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こんもりと茂った花房にたわむ枝が、そよ風に薄赤い花弁を一つ、また一つ乗せていく。 今を盛りと花咲き誇る大樹の下、無防備に四肢を投げ出し安眠についている男がいた。午睡(ひるね)と呼ぶにはいささか早過ぎる時刻、そろそろ空腹も感じるだろうに、頑固なまでに熟睡している。 或いは、逃避の意思がそうまで彼に眠りを決め込ませるのかもしれない。 「ロックー! どこ行ったの、あ……いたいた」 一番恐れていた女(ひと)の声ではないにしろ、遂にお迎えが来てしまったか、とロックは軽いめまいと共に覚醒した。 「もう、こんな所に寝っ転がってて、花びらだらけ。髪も乱れちゃってるよ。正装しなくていいからって駄目じゃないの」 腰に両手を当て、子供にするように優しく叱ってみせるのは、出会った当初は明らかに人としての情緒が欠けていた少女、ティナだった。己の出生にも関わる悲壮な戦いを乗り越え、孤児達と暮らす安寧の日々を得て、彼女は今まばゆい程に美しい女性となっていた。外見に変化がなくとも、生き生きとした表情一つで人はこんなにも変わるものかと、ロックばかりでなく仲間の誰もが目を瞠ったものだった。 惜しかったかな、という邪な気持ちがなきにしもあらずのロックである。彼の為に着飾り、教会で待つもう一人の美女に対して失礼千万なのだが、正直なところだった。 「いよいよ年貢の納め時なんだなあ、はあ」 「なあに、結婚するって決めたんでしょ。愛し合ってて、一緒にいようって約束し合うのがそんなに嫌なの? 溜め息なんか差し挟めない位幸せな筈よ」 「傍(はた)から見りゃめでたいんだろうけどさ、花婿は複雑なんだよ、やっぱり」 心なしか甘えた口調で、ロックは横になったままぐずぐずしている。いい年をして駄々っ子みたいに口をとがらせ、男ならではの理屈をこね始めた。 「大体さ、束縛とトレジャーハンターって生業(なりわい)はそぐわない。そう思わないか?」 「ロック、それって単なるわがままだわ」 仲間内では恋愛方面に最も疎そうなティナに、こうまできっぱりと断言されてしまって、彼は面食らった。 「愛されてることに胡坐(あぐら)をかくなんて、守るべき者を失った経験のある、あなたらしくないんじゃないの」 「……ティナ!」 痛い過去を匂わされ、彼は勢いよく上体を起こした。 「私、絶対に謝らないからね。争いのさなか、セリスに、私に、守ってやるって叫んだ昔のあなたに失礼だもの」 食い入るようなティナの正視に耐え切れず、ロックが視線をそらした。 「世界が平和になるまで、私達どれだけ頑張ってきたのよ? 多少窮屈かもしれないけど、そうした当たり前の幸せを築けるのにどんなに苦労したか忘れちゃった?」 「そんなわけ、ないだろ」 「だったら、大切な人を手中にしておく、守っておける機会をみすみす手放すなんて、それこそトレジャーハンターらしくない。でしょ?」 あなたの宝物がお待ちかねよ、とティナがロックの衣服を払い始めた。砂埃、花弁、それから彼の迷いを落としてゆく。 「ティナ……」 「なあに? 幸せ者の愚痴はもう聞かないわよ」 「ありがとな。それで、ごめん」 ティナの手が止まる。 「どうして?」 「俺、あの頃自分を見失ってて。誰にも彼にもとにかく死んで欲しくなくって、ひょっとして俺の“守ってやる”ってのが、ティナの心を振り回してしまったなら……」 屈み込んだティナの指が、ロックの乾いた口元に触れて歯止めをかけた。他意はないのよと言わんばかりに、先ほどまでそこにくっついていた花の一片を示し、彼女は切々と言葉を連ねる。 「“君を大事に想ってくれる人もいるのかもしれない”とも、言ってくれたことがあったよね。私はね、その可能性に賭けて、リターナーに協力することにしたの。ロックの言葉が私を動かした。あなたを信じて、本当に良かった。それだけよ。あなたには感謝している、それだけ。だって私、恋愛についてはいまだにわからなくても、愛することも愛されることも、ちゃんと知ってるわ。だから、あなたも謝ったりしないで。ロックの言ったこと、その通りになったんだから……私を想ってくれる仲間たち、子供たちがいるわ、ね?」 彼ではなく、手にした花びらを相手にして、ティナは必死にまくしたてた。 「さあ、行かなきゃ。ロック、お先にどうぞ。すぐに追いつくから」 私を踏み越えて。私が、あなた達を結ぶ為の枷(かせ)になれるというのなら、そうしてちょうだい。私のあどけないにも甚だしい恋が、少しでも役に立てるのならば。 仕方ないの。あなたのひたむきさを真に受けて、独占したいという願いが芽生えた時が、遅すぎたんですもの。そう、セリスよりも。 対抗する術もなく、あなたは既に彼女のものになっていた。 ロックは黙って立ち去った。それでいい、とティナはちょっぴり苦味の混じった微笑みを彼の背に送った。 片手に捕まえたままだった花ひとひらを、もっと赤く鮮やかな部分に持ってゆく。下唇に置いて、くるりと丸めて。口の中におさまったそれは、見かけの甘そうな雰囲気と異なり、実際はほろ苦い味であった。 「まっずぅい……」 痛みを残す味は、苦い良薬なのだ。 愛したひとに寄り添うひとは、大事な仲間だったから。 呑み込ませて欲しい。そうして私にためらいの欠片もなく彼らを祝わせて欲しいと、ティナは願った。 おめでとう、――ロック。 雫の形をした花びらとひきかえに、同じ形で零れ出そうなものを。 おめでとう、――セリス。 呪文にして繰り返すことで、どうにか留めさせて。 おめでとう、二人とも。 彼女は自らを御するに至った。 「おめでとう」 呟いてみる。あくまでこれから行われる結婚式に感極まったせいで、涙は滲んだのだ。それを拭う手は、まだ自分以外のものではないけれど。 特別な愛に恵まれぬことを、他者を妬む理由にはしたくない。 散る花の中、想いはかなく散らしても、ティナは背筋を伸ばし凛と立っていた。 “君を大事に想ってくれる人もいるのかもしれない” 彼の言葉を、これからも当分支えにしていこうと、彼女は改めて心に刻んでいたのだった。 Copyright (c) 2002 にじます
■あとがき■ |