった恨みや憎しみが、すっかりしぼんでしまったように、うずくまる男の後姿は萎えて小さくなっていた。

『あいつを……愛していた』

最後に男はそう言って、唇を噛みしめた。
ひとりぼっちは寂しかった、男の背中がそう言ったようにキマリには思えた。




眼下に広がる街並みにひとつふたつ舞う幻光虫をしばし見つめて、男はおもむろに立ち上がる。キマリに向き合い話し出した男の口調は、とても落ち着いたものに変わっていた。
『俺はレギオンの研究をしていた。ガガゼトの地下でしか採掘できない鉱石から、放出されるエネルギーだ』
「あの光る石か」
『あぁ。半永久的に使用できる、優れものだ』
よれよれになった白衣のポケットに突っ込んでいた両手を出すと、ボサボサの銀髪を撫で付ける。まっすぐにキマリを見つめる男の瞳は、ちょっと神経質そうな研究者のそれに変化していく。

『しかし、レギオンは人体に悪影響を及ぼすことがある。抵抗力の弱い子供や病気の者などその影響が顕著に表れる。俺の妻は身体が丈夫ではなかった、そんなあいつのためにもと俺は研究にのめり込み過ぎてしまったのかもしれない。研究への執着は他人には異常に見えたのだろうな。だからそんな俺の陰口をたたくやつもいた。あいつはいつも間に立って俺を庇ってくれていたんだ。あいつにはずいぶん負担をかけた』
男は愛おしむように、石碑に目をやる。
『心労で死期を早めた。俺のせいなのかもしれない』
そう言って視線を落とすと、男は静かに目を閉じた。
初めて自分の問題として、男は妻の死にきちんと向き合っていた。
「鉱石の影響か。いいことばかりでは、ないのだな」
『あぁ。……俺はやっとわかった。いいこともあれば、悪いこともある。人生も、俺も、あんたも……この街もだ』
キマリは黙って頷いた。


1000年の昔も今の世も、たとえ異形であったとしても皆同じだ。辛くても現実を受け止めて前に進んでいくしかないのだ。見失っているだけで誰にも必ず行き先はある。
「おまえの居場所はここではない。早く行くがいい」
『俺の居場所……』
「おまえの……一番、安らげるところだ」
男はぼんやりと石碑を眺める。妻の笑顔が目に浮かんだ。

あいつの死顔は微笑んでいるようだったな、と男は思った。眠るように息を引き取った。泣き叫び、もがき苦しんで死んでいったこの街の人々の比ではない、とても安らかな最期だった。妻は幸せに包まれて異界へ旅立っていったのだ。
レギスタンは戦争の犠牲になった。ベベルとザナルカンドの争いに、成す術もなく巻き込まれてしまったのだ。突然明日を奪われた罪のないこの街の人々を、逆恨みした自分はなんと愚かしい人間なのだろう。

『すまなかった……』

妻になのか、キマリになのか、男が恨んだすべてに対して言ったのか―――。
天を仰いだ男の(まなじり)から一筋の涙が頬を伝っていった。己を悔いる男の死人にはもう存在する理由がなくなっていた。男を形作っていた幻光虫の力は、みるみる弱まり薄れていく。


消えかかる男に向かって咄嗟に手を伸ばし、キマリは言った。
「洞窟の道は開くのか?」
『…………』
「ここに、いるわけにはいかないのだ」
『…………』
男の死人は答えないまま、その姿は石碑に吸い込まれるかのように拡散していった。
静けさが戻った岩棚にキマリはぽつんと取り残される。
そんなキマリを映し出すかのように、鉱石の街灯は輝きを増し、美しい光の輪はあたりを照らした。
1000年の昔この街で、レギオンという鉱石の研究に力を注いだひとりの男がいたことを、キマリだけは覚えていよう、そう思った。




死人の男は消えていった。
そのとき歪んでキマリの横をすり抜けた幻光虫の群れが気にかかる。そんなことを考えながら振り返ると、坂道を上ってくるアーロンの姿があった。さっき見えた緋色は錯覚ではない。迷うキマリに再びその手を差し延べてくれたのだ。

「キマリは……またアーロンに救われた」
「何のことだ?」
アーロンは、意味がわからないという顔をする。
「いや、何でもない」
キマリは口を閉ざした。アーロンは無言のままキマリを見上げている。ルカで再会してからここまで見知っている素振りなど、まったく見せなかったその隻眼が懐かしげにキマリを見ていた。
しかし、お互い口には出さない。言葉にはできなかった。

―――10年、か。
―――10年、だ。

お互いの胸のうちを読むようにただ黙って隣に立つ、石碑を眺めながらキマリが言った。
「死人の男が今、ひとり消えていった」
「そうか」
「妻の死に絶望し、男は人の幸せを羨んだ。人を憎み恨み続け、男は街に留まっていた」
「ふっ、狂気の沙汰だな」
アーロンはそう言って、自嘲気味に笑う。
「キマリは、そうは思わない」
「…………」
「その男の気持ちがわかる、わかる気がした」
「……そうか」

アーロンはただ、遠いところに目をやっている。何も言わない。
声にならないキマリの想いが、アーロンには伝わっているのだろうか。
この10年のさまざまな出来事が、キマリの心の中を駆け巡っていく。言いたいことはたくさんあった。話したいことは山ほどあるのだ―――しかしキマリは、すべてを黙って胸に収める。


「キマリは、ユウナのガードだ。召喚士の覚悟を守る」
最後まで召喚士について行く。『シン』がジェクトだと知った今でも……ユウナが『シン』を倒すというなら、キマリは共に戦うつもりだ。
相手があいつの父親であり、アーロンのかけがえのない友だとしても。
「俺も、ユウナのガードだ」
アーロンはそう言って、ふっと笑った。




どれくらいそうしていたのだろう、あたりには幾百もの幻光虫が飛び交い始めていた。
二人の間を縫うように流れていく光の大群に、この岩棚も被いつくされていく。
再び夜が訪れたということらしい。
「そろそろ、戻るか」
「キマリは、もう少し探索して行く」
アーロンに目礼すると背筋を凛と伸ばして歩み出す、なだらかな坂道を下っていくキマリの大きな背中は、堂々として何事にも揺るぎがない御山のようだった。
10年前に出会ったときの、虚ろな瞳をした少年の面影はもうどこにも見当たらない。キマリの額には見えないツノが、まっすぐにのびているのだ。
遠ざかっていくキマリの後姿を見送りながら、逞しくなったなと、アーロンは独りごちる。
心の中で呟いていた。

「キマリ……あのとき救われたのは、俺のほうだ」














壁紙&イラスト:安茂



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