![]() ![]() 厨房は、戦場だった。 間断なき包丁の重奏に、沸騰した大鍋が泡を吹く音がたたみかけてくる。煮炊きの熱気のみならず、切り、混ぜ、動かす手が、本日は一段と気合に満ち満ちていた。 「急いでるからって、いい加減じゃ駄目アルよー! 丁寧に、でも手際よく、何より心をこめて! それが肝心アル!」 料理長クイナの叱咤激励も、殊更力が入っている。怒っていようが笑っていようが掴みにくい無表情が、心なしか生き生きとしているようだ。 「焼くのねぇ〜っ! 炒めるのねぇ〜っ!」 「盛るのねぇ〜っ! 運ぶのねぇ〜っ!」 アレクサンドリア国お抱えの料理名人らが、そこかしこで声を張り上げた。 「その調子アル。さて、ケーキはどこまで進んだアルか……おっ、オホホー!!」 暑さで悪くならないよう、隣室のテーブルで作業が行われている生菓子班をうかがい見て、クイナの舌が生きのよろしい蛇の如く、うねうね激しく上下に動いた。 脚立に乗った三人のちっちゃな料理人が、円柱型のスポンジを取り囲み、たっぷりのクリーム、鮮やかなフルーツ、色とりどりの砂糖菓子、アラザンやナッツ……諸々の甘味で飾り立てているところだった。一口でも味見をすれば、勢いは止まらなくなってしまうだろう、クイナは湧いてくる欲望をぐっと制す。 未練を振り切り職務をまっとうしようとする丸まるした背中が、ふと静止した。 「そこアルかっ!?」 見えているのか非常に謎である十字の目に、つまみ食いする輩のいけないお手々をしっかり留めていたクイナが、すかさず傍に置いてあった皿を取った。不届き者を退治する正義の一撃が投じられる。 「うぉっ!」 すばしっこい獲物によけられてしまい、哀れ上物の陶器は、白壁に叩きつけられ粉々に散った。 「過激だな、おい!」 「まだ調理途中だからってこのワタシまでもが我慢してるのに、食べさせるわけにはいかないアルよ!……なんだ、ジタンアルか。早く言って欲しいアル」 「俺だって名乗りを上げようが、お前は皿投げそうだよな」 「投げそう? 投げるに決まってるアル!」 「さいですか……」 からくも死守出来たオードブルをぱくつくジタンは、少しでも染みをつけようものなら一巻の終わりである、真っ白なタキシード姿であった。劇役者の経験もあってか、滅多にしない盛装をうまく着こなしているものの、後ろの尻尾は正直者で、窮屈を訴えて止まらぬ振り子となっている。 「クイナ、お前は主賓の一人なんだから、台所は他の奴らに任せろってダガーに言われてたろ」 「嫌アル! 大事な時こそ料理長の出番、ワタシが腕によりをかけるのに反対アルか? 心配しなくてもちゃーんと人間用メニューで、カエルは出さないアルよ?」 頭をかいて困り果てるジタンに、とぼけた質問が飛んで来た。 「ところで、今日は何のお祝いアルか?」 「あ、あのなぁ。この衣装が目に入らないのかよ」 スーツの襟を、クイナへ見せつけるように正してみせる。 「ジタンが主役アルね……ムム、お帰りなさいパーティー?」 「もう大分昔にやっただろ!」 「嬉しいことは何度やってもいいものアル、でも違うとなると……ムム、結婚記念日アルね!」 「なんでまたぎ越しちまうんだよ! 記念日やる前に結婚しなきゃいけないだろうが!? 式だよ、結婚式。俺と、ダ……いや、ガーネットの」 慣れない名で最愛の人を呼ぶのに、ちょっぴり照れをにじませるジタンが初々しい――クイナ以外の仲間なら、そう感じたであろう。ジタンが現在話している相手はといえば、どこまでもわかっていなかった。 「もう一度やるアルか、やっぱり何度やってもいいものってことアルね。確かに最初はパーティーなんてしなかったから……」 「おいおい、何のことだよ?」 「忘れたアルか?」 問い詰めるかの鋭さで返されて、ジタンが一歩退いた。 「神前の儀、したアルね! 夫婦になったアル、ジタンはダガー……女王様と、ワタシはビビと」 「ああ……コンデヤ・パタでそんなことあったか。よく覚えてたな、クイナ」 「当たり前アル! 食べる以外にウキウキしたの、あれが初めてアルからな」 「それはまた……ク族ってのはおもしれーよな。食を極めるのが人生でいっちゃん大事ってのは、一体どんないきさつで導かれた真理なんだろうな?」 「面白いのは人間アルよ」 「おっ、お前の口からそんな哲学っぽい言葉が出てくるとはね。クイナからすると、人間はどんな風に面白いんだ?」 「難しいことは言えないアルが、たとえば、ジタンが今元気がないこともその一つアルね〜」 屈託の影が射した笑い顔をするジタンなんて、基本的に食物にしか意識を注がぬクイナにも気付かれてしまう位に、らしくないものなのである。 「どうしたアルか。話をずらしたりして、思い出話は嫌だったアルか?」 「いや、ただな……」 おかしいアルね、とクイナが首ならぬ舌を傾げてみせる。滑稽な仕草だが、本人からすれば至極自然な動きのようだ。 「ビビアルか? ビビが悲しい顔をさせている、それ、おかしいアルよ」 「……おかしかないだろ。ビビはもういないって、思い知らされて。どうしたって悲しくなるじゃないか」 語気が荒くなるジタンに譲らじと、クイナはぶんぶん腕を振って二度、三度、飛び上がった。周りのコック達が、舞う埃から料理をかばう。 「悲しくなる、顔曇らせることないアル! そんなのビビは喜ばないってワタシ“想像力”でわかるアルよ。ここにいるビビに、ジタンも聞いてみるアル!」 ここに、と。むちむちっとした人差し指が、ジタンの胸の下あたりを突いていた。 「どんなに腹ペコでもいっぱいなところ、どんなに満腹でも食べ物が入らないであいてるところ。ワタシの中にあるビビの居場所アル。ジタンにもあるアルね?」 クイナの勢いに呆けていたジタンであったが、やがて感服の忍び笑いをもらし始めた。 「クイナの癖に、しんみりさせるなよ」 「ムム、しんみり? まだ悲しいアルか!?」 「あー、言い方が適当じゃなかったか。だから、そうだよな、実際のビビとは話せないけど、俺たちはビビと話せるよな。すごいぞ、クイナ」 押し付けられている指を、ねぎらうようにしてジタンが軽く叩く。 「オホホー、褒められたアル、でもこれ売り瓜……じゃなかった、受け売りアルよ。“想像力”はお師匠様のお師匠様、つまりビビのおじいちゃんに教わったアルね」 それでその方、クワン師匠はビビがいたからこそ“究極の食”の真理に辿りついたそうアル。 ビビはワタシの大大師匠なわけアルね! クイナは本当に楽しそうに喋った。 「好きだったんだな、ビビが」 「好きアル、ともだちアル! いないからって、だったじゃないアルよ! さあ、邪魔アル。大好きなジタン達の為に、まだ料理しなければならないアルからな!」 ほんの僅か気恥ずかしさもあるのか、厨房の部外者を乱暴にどかすと、クイナは己に向けて、発破(はっぱ)をかけた。 「さあ、もうひと踏ん張りアルね! これだけ働けば、美味しいものがますます美味しく食べられるアルよー! 作るアル、たいらげるアル、オホホー!!」 ![]()
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■あとがき■ |