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満開に咲く花の森をわき目もふらず脱出したロックが、そのまままっすぐ教会へと直行するかと思いきや。大分手前の位置で、前触れもなく突如かがんだ。 「はぁ〜っ。…………危ない危ない」 地面に自己嫌悪の吐息を吹きかけている彼に、おあつらえ向きに制裁の一撃が見舞う。ロックは花嫁に行う前に、すんでのところで大地に接吻しそうになった。 「だぁっ!」 「いつまで油を売っているんだ。客を待たせて」 「だからって、おい! いい加減どけてくれ足を」 結婚式の相談時、本日の主役は“タキシードなんて恥ずかしくてやってられない”と強く主張し、もう一人の主役にこれまた強く“一生のことだから恥ずかしくない格好にして”と説得され、結局新品の白シャツに身を包んでいた。そのまっさらな背中は、足蹴にされていまや台無しである。 「何てことすんだエドガー! セリスにこっぴどく怒られるじゃないかよ」 「せいぜい絞られるがいいさ。ああ、結婚直前に他の女にふらふらするような男はお仕置きされるべきだ」 長い足を優雅にマントの中へ戻すと、威圧するかの如くロックを見下ろしてくる。元々王族たる威厳が備わっているエドガーだが、いつもは上手にしまってある筈の感情の片鱗が、剥き出しで瞳に表れていた。 「その前にお前に怒られそうだな」 「わかっているじゃないか」 「そんなに規則正しく物事が進まないと駄目な奴だったっけ?」 「わかっている癖にはぐらかすな、女たらしが」 「げっ。よもや女扱いと口説きにかけて極めきった王者に、その名を頂戴(ちょうだい)するとはね」 後ろ手で汚れを払いつつ、ロックが言い訳を始める。 「……ティナ、すごく綺麗になったよな。でもなぁ、手は出さなかったぞ。ちょっと……据え膳だったもんで……ぐらついたけど」 エドガーは片眉を吊り上げた。 「当たり前だ。大体、ティナは昔から綺麗だろうに。ロック、手を出していようものなら俺はセリスを未亡人にしていたよ。ああ、まだ結婚はしていないか? ふん」 この王様が本音を隠さぬ様子は、職業柄か性格なのかはともかく非常に稀なので、ロックは心中で目を丸くしていた。 「ひょっとしなくとも、本気なのか?」 「確認なんて野暮はされたくないものだな」 彼女の思い人だった男は身を起こし、彼女を思う男と対峙した。 「俺の気持ちなんてどうでもよかろう。さっさとセリスの隣へ行ってやれ」 男と見つめ合っていてもつまらん、とエドガーがにべもなく踵を返した。そして、ティナがいる森に向かっていく。 「なあ、エドガー。お前みたいな、ご身分的にも男っぷりでも女がよりどりみどりの奴がどうしてまた……いや、それはいいんだけどさ。その、ティナが珍しいタイプだからってだけじゃないだろうな?」 ロックに顔を振り向けもせず、その後ろ姿が苦笑してほんの少し揺れ動く。 「信用出来んか? 俺が軽はずみに、今のティナの元へ行こうとしているとでも?」 エドガーにとって彼女は、思慕を抱く相手である以前に、生死をくぐり抜けてきた大切な仲間の一人だ。淡い恋に傷ついてしまった純な娘を、いたずらに弄ぶほど彼は悪趣味でもない。 「互いを思いやる仲間として、ティナの心を占めていた前の男として、敬意を払うことにしよう。俺はな、ロック。恐らくは世界を救おうとした時よりも真剣だよ」 「唐突な申し出で驚くかもしれないが、五年先でもいい、十年では……実際は辛いところだが、まあそれはともかくとして。私との結婚を君の人生計画に入れてくれないだろうか」 迎えに訪れたエドガーの第一声は、それだった。彼にしてみれば、先延ばしにして機会をうかがうのは得策ではないと、先手必勝を目論んだわけである。 劇的という言葉すら超えている突然のプロポーズが捧げられ、恋を失ったばかりである少女の顔に、ゆるゆると驚愕が広がっていく。 「エドガー……?」 名を呼んだそのひとは、大事な友人である。頼もしく優しく、この頃ようやくいい男なのだという認識も生まれたのだが、それでもティナは、彼を恋愛の対象にしてみたことは一度たりともなかった。 「そんなに意外だったかな?」 「ご、ごめんなさい」 「いいんだよ、どう思われているかなんて、把握済みさ。でもね、これからは考えてみて欲しい」 「今日がおめでたい結婚式だからって、勢いづいてしまったとかじゃ……ないの、エドガー?」 「……君までそんなことを。そんな風にして、誤魔化さないでくれ」 きっぱりと、切なげに燃える視線でティナを射る。そらせないものが込められていて、ティナは黙って身じろぐしか出来ない。 「すまないね、だが……どんどん困って、悩んでくれたまえ。お願いだ」 僅かに目を細め、エドガーが微笑らしきものをやっと覗かせた。いつも浮かべている洗練された笑顔の半分にも満たないものであったが、常の通りの、特別な意識を持たないでいい関係で話せそうな気になれて、ティナはほっとした。 「もう、意地悪なのね」 「俺がどれだけティナに迷わされているか知らないで。意地悪なのはどっちだい?」 すぐに、爆弾を投げ込まれてしまう。人の血色を大変良くさせる、胸を一杯にさせ早鐘を打たせる、この厄介な反応式爆弾からティナは逃れられない。 自分と、エドガーが、結婚を。つまりそれは結婚に至るまでの、特別な愛を育むことを意味している。 「あの、あのね、私。時間がかかると思う……やっと“愛する心”を私の中に見つけて、それで何となくだけど、誰かが特定の誰かを好きっていう感じもわかってきて。あ、これは周りを見ててわかったことで、実感したわけじゃないのよ」 ばればれの取り繕い方なのだが、ロックやセリスを慮(おもんぱか)る健気な彼女に免じて、彼はだまされてやる。 「承知しているよ。そんなティナごと好きなんだ、長期戦に対する覚悟は最初に言ってあるだろう?」 「でもエドガー、あなたはそんなに悠長な立場にないでしょう? きっと、あなたの国の人たちは一刻も早く立派な王妃様を、って望んでいるわ」 やはりそうきたかと、エドガーはこれから説き伏せる合図として、一つ咳払いをした。 「ああ、平和になって皆余裕が出てきたからね。間違いなく君の力があってのことだ、そうだろう。世界が安寧の上に成り立ってようやく価値を付加される身分やら体裁やらに、君が尻込みする必要はないんだよ。ともかく、俺の周囲にある瑣末なことに煩わされるのではなくて、俺だけを……見て欲しい」 これでもかという攻勢に、ティナは頬を朱に染める間もなくあっけにとられている。 「伴侶を自由に選ぶくらいの我がままは、臣下も民も許してくれるさ。それだけのことはしているし、今後も怠りはしない」 自信家と取られそうな発言だが、有言実行の男を通してきた彼のこと、本当にそうしてしまう筈だ。 いつか、この人と……。 エドガーの弁舌が功を奏して、ティナは早速その問題と向き合おうとした。目の前の双眸よりも、己の眼よりも深い青みがかった沈思の海へ、彼女が潜りかける。 エドガーのくすんだ金の前髪に留まっていた、薄紅の花びらが、無風の中ゆらりと舞い降りて彼女の視界に入った。 そして彼の影も、下りてくる。 ティナはエドガーに唇を重ねられていた。しかも、いまだ続行中である。 こんなにも接近されていると、塞がれていない方の呼吸孔でも息がしにくいのに、脈拍は構わず激しさを増している、苦しくて仕方なかった。悶えて口の締まりがなくなってゆくと、彼の熱い息が喉の奥まで乾かしてしまう。それ以上に熱い舌が忍んでくると、彼女の上唇をめくるようにして前歯にそっと挨拶を交わしていった。 エドガーは緩みつつある上下の白き柵をこじ開けようとは、先ほどティナが呑み込んだ花を、無理に探り当てようとはしなかった。 ただずっと、唇と唇が触れ合っていた。 永遠か一瞬か、その間をはっきりとさせられない口づけの時が終わり、両肩に添えられていた大きな手が離れると、ティナは後じさりによろけていった。一部始終の目撃者である大樹の幹に、思い切り良く背をぶつけてしまう。 「ただじっと君を待つのは性に合わないのでね、これ位は許して貰いたい。今のは私の宣戦布告と誓いといったところかな」 フライングで唇を奪っておいてなおも堂々としているエドガーに、何か返そうとするのだが、泡を食ったティナは音一つ発せられない。 「君から誓ってくれる日を、心待ちにしている。さて、同じく結婚式が始まるのを心待ちにする皆の為、そろそろ戻ろうか」 うやうやしく差し出された右手は、いやいやと首を振る相手に拒まれる。 「心臓……壊れちゃうっ」 やっとのことで、ティナがそれだけを呟いた。 「……では、先に行くとするよ」 これが限度と察し、エドガーは静かにマントを翻した。その紫の長布が、弱々しい力で、だが素早く捕らえられる。 端っこを握り締めているティナ。引っ張られて肩口を押さえるエドガー。丈の分の距離だけが、二人を隔てて、近づけていた。 とりあえずは、ぎりぎり合格の線上に在るかな。 マントの裾をつかんで大人しくついてくる後ろの少女を意識しながら、エドガーはそんなことを思った。 式の最高潮である“誓いの口づけ”の際、誰よりも照れていたのは本人達ではなくティナであった。彼女の様子に気付いた者は、初心な少女よと微笑ましい感慨を抱いたが、それは誤解である。 ティナがはにかんで見つめるその先には、ただ一人実情を知る男が、憎らしくもウィンクで応えてみせていた。 Copyright (c) 2002 にじます
■あとがき■ |