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〜 ハウルの動く城 〜



夜 間 飛 行



 夕焼けに朱く染まる空を、一羽の鳥が飛んでいた。
 鳥と言うには少し大き過ぎるそれは、顏の部分が人の表情の ―― そう、ハウルが変身したものである。
 しかし、鳥ハウルの表情は重たかった。朱い夕陽も、その長く伸びる影を好んで落としているかのように。
「ふう…」
 傍目には気持ち良さそうに風を切って飛んでいるというのに、翼を動かすのも億劫そうなハウルの気分は、実際、表情そのままに暗いものだった。
 今日も王宮のサリマンに呼ばれて出かけて行ったはいいものの、休戦のための処置はなかなか簡単なものではない。
 ハウルは戦時中に幾度も王国の呼び出しを無視したがため、今回の協力要請を断るわけにはいかなかった。また、そのつもりもない。ハウルが望んでいた平和のために働くのなら、自分の本意でもあるのだから。
 自分自身のために、そしてソフィーのために。
 守りたいものを見つけたハウルにとっては、今の状況は疲れるものではあっても、逃げ出そうとは思いもしないことだった。
 王宮から動く城の出口に繋がっている家へと一路飛んでいるうちに、太陽が一日の最後にと金色の飛沫を空へと投げかける。一瞬、世界が金色に染まる。ハウルも一時、我を忘れてそれに魅入っている間に、光の主は山の端へと姿を隠していった。
 主のいなくなった空は、未だ名残の朱色を残してはいたが、次第に迫る闇にその主導権を譲り渡そうとしていた。
 以前は嫌っていた夜の闇。
 好むと好まざるとに関わらず、我が身を染めつつあった闇の色。
 けれど、今は………。
 ハウルは己の心境の変化が不思議だった。あれほど嫌っていた夜を、今はそれほど嫌悪していない。どうしてなのか。はっきりとは、自分自身でも理解できていなかった。

 ふと気づくと、目的の家が眼下に迫ってきていた。ハウルは視線を街並みへと落とす。闇に覆われつつある街には、一つ二つと明かりが灯り始めていた。だいぶ高度を下げていたために、その明かりを目指して家路を急ぐ人々の姿も目視できた。
 その様子を見て、ハウルの脳裏に閃くものがあった。

「そうか!」




 ハウルが動く城へと続く扉をくぐった時には、すっかり夜になっていた。
 城の就寝時刻は早い。子供や老人がいるために、ソフィーが来てから自然とそうなってしまった。今も彼女に急かされて、マルクルがまだ眠くないとダダをこねたそうな目をしながら、自分の部屋へと向かうところだった。
 入ってきた扉にそのまま背をもたせかけて、微笑みながらその様子を見守っていると、目ざとく見つけたマルクルが嬉しそうにハウルに声を掛けてくる。
「あ! ハウルさん、お帰りなさい!」
「あら、ハウル。お帰りなさい、今日は早かったのね」
 二階へ上がる階段からハウルのいる扉の方へと走り出しそうになったマルクルを、逃がさないわよ、と彼の襟首を掴んで離さないソフィーも、ハウルを見て弾んだ声で振りかえる。
「ソフィー、離してよー。僕、ハウルさんにいろいろ話を聞きたいのに」
「だめよ、マルクル。もう寝る時間だって言ってるでしょう。話はまた明日ね」
 クスクスと笑いながら、ハウルはソフィーを援護する。
「マルクル、明日は王宮へは午後から行く予定だから、聞きたいことがあったら明日の朝、話してあげよう」
 そこでやっとマルクルも諦めの顔になる。
「きっとですよー」
「はいはい。わかったら、早く部屋に行って」
 いかにも渋々といったふうに、マルクルが「おやすみなさい」と言いつつ階段を上がっていった。
 部屋を見直すと、既に荒地の魔女ばあさんとヒンは就寝体勢である。ヒンはちらりと胡散臭そうにこちらを眺めてはいたが、すぐに元の姿勢に戻って目を閉じた。
「本当に我が家は、ソフィーが来てからは健康的な生活だなぁ」
「それはそれは。お褒めの言葉として聞いておくことにするわ」
 イヤミを言われたと思ったソフィーはツンとそっぽを向いて、マルクルが残した入浴後のタオルを片付け始める。
「ソフィー、僕は本当にいいことだと思って言ったんだよ」
「あら、そうなの?」
 半信半疑の目を向けたまた、ソフィーは今度はカルシファーへと声をかけた。
「カルシファーももう休んでちょうだい。今日も一日、ご苦労様」
 以前ならついぞ聞いたこともないねぎらいの言葉を、ソフィーは毎晩必ず言ってくれる。それがカルシファーには何より嬉しいことだった。
「うん、おいら、明日も頑張るよ。お休み、ソフィー」
「お休みなさい」
 優しいソフィーの微笑みに見守られて、カルシファーが炎の勢いを弱めてまどろみ始めた。
「カルもすっかりソフィーの言いなりだな」
「まあ、人聞きの悪い!」
 またも嫌味を言われたのかと、今度はあからさまにプイと横を向くソフィー。
「ごめんごめん。そんなつもりはなかったんだ」
 せっかくソフィーを喜ばせようという計画があるのに、今、機嫌を損ねてしまったら台無しなハウルは、必死で言い募った。
「本当に悪かった。怒らないでソフィー」
 けれど、ゆっくりとハウルの方へと振り向いた彼女は、それまでの表情とはまったく違っていた。
「怒ってなんかないわ。それより、毎日大変ね、ハウル。大丈夫? だいぶ疲れているようだけど…」
「ソフィー……」
 そんな気遣いが、この上もなく嬉しい。
 やはり、ソフィーはソフィーだ。
 ハウルは思わず彼女を抱きしめていた。ソフィーも逆らわない。
 優しい抱擁の時間が、二人を包む。
「……ハウル。休戦の調停って、そんなに難しいものなの?」
 ソフィーにはもう隠し事をするつもりはなかったから、ハウルが今やっている仕事のほとんどは報告してあった。
「うん。なかなか思うようにはいかないものだね。でも、少しずつだけどちゃんといい方向には向かっているよ。心配はいらない」
「そう…。だったらいいんだけど。でも、無理だけはしないでね、ハウル」
「わかってるよ、ソフィーを悲しませるような真似だけは、もう絶対にしない」
 約束よ、と羽のような甘いキスを贈ってくれる彼女が愛しい。

 ……と。
「そうだった。つい忘れるところだった。ソフィー!」
 ガバっと彼女の両肩を掴んで引き離し、顏を覗きこみながらハウルが勢い込んで言った。
「え?! な、なに? 急に」
「ちょっと出かけるから、急いで仕度して!」
「ええっ!? 今から?」
「うん! ほら、急いで!」
 ハウルの有無を言わせぬ勢いに、ソフィーは訳もわからないまま慌てて準備をし始める。とは言え、他の皆と違い、まだ夜着にも着替えてなかった彼女はエプロンを外すくらいしかなかったが…。
 まったくハウルっていつもこうなんだから、とブツブツ毒づくソフィーを無視して、ハウルはさっき入ってきたばかりの扉を、再度開く。
「さあ、早く」
 扉を開けたのとは別の手を、真っ直ぐに自分へと伸ばされて、ソフィーは一瞬赤くなる。
 そう、まるでエスコートされているみたいだったから…。
 ハウルの手の上に、そっと自分の手を重ねるソフィー。
 すぐに扉の中へと、二人の姿が消えていった。




「わあ! 綺麗っ!」
 先ほどハウルが飛んでいた街の上空、今度は人の姿のまま、ソフィーと二人で夜間飛行。
 あたり一面の闇の中、空には星が、地上には家々の明かりが散りばめられていて。
 天と地と、二種類の光の乱舞にソフィーは感嘆の声をあげていた。
「君に、これを見せたかったんだ」
 夜ということもあって、昼間よりも心もとないあたりの様子に、最初不安げだったソフィーの腰をしっかりと抱えて、ハウルはそっと呟いていた。ソフィーもハウルにしがみついている。
「これ、って…?」
 天上に輝く星たちももちろん綺麗だけれど、今は何故か地上の光に心奪われて、ソフィーが問う。
「そう、この、街の明かりをね」
 ハウルのその言葉から、まるで思っていたことを見透かされたのかと、思わずびっくり顔でハウルを見つめるソフィー。
「街の明かりが……僕にとっての君なんだって、教えたかったんだ…」
「え…? わたし…?」
 にっこりと笑うハウルが、ゆっくりと、誰よりも何よりも大切な人へと語る。

「あの街の明かりの一つ一つに帰るべき人がいる。あれは、帰ってくる人を迎える明かりだ。だからあんなに暖かいんだ。そして、僕にとっての帰るべき明かりが、君なんだ、ソフィー」

「ハウル……」

 どんなに煌く星たちも、愛しい人の笑顔には敵わない。

 どんなに優しい明かりでさえも、愛する人のぬくもりには届かない。

 今夜だけは、この宵闇に抱かれたまま、二人っきりの夜間飛行を永遠に、と願う。



 その時、天空の一部にて、星よりも強く輝く光が生まれた―――





Novel by テオ
Illustration by いづまら様

2005.1.15〜2005.3.31 《 Novel & Illustration collaboration 》 -ノベイラコラボ- 初出


○あとがき○
今作は、ハウルイラストを投稿してくださった、いづまらさんへコラボさせていただきました。
こんな素敵なハウソフィ見せられたら、もう書くっきゃないっしょ(大汗)

実は、最初書き始めたものが自分で気に入らず、書き直しております。
イラストのイメージ的にも、今まで自分で書いているハウルノベル的にも・・・。
だから二晩かかってしまいました。(このボリュームにも関わらず…)
短編なら一晩で書けると豪語している私が、投稿が遅くなってしまったのには、そういう訳がありましたのです(泣)

設定等は、かなりいい加減でございます。ハウルファンの方、お許しください。
未だ原作を読んでおりませんので、細かいところで勘違いしている部分もあるかもしれません。
でも、映画のハウルのつもりなんで、大丈夫ですよね?(念押し)


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