出会いは泉のほとりにて
煌びやかな街並みを背後に遠ざけながら、一人の若者が歩いていた。いかにも痩せた灰白色の北の大地を。そのりっぱな体躯に似つかわしくない、憂いの表情を浮かべて。 ―― どちらの道を選ぶべきだろう…… 彼は悩んでいた。 恵まれた運動能力と体躯を生かし、戦いに明け暮れる道を選ぶべきか。 それとも、明晰な頭脳を駆使して、真理への探求の道を選ぶのか。 正直なところ、どちらにも逡巡の理由があり、選ぶに選べずにいる。 戦いの道、すなわち軍属となれば、彼は既にエリートの道を約束されている。彼の家柄や指導力、人脈からすれば当然のことだろう。 それが彼には納得がいかない。 彼の若さであれば、通常は平の兵士から鍛えられるのが当たり前だと思う。だが、周りがそれを許してくれそうもない。彼の実力なら、最初から仕官として迎えられるものだと誰もが口をそろえて言う。訓練から得られるものはすべてパーフェクトにこなしてきた。彼に足りないものは単に実戦経験だけだと、至極好意的に認められている。 ならば、探求の道はというと。 それらすべてのものを振り捨てていかなければならない。 今まで生きてきて関わりのあったものすべてを。彼の年老いた両親さえも。 心優しい彼は、いくら本心は探求の道を選びたかったとしても、それだけはできそうもない己自身をもよく知っていた。 ―― やはり、軍に行くしかないのか… それが一番いいのだとは思う。誰もが喜んでくれる。当然彼がその道を選ぶと信じている。 けれど・・・。 ―― なんのために戦うのか 生まれ育った街を、故郷を守るため。 生い先短い両親を安心させるため。 皆の期待を満足させるため。 なまじ体格だけでなく、頭脳も明晰に生まれついてしまったがための苦悩なのだろうか。戦いをただ<戦う>という事象のみで捉えることができない。常に戦うことに意味を問うてしまう。そこに敵対意識や利害が生じるのであれば、人同士であっても戦うことに納得ができる。だが同時に、たとえ魔物相手でさえ、他の物に害を及ぼさない限りは存在する権利を尊重したい、などと戦士にあるまじきことを考えているのである。決して偽善や欺瞞ではなく。 だからこそ、考えてしまうのだ。 何故、と。 ―― このスピラという、不思議に満ちた世界の真理を見い出したい… 誰にも告げたことはない。 けれど、もう随分と以前からそれは彼の追い求めたい道だった。 優れた召喚士でさえ苦難であろう道を、僅かな召喚の力さえも持たない彼が追うということは、なんの装備も無しで霊峰ガガゼトに挑むようなものである。 ―― せめて、ほんの一欠けらでも召喚の力があれば・・・ 他の能力は余すところなく保持していると言っても良いほど恵まれた彼だったが、このスピラでも稀有な能力である召喚にだけは縁がなかった。 それも仕方のないことではある。だからこそ、召喚士は貴重な存在として優遇され保護されているのだから。 どんなに能力に恵まれていたとしても、真に欲するものを得られない葛藤。いや、得られないから渇望するのか。 ならば、男でも女でも召喚士をパートナーとすることはどうか。友人・恋人・仲間、どんな形であっても構わない。スピラのそこここに棲息する幻光虫たちを、一緒に追い求めて明け暮れる生活に、一種憧れにも似た思いを抱く。 しかし……。 そんなことは到底無理なことだと、当の自分が一番よく解っている。 召喚士は、いわゆるスピラの財産だ。有象無象に徘徊する幻光虫と相為す存在ではあるが、召喚士そのものの数は極めて少ない。 そのうえ、召喚の力があることが認められれば、即座に保護され公的存在となる。召喚士本人でさえ、自分の処遇を決められなくなるのだ。そしてほとんどの召喚士が、幼き頃より寺院に拘束される。貴重な能力のため、その力を伸ばすと称して、まだ物もわからぬ頃から修練の日々を過ごすことを余儀なくされるのである。それがいいのか悪いのかは、立場や考え方の違いはあれ、本人以外には分かるはずもない。 とにかく、召喚士というものは一個人にどうこうできる存在ではないのである。 けれど、諦めきれない。 「ふう…」 堂々巡りの思考に疲れて、彼は我知らずため息を洩らす。ふと眼を上げると、自分がいつのまにか街からかなり遠ざかってしまっていることに気づいた。思索し始めた時は、ただ街はずれを散策するだけのつもりだったのに。 スピラ一と讃えられる大都市の周辺であれば防衛施設も完備しているから何の心配も要らないが、さすがにこれだけ離れてしまうといつ魔物に襲われても不思議はない。が、並みの魔物ならば一撃で倒せるほどの技と力を合わせ持っている彼は、そんなことに頓着する必要もない。 彼はそのまま歩を進め、なかなか晴れない気分のままに目前に迫ってきた小さな森の中へと分け入って行った。 ザナルカンドとガガゼトの間には、大小様々な森が数多く存在している。物思いに耽りたい時、警護も兼ねてよくその辺りを散策している彼も、その森にはまだ足を踏み入れたことはなかったと記憶している。 いつものように、魔物の有無を確かめようと森の中に入っていってすぐのことだった。 小さい森のわりには、大小の草木がうっそうと生い茂り外界からの光を遮断していて、真昼中だというのに薄暗い。ここにも幻光虫は棲息しているようだが、その数はかなり少なそうだった。鳥や虫の声も聞こえない。耳に届くのは、彼が湿地に生える草を踏みしめる音だけ……。 ポチャン… 水音がする。 ―― ? ここには水場でもあるのか? 誘われるように、密やかに響いてくる水音へと彼は自然に足を向ける。 無粋な葉音で水の旋律を掻き消さぬよう気をつけながら森の奥へと進んで行くと、さして大きくない森のほぼ中央あたりに僅かに開けた場所があり、そこに小さな泉があるのが木々の間に見えてきた。 生い茂った潅木にすっかり覆われたようになっている泉へと、無理なく通れそうな場所を探して、しばらく泉の周りを歩き進める。ようやっと人一人が通れるほどの、おそらく獣たちに使われているのだろう細い獣道を通り進んで行くと、その先にこの小さな泉ではおそらくそこしかなさそうな岸辺が見えてきた。 途端、彼の足が止まった。 道がなくなった訳ではない。 獣や魔物に出くわしたのでもない。 そんなものに臆する彼ではない。 そこには、彼の眼と心を奪うものがあった。 木漏れ陽と泉の煌きが創り出した幻とも思えるほどの・・・。 どんな屈強な魔物でも留めることのできなかった彼の歩みを縫い止めるほどの、衝撃。 今にも透けて消えてしまうのではないかと、焦りにも似た想いを抱かせる儚さ。 泉と一体化したかのような半身、しなやかに水上をすべる白き腕。 まるで月光のような蒼く透き通る長き髪を、薄絹の代わりにその身に纏い・・・。 どこまでが泉なのか、本気で見極めたくなるほどの清らかな肢体が・・・。 ピシャン… 水面に波紋を描きながら離れた、細き指から零れ落ちる水音で我に返った時、彼は自分が知らぬうちに泉のほとりまで近寄っていることに気づかされる。 その気配に、泉の精はハッと振り返った。 「誰ですっ?」 澄んだ水面に幾重にも広がる波紋とともに、凛とした涼やかな声が響き渡る。 こんな状況下にも関わらず、驚きも怒りの含みもない、耳あたりの良い、声が。 初めて、自分に向けられた顔をまともに見て、彼はそれが幻ではないことを知る。 そして、その美しき人が自分のよく知る女性であることも。 夢見心地のまま、彼の唇からその名が零れ落ちていた。 「ユウナレスカ…さま…」 せっかくの沐浴を邪魔されたというのに、ユウナレスカは慌てるでもなく、静かにこちらを見つめ返している。 互いの瞳の中に映し出される ――― 刹那の永遠。 「あなたは……」 「お嬢様! ユウナレスカ様!」 彼女が更なる言葉を紡ぎ出さんとした時、清爽な空気を乱す複数の女性たちの声。 たぶん、彼女のお付きの侍女たちだろう。 彼は、無為に騒ぎ立てられる前に、この場は速やかに退いた方が良さそうだと判断する。多分にその場に心は残していたけれど・・・。 たった一瞬の間に、我が生涯をかけるべき女性(ひと)だと決めたからには。 物音も立てず、そっとその場を後にする。 背後から聞えてくる侍女たちの話す内容は、彼にはまったく意味すら聞えていなかった。 森から出て、真っ直ぐにザナルカンドへと進路を取る。 先ほどまで彼の中で渦巻いていた迷いは、もう無い。 スピラの真理も、世界の謎も、もうどうでもいいことのように思える。 たった一つ、希求すべき女性に出会ってしまったから。 己の望みは、ただ、彼女一人に集約されてしまったから。 後は、そのためにすべき道を選ぶのみ。 ―― 我が道は……決まった 「大丈夫ですか? ユウナレスカ様」 ユウナレスカの衣を片手に、心配げに泉に近寄り声を掛ける三人の侍女たち。 それまでの視線とはうってかわって、侍女が気づかぬほどのほんの半瞬だけ冷たい一瞥をくれてから、彼女は静かに言い放った。 「なにがです?」 オロオロとあたりを見回しながら、侍女の一人が口を開く。 「い、いえ・・・。あの、先ほど何やら大きな物影が見えたものですから。もしや、無頼か魔物でも出たのかと・・・」 ふっ、と気持ちを切り替えるように、長い睫毛の瞳を一度閉じてから、ユウナレスカは侍女の方に向き直った。 「大丈夫です。そなたたちの見間違いでしょう。ここには何も現れてはいません」 「そ、そうですか。それならばよろしいのですが…」 いかにもほっとしたように、安堵のため息をつく侍女たち。 それを横目に追いやりながら、ユウナレスカは葉陰の向こうに消えた大きな面影を追う。 ―― あれは……あの方は、確かに…… 今まで抱いたことのない想いが、次々と湧いてくる。 決して不快ではない、想い。 自分の大切な解放の一時を乱されたというのに。 聖泉で身を清め、深林の息吹に満たされていた、彼女の神聖かつ重要な儀式とも言える修養の時を邪魔されたのだというのに。 彼女もまた、彼と同様に感じ取っていたのだった。 己の運命に出会ったのだということを……。 ―― また、お逢いしましょう ―― 今度は二人、永遠を誓い合うために… そして、他の誰も聞き取れぬほどの小さな声で、彼の人の名をそっと呟く。 「……ゼイオン……」 |
○あとがき○ |